~コールド・ブラッド~ <Ⅴ>


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「愛佳、あなたが“視”たのはここで間違いないね?」

もはや訪れる者などいないであろう山腹の建造物の前に、愛たちは立っていた。
廃墟となって久しいそれは、長年風雨に曝された跡を残し、蔦や苔に覆われながらも損なわれることない威厳を湛えている。

「はい、間違いありません。ここです」

やや青ざめた顔ながらも、愛佳ははっきりとそう言い切りながら頷いた。
愛佳のその言葉を受け、自然と全員の顔が再び廃墟となった建物へと向かう。

――エリーナ・ホテル

さほど規模は大きくないものの、かつてデザインホテルとして密かな人気を誇った瀟洒な建物も、今は自然の中に埋没しつつある。
だが、そのことは憐れさや物悲しさよりもむしろ、どこか退廃的な美しさを与えていた。

「この中に………」

里沙が小さく呟いたその言葉の先は、張りつめるような緊張と、そしてすがるような期待とが混ざり合った空気の中に霧散する。


“敵”の根城――それがどうやら廃墟となった山腹のホテルらしいと短時間で分かったのは、愛佳の能力に拠るところが大きかった。

 ―予知(プリコグニション)―

愛佳の能力は、未来を予め知ることのできるチカラ。
とはいうものの、自分の知りたいことを自分の意志で“視”られるというわけではない。
“未来”の訪れは不定期かつ無作為であり、眠っている間に“夢”として表れることも多い。

今回の件についてもそうだった。
僅かな仮眠を取った際に愛佳は“視”た。
山中にあるらしきどこかの廃墟の前に立つリゾナンターの姿と、そして―――

「ここが“対象”の本拠地であることは、どうやらもう疑いないね」

愛の静かなその声に、場の空気が緊張の度合いを増す。


あの後――各グループに分かれての捜査の中、愛たちはいくつかの情報を手にした。

失踪者が出た家の多くで、やはり直前に出入りしていた外部の人間がいたこと。
人相や風体から鑑みてその数は全部で4体程度であり、それらすべてがせいぜい20代の若い女性であること。
だが、逮捕歴や前科のデータベース、ここ数年の失踪者ファイルから抜き出したそれらしき人物とは一人も合致しなかったこと。
表には出ない、非公式の名簿でもそれは同じであったこと―――

それにより、さゆみの仮説がほぼ確実に事実に近いところにあるという手応えは得ることができた。
だが、その先へ進む手がかりが掴めず、新たな方向からのアプローチの検討を図りかけていた矢先――愛佳が“夢”を“視”た。

愛佳が“視”た特徴的な外観や内装の建物は、さゆみによってすぐに割り出された。
街からやや外れた山の中腹にある、今は立ち入り禁止となっているホテル――
その「エリーナ・ホテル」が捜査線上に浮上したことで、事態は一気に進展を見せた。
再びの、視点を変えての調査の結果、各方面から入った情報は、愛佳の“夢”を確証付けることになる。

件の“ハウスキーパー”らしき人物が、その山の方へ歩いて行くのを目撃した者がいること。
また、それ以外にも複数の出入りがここ最近為されているらしき痕跡が認められたこと。
少し前に捜索願を出された若者数人が、どうやら廃墟探検を目的にこの山に入ろうとしていた節があること―――

街に程近く、それでいて人の出入りがほぼ皆無であるという、“隠れ処”として理想的な条件。
そこにこれだけの情報が集まれば、愛佳が“視”たのは、「最終目標」を果たすべく敵地に乗り込まんとする自分達の姿であるに違いなかった。


愛佳が“視”た映像とまさにまったく同じように、やや傾き始めている太陽に照らされた6人の影が伸びている。
できれば、日が落ちる前に片を付けたいという思いは、愛だけのものではきっとないだろう。
“全員に影があるうちにすべてを終わらせたい”……という、その思いは。

「…じゃあ、かかるよ。各自、十分に気をつけて。それから、何度も言うように感情は捨てなさい。いいね?」

その愛の言葉に、バラつきながらも全員から頷きが返ってくる。
酷な命令ではあるが、事態の深刻さを思えばやむをえない。

吸血鬼化した者を元に戻す方法は、結局今に至っても不明確なままだ。
ただ操られているだけであれば、もしかするとその根源を絶てば元に戻る可能性はあるが、それとて何の根拠もない。
結局のところ、そんな方法は存在しないものとして、最善の対処――速やかな“除去”――をするしか、今の愛たちにできることはなかった。
喩え、知った顔の“敵”に遭遇したとしても……

「では、3班に分かれて行動する。リンリンと愛佳は1階、れいなと里沙は2階、私と小春は3階を。“対象”を発見次第、各自“除去”のこと」

階数こそ多くはないが、ホテルの内部はそれなりの広さを持っている。
全員固まっての行動はあまりに非効率であり、何より“対象”の殲滅に支障をきたす恐れが大きい。
可能な限り分掌しての短期決戦が理想だった。

「各自、パートナーからは絶対に離れないように。それから各班同士の連絡も常に取って、必要や異変があればすぐ合流すること」

各班とも、自身の能力で戦闘に対応できるであろうメンバーをそれぞれ配した。
当然銃器は装備してきているが、建物内だけに使用が困難な状況も間違いなくある。
生身で対応できるに越したことはない。

 ―精神操作(ブレイン・マニピュレーション)―

もし里沙の能力が通じるようであれば、随分楽になるだろう。
精神――脳に侵入し、相手をコントロールできる里沙の能力ならば、「生きたまま」の捕獲ももしかすると可能になるかもしれない。
とはいえ、果たして吸血鬼相手に能力が通じるのかどうかは、里沙自身が一番疑問視しているようだった。
里沙の能力は、人間以外の動物の脳を支配することはできないらしい。
「吸血鬼には試したことないから何とも言えないけどさ」と冗談ぽく肩を竦めていたが、あまり期待しない方が無難だよとその表情が言っていた。
同時に、精神系の能力を持っている相手には効果を発揮しにくいことも、過去のデータが物語っている。
吸血鬼が―催眠(ヒュプノシス)―に類した能力を有しているのだとしたら、その点から見ても確かに下手な期待は持たない方がいいように思えた。


里沙には、むしろれいなを“コントロール”する役割を担ってもらうように配置した。
絵里のことを完全に頭から取り除くことは不可能だろう。
冷静さを少しでも欠けば死に直結する状況の中に乗り込んで行く今、れいなを的確にフォローできるとすれば里沙しかいない。

れいなと同様に、小春もその点に関する心配がある。
あれ以降、捜査における自分の役割こそきっちり果たしてはいるものの、目に見えて苛立ちや自己嫌悪が募っている様子が伺える。
今は落ち着いた表情をしてはいるが、内心はおそらく少なからず乱れているだろう。

 ―幻影(イリュージョン)―

小春の能力も、直接的な殺傷力は皆無であるが、補助的に用いることで格段に戦闘は有利になる。
あらゆる情景を「幻影」として映し出せるそのチカラは、これまでもさまざまな場面で非常に有効に働いてくれた。
だが、直接幻を出現させるわけではなく、相手の視覚野――脳への働きかけに拠って幻を見せるらしい小春の能力の効果は、現状里沙同様に不確かと言うしかない。
そのことは小春も十分に分かっており、だからこそ余計に不甲斐なさを覚えているようだった。
普段であれば的確にそれを自己分析し、必要以上の無理はしない冷静さを持っている小春ではあるが、今回ばかりは先走る可能性もある。
そうならないよう、責任を持って自分がリードするつもりだった。
その結果、比較的まだ経験の浅いリンリンと、最年少で戦闘系の能力を持たない愛佳を組ませることになるのは少し不安ではある。
しかし、十分以上に明晰で冷静な対処ができる2人は、もう立派に一人前のリゾナンターと言い切れる優秀なプロだ。
問題なく任務を果たしてくれるものと信じたい。

「これ以上、被害を広げるわけにはいかない。必ずここで食い止める」

愛の言葉に、緊張を含んだ力強い頷きが応える。

そう、被害を広げるわけにはいかない。
“スパイ”の存在が不明瞭である現状での分散は、言うまでもなく危険をはらんでいるが――今はこうするしかない。
再びメンバー内に犠牲が出る可能性を認知しながら、それに対して何もできない自分が腹立たしかった。

「みんな……どうか無事で」

そう言うしかない、情けない自分が―――


       ◆   ◆   ◆

「愛佳サン、絶対に私の傍を離れないでくださいね」

無言の頷きがすぐ背後の愛佳から返るのを確認し、銭琳は目の前のドアのレバーに手をかけた。
そして愛佳に目で合図をすると同時に、一気にドアを押し開ける。

「……誰もいない…か」

元は従業員のドレッシングルームであったらしき空間が、開いたドアの向こうに広がっている。
かつては意欲に燃えたスタッフがセンスある制服に袖を通したのであろう場所も、今は埃だらけで見る影もない。

用心しながら中に踏み込み、念のため明かりを照らしてみるが、何かが潜んでいる気配はなかった。
だが、緊張を解くわけにはいかない。
確かに、今目の前には“敵”は存在しない。
しかし、建物内に踏み込んだときから強く感じる薄気味の悪い感覚は、確実に内部にいる“何か”の存在を物語っている。

愛佳と視線を交わして頷き合い、銭琳は再び廊下に出た。
ホテル内部はまだ思ったほどには荒れていない。
窓のガラスがほとんど割れずに残っているため、さほど風雨に曝されることがないからだろう。
とはいえ、そこかしこでクロスは剥がれ、どこからか漏れた雨の痕が天井にも壁にも不気味な染みを作っている。
老朽化が激しい部分もあり、その意味でも警戒しながら進まなければいけなかった。

「玄関ホール…ですね。あそこがフロント」

すぐ隣のトイレにも気配がないことを確認した後、さらに進むと廊下が途切れ、広い空間に行き当たった。
周囲を見回しながらそう囁く銭琳に、愛佳がまた無言の頷きを返す。
建物内を歩いてきて入り口部分に辿り着くというのはどこか奇妙な感じだった。

裏口から侵入した自分たちは、かつてのこのホテルに勤めていた従業員と同じルートを歩いているのだろう。
ふとそんなどうでもいいことを考えたとき――銭琳の視界に何かの影がちらついた。

「―――!!」
「―どうしたん、リンリン!?」

突然身を低くした銭琳に続いて素早く身を屈めながら、愛佳が驚いたように囁く。

「あっちで何か、動いた気がしました」
「あっち…?……レストラン……」

銭琳の視線を追った愛佳の表情が微かに強張る。
木製の洒落た扉の向こう、薄汚れたガラス越しにほんの僅かに室内の様子が見て取れた。
往時は、客の舌を楽しませるとともに目も楽しませていたらしい、趣を凝らした内装の切れ端が覗いている。

「行きましょう」
「……うん」
「…大丈夫です。私が愛佳サン、守ってあげますから」

いつになく緊張をはらんだ愛佳の表情を見て取り、銭琳は柔らかくも力強い笑みを浮かべてみせる。

「…ありがと。頼りにしてるわ。後輩に守ってもらうんは癪やけど」

一瞬複雑な表情をした後、愛佳はそう言いながら微笑みを返した。
その肩をわざとらしく鷹揚に叩いた後、銭琳は再び表情を引き締める。
そして、体勢を低くしたまま静かにレストランの方へと向かった。

辿り着いた扉の向こう――レストラン内部からは、先ほどとは違い、確かに何者かの気配を感じる。
愛佳と顔を見合わせ、頷き合う。

“対象”との対峙を前にするこの瞬間は、慣れることのない緊張が身を浸す。
いや、むしろ慣れてはいけないのだ――と銭琳は思う。
慣れは油断や不慮の事態を招く。
今回のような場合は特に、その一瞬が命取りとなるのだから。

愛佳と視線を交え、呼吸を合わせる。
いつでも戦闘態勢を作れるように身構えながら、扉に手をかけ――勢いよく押し開くと同時に、銭琳は室内へと飛び込んだ。

「―――ッ!?」

瞬間、自分の右手に人影を認めた銭琳の掌から炎が上がる。
だが、それはすぐに消えた。

「鏡―――」

入ってすぐ右手の壁の多くを、今はくすんだ鏡が覆っている。
内装の一環であろう凝ったデザインの大きな壁面鏡―――
それは、たった今銭琳を脅かした人影――銭琳自身や愛佳の後ろ姿とともに、店内を丸々映し出していた。

「リンリン――!」

銭琳がそれらを瞬間的に認識するのとほぼ同時に、愛佳の上ずった声が響いた。
反射的に振り返った銭琳の視界に、鏡越しではない店内の光景が飛び込んでくる。

外壁に面した部分が一部吹き抜けになった店内は、照明が切れた今でも外からの採光でそれなりに明るい。
広々としたその空間は、当時のゆったりとした優雅な食事風景を想像させた。
だが現在は、洗練されたデザインのタイルも剥がれ落ち、ノーブルな机や椅子も無残に打ち捨てられている。

ある種、衰滅の美学を有しているとでも言うべきその光景はしかし、銭琳にとってただの背景でしかなかった。
驚きに見開かれた銭琳の目に映ったのは――目を閉じ、ぐったりとうなだれて椅子に座る一人の女性の姿―――


「亀井サン……!!」


吸血鬼によって拉致され、姿を消していた絵里の姿だった―――