『リゾナンター爻(シャオ)』 番外編 「砂漠」




海の見える、小高い丘。
響きあうものたちの原初となった女性は、丘の一番高い場所に据えられた墓碑の前に佇む。
日は既に暮れかけ、あの日と同じように血を流したかのような赤に海を染めていた。

海鳴りの風が、ひゅるひゅると音を立てている。
潮の香を含んだ風に、夕陽に照らされた髪が靡く。その流れを自らの目で追いながら、同じように風に揺れ
ていた朱のスカーフを思い出す。もう終わった。終わったはずなのに、生々しい彼女の色は何時までも瞼の
裏に焼き付けられ、消えてくれそうには無かった。

「ここか」

声と共に、体の芯まで凍らすような風が吹きつける。
愛の体を、海へと伸びる影が覆った。

「久しぶりやね、美貴ちゃん」
「お前にそう呼ばれる筋合いはない」

愛は、振り返ることなく「氷の魔女」に問いかける。
こうして二人きりで話すのは、それこそ組織に居た時ぶりくらいだろうか。
ただそこに、懐かしさなどというものは存在しなかった。


「お前が、ここに埋めたのか」
「そうやよ」
「あの、破壊しつくされた高層ビルの瓦礫の山から」
「そうやよ」

不思議な空間だった。
魔女の感情の顕現化とも言うべき冷気が周囲を覆い尽くしているというのに。
愛にとっては、その温度すら感じられない。
それはまるで、砂漠のようで。生きとし生けるものが全て死滅した、乾いた砂の残骸。

「…あーしが言えた義理やないけど。帰って、くれんかな」
「それは」

「氷の魔女」の声が、低くなる。

「それは懇願(プリーズ)か。それとも…凍殺(フリーズ)か」

凍てつく空気から生み出される氷の矢は、オレンジ色を反射しながら。
一斉に、愛目がけて放たれる。
愛は矢の雨を縫うように夕陽に向かって跳躍し、魔女に正対した。

「…さけられん、か」
「黙れ」

黒のゴスロリドレスに、黒の外套。
いつもの魔女の姿ではあるが、その表情は。
先ほど感じた時のように、何も無かった。怒りも悲しみもない。
ただ淡々とした、「許さない」という事実だけがそこに漂っていた。


愛の足元が凍結してゆく。一所に立ち止まれば、たちまちその凍気は愛の全身を侵食し瞬く間に氷像にして
しまうだろう。必然的に、相手の霍乱を兼ねた細かなステップを刻まざるを得ない。

魔女の目の前に氷が連なる。
それはまるで海面に突き出た鮫の鰭。血の匂いに惹かれるが如く、氷の猛獣は愛を捕殺しようと大地の海を
切り裂く。

「あれは、しょうがなかったんやよ」
「うるさい」

言いながら、「氷の魔女」も氷鮫に続くように愛に襲い掛かった。
空には再び、無数の氷の矢。加えて魔女と僕の近接二段攻撃。僅かな躊躇が、死に繋がる。

地から生える刃が愛の足を掠める。それは些細な傷ではあったが、バランスを崩させるには十分すぎるほど。
倒れこむ愛に追い討ちをかけようと、魔女が黒のドレスを翻して氷を纏った手刀を打ち込もうとしたその時
だった。

目の眩むような、光。
愛の掌から放たれた光の矢が、「氷の魔女」の背後にあった氷の矢を消滅させていた。
最後の一本は、ただまっすぐに魔女の心臓を射抜かんばかりに、愛の手の内で輝いている。

「もう…無駄な血は流したくない。あーしはただ、これ以上の犠牲は増やしたくない。ただ、それだけなん
やよ」

呪われし能力を振るい、人を殺す。
ただそれだけのために生み出された、i914という名の存在。
組織の在り方に、そして自らの生き方に疑問を覚え組織を飛び出し。
自分のような人間を二度と生み出してはならない、悲劇は二度と繰り返してはならない。
そんな気持ちがリゾナンターとして活動する原動力となっていた。


仲間がなす術もなく蹂躙され、傷つけられた夜を経て。
いや、乗り越えてからも一層、思いは変わることなく愛を突き動かしている。
喫茶リゾナントを離れ、仲間と別々になった今もそれは変わらない。

ただ、一つだけ。
この手で自らを縛り付けていた因縁を断ち切ったあの日。
赤い赤い夕陽が沈んだあの日から。
自らの何かが欠けてしまったような喪失感を覚えているのも確かだった。
心の中を荒涼とした風が吹いている。終わらせたはずなのに、何一つ終わっていない。
夕陽の中に沈んでいった「彼女」もまた、組織の被害者のように愛には思えているからなのかもしれない。

その意味では、今愛の目の前にいる魔女も同じなのかもしれない。
同情でも、感傷でもなく。彼女の心のありよう、それは一歩間違えれば自らの身にも降りかかっていても
おかしくはないと。
もしも。仮にダークネスによって里沙が討たれていたら。
里沙だけではない。れいなが。さゆみが。絵里が。小春が。愛佳が。ジュンジュン、リンリンが。多くの
後輩たちが。
亡き者にされたら、きっと愛の心も決して潤うことのない砂漠になっていたことだろう。

ダークネスという組織を、このままにしてはおけない。
けれど、それが幹部全員を滅することと決してイコールになっているわけでは決してなかった。
甘い幻想なのかもしれない。不可能なことを謳っているだけなのかもしれない。
それでもなお。愛はその幻想を追うことを躊躇しない。
なぜならそれが彼女がリゾナンターという集団を率いていた原点でもあるのだから。


だが。
現実は非情でもある。
心の風景を不毛の世界に変えてしまったような相手に、この声は届くだろうか。
それでも。

無駄な血は流したくない。

そう言わざるを得なかった。愛の搾り出した言葉、たとえそれが絶望の砂漠に撒かれ消えゆくとしても。

「…わかった」
「え?」
「あんたを殺すのは、無意味。それがわかった。あんたを殺したところで、美貴の心は満たされない」

目を見開き、呆然とする愛。
手の中の光が、消えてゆく。
魔女はゆっくりと愛から離れ、背を向けた。

だが、その魔女の発した言葉の真意は。
緩みかけた愛の心を凍らせるには十分すぎるくらいだった。


「だから、あんたが可愛がってたガキどもをぶっ殺すことに決めた」

復讐。それが魔女の目的。それが彼女の心を荒涼とした光景にしているものの全て。
最も効率的で、最も効果的。相手の心もまた、砂漠に変えてしまえばいい。

「何で…何であんたらは!!!!!」

溢れ出す感情。それ以上は言葉にすらならなかった。
文句があるなら、自分に言えばいい。なのにあんたらはどうして、可愛い後輩たちに牙を向けるのだ。

「あの子たちは、関係ないやろ!狙うならあーしを狙えばいい!!」
「知ったことかよ」

纏うドレスの色と同様に心を黒く染めた魔女は、ゆっくりと背を向け、消えていった。
「ゲート」か。愛は今回の舞台のお膳立てをしたかつての旧友に歯軋りをする思いで、既に誰もいなくな
った空に目をやる。

すっかり夕陽が沈んでしまった海は、闇の砂に埋め尽くされた砂漠のように見えた。





投稿日:2014/12/07(日) 00:44:03.83 0

























最終更新:2014年12月08日 10:28