神ハ神ノ仔ヲ愛ス


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吐く息も凍る夜。
ビルとビルの谷間を縫う高速道路を1台の車が走る。
車種は中型のワゴン車。 白い車体には”神の仔の病院”という文字が塗装されている。
車内には数人の男と一人の少女。
男たちの一人は牧師の装束を身につけ、残りの男たちは病院職員用の白衣姿だ。
少女の浅黒い肌は異国生まれであることを窺わせるが、通った目鼻立ちは日本人の血が入っている可能性を物語っている。

「クソッ、あの女とんでもないやつだ。 どうだ、まいたか?」 らしからぬ口調で牧師が毒づいた。

「大丈夫のようです」 助手席から車外を窺っていた男が答える。

「それにしてもあんな女の潜入を許すなんて、日本支部のセキュリティはどうなってるのですか」 心なしか余裕が戻ってきたのか、牧師の口調が丸みを帯び出した。

「面目ありません。 ですが本部から発給された証明書の様式は完璧に整ってましたし、IDカードも…」

「言い訳は止めなさい。 もうあの支部はダメです」

牧師の詰問に男たちはうなだれる。

「ですが。これも神の思し召しなのかもしれません。 これで近々受けることになっていたアムネスティの視察に対する工作を行わなくてもよくなったわけですし」

「あの女が暴れ回ってる様子は防犯カメラに収めています」 職員の中でも年長者が報告する。

「動画のデータは本部に送りました」 車内に搭載していたPCを操作していた男。

「つまり我々神の仔の病院は正体不明の女の襲撃を受けた哀れな被害者というわけですね。 もっとも動画の方は編集しなくてはいけないかもしれません。
映ってはならないものまで映している可能性があるわけですから」 含み笑いをしながら話す牧師。

一斉に頷く男たち。 ここで牧師が思い出したように少女に言葉をかけた。

「大丈夫でしたか。 怖い思いをしましたね。 でももう大丈夫ですよ。 米軍基地に着けばそこからジェットでグアムまで3時間足らずです。 
グアムで旅客機に乗り換えてLA経由でフランスに行き、パリ支部であなたは務めを果たします。 偉大なる神のお導きによる生命の樹を完成させるという務めを。 嬉しいですか」

「ェェ」

問いかけに対して少女は虚ろな答えしか出来なかった。
すると忽ちのうちに牧師の表情が険しくなり、拳を握りしめると少女の顔を打った。

「このクソガキがぁぁ! 私の言ったことにはちゃんと返事をしろとあれだけ言っただろうがぁぁ!! 」

自分の言葉に激昂したのか更に強く少女を殴る。
少女の口からは消え入りそうな声でゴメンナサイと言う言葉が洩れてくる。

「おやめください。 あの混乱の中で折角連れ出したのに、もし何かあれば」

年長の職員が牧師の腕を取り制止した。 落ち着きを取り戻し、拳を下ろす牧師。

「これは見苦しいところをお見せしましたね。 恥ずかしい限りです」

その言葉に安心した職員が牧師の腕を放す。

「でも良いのですよ」

再び握りしめた拳で少女の顔を思い切り殴った。 少女の口からすすり泣きが漏れる。

「大切なのはこのガキの心臓だけなのですから」

ようやく気が晴れたのか牧師は少女を解放する。

「それにしても天の配剤というのは恐ろしいものですね。
フィリピンのゴミ集積所でゴミを漁り、刹那の快楽のために男に身を許していた淫売のクソガキ。
その心臓が、移植ドナーを待っていたロシアの石油王の娘とマッチするとは」

「ですがそれを言うなら異端者の突然の襲撃にもかかわらず、その事実に思い至りこの娘のみを連れ出すよう指示された神父様の慧眼ぶりこそ偉大なる父の賜というべきでしょう」

普通の人間なら却って気を悪くしかねない見え透いた追従だったが、牧師はあっさりと受け入れた。

「確かにあの女、謎の能力者による襲撃で我が神の仔の教団が被った損害は甚大なものになるでしょう。
ですがこの娘の心臓の代償として我が教団に入る献金はそれを補って余りあるものです。 
それを損なうことが無かったのも私の指示に冷静に対応した貴方たちの存在があってこそです」

牧師と病院職員。 聖職に携わる物同士の不穏な会話。

「ですが、あの女は一体何者だったんでしょう」

「さて。それは判りかねますがあなたたちの送った画像を元に本部がその正体を白日の下に暴き出すことでしょう。
そしてそれを元に愚かなる異端者と背教者の群に怒りの鉄槌をくだすことでしょう」

最後は静かに言葉を締めくくった牧師は職員の一人の様子がおかしいことに気がついた。

「どうしました、あなた。 私は今結構大事なことを言ったつもりですが、あなたまるで心ここにあらずの状態じゃないですか」

声をかけられた職員は車窓の外を指さし言った。

「飛んできます。 あの女が飛んできます」

飛んでいる。
血で汚れた白衣をまとった女が飛んでいる。
世界中に支部を擁する神の仔の病院の日本支部に潜入し、決して外部には明かすことの出来ない暗部に乗り込もうとして警備員たちと交戦。
たった一人で数十人の警備員を撃破し、日本支部を壊乱させた謎の能力者が宙を飛んでいる。

実際は飛んでいるのではない。
空気中の水分を瞬間的に凝縮させて発生させた氷塊をステップに跳ねているのだ。
氷塊のステップからステップへと人間離れした跳躍力で飛び移る。
役目を終えた氷塊は地上に落ち、砕け散っていく。
そのスピードは男たちが乗っている搬送車に比べれば劣っているが、建造物や道路のカーブをショートカットしている所為で少しずつその差が縮まっていく。

「化け物か。 あの女」 常識では考えられない事態に動転する男たち。

彼らに出来ることは車のスピードを上げて、逃走用のジェットが待っている米軍基地へ急ぐこと。
だがそうして手をこまねいて見ているうちに、女はワゴン車の上空に達すると、天井部分に舞い降りた。
車体に伝わる衝撃は男たちを緊張させた。
拳銃を取り出しボンネット越しに撃とうとする男たちを牧師は制止した。

「お止しなさい。 この車はただの車じゃない。 撃っても装甲に跳ね返されて、私たちに当たるだけです。 それよりは」

ドライバーに車を蛇行させて車体に取り付いている女を振り落とすよう指示する。
スピードを保ちながらハンドルを左右に切るドライバー、やがて…。

「落ちたぞ、今確かに何か落ちたぞ」

「確かですか。 確かにあの女が落ちたのですか」

「ハッキリとは見えませんでしたがおそらくは…」

車内を満たし始めた安寧の空気を打ち破ったのは、突如としてフロントウインドウに逆さまに映った女の顔だった。

美しい。
通常の状態で見れば心奪われかねない美しい顔も今の男たちには恐怖の対象でしかない。

「逃走って言葉があるだろ」
窓を締め切っている車内に何故か聞こえる女の声。

逃走って言葉があるよな、逃走。
逃げて走るっていうのはわかる。スッゲーよくわかる。
逃げるのにチンタラ歩いてなんかいられないからな。
今のお前らを見てたらよくわかる。
だがよっ、闘争っていうのはどういうことだぁぁ~~っ!
闘って争うってスゲー勇ましい言葉じゃんかよ。
ナメやがって。
逃走と闘争。
180度違う意味の言葉が同じ響きなんてどういうことだ!
チクショーッ。
どういうことだ!どういうことだよ!!
クソ!クソ!
舐めやがって超イラつくぜぇ~~っ!!
逃走、闘争。白黒はっきりつけやがれこのどチクショーが!!

「くそ、振り落とせ」 牧師の指示が車内に響く。

「ダメです。 前方にアイスバーンが!」

ワゴン車の前方数十メートルの路面が氷結していた。
急ブレーキの音が響く。

「馬鹿! 一気に突っ切るんだ」

制止の声も空しく、タイヤをロックさせたワゴン車はコントロールを失い、道路の側壁に激突して停止した。
衝撃で後部のハッチバックドアが開く。
この事態を引き起こした女はというと、車がコントロールを失う直前に飛び降りていた。
減速していたとはいえ、かなりのスピードで走行していた車から飛び降りたにも拘らず、かすり傷一つ負っていない。
女は悠然とした足取りでワゴン車に近づき、その隔たりが十メートル前後になったところで歩みを止める。

「オイッ! クソガキ! 生きてるんだろう。 死にたくなかったら、さっさと出てきな」

反応が無いことにイラついた女の声が荒くなる。

「いいか、もしもお前がお伽話のお姫様で、アタシが白馬に乗った王子様ならお前は何もしなくていい。
黙って目を閉じて王子様の腕に抱かれたら、あとは夢の国。 お目覚めはデッカイお城の自分の部屋の豪勢なベッドの上だ。
ところがお前ときたら、ゴミ溜めで育ったドブネズミで、アタシはアタシで年中不機嫌な魔女ときたもんだ。
お前が生きていくには自分の足で歩くしかないんだ。 いいか5つ数えるうちに出てくるんだ。 さもないとその車ごとお前を…」

緩慢な動きでハッチバックから出てきた少女の姿を見て女は口を閉じた。
しかし自分の元に歩み寄る少女の動きがあまりにもゆっくりとしているのを見ると、おらっ、さっさとしろと罵声を浴びせる。
それでも少女が女の近くにやってきた頃、男たちも車内から出てきた。
皆身体のそこかしこを痛めたらしくしかめっ面をしている。

「待てっ。 お前の狙いは最初からその娘だったのか」 牧師の声が夜空に響いた。

答える必要はないねとうそぶく女。

「一体何の為に。 財産もなく教養もない。 身寄りすらいないそんな娘の為に何故?」

「身寄りはいるさ。こいつには国に母親がいる。」

「ああ、確かにいたさ。 赴任してきた商社員を僅かばかりの金でもてなすような店で働いていた商売女。
店で知り合った男と所帯を持ち娘を儲けたはいいが、帰国した男に捨てられたことが判ると自分も娘を捨てた最低の母親。
挙句の果ては男の残していった金で手を出した薬が原因で感染したHIVが発症したために、マニラ市内の病院で死を迎えるばかりの女」

そんな屑みたいな母親しか身寄りのない娘を一体何の為にと心の底から不思議がる牧師。

「確かにコイツの母親は今現在、HIV患者対象のホスピスにいる。
しかし病状が悪化する前は、他の重症患者の身の回りの世話を親身になってやったらしい」

その中にあっちの裏社会の大立者がいたらしい、と話す女。

「コイツの母親の献身に痛く感じ入った大立者は、何か望みは無いかと母親に言ったらしい。
母親は言ったのさ。 自分の捨てた娘に一目会いたいってな」

自分の傍らに立つ少女に目をやりながら女は続ける。

「大立者は裏のルートを通じて依頼を出した。 娘を探し出せっていう依頼をな」

その依頼が回りまわって自分のところにやって来た話す女に対して牧師は…。

「一体その依頼を幾らで請け負ったんだ、お前は」

その言葉を聞くと女の顔は憂鬱極まりないものになった。

「これが実にショボい話でね、おっさん」

おっさんと呼びかけられた牧師の顔が一瞬怒りに歪むが、女はそれを気にもかけず…。

「そりゃあ、大立者が現役だったらそれなりの報酬は出しただろうさ。だがよ…」

病状が悪化しホスピスに入った時点で、そいつは裏社会の権益を全て取り上げられた。
後に残ったのは身につけてた僅かばかりの小銭だけってわけさ。

「だから、こいつを助けたところでアタシが手にするのは雀の涙ほどの報酬ってわけさ」

女の言葉は嘆きにしか聞こえなかった。

「だから、お前はこの件で一体いくら手にするんだ」 何の思惑があるのか、女の受け取る報酬の額を気にする牧師。

「そいつは流石に言えないねえ。 ただアタシが今耳にしているこのピアス。 これ一つでこのガキ百人分の命にはなる計算かねえ」

と話す女の耳にはパールのピアスが。

「そんな僅かばかりの金でお前は我が神の仔の病院を襲い、あれほどの騒ぎを引き起こしたのか」 牧師の声には間違いなく驚気の響きがあった。

「アンタらには悪いことをしたねえ。 ま、これがアタシの性分ってやつでね。 でも安心しな。
アンタたちのやってることに口を挟むつもりなんてサラサラない。 世界中に広がった病院ネットワークを活用した臓器売買」

女と対峙する男たちは一様に息を飲んだ。

「スラムの傍に病院を建設し、住民たちの健康診断を無料で実施する。
臓器移植を望む顧客とHLA検査が適合した住民は、病院という檻の中に囲い込みじっくりと料理する」

アタシからすれば随分とまどろっこしいやり口だけどねえ、と嘆息する女に対して牧師は商談を持ちかける。

「お前がこの件で幾らの報酬を受け取るのか私には判らない。 だがそれを五倍、いや十倍にしたくはないか」

女の顔に満面の笑みが浮かんだ。

「ほうっ。 そいつはまた豪勢な話じゃないか」

女の反応に気を良くしたのか牧師は更に…。

「大体お前ほどの実力を持った人間をそんな安い金で動かそうというのが虫のいい話だと私は思う」

牧師の言葉を聞いた女の顔は綻び、両手を揉み合わせ始める。

「アンタ、話がわかるねえ」

「ああ、今からでも遅くはない。 そんなしみったれた依頼はキャンセルして私たちの為に働け。
私たちにはこれからもお前のような強い人間の力が必要だ」

「依頼をキャンセルっつーのは、このガキをアンタたちに引き渡せってことなのかよ」

「そうだ。 その娘の心臓には法外な程の高値がついている。 だが、おかしな考えは起すなよ。
それを金にするには私たちのネットワークが必要…」

牧師の提案は女の一言で拒絶された。

「悪いな。 パス」

「何故だ」 信じられないという表情で女を見つめた。

「お前は言ってたじゃないか。 ショボい依頼だと。 お前の装飾品の百分の一に満たない報酬でしかないと言っていたではないか」

なのに何故自分の申し出を断るのかという牧師に対して、首を傾げながら女は答えた。

「あんたら、善人面した人間。 神の仔を名乗る人間っていうのはイイよな。 間違いを犯したって神が許してくれる。
契約を破ったって、神の前に額づいて許しを乞えばいい、ところが…」

大きな溜息をつくと女は言った。

「ところが、アタシみたいな輩は誰も許してくれない。 誰も守っちゃくれない。
私を守るのは私自身しかない。 私は自分を守る為に私の信条を守る、そう契約者との契約は命に賭けて守るという魔女の信条をな」

暫しの沈黙の後、牧師は問い掛ける。

「ではどうあっても、私の申し出をお前は受け容れないのだな」

「ああ、このガキは渡さねえ」 間髪入れず女は応える。

「そうか、それは残念だ。 凄く凄く残念だ」 意味ありげに繰り返す。

「ぐっ」 激しい痛みが女の全身を走る。

「テ、テメー」 少女が手術用のメスを女の左脇腹に突き立てていた。

「本当に残念だ。 私は本気でお前のことを誘ったのにな」 勝ち誇ったように言うと、少女に呼びかける。

「よくやった。 それでいい。 今この場から逃れたところでお前に生きる場所など存在しない。 こちらに来な…馬鹿が止めるんだ。
もしあのガキに当たったらどうするんだ」

職員たちが女に銃口を向けていた。
痛みに耐え切れないのか、女は傷口に手をあて跪いている。

「ですが、神父。 あの女は只者ではありません。 早くとどめを刺しておかないと」

「それは私も判ってる。 だがあのガキがこちらに来てからやるんだ」 

職員たちの顔には恐怖の感情が窺われたものの、組織内での地位の上下関係が物を言ったのか不承不承銃口を下げた。
満足げに口を開く牧師。

「このガキは渡さないだと。 一体何様のつもりだ。 自分がヒーローにでもなったつもりか。
お前みたいな奴が誰かを守れると本気で考えていたのか」

「・・・ねえ」

「はあ? 何を言っているのだ。 聞き取れないぞ」

「思ってなんかいねえ。 アタシは誰かを守れるなんて初めから思っちゃいねえ。
アタシの持っているチカラは誰かを守る力じゃねえ。 誰かを傷つけ、壊してしまう」

女の顔色が夜目にも白く映る。

「ならばどうして」

「・・・ねえ」

「だから何を…」

「もうお前なんかと話す舌は持ち合わせてねえ。 ガキ、お前はどうしたいんだ」

フラフラとした足取りで歩く少女は女と男たちの隔たりの半ば辺りまで来ていた。
しかし自分自身が傷つけた女から呼びかけられたことで脅えたのか震えだし、その場で立ち止まってしまう。
そんな少女に男たちは自分たちの方に来るよう怒声を上げるが、自分たちから少女の元に歩み寄ろうとする勇気は持ち合わせていない。

「お前はどうしたい。 そいつらと一緒に行って心臓を盗まれて神の国に行きたいのか。
それとも生きて、このクソったれの世界で生き続けたいのか。 お前の望みを言うんだ」

「笑わせるな。 薄汚い仕事に手を染めるいかがわしい人間が何を言うか。
そのガキの口の中を見たか。 歯が溶けて無くなってるだろう。 シンナーの所為だ。
そのガキは食い扶持を稼ぐために出かけたゴミ捨て場で、シンナーの味を覚えたんだ。
最初は缶の底に残っていた建築用の塗料で満足していた。
だがより純度の高いトルエンを手に入れる為にこのガキはどうしたと思う。
ゴミの収集の作業員に身を任せたんだ。 まだ12歳だというのにな。 本当に大した淫売だよ」

「やめろ。 テメーの腐った言葉なんか聞きたくねーんだよ」

だが異常な事態の連続に狂騒状態に陥ったのか、牧師のボルテージは下ることがなかった。

「そんなこいつを私は救った。 そう病院で保護して検査を受けさせて適切な治療を施させた」

「臓器売買のドナーとして飼うためにだろうが」 女が苦しげに洩らす。

「ああ、そうだとも。 だが私は感謝こそされても非難される覚えはないね。
いいか私たちのおかげでちっぽけで無意味なこいつの命は巨大な生命の樹の一部になれるんだ。 こんなに素晴らしいことはないだろう」

「…イキタイ」 しゃくり上げるように泣きながら少女が思いを言葉にした。 「イキテイタイ…」

その言葉を耳にした女はニヤリと笑い…。

「いいだろう。 その願い叶えよう」 傷口を押さえていた右手を路面に叩きつける。

路面には女の手形が残る。
血の手形は魔女の刻印となり、刻印は生きているかのように路面を滑ると銃を構えている男たちのほうに向かった。
そして男たちの足元に達すると…。

「ぐわぁぁっ」 「うぉぉー」

男たちが口々に苦悶の叫びを上げた。
男たちの足元で血の刻印は垂直方向に鋭敏に凝縮し、血の針となって男たちの足を貫き動きを制していた。

女が立ち上がった。
ふらつきながら自分の足で立ち上がった。
もう傷口は抑えていない。

ふらりふらりよろめきながら男たちのほうへ歩いていく。
恐怖に駆られた男たちは逃げようとするが、足元を血の針に貫かれ動くこともままならない。
唯一牧師だけは傷を負ってなかったが、魂を抜かれたように立ち尽くしている。

「お前ら、クリスマスにはデッカイ靴下を用意してサンタの野郎が来ることを祈ったことがあるか。
そんな無邪気な少年時代がお前らにもあったのか」

苦悶に震えながらも、女の歓心を買おうと頷く男たち。

「だが、死ねっ!」 女の声と同時に鈍い音がした。

まるで雪野原に木の棒を刺したような音が響いた。
男たちの足の傷口を基点としてあらたな血の針がランダムに伸びていた。
あるものは自らの肉体に、あるものは自分の周囲の仲間の肉体に刺さっている。
より大きくなる苦悶の声。

「誰かを愛したことはあるか。 誰かを守ろうと命を賭けたことはあるか。
誰かを守ることが出来ずに無念の涙を流したことはあるか」

もう男たちに女の問い掛けに答える余裕は残っていなかった。
ただ、ただ響く苦痛の叫び。

「だが死にやがれ!」

新しい傷口を基点として新たな血の針が伸び、自分を、仲間を貫いている。
男たちの声が弱くなっていく。

「異端者として神の仔を自称するお前たちに宣告する。 死ね! 死ね! 死ね!死ね!」

女が死という言葉を口にする度に血の針が創り出され男たちを貫いていく。
そして全てが終わった時、男たちの身体を血の針で繋いだ死のオブジェが完成していた。
部下に当たる男たちのあまりにも無残な最期に息を飲む牧師。

ポキリ。 音がした。 ポキポキ。 音がした。
男たちの体重に耐え切れず血の針が折れていく音だ。

どさり。 音がする。 どさっ。 音がする。
血の針という支えを失った男たちの骸が倒れていく音がする。

折れ重なるように倒れた男たちの骸から血が流れていく。

女が右手を差し出すと、そこには魔女の刻印があった。
流れ出た血は氷と泥と一緒に魔女の刻印へと引き寄せられていく。

魔女の刻印を中心に大鎌(デスサイズ)が形成されていく。
血の赤、泥の茶、氷の白。が交じり合ってどす黒いデスサイズが形成されていく。

自分の身長よりも長く成長したデスサイズの柄を肩に担ぎ、女は牧師に歩み寄っていく。
自らの死を予感した牧師は命乞いも忘れ呆然と目を見開いている。
見開かれた目はしかし、女がデスサイズを振りかぶった時に閉ざされた。

牧師は死の一撃が自分を襲う瞬間を待った。
しかしその瞬間が訪れないことを不思議に思い目を開いてしまう。
牧師の目の前にデスサイズの禍々しい刃があった。
そして女の物問いたげな瞳。

「オマエ、犬を飼っているのか」

言われて牧師は気づいた。
自分のズボンに犬の毛がついていることを。

「飼ってはいない。 だが…」

「だが何だ? 言ってみろ」

「偽善かもしれないか、働くことの出来なくなった盲導犬の介護施設を運営している。
今日もお前が支部を襲ったという知らせが入るまでそこで犬たちの世話をしていた」

「そうか」 女は何故か深く溜息をついた。そして…。

「子供の頃に捨て犬を拾ったことがある。 とっても寒い日でそいつは惨めったらしい有様で。
だが母親に元居た場所に戻して来いと言われた。 家には飼う場所がないからと。
仕方なく自分の小遣いで買った牛乳をやって元居た場所に戻した。
誰か優しい人に拾われてくれと願ってな。 だえど次の日にその場所に行ったら死んでいたよ。
アタシは悲しくて悲しくて、そいつの死骸を抱えながら泣き続けたよ」

女の言葉を聞いた牧師は頷きながら言葉を発した。

「同じだ。 私も同じような経験がある」

女はデスサイズの刃を返し自分のほうに向けた。

「お前は………殺さない」

女の何を言ったか理解すると牧師は驚きで目を見開いた。

「えっ、私を許してくれるのか」

女は何も答えず謎めいた笑いを浮かべると、デスサイズを握る手を持ち替えた。
そして逆方向に回転させると、刃は牧師の下腹を深々と貫いた。

「エッ! まさか助かるとか期待しちゃった。 ワリーね。 
『お前は一思いに殺さないって言ったんだけどね。』
これだけ仲間が死んでるのに自分だけが助かろうなんて虫が良すぎないか」

苦しみに耐え切れず蹲る牧師に最後の言葉を告げる。

「複数の人間の血液と雑菌だらけの泥を腹の中に溜め込んで苦しみながら腐ってゆけ。
それがお前に相応しい最期だ」

そして神父の断末魔に視線を向けることも無く少女を見やった。
脅えたように後ずさる少女。

「今アタシがやったことを見ただろう。 こんなことが出来る人間がオメーの一刺しぐらいでくたばる筈もねえ。
アタシからすればこんなのは遊びだ」

女は少女がつけた傷口を指差した。
遠くでサイレンの音が聞こえる。

「だがちょっとばかりもたついちまった。だからお前を連れてゆくのも無しだ。
お前は自分の行きたい場所へ行け。 母親のいる所だろうと、ずっと暮らしていたゴミの山だろうと」

「イキタイ場所ナンテナイ」

「ん?」 怪訝そうな顔で聞き返す女に少女は少しだけ強い声で言った。

「ワタシ、行キタイ場所ナンテナイ。 生キテク場所ナンテワタシにはナイ」

「ふざけるなよ、テメー」 女は声を荒げた。

「テメーが今立っているのは何処だ。 そこがお前の場所だ。
誰も侵す権限のないお前だけの場所だ。 もしも誰かがその場所を侵そうとするならお前は闘うんだ。
そして生きろ。 死ぬまで生きるんだ」

自分らしくないことを言ったもんだと自嘲しながら女はその場所を後にしようとした。
そんな女に少女は…。

「ナマエ、オマエノナマエ」

女は少し困ったような顔をした。
そして辺りを見回し、自分の着ているものを見た。
病院への潜入用に調達した白衣は男たちの血で真っ赤に染まっていた。
それを目にすると女は愉快そうな笑みを浮かべた。

「アタシの名前をそんなに知りたいか」

「シリタイ。 トテモテモシリタイ」

「ふん。 いいだろう、特別に教えてやる。 この寒い時期に真っ赤な服を着て空を飛ぶといえば決まってるだろう」

少女は期待に胸を躍らせながら女の言葉を待つ。

「アタシはちょっとばかり気の早いサンタクロースさ」

言い終わると何かを少女に投げた。
少女はそれを受け止めた。
受け止めたものは女が耳につけていたパールのピアスだった。

「メリークリスマス」