『闇に棲む者』 part-1



…その病院には妙な噂があった。

何の変哲も無い街はずれの総合病院。かつては地域でも最大の規模を誇っていた。しかし、最近では近隣により大規模な病院も開業し、やや老朽化したその建物の印象もあって、やや寂れた印象を与えるのは否めない。

一応は救急指定となっている為、深夜と言えども急患が運び込まれる事は珍しくなかったが、それも通常はとりたてて他の病院より数が多いというわけでもない。

しかし、その病院には妙な噂があった。いわゆる『不審死』と呼ばれる案件が異常に集中するのだと言う。
原因不明、または不自然な経緯での死亡、事件性が疑われる死亡案件に関しては、搬送時に救急隊員が警察と搬送先となる病院へ報告し、もちろん了解を得た上で搬送を行なう。

ただ、実はそれは別に「救急病院」でなくても良いのだ。…既に「お客さん」が「死体」となっている場合は。

*** ***


「うわあ…」
俺は思わず声を上げた。
「またやっちまった…」
眼の前には、見慣れた「あの」病院の搬入口のランプが、ぽつんと闇の中で光っていた。

俺はこの街で働く救急隊員だ。これで何度目だろう…。現場で遺体を積んでから、病院到着までの記憶が全く無いのだ。通常3人でチームとなる救急隊の、誰にもその間の記憶が無い。
はっと全員が気がついたときには、他にいくらでも近い病院があったはずなのに、いつもの通り「この病院」の前にいる。

呆然としているうちに、これもまたいつもの年配の看護婦長さんが、搬入口から現れる。
「…また、みたいね」
婦長が呆れ顔で言う。
「しかたないわね…。ウチでも、誰かわからないけど“誰かが”あなた達の無線を受けて“受け入れ許可”を出してるみたいだし…」

「…こんな深夜にすみません…。また、です…」
俺たちは婦長に詫びながら遺体を搬入する。
予感はあった。この病院は、悲惨な「ホトケさん」ほど、強く「呼ぶ」のだ。
そして、今日の「ホトケさん」は、俺が今まで経験した中でも悲惨を極めるものだった。

二十歳前後の、若い女性の遺体だった。
だが、その全身には刃物で切り裂かれた無数の傷があり、血まみれの衣服もズタズタに切り刻まれていた。さらには生前か死後かもわからない激しい性的暴行の痕跡の数々…。
そして、麻薬の過剰摂取によると思われる浮腫もみられた。

あきらかに「異常者」か、それに類する者による猟奇的犯行と思われた。

「…あんな遺体を見たら親御さんはショックだろうな…」
そんなことを思いながら、暗い病院の廊下を引き揚げようとする俺たちの前を、中年の夫婦と見える男女が走り抜けていく。
「…親御さんか…」
隊長がつぶやいた。

いたたまれない思いで立ち尽くす俺たちの横を、刑事や、検視か鑑識か…?警察関係者と思われる連中も次々と走り過ぎていく。

「…いくぞ」
隊長が声を掛け、やっと俺たちは長く、暗い廊下を歩き出した。

…その時、俺は「何か」を感じて振り返った。

廊下の奥の暗がりの中、2つの人影が微かに見える。
オレンジ色のパジャマを着た栗色の髪の女と、ピンクのワンピースを着た長い黒髪の女…。

映像がフラッシュバックする。
なにかデジャヴ(既視感)にも似た感覚…。俺はこの光景を何回も見ている…!?

「おい!?どうした?」
隊長に声を掛けられてはっと我にかえる。気付いた時には、既に人影は消え、廊下の先には深い闇が溜まっているだけだった。

*** ***


翌日の夜。西新宿の高層ビル街の中のホテルの一室で、シャワーを浴びる男の姿があった。
年は20代の後半くらいに見える金髪の白人男性だが、その190cmを超えると見える、筋骨隆々たる体躯はただものには見えない。

*** ***


シャワールームから出て、裸のまま窓から見下ろす西新宿の夜景を眺める。
最高の気分だ。全身から力が溢れてくるような感覚さえ感じる。

この前の「獲物」は最高の上玉だった。あの瑞々しい肢体、滑らかな肌、そしてあの恐怖と絶望に染まった瞳…。
その身体を犯しながら、ズタズタに切り刻む。いつからか俺はその行為に最高のエクスタシーを感じるようになっていた。

俺の名はクリス・パーカー。俺は米軍兵士としての経験を生かし、傭兵として世界各国の内戦に関わってきた。最初は金の為だった。
しかし、内戦による無法状態となった街や村で、強姦殺人を繰り返し、その異常なまでの「快感」を知った俺は、今度は「快楽殺人者」として、自分の秘めた快楽を追及するために戦場を渡り歩いた。

ベトナム、ミャンマー、コンゴ、アフガン、ソマリア…。
だが、そんな快楽殺人を目的とした戦場ツアーにも疲れた頃、俺は気がついてしまった。
…「獲物」は都会にもいくらでもいるのだと。

…そして俺はこの街を選んだ。
世界でも最も優秀な… しかしどうしようもなく甘ちゃんの警察がいる街。
そして世界で「味見」を繰り返した結果…、俺が一番気に入った、なめらかできめ細かい肌と、小柄で引き締まった肢体を持つ女たちがひしめきあうこの街を。

そして俺は今この街で、高域暴力団平田組の傘下に入り、いわゆる「揉め事」の処理をする仕事で金を得ていた。
やり方は簡単だ。「揉め事」の根本的解決…。「揉め事」の大元となる人間を「排除」すればいいのだ。
表向きは組とは何の関係も無い外国人の俺には、この国の交友・人間関係を重視し、地道な聞き込みを主体とする捜査方法ではなかなかたどり着けない。その事は良くわかっていた。

さらに、俺は「仕事」の他にもたくさんの「獲物」を狩っていた。「仕事」で排除するヤツラはたいてい殺し甲斐のない醜い野郎どもだ。そんな殺しには何のエクスタシーも感じられない。
それなりに「猟奇殺人」の演出はしてやるが、それは単なる「仕事」だ。
同じくらいの頻度で俺好みの獲物たちを狩っては、「連続猟奇殺人事件」として「仕事」の本来の目的をカムフラージュするとともに、自分の嗜好を満足させているのだ。

しかし、先日の「仕事」は違った。「獲物」としても願っても無い「上玉」が「仕事」のターゲットだったのだ。
21歳の女子大生。飛び切りの美人だ。しかもスタイルも申し分ない。これまでの中でも最高級の「獲物」だった。

なんでも友人が麻薬(クスリ)に手を出したのに気付き、その売人と組の周辺を探ろうとしたらしい。人間、慣れないことはしない方がいい。そして友人は選ぶべきだ。
そんな友達などすぐに警察に突き出してやればよかったのだ。だが、彼女はそれをせず、愚かにも組の麻薬密売ルートを自分で探ろうとした。…そしてあの結果だ。

まあ、そのおかげで俺は彼女という極上の「獲物」を味わう事が出来たのだから、彼女の友情と幼い正義感には感謝しなければなるまい。
…だが、数日前にそんな極上の獲物を味わったにもかかわらず…、いや、味わってしまったからこそ、今夜もまた俺の血はたぎっていた。

…今夜も「狩り」に出るか…。
新しいシャツとパンツを身に付け、俺は再び西新宿の街の灯りを見下ろした。
全身の筋肉がパンプアップしたかのように隆起する。“視える”者が見れば、全身から野獣のごときオーラが立ち昇っているのが見えただろう。

ニヤリと思わず笑みがもれる。窓ガラスに映るその笑顔は、大きく口角が切れ上がっているかのように見えた。


*** ***


コンコンコン… 突然ノックの音が響く。

この部屋を知っているのは平田組の幹部連中だけだ。しかし、ヤツラが突然この部屋を訪ねてくることなどありえないはずだ…。
ヤツラとの直接の接触は最も避けなければいけない事項の一つだ。

覗き穴から廊下を確認する。

…女?

栗色のショートヘアーに、俺の国では“Ebony Eyes”と呼ぶような、大きな黒目を持った女が、ドアの覗き穴を覗き込むように立っていた。
20歳くらいか…?もっと下かもしれない。幼い顔をした女だ。しかもスリッパを履き、涼しげなサッカー地のオレンジのパジャマを着ている。部屋を間違えたのか?

「…誰だ?」
俺の声を聞いた女はぱっとその顔に笑顔を浮かべて答える。
「クリス・パーカーさんですよね?」
「…誰だオマエは?」
…何故俺の名前を知ってる?組の使いか?

「えっとですね、クリスさん、今日も誰かを殺しに出掛けるところですよね?」
「何だと…!?」
「それを止めにきました!」
…なんだ? この女は何者だ? 「今日も」だと? こいつは何を知ってる?
先日の事も知ってるというのか? それに… 

…俺の今日のこれからの行動が… 何故わかる?

「…入れ」
とりあえず廊下で余計な事をしゃべられては困る。
俺は扉を開けると周囲を見渡し、他に人影が無いのを確認すると、女の腕をぐっとつかんで力任せに部屋に引き込んだ。

「キャッ!」
女は小さく悲鳴を上げると、よろめくようにして部屋に引き込まれてきた。
「…痛~い…」
女はさして驚く様子も無く、つかまれた腕をさすりながら不満げにつぶやいている。

「オマエ、誰だ? …何を知ってる?」
女は俺の方を見るでもなく、腕をさすりながら答える。
「えっと…。クリスさんがこの前あの可哀そうな女の人を殺しちゃったのは知ってるんですよぉ…」
「んー、…そんで今晩もこれから殺しに行くとこですよね?」

…コイツは何者だ?警察関係者には全く見えない…。頭がおかしいのか?だが言ってる事は妙に的を射ている…。

「オマエ、一人か?」
「んー、それはどーですかねぇ…」
俺はもう一度ドアを開けて廊下を確認する。廊下には人影は無い。…やはりたった一人でここへ来たのか?

「どこから来たんだ?」
「…M病院でぇす」
…知らん名前だ。この近くの病院だろうか?やはりこの女は頭がおかしいのか?話も今ひとつ要領を得ない。
…精神病院からパジャマのまま抜け出してきたとでも言うのだろうか?

…ふん。まあどうでもいい。俺は自分の「仕事」を思い出した。「揉め事」「厄介事」は “ 大元から消去”してしまえば良いのだ。

俺は女を見た。白い肌に薔薇色の頬、通った鼻筋に小さく柔らかそうなピンク色の唇。なかなかの美形だ。
だが、俺はためらうことなく右の拳でその側頭部を殴りつけた。
「キャッ!」
小さな悲鳴と共に女が吹っ飛ぶ。

長年鍛え続けた俺の筋力は、今では異常なほどに強化され、最近では「仕事」での殺人にも殆ど得物は必要が無かった。
一撃で俺の拳には、確かに女の頭蓋が折れてひしゃげた感触が伝わった。
さらに仰向けに倒れた女に歩み寄り、頭部に2発目、3発目の打撃を加える。冷たい床に女の頭蓋がゴツゴツと叩きつけられる音が響く。

これでもはや充分のはずだが、俺は今夜の獲物の為に使う予定だったサバイバルナイフを取り出すと、すばやく女の胸に突き立てた。
…ザシュッ…!!
いつもの小気味良い音が響き、鮮血が飛び散る。まだ息のある女の体がびくりと反応する。…良い感触だ。

ザシュッ!!ザシュッ!!ザシュッ!! …20回、30回…。細い腕にも、しなやかな脚にも、柔らかな頬にも、黒目の目立つ眼窩にも…。容赦なくナイフの刃を突き立てる。
どれほど刺し続けただろうか…?女のパジャマも既にボロ布のようになる頃、俺はふと手を止めた。

女の肉はいたるところがズタズタに裂け、ぱっくりと口を開けている。左耳などはすでにちぎれ落ちそうになっていた。

くそっ!…俺としたことが…。こんな女を犯しもせずに切り刻んでしまうとは…。
やはり動揺していたのか…?冷静さを失っていたようだ。

俺は立ち上がって、もう一度脚元の床に倒れている女を見下ろす。
女の体はまだひくひくと動いている。息はまだあるようだ。
…まだ遅くは無いか…。こいつの息のあるうちに犯ってやるとしよう。
俺はボロ布のようになったパジャマに手を掛ける。

しかしそこで俺の手は止まった。

…まだ息がある…?

そんな馬鹿な…!?最初の拳の一撃で既に致命傷のはずだ。あれだけで即死してもおかしくは無い。しかもこれだけ肉を切り刻んでいるというのに…。
よく見ればパジャマにも鮮血はにじんではいるが、いつもはこんなものではない。床全体が血溜まりになっているはずだった。

…おかしい。何かが狂っている。こいつはなぜまだ生きているんだ?

その時、突然部屋に女の声が響く。その声はまるで俺のすぐ横に立っているかの様に明瞭に響いた。
「あーあ。なんかソイツ気がついちゃったよ。そこまでだよ、えり」

振り返ろうとした俺は、いきなり側頭部を凄まじい力で殴られた感触に昏倒した。
激痛が脳に走る。頭蓋が砕かれた感触。全身が痺れて思うように動かない。
…誰だ…!?誰か部屋に隠れていたのか!?
動かない頭を廻らせて室内を確認するが、そこには誰も見当たらない。

しかし、床に倒れ、動けない俺の頭部に、2発目、3発目の強烈な打撃が加えられる。頭蓋が歪み、脳が圧迫される。頭の中が何倍にも膨れ上がったような感触だ。
眼の前が真っ赤に染まり、何も見えない。耳や鼻から何かが流れ出ているようだ。
首から下は鉛のように重く、指一本でさえ思うように動かせない。

なんだ…!?何が起こっている?眼に見えない誰かがこの部屋にいるのか?

いきなり俺の胸元がざっくりと裂け、ビシュゥッ!と音を立てて鮮血が吹きだす。
さらに続けざまに、まるで透明人間にメッタ刺しにされるがごとく、俺の全身のいたるところが裂け、血がビチャビチャと音を立てて吹き上がる。
血溜まりに浸かった俺の体は、ビクビクと勝手に痙攣を繰り返した。

血が噴出した分、脳内の圧力が下がったのか、真っ赤だった眼の前が薄れ、えぐられていない片目に戻ってきた俺の視界の隅に、なにか動くものが見える…。

…あの女だ…!?

どういう事だ…?あの女が立ち上がって、俺を見下ろしている。その瞳に冷ややかな光を宿して。
しかも、ボロボロになったパジャマから覗く乳房のふくらみにも、すんなりとのびたふとももにも、既に傷は一つも見えない。

…いや…。その女がかすかな笑みを浮かべながら、左腕を俺に見せ付けるように差し出すと、そこにはいまだ醜い傷がパックリと口をあけていた。
しかし…、女がそれを右手で差し示した次の瞬間、俺の左腕の同じ位置からまたしても鮮血が吹き出す。

こいつ…!?俺の付けた傷を俺に返しているとでもいうのか…!?
そして、その女の腕の傷は次第にふさがり、ゆっくりと消えていく。

突然、部屋の「壁」だったところから、抜け出してくるようにもう一人の女が現れる。
長い黒髪の、ピンク色の花柄のワンピースを着た女だった。白いショートのカーディガンを羽織り、さっきの女よりもややふくよかな、アラバスター(雪花石膏)のような白い頬を持っていた。

「…もう…。こんなやり方はかんべんしてよね…。えりが死んじゃわないように、治癒で支えるのも楽じゃないんだから!」
2人目の女が口を開く。
「大体…、あの一発目でも、さゆみがうっかりしてたら即死だよ?」

「…へへ。だって“コイツが自分でやった事”が自分に返ってきて、苦しんで死ぬ、って言うテイにしたかったんだもん」
栗毛の女が答える。

「…リスク高すぎだよ…!えり、心臓だって悪いんだから」
「でも、こんなヤツを殺すのに、自分が手を下すのはいやジャン?」
「だけど、えりだって痛いし苦しいでしょ?…あんな目にあったら?」
「大丈夫、えりはドMですから」
「…嘘つき」

やはりそうか…。からくりはわからないが…。こいつらは“おれがやった通りの事”を俺に返している…!
だがまだだ…!俺はまだ死んではいないぞ…!このまま死んでたまるか!!
こいつらは絶対に許さない!!必ず復活して復讐してやる…!

「でもさ、ほら、“コイツも”あれだけじゃ死なないんだよ?」
「…ほんとだ…まだ息してるね…。コイツもやっぱり…アレ?」
「…うん。ノスフェラトゥ…。“不死者”の一族だね…。まだ“なりかけ”といったところだけど」
「ふーん…。じゃあ見えてるんだ、コイツ」

栗毛の女はニヤリと笑うと、仰向けに倒れて未だ動きが取れないでいる、俺の頭の方へと歩み寄ってくる。
そしてその笑みを浮かべたまま俺を見下ろすと、ボロボロのすだれの様になっているパジャマの布を開き、すでに傷も消えた、なめらかな乳房のふくらみをあらわにする。

「…ちょっと!」
黒髪の女が咎めるような声を上げるが、栗毛の女はかまわずに両手で自分の乳房をすうっ…となで上げてみせる。
そしてゆっくりと、…まるでY字バランスでもするかのように…、右足の膝を自分の胸に抱え込むように持ち上げていく。

ほとんど女の肌を隠す事も出来なくなった布の間から、女のぴんと張り詰めた内腿の筋肉も、股間の淡い翳りさえもがあらわになっていく。

…この女…!俺を挑発しているのか…!?
俺はかろうじて見える眼を必死で見開き、女の肢体を視線で犯そうとする。
くそっ…!犯ってやる!!絶対にメチャクチャに犯して…!もう一度ズタズタに切り裂いて…

…ダンッ!!

次の瞬間、激しい音を立てて女の裸足のかかとが俺の頭蓋に叩きつけられ、ひしゃげた頭蓋の中で俺の脳髄が潰れるのが感じられた。
視界が再び真っ赤に染まり…、その後暗転して、俺の意識は途絶えた。

*** ***


「きゃっ!!…なんか飛んだよぅ…」
男の頭部から飛び散った得体の知れない体液が、黒髪の女のミニのワンピースから覗く脚に飛び散り、女が身をすくめる様にして後ずさりする。
「えへへ、ごめ~ん。コイツの悔しい気持ち?…が、一番盛り上がったとこで殺りたかったんだよねー」

「…でも、これで止めさすんだったら、せっかくさっきまで“傷の共有”を使ってたのが意味ないじゃん…」
「 … 」
「結局、直接手を下しちゃってるし…」
「 … 」

「…手じゃないもん!脚だもん…!」
「…屁理屈…!」

そんな会話をしていた2人だったが、黒髪の女がふと真顔に戻る。

「…でも、これでもまだコイツは完全には死んでないんだよね…」
女が見下ろす下で、男の身体はまだひくひくと痙攣を繰り返している。
「…ほっといたら、その内息を吹き返すよ」
「後はあたしがやる…」
黒髪の女はそういうと、男の方へと歩み寄る。

「…そうとう“溜め込んでる”…?」
栗毛の女は半裸の姿のまま、横のソファに膝を抱えて座る。
「…そうだね。やりがいがありそう…」
黒髪の女は男の傍に立つと、両手を軽く左右に広げ、自分と倒れている男の周囲に、円筒状のピンク色の結界を発生させる。

光を纏ったベールのようなそれは、シュウ…シュウ…と音を立て、脚元から立ち昇るように見えた。
女の眼に強い光が宿る。光の結界が渦を巻くように、立ち昇るスピードを上げた。
ヒュン…! ヒュン…! と、回転音のようなかすかな音が響き始めると、倒れている男の胸部からゆっくりと「光」が現われてくる。

それはバレーボールくらいの大きさの光球となって、男の胸から浮き出してきた。
白く、美しく発光しているが、その周りには黒い煙のような邪悪な「瘴気」がまとわりついているのが見える。
女は宙に浮かぶ光球に手をかざし、注意深く瘴気を祓っていった。

瘴気を祓われた光球は光を増したように見える。そして女がかざした手をせばめていくと、光球は凝縮されるように小さくなり、さらにその光を強めていく。
そして女はその光球をゆっくりと自分の胸へと引き寄せると… 体内へと埋め込む様に取り込んだ。

一瞬、女の身体全体が光り輝いたように見えたかと思うと、あっというまに結界も光も消えさり、薄暗いホテルの部屋には、俯いて立ち尽くす女と、血溜まりに沈む男の屍だけが残されていた。

「…どうだった?」
ソファにぺたんと座り、一部始終を眺めていた栗毛の女が訊く。
「…うん。だいぶ抱え込んでいたね…。“プラーナ(生命エネルギー)”を」
「じゃあ、あのおじさんのは採らなくても大丈夫?」
栗毛の女の顔にパッと笑顔が広がる。

「…これなら“おつり”が出るくらいだよ」
黒髪の女はにやりと笑って答える。
「良かった…!」
栗毛の女はソファから降りながら安心したようにつぶやいた。

「…ねえ…!コイツ…!?」
倒れている男に近づいた栗毛の女が驚いた声を上げる。倒れている男の屍はさっきまでの筋骨隆々たる巨漢ではなく、まるでミイラのような老人の姿となっていた。
「100数十歳といったところだね…。まだまだ“不死者”としては“新米”だけどね…」

「…何百年も生きたヤツだと、“プラーナ”を奪われたとたんに組織の結合が崩れて、灰みたいになって消えちゃうヤツもいるからね」
「ふ、ふ~ん…」
栗毛の女は恐る恐る…といった感じで男の死体を覗き込む。

「でも、“不死者”としては最悪の部類だね…。“セックスをしながら相手を殺す”事で相手の“プラーナ”を奪うタイプだよ…」
「…うげ。ひょっとして、あたしもヤバかった?」
「そだねー。まあ犯られかけたらあたしが止めてたけど」

「まあ“食屍鬼(グール)”よりはちょっとマシってとこかな…」
「…またそういう事言うと、じゅん子が怒るよ…」
「…ふふ。まあじゅんじゅんはポリシーあるみたいだからね…。食いしん坊さんだけど」
黒髪の女は楽しそうに笑った

黒髪の女から借りた白いカーディガンを羽織りながら、栗毛の女が訊く。
「…ねえ、さゆは“不死者”にはならないの…?」
「なる…事は出来るよ。…そういう一族だから」
「でも、ならないんだ?」
「いつも“治癒”の為に全部放出しちゃうからね…」

「…それになりたくもないし。友達や家族がみんな死んじゃってから一人だけ生きてるのもいやジャン?」
「…ふーん、そっかー。…そだねー」
「さゆみは“極度に可愛いおばあちゃん”になるのが最終目標だからね!」
「…でたよ…」

*** ***


2人がホテルの部屋を出ると、廊下には鋭い眼を持った女がぺたんとカーペットに座っていた。
その仕草や、大きな瞳で上目遣いに見上げる眼差しは、どこか“野良猫”を思わせる。
「…無事終わったと?」
女は部屋を出てきた二人に問いかける。

「うん。れいな、ありがと」
「またいつでも言ってくれていいっちゃよ。…さゆはこの前れなの“腕”をつけてくれたけんね」
女は、しなやかな動作で立ち上がりながら機嫌よく答える。

「…こはるは今回で最後にしてくれませんか…?」
もう一人、壁に寄りかかっていた女が、廊下の暗がりの中からゆっくりと現われる。
すんなりと伸びた手足に長い茶色の髪、白い細面は闇に浮き上がるように見えた。
しかしその三白眼になってしまいそうな大きな眼には、やや不機嫌そうな光が宿っている。

「ごめんねーこはるちゃん、付き合せて。…でも、今回はあのおじさんへの報告まで、お願い」
黒髪の女が拝むように手を合わせる。
「…いいですよ。今回は最後まで付き合います…。でも、これっきりにして下さいね。最近、こはる忙しくなってきたんで」
女は少し投げやりにいうと、会釈をしてホテルの薄暗い廊下を歩み去っていく。

「…こはるはクールっちゃねー」
床に座っていた女が小さくつぶやく。
黒髪の女は小さくため息をついた。

「…じゃ、れなもいくけん」
「あれ…?れいなはこれからどこに行くの?」
栗毛の女が訊く。
「じゅんじゅんとりんりんも今晩なんかしよるけん…。まあ大丈夫っちゃろうけど、一応手伝いにね」
「ふーん…」

じゃあ、と女が闇に消える猫のように足音もなく歩み去ると、残された二人の女は顔を見合わせた。
「じゅんじゅんとりんりん…?」
栗毛の女がつぶやく。
「…なんか不安だね…」
黒髪の女は先程の女が歩み去った廊下をじっと見つめていた。




















最終更新:2010年10月08日 04:52