『リゾナンター爻(シャオ)』 40話




ダークネスの幹部「煙鏡」が流したアナウンスは、もちろん工事区画内の里保にも届いていた。
それ以前に、激しく舞い上がる炎の柱が鉄板の壁の向こうにはっきりと見ることができる。

「…厄介なことになった」

そう言いつつ、ちっとも困っている様子のない女。
寧ろ、元から困っているような表情をしているので判別が難しい。

「…あなた、リヒトラウムの管理者って言うなら。この状況はまずくないですか」
「確かにね。どうしよう」

里保の心は、「煙鏡」の悪意に満ちた声を聴いた時からすっかり落ち着いていた。
とてもではないが、こんな場所で遊んでいる時間はない。そう言った意味の落ち着きではあるが。

不意に、メロディーが流れる。
女が面倒臭そうに、自分のポケットから携帯を取り出した。

「もしもし…はい。はい…ああ、そうですか。了解」

実に、素っ気ない対応だった。
一体どんなやり取りがあったのか。今日は燃えるごみの日なんで、ごみは分けて出してください。
そんなことを言われていても、おかしくないような態度。


「私は、これで帰るから。あとはよろしく」
「えっ…ええーっ!?」
「なんか、『先生』と今放送流してた子との間で話がついてたみたい。堀内のおじさんは、顔真っ赤
にして怒るだろうけど」

呆気に取られる里保を他所に、女は背を向け空を見上げる。
すると、程なくして慌しく風を切る音とともに、一機のヘリコプターが姿を現した。

「そんな!管理者の人がこんな状況で帰るなんて!!」

ゆっくりと高度を下げてゆく、黒い装甲の機体。
落とされた縄梯子に手をかけようとする女に、里保は非難の声をあげた。
しかし、返って来た言葉は。

「所詮、契約に過ぎないから。契約が終われば、何の義理もない。そもそもうちらは、基本的に『外』
の人間。あんたたちの抗争には…関わらない」
「外…? それってどういう」
「そうそう。さっきの話だけど。『本当の実力』、こんなところで出さなくてよかったね。あいつらは多分、
強い」

プロペラが巻き起こす強い風に目を細めながら、そんなことを言う女。
里保の脳裏に甦る、赤い瞳。制御しようのない、狂気。それを振り払うように、慌てて首を振った。

「それじゃ。楽しかったよ」

ちっとも楽しそうな顔ではないが。
それだけ言い残すと、女は左手と左足を梯子に掛けたまま、空に舞い上がった。


去り行くものを見送る余裕などない。
それを教えてくれるかのように、遠くの火柱がごうごうと唸りつつもその勢いを増してゆくのが見えた。

…急がないと!!

仲間たちのこともあるが、今のこの状況で最も懸念すべき事態。
リヒトラウムの利用客の安否。
まずはここから出て状況を確認しなければならない。
区画を隔離している鉄板の壁まで走り、扉を開けた里保の前に飛び込んできたものは。

半狂乱になった人たちの、逃げ惑う姿だった。

半径数メートル、天を突く高さの炎の柱。それがいくつも、立ち上っていた。
それがアトラクションの建物を焼き尽くすような光景を見て、正気を保てるような普通の人間はいな
い。それが、如実に現れていた。

我先に、と走り、逃げる人々。
それが、幾重にも連なり、波が押し寄せるように続く。
何だ。何なんだ、これは。しばし思考停止に陥っていた里保の視線は、波に呑まれ、躓き転んでしま
った小さな少女へと向けられた。

「あぶないっ!!!!!」

下手をすると、後続の人間に踏み潰されてしまう。
危険を察知し少女の下へ駆けつけようとする里保。しかし、目の前を横切ろうとした男と衝突し弾き
飛ばしてしまう。


「あっ、すいま」
「何やってんだよてめえ、ぶっ殺すぞ!!!!」

謝ろうとした里保に投げつけられる、罵声。
立ち上がった男は、怒りもそのままに振り返ることすらせず再び走り出す。
転んでいたはずの少女は、姿を消していた。彼女もまた、この異常な状況の中で立ち上がり逃げる道を
選んだのだろう。

まるで戦場の真っ只中にいるような、そんな感覚すら覚える。
炎を、消さなければ。
そう思い、炎の燃え盛る場所へと向かった里保は思いがけない事実を知ることになる。

ある一点から、噴水のように吹き続ける炎。
しかしそれを目の前で見た里保は、大きな違和感を覚えた。
よく見ると、その炎は燃え広がるだけで建物をまったく損傷させていなかった。試しに手を翳すと、よ
くわかる。

一種の、攻性幻術。

範囲内の相手に、攻撃性のある幻を見せる。
燃え盛る炎はもちろんのこと、火の爆ぜる音、そして高熱。
そのすべてがまるで現実であるかのように相手に襲い掛かる厄介なものだ。
訓練を受けていない人間がこれを見破ることはほぼ、不可能だろう。

炎の発生点には、チョコレートの箱くらいの大きさの機械が据えつけられていた。
この機械から燃え盛る幻の炎を生み出ているのだろう。
何かを合図に、予め施設各所に仕掛けられていた機械を作動させれば、これだけの広大なテーマパーク
を「あたかも火の海に包まれたように」見せかけるのも容易。


ただ、その目的が解せない。
中の客を追い出すのが目的なら、もっと別の簡単な方法があるはず。
放送機器を乗っ取っているのなら、偽の情報を出して退出させればいい。
人々をパニックに陥れるだけの愉快犯なのか。
とにかく、この騒動を引き起こしている人物と対峙しないことには、何もわからない。
かすかに聞こえる心の声は、一箇所に集まっている。そこで、おそらく。

その場で待ち受けている未来を、里保はまだ、知らない。





投稿日:2015/03/17(火) 19:40:15.17 0





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最終更新:2015年03月17日 23:00