~コールド・ブラッド~ <Ⅶ>


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※ところどころ視点や時系列が飛びます
「◆ ◆ ◆」がその合図です

※一部残酷な描写を含みますのでご注意ください



       ◆   ◆   ◆

目の前の凄惨な悲劇をただ茫然と眺めるだけの自分に、愛佳は言いようのない自己嫌悪の気持ちが湧き上がるのを抑えられずにいた。

各々が自分に出来る役割を果たし、その結果任務を全うするのが、自分たちリゾナンターのあるべき姿だという信念は変わらない。
だけど―――

「田中さん――!」

一瞬我を忘れてれいなのところへ駆け寄りかけた愛佳は、歯を食いしばって踏み出した足を止めた。

床に倒れたれいなは微動もせず、深紅の水たまりがその周囲でゆっくりと面積を広げ始めている。
今さら駆け寄ったところで、どうなるものでもないことは明らかだった。

「あーあ、ダメだよ絵里ちゃん。もったいない。せっかくのご馳走が台無しじゃない」

そう言いながら軽く肩を竦め、深華が倒れ伏したれいなの方へ歩を進める。
そしてゆっくりとれいなの傍にしゃがみこむと、白い指を赤い水たまりに浸し、その指を口元へと運んだ。
朱に染まった指先に吸い付く唇の端からは、真っ赤な舌と、白く尖った牙が妖しく覗いている。

「おいしい……」

名残惜しそうにその手を下ろし、銭琳へ、そして愛佳へと、深華はぞっとするような笑顔を向けた。

「あなたたちはちゃんと直接啜ってあげるからね。そうすれば、あなたたちも絵里ちゃんみたいに“仲間”になれるかもしれないよ」

ゆらりと立ち上がった深華の視線が、絵里へと移る。


――その瞬間だった。


「―――!?」

うつ伏せに倒れていたれいなが跳ね起き、無防備に傍らに立っていた深華の首に血塗れの腕を回す。
驚きの色を浮かべた深華の顔が背後を振り向くより一瞬早く、そのこめかみ辺りには深々とれいなの手刀が突き刺さっていた。

「お…前…なん…かに……絵里も……仲間…も……やらん……!」

搾り出すようにそう言ったれいなの腕から力が抜け、その小さな体が床に叩きつけられる。
一瞬遅れて、頭部に穴を穿たれた深華の体がぐらりと傾ぎ、くずおれた。
れいなの隣に倒れ込んだその顔からは、先ほどまでの妖しさや冷たさは消え、代わりにどこか物悲しげな色が浮かんでいた。

「――田中さん!!」
「リン……リン……あい……か……」

今度こそ走り寄ろうとした愛佳の耳に、れいなの掠れた声が届く。

「え……り…………を……………」

――最後はもう聞き取れなかった。
だが、愛佳は―――そして銭琳は、れいなの最期の言葉を理解した。

閉じられたれいなの両目から流れる赤い涙が、声の代わりとなってその言葉をはっきりと伝えていた。

『絵里を解放してやってくれ』―――と。


「リンリンと愛佳は……どうする?絵里の“仲間”になる?」

たった今目の前で起きた衝撃的な出来事にも表情を変えることなく、絵里が冷たい視線を2人に向ける。

「それとも………死ぬ?」

不気味に口角を吊り上げた絵里の声を聞くのとほぼ同時に、床を蹴る銭琳の姿が愛佳の瞳に映った。
絵里が ―鎌風(ピアシング・ウインド)― の能力を使う暇も与えず、その間合いは互いに手を伸ばせば届く位置まで詰まっていた。

低い体勢で正面の胸元に潜り込んできた銭琳に対し、絵里は半歩下がって迎撃の体勢を作る。
それを予測していたかのように、銭琳は左足で床を蹴って右方向へと鋭く跳んだ。
半身になった絵里のその裏――背後を取った銭琳は、間髪を入れずに右足で逆方向に跳び、同時に炎を纏った右手を突き出す。
その先には絵里の心臓があった。

だが―――

「甘い」

次の瞬間愛佳が目にしたのは、炎に心臓を貫かれた絵里ではなく、肘を叩き込まれて弾け飛び、椅子やテーブルをなぎ倒す銭琳の姿だった。

「ぐ………」
「無駄だよ、リンリン。ただでさえ絵里に勝ったことないの忘れたの?」

口から血を流し、打撃を受けた辺りを押さえながらも立ち上がる銭琳に、絵里は冷笑を突きつける。

「…分かっています。私に戦い方、色々教えてくれたのは亀井サンですから。……でも、それでも…!」

横倒しになった椅子を押し退け、銭琳は絵里に向かい合う。
そして再び床を蹴り、同時に手の中の折れた椅子の脚に着火して投擲した。
赤々と燃え上がり、回転しながら絵里へと向かうそれは、即座に正確な迎撃によって弾き落とされる。
だが、そのときには銭琳はまた絵里の懐へと潜り込んでいた。

「遅い」

突き出した銭琳の両手はしかし、絵里に届く前に手首辺りで掴まれる。
鈍い音がしたと思った瞬間、銭琳の体は蹴り飛ばされ、再び宙を飛んでいた。


「もー……。あきらめて楽になっちゃいなよ。痛い思いするだけだよ?」

眉を寄せながら、絵里が小さく首を振る。
その冷たい視線の先では、両手首を砕かれた銭琳が荒い息で歯を食いしばっていた。

「亀井サン……!」

力の入らない手で体を起こしながら、その冷たい視線を見上げる銭琳の目から涙が一筋流れ落ちる。

「亀井サン、私はあなたを尊敬していました。憧れていました。……いえ、その気持ちは今も変わらない。あなたは私の目標です」
「ふーん、ありがと」
「誰よりも優しくて、思いやりがあって……でも、すごく強かった。武術面だけじゃなくて…何よりも心に一本通った強さがあった」

両手をだらりと下げたまま、銭琳はゆっくりと立ち上がる。

「でも、今のあなたは違う。身体能力は上がっても、人としての強さを……失った…!」

絵里の表情から冷笑が消えたその瞬間、パン――という乾いた音が響いた。
一瞬仰け反るようになった絵里の胸から赤い飛沫が飛び散る。

だが、自らの手中の短銃と、そこから薄く立ち上る白い硝煙の向こうにその光景を見た愛佳は、次の刹那、“失敗”を悟った。

「惜しいけど……ハズレ」

振り返った絵里の冷たい視線に捉えられたと思うとほぼ同時に、激しい痛みが全身を襲う。

「ぐっ………」

自らの血霧の向こうに、両手をかざして薄笑みを浮かべる絵里を見ながら、愛佳は崩れ落ちた。
必死に顔を上げる愛佳の瞳に映ったのは、“あの光景”だった―――


       ◆   ◆   ◆

致命傷を与えないように……でも身動きはできない程度に傷つけた愛佳を感情のこもらない瞳に映しながら、絵里は自分の背後に迫る気配を冷静に感知していた。
わざと無防備に曝した背中に銭琳の殺意が届く寸前、最小限の動きでそれをかわす。

「バイバイ」

そして、その無謀な特攻を嘲笑うように、手刀を相手の体の真ん中へと深々と突き刺した。
皮を破り、肉を引き裂き、臓腑を破壊する感覚がその指先に伝わってくる。

だが、その瞬間――形容のし難い感覚が、絵里の背筋を突き抜けた。

「捕まえ…ました」
「!?」

胸部を貫かれたまま両腕を絡みつかせた銭琳が、どこか淋しそうな笑顔を絵里に向ける。
その澄んだ瞳に湛えられた明確な“覚悟”の色に、絵里はたじろぎ、言葉を無くした。

「…愛佳サン、守ると、言ったのに、大怪我をさせて、しまいました……すみません…」
「!!リン、リン……!やめ……」
「でも、もう、傷つけ…させない」
「いややっ…!あか、ん…リン、リン……!」
「愛佳サン……みんなに、よろしく……再…見――」
「リン―――」


絵里は――見た。
銭琳の全身から吹き上がった炎が一瞬にして自分を飲み込み、視界が紅蓮に染まるのを―――

絵里は――聞いた。
「亀井サンと出会えて……よかったです」――緋に染まる景色の中、銭琳がふわりと微笑みながら最後にそう呟くのを―――




       ◆   ◆   ◆






―――今や、一部は瓦礫の山と形容してもよくなった廃墟 ―エリーナ・ホテル― の前に、愛佳は再び立っていた。

本部による事後捜査も今日の夕方に終わり、今はまたかつてのように、周囲は静けさに包まれている。
闇空の下、赤みを帯びた月の光だけが、静寂の中に佇む廃墟と愛佳を不吉に照らしていた。

ゆっくりと動き出した愛佳の頭上を、血のような色をした月がついてくる。

この先ずっと――あの月は頭上で禍々しく自分を嘲笑い続けるのだろう。
冷たい血で体が満たされた、人としての心を持たない自分を―――

立ち止まり、持参した小さな花束を焼け落ちた残骸の上に供え、黙祷する。
その脳裏には、昨日のここでの出来事が鮮明に蘇っていた。


あの後―――

銭琳と絵里を包み込んだ炎は、周囲のテーブルや椅子へと移り、激しく燃え上がった。
壁を舐めるように上がっていった炎はあっという間に天井に達し、惨劇の跡を明々と照らし出す。

床に這いつくばったまま、その光景を空虚な瞳に映していた愛佳の肩に、誰かがそっと触れた。
機械的に振り返った愛佳の視界に、炎の光を受けて揺らめく里沙の顔が、そしてその後ろに立つ愛と小春の顔が飛び込んでくる。
今ここで何が起きたのかを即座に理解したらしい、悲痛な表情を浮かべた3人の顔が―――

「…愛佳、ひとまず外に」

数秒の沈黙の後、里沙が静かにそう言いながら腕を差し入れる。

…その後のことはよく覚えていない。
抱えられるようにしてホテルの外へ出たその瞬間に、かつてレストランだった場所……生涯忘れえぬであろうその場所が、轟音と共に崩れ落ちたこと以外は―――

「……愛佳」
「!?」

そのとき、背後から突然かけられた声に驚き、愛佳は閉じていた目を開いて振り返った。

「―――さん……」

そこに在ったのは、赤い月に照らされた“仲間”の微笑みだった。

「花……供えに来たんだね」
「……はい」

足元のささやかな花束に目を落とし、愛佳は力なく頷く。

「田中さんも、リンリンも、そして亀井さんも……目の前で……。やのに、うちは何にもできひんかった……」
「みんな、自分のやるべきことをやったんだよ。…もちろん愛佳も」

慰めるためにかけたのであろうその言葉はしかし、愛佳にとって何よりも残酷に胸に突き刺さった。
やるべきこと―――本当にそうだったのだろうか?
自分のしたことは、本当に正しかったのだろうか?

「違う…何もできひんかったんとちゃう……。しなかったんです…!……うちは全部分かってて……だけど…いえ、だから…何もしなかった……!」

気がつくと、嗚咽と共に言葉を吐き出していた。
まるで、懺悔をするかのように膝をついて―――

静かに街を襲っていた吸血鬼の“除去”は、少なからぬ犠牲を伴いながらも一応の完遂を見た。
深華をはじめとする4体、理性を持たない吸血鬼と化していた数人の“犠牲者”、そして―――絵里。
先日の“総攻撃”により、それら吸血鬼は殲滅された。

そう、愛佳の“視”た“夢”の通りに―――

「知ってたんです…!うちは…知ってた。ここで…この場所で……!田中さんが…リンリンが……亀井さんが……死ぬことを…!うちは……知ってた…。知ってて…………」

愛佳が“視”たのは、敵地に乗り込む自分たちの姿だけではなかった。
その結末も……“視”ていた。
れいなの、銭琳の、そして絵里の犠牲を以って、吸血鬼たちを無事全滅できることを……知っていた。

知っていて―――黙っていた。

「もしそのことを言ったら……“未来”は変わって、もしかしたら任務は失敗に終わるかもしれん。そしたら逆に被害はそれだけではとどまらへんようになるかもしれん……そう思ったんです」

だから―――
リゾナンターの責務を果たすため……「不特定多数の人間を守る」というその存在理由の大前提を崩さないため―――愛佳は口をつぐんだ。
それが自分に出来る役割を果たすこと……“自分のやるべきこと”なんだと、何度も自分に言い聞かせて。

「私が愛佳サン、守ってあげますから」―――あのとき、そう言って笑った銭琳の顔が、声が、肩を叩かれた感触がまざまざと蘇る。

最後の最後、愛佳は“未来”を変えようとした。
明確な意志を持って、“未来”に……そして自分の信念に逆らった。

だが―――
あまりにも遅すぎたその行動は、結局何一つ変えることができなかった。
無傷で済むはずだった自分が傷を負い、しなくてよかったはずの謝罪を銭琳にさせただけで―――何一つ。

「―――さん、うちは……どうしたら……」

“懺悔”を終えた愛佳が、縋るような視線を向けるその先には、聖母のような慈愛に満ちた微笑みがあった。

「愛佳は間違ってないよ。愛佳は愛佳のやるべきことをやったんだから」
「でも―――」
「だから………心おきなく逝って?あなたが“殺した”あの人たちのところに」
「ッ!?―――さん――!」

愛佳は――見た。

いつの間にか温かさの欠片もない笑みが浮かんだその口の中に、白く……あまりにも尖ったものが覗いているのを―――




       ◆   ◆   ◆




多量の血液を失い、瓦礫の前に打ち捨てられた愛佳が発見されたのは、翌朝のことだった―――








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