『ダークブルー・ナイトメア~2.face to face』



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気がついた時、愛は闇の中に立っていた。
手を伸ばしても触れるものはなく、目を凝らしても見えるものはなく、耳をすましても聞こえる音はない。
完全なる闇。
闇で満たされた空間。

「どこや、ここ」

己の呟きがひどく遠いもののように感じられた。

そもそも、なんでこんなところにいるのだろう。
今までどこで何をしていたのか?
 ・・・思い出せない。
思い出そうとすると、頭の中に霞がかかったようになる。
記憶の細部がぼんやりしていて、輪郭しか掴めない。

「・・・・・・あたしは、高橋愛。9月14日生まれのA型で、出身は福井県」

あれ?A型でいいんだっけ?O型だったかな?

自分のことのはずなのに、頭がふわふわしていてはっきりしない。
足元すら、おぼつかない。

「そう、あなたは高橋愛。9月14日生まれのA型で、出身は福井県」
「だれっ!?」

誰もいなかったはずの暗闇から、ぼんやりと人の形が浮かび上がる。
どこかで見たことのある形。けれども見覚えはないような。
よく知っているけど、知らない。
愛にとっての“彼女”はそういう存在だった。
常に一緒にいるのに、面と向かって会話を交わすことは絶対にできない相手。

「私はi914。iは検体記号で914は識別番号です。実験体としてこの世に生を受けました」

愛の目の前に現れたのは、愛が最も恐れている“もう一人の自分”だった。



「ふぅん、愛ちゃんにとっての悪夢は『内に潜む闇が表に出てくること』なんだね。その闇がi914か・・・」

唐突に別人の声がして、ハッと後ろを振り返る。
そこにいたのは白衣の女。
ダークネスのDr.マルシェだ。

「あんたは!・・・これはあんたの仕業か!?」
「あれ?私が見えるの?さすが愛ちゃん。やはりリーダーは違う」

噛みつくような視線を向けられても、マルシェは飄々とした顔を崩さない。

「それとも、精神系の能力者には耐性でもあるのかな。だとしたらガキさんのほうにも何か反応がないとおかしいけど」
「ガキさん!?・・・ガキさんに、みんなに何をしたぁ!!」

ガキさん。
そのたった四文字の懐かしい響きによって、愛はこれまで自分が何をしてきたか思い出す。
愛たちはダークネスの活動を止めるべく全員で臨んで、返り討ちにあった。
そして4番目に現れた男がスプレー銃を撃った途端に眠くなり・・・その後の記憶がない。
いったい仲間たちはどうなったんだろう。
無事でいるだろうか。いや、いてくれるだろうか。

様々な想いを駆け巡らせ、愛はマルシェに掴みかかった。
しかし。

「無駄だよ」
「なっ!?」

愛の手はマルシェの身体をすり抜けて宙を掴んだ。
そこにいるはずの彼女に、触れられない。

「これは愛ちゃんの心を覗き見してる私の意識が実体化した姿。今の状態の愛ちゃんが触れるのは、
 元々愛ちゃんの心の中に存在してたものだけなんだ。だからあなたは指一本私に触れられない」
「立体映像、みたいな?」

姿形はそこに見えて声も聞こえるのに、触れることだけができない。
まるで立体映像だ。

「ちょっと違うんだけど・・・まぁいっか。それより、あちらはいいの?愛ちゃん」
「はあ?何が・・・がはっ!!」

突然、背中に衝撃が走った。
誰かに躊躇いなく蹴られたような衝撃。
そういえば、目の前の女に気を取られて忘れていた。
もう一人、この場にいたことを。

「私はi914。iは検体記号で914は識別番号です。私がこの世にいる限り、“高橋愛”は要りません」

i914。
愛の分身。
闇に潜むもう一人の自分。

「・・・な、んで。なんでこいつはあたしに触れるんや!立体映像じゃ・・・!」
「え、今説明したのに。i914は元から愛ちゃんの心にいた存在だから、触れることができる。
 私は一時的に愛ちゃんの心におじゃましてるだけの存在だから、触れることはできない」
「意味わかんねーよ!!」

i914の追撃をかわしながら悪態をつく。
心?
心ってなんだ!?

「私は、ぜひともリゾナンターのみなさんに、それぞれが秘める暗部・・・心の闇と向き合ってもらいたくて
 自分の開発した装置を使って他人の心に入り込んだわけです。お互い、夢をみてる状態に近いかな。
 それで、そこにいるi914は愛ちゃんの心の闇の象徴。私たちは今、愛ちゃんの心の中にいると思えばいいよ」

マルシェがご丁寧に状況の説明と己の目的を語ってくれる。
だが、どうにも実感のこもらない言葉ばかりで愛にはいまいちピンと来ない。
こんな時、愛佳がそばにいてくれればうまく説明し直してくれるのに。

愛佳といえば、他の仲間はどうしてるだろう。
マルシェは、心の闇と向き合ってもらうと言っていたが。

「他のみんなも自分の闇と向き合ってるところだよ。闇の形は、それぞれ違うみたいだけど」

愛の心を見透かしたかのようにマルシェが言う。

「助けに行きたいなら、まずは自分の闇に打ち勝たなくちゃね。心の闇と正面からぶつかって
 もし負けちゃったりでもしたら、現実の愛ちゃんは一生目を覚まさないよ?」

人を食ったような話し方をする彼女だが、嘘は言っていないと愛は思う。
彼女はそこまで姑息な人間ではない。
互いの存在を知っているくらいで碌に話したこともないのに、なぜだかそう感じるのだ。

彼女の言っていることが本当なら、仲間たちも今戦っている。
この世界での敗北は命取りになる。
だったら。

自分の闇だの形だの、余計なことを考えるのはやめよう。
まずは目の前の相手を倒すことに集中する。

繰り出されるi914の拳を見極め、素早く身体を半回転させて彼女の腕を自身の脇で挟みこむ。
相手の動きを止めたところで、勢いのまま肘で彼女のこめかみを打った。
崩れ落ちるi914。
だが、その目はまだ沈みきっていない。

すると、元から無表情だった彼女がさらに無表情になった気がした。
闇色の瞳が愛の姿を捉える。
そして。

「う・・・ああああっ!!」

愛の右手が、i914の力によって光に包まれる。
いや、闇に呑まれようとしている?
徐々に右手の感覚が失われていく。
感覚だけではない。見た目そのものも。

「ひっ!!」

消えていく。
手首から先がこの世から消えていく。
怖い。信じたくない。
気のせいだ。気のせいに違いない。
そう思い込めば本当にそうなることだってある。
思い込め。
思い込め思い込め思い込め―――――

「・・・ねえ、愛ちゃん。夢の中で、心の奥底に仕舞いこんでた自分の闇を見せつけられる。
 それこそ、“悪夢”と呼ぶのにふさわしいって思わない?」

だから、そう言ったマルシェの顔に寂しげな微苦笑が浮かんだように見えたのも
気のせいだと思い込むことにした。




最終更新:2011年01月15日 12:01