九番目の志士


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新垣里沙には謎が多い。

後に英雄として歴史に名を刻まれるリゾナンターの九人の中にあって、常に新垣里沙だけが異質であった。
彼女は元々リゾナンターではなかった。
新垣里沙はダークネスと呼ばれる闇の組織の一員であり、リゾナンターに潜り込んだのもその動向を監視するためだった。
平たく言えば敵であり、ある時期まではリゾナンターの運命は新垣里沙の胸中で揺れ動いていたと考えられる。

しばらくして、運命が動いた。
新垣里沙が組織を離反し、名実ともにリゾナンターになったのである。
動かしたのは何であったのか。その間の消息には諸説あり、どれも一応の説得力があるため未だに結論を見ていない。
更に言うと、新垣里沙がいつ組織を離反したのか、それさえも現状でははっきりしていないのである。

後世多くの研究家の頭痛のたねとなった新垣里沙の「裏切り」であるが、ドイツの哲学者ニイチェが新垣里沙を動かす何かを突き止めようとこれまでにない方法を試みた。
ニイチェは史料批判等の歴史学的なアプローチでは「新垣里沙を衝き動かした何か」を判明する事は出来ないと考え、哲学的なアプローチでそれに迫ろうとした。
今日、新垣里沙は欧米で「哲学を生んだ少女」と呼ばれている。理由は後で述べる。
(リゾナンターとダークネスの戦いが熾烈を極めたと考えられる時期に彼女は二十歳を越えている。少女と呼ぶにはやや苦しいが、欧米人には幼く見えるのだろう)
ニイチェは古典文献学者としてスタートした研究者で、その経験から体得した、異他的な精神の活動に共感する能力で新垣里沙を解き明かそうとした。

ニイチェはその著作で「新垣里沙を衝き動かした何か」のことを“リサンチマン(risantiment)”と呼んだ。
現代日本語でリサンチマンを正確に言い表すのは難しいが、あえて言うならば「底抜けの人の良さ」とでもするべきだろうか。
ただし、この「人の良さ」の中には「正義」というものは含まれていない。
新垣里沙の本質はあくまで怜悧であり、「正義」といった耳触りのいい言説には動かされなかった。
もし新垣里沙がその種の言説に動かされる事の出来る性質の人物であったなら、彼女の苦悩はもっと少ないもので済んでいただろう。
しかしその代わりに、新垣里沙の精神の光芒も幾分か塩気の薄いものになっていたかもしれない。

余談であるが、この種の言説にあえて乗り、強く動いたのが久住小春であったと思われる。
「正義」という青く、ある種の酩酊を伴った概念を、彼女はその若く溌剌とした精神で乗りこなし、自らの運命を駆け抜けていった。
その精神の色彩は同じく陽性でありながらも新垣里沙のそれとは対照的な輝きを放っており、この辺りの比較もおもしろい。

本題に戻る。リサンチマンについてである。
繰り返しになるが、新垣里沙は正義の人ではなかった。と言うよりも、正義か悪かで自己を規定する人ではなかった。
ただ、生真面目な――何事にも全力を尽くすべきだと考えている類の――人であった。
ニイチェはこの「生真面目」さもまた、リサンチマンの表れのひとつとした。
人は己の生を出来得る限り峻烈なものにすべきある――というニイチェの凛冽な人生観が窺える。

そして新垣里沙は「生真面目」な人であると同時に、それ以上に「お人よし」な人でもあった。
新垣里沙がリゾナンターに身を投じた直接的な動機は、恐らく後者の方に重い比重がおかれるのではないだろうか。
要するに彼女はどうしてもリゾナンターを見捨てられなかった。
新垣里沙は思わず――道で転んだ年寄りにそうするように――手を差し伸べただけでなく、あろうことか自ら進んで転んだ。とニイチェはその著作で語っている。

彼女が組織を裏切った段階の状況としてはリゾナンターはあくまで不利であり、この裏切りはあまりにも分の悪い賭けである。
眼前には、痛切なほど鮮明に濃厚な死の暗雲がたちこめている光景が映ったであろう。
もし、ただ仲間たちを助命するだけなら、優れた現実家である新垣里沙に他の方法を見つけることが不可能だったとは考えにくい(例えば説き伏せて組織に降伏するなど)。
にも拘わらず、彼女は九人目のリゾナンターになった。自ら暗雲へ向けてハンドルを切った。

ここに、リサンチマンの真髄があるとニイチェは言う。
自棄を起こしたのでもないのに、思わず有り金を全て突っ込んでしまうような「底抜けの人の良さ」。
助けようとして、思わず同化してしまうその野放図さ、これこそが新垣里沙だと。
しかしながらこの野放図さには『共鳴』と呼ばれる現象がおおいに関わっているかもしれず、その点を考慮に入れないニイチェのこの知見は些か鈍感だとの批判もある。
この辺りの機微は、まことに微妙と言うほかない。
ニイチェが新垣里沙に仮託して記した著作『ニイガキリサはこらーと言った』から一節を引用して、その雰囲気にふれてみたい。


ねえねえ…ちょっと――聞いて―!――だが、これが――わたしの趣味なのだ。
――よい趣味でも、わるい趣味でもなくて、わたしの趣味なのだ。この趣味をわたしはもはや恥じも隠しもしない。
わたしはわたしに「道」を尋ねたものにこう答えた。
「これが――わたしの道である。――きみたちの道はどこなのだ?」



新垣里沙の謎について続ける。
新垣里沙の――というよりは、彼女の体の一部についての謎である。
恐らく歴史上、彼女ほど胸が大きいか小さいかでやかましく議論された人物もいないだろう。
議論の熱は研究者間から飛び火して一般市民にまで及び、しばしば社会問題化した。
俗に言う『がきさんのおっぱい問題』である。

問題の発端はリゾナンターが活躍していた当時にまで遡る。
当時の資料をひも解いてみればすぐに分かるが、記録者(当時の用語で住人というらしい)達が新垣里沙の胸に言及している箇所が異常に多いのだ。
何が当時の人々をそこまで惹き付けたのか?言うまでもなくおっぱいであった。しかし、何故新垣里沙だけなのか。
そんなに熱狂するほど大きかったのだろうか?

不幸にして、新垣里沙の写真は戦後その殆どが失われ、現存するものはほんの数枚しかない。
そのせいもあって後世議論が白熱した。
果たして新垣里沙のおっぱいは大きかったのか、小さかったのか。
老若男女入り乱れての議論となり、一時は国家運営にすら影響があった。

大きい説はその資料の大半が後世のねつ造であったという点から信憑性を疑われ、
小さい説はそもそも小さかったら当時の人々がそこまで熱狂する訳がないという、人間のごく当たり前の感情から退けられた。
その後も様々な説が群がるように唱えられ、議論は永遠に収束しないかと思われた。
下に代表的な派閥をまとめた図説を用意した。古代中国の諸子百家もかくや、という盛況ぶりではなかろうか。

<よくわかる!? がきさんのおっぱいって大きいの?図説>

おっぱい小さいよ派(多数派)─┬─がきさんは貧しさに負けないよ派(鉄板路線派)
                  │  ├むしろ小さい方がいいよ派(貧乳=好きだよ派)
                  │  │ └闇に葬られたよ派(闇の住人派)
                  │  ├がきさんは菩薩だからおっぱいなんてないよ派(仏教徒)
                  │  │ ├あの真面目ながきさんにおっぱいなんてけしからん物が付いてる訳なかろう派(急進的モラリスト)
                  │  │ └おっぱいはつぶされがきさん(の一部)が生き残ったんだよ派(がきさんのおっぱい再興派)
                  │  └おっぱいが大きいがきさんなんてがきさんじゃないよ派(がきさんは最初から貧乳だよ派)
                  │    ├小春よりはあるよ派(それでも無に等しい派)
                  │    ├がきさんは率先してしぼませるよ派(がきさんのプロ意識ハンパねえ派)
                  │    ├こはるはきょにゅう!派(過激派)
                  │    └男の子にしては大きいよ派(王子様愛好派)
                  │
                  ├─がきさんのおっぱいAじゃないか派(民衆運動派)
                  │
                  ├─ふくらんだ10^-36秒後に虚数時間の量子宇宙にしぼんでいくから「実質的には」小さいのとおんなじ派
                  │
                  └─おっぱいなんていらねえよ(夏)

おっぱい大きいよ派(少数派)─┬─みんなの勇気がおっぱいをふくらませるよ派(がきさんの次回作にご期待下さい!派)
               │   ├え?一番大きいのはがきさんですけど?派(LLはどうなったの派)
               │   └普段からサラシを巻いて戦いに備えてるよ派(常在戦場派)
               │
               ├─小さかったらそもそも話題になんねえだろ派(原理主義)
               │
               └─ラピュタは本当にあったんだ!あとがきさんのおっぱいは大きかったんだ!(パズー)

大きくても小さくてもどっちでも派(穏健派) ─―─おっぱいならなんでもアリだよ派(おっぱい・バーリ・トゥード)
                         │
                         └─ブラを外すまでは確定しないよ派(シュレーディンガーの猫派)

『がきさんのおっぱい問題』に対するニイチェの知見こそが、ニイチェ哲学の真髄であり、それが彼を真に偉大な哲学者にしている。
ニイチェは新垣里沙の胸が大きいか小さいか、一切語らなかった。
ニイチェはただ、「『がきさんのおっぱい』と、口に出して言ってみろ」と言った。

これを読んでいる方も、出来れば是非、『がきさんのおっぱい』と、声に出して言ってみてほしい。
――どうだろうか?
胸の奥から何かが湧き上がっては来ないだろうか?
湧き上がってくる「何か」をうまく言葉で言い表す事は出来ないけれど、えもいわれぬほどに満ち足りた気分にならないだろうか?
畢竟、『がきさんのおっぱい』とはつまりそれではないだろうか?

この「えもいわれぬ何か」をニイチェは『聖なる肯定』と呼んだ。
その肯定はなんらかの価値基準によってではなく、現にそれがそうであったことそれ自体によって、そのむき出しの事実性によってなされるのである。
『森羅万象一切の物への祝福』と言い換えられるかもしれない。

われわれは『がきさんのおっぱい』を見たことが無い。つまりその意味や価値を知り得ない。
意味や価値に汚染されないことによってこそ、『がきさんのおっぱい』はただそれ自体において端的に肯定されるのである。
その時、われわれはただ『がきさんのおっぱい』の輝きと戯れるだけである。
ニイチェはその著作『ニイガキリサはこらーと言った』で次のようにニイガキリサに語らせている。

「これが――おっぱいであったのか、よし!それならもう一度!」

一連のニイチェの知見は理性によってなされたのではない。里沙によってなされた。
新垣里沙は哲学を生んだ少女と呼ばれていると先に述べたが、これがその理由である。
正確には『がきさんのおっぱい』が生んだのではあるが、やはりそれはその持ち主が新垣里沙であったからこそであろう。


『がきさんのおっぱい問題』について語った以上、『がきさんはパンツはかない問題』についても触れる必要があるのだが、ここで紙数が尽きた。