『リゾナンター爻(シャオ)』 16話


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衣梨奈の鼻先には、鈍色の空を映すナイフが突きつけられている。
ナイフの持ち主は先ほど衣梨奈が気絶させたはずの、電車の運転手。
そしてその背後に、不敵な笑みを浮かべつつ立っている少女の姿があった。

「この前のリベンジにしては、せこいやり方っちゃね」

意識を集中しなければならない時に、まさかの状況。
衣梨奈は目の前の少女に対し、憎まれ口を叩くことしかできない。

「あの時の屈辱を、って言いたいとこだけど。今日はあんたには用は無い」

そして衣梨奈を急襲した少女 ― 福田花音 ― は。
以前会った時より幾分余裕をなくした表情で、衣梨奈に告げた。
それでも、立場の揺らぎを悟られないように表情に笑みを貼り付けることを忘れない。

「何であやちょとあんたたちが一緒にいるか知らないけど」

花音が一歩前に出るのと同時に、衣梨奈が男を押しのける。
鮮やかな手際で男を後ろ手に縛り無力化すると、身を挺して花音の正面に立ち塞がった。

「…なんのつもり? そこにいる子はあたしたちの仲間なの。返してくれない?」
「あんたの態度からは、そうは思えないっちゃけど」

花音の能力によって操られた男、そのナイフの切っ先から殺意が滲み出ているのは衣梨奈も感じ取っていた。しかしこうやって
本人と対峙していると、すぐにその過ちに気づく。

花音の殺意は、自分ではなく明らかに彩花に向けられているということに。


「この子を、どうすると?」
「言う必要はない。早くそこをどいてよ」

確かに衣梨奈と彩花は今日会ったばかり。
おまけに会話すら交わしていない。衣梨奈が現場に駆けつけた時には既に彼女は正気を失っていた。それでも。

「どかん。この子は…はるなんの大事な友達やけん」

直接春菜に聞かなくてもわかる。
五指をずたずたに引き裂いてまで助けようとした人間が、大事な友達じゃないはずがない。
その春菜は今、衣梨奈の能力に身を委ねてその友達の心の闇を打ち払おうとしている。
だったら、守るしかない。

「はぁ?そんなわけないじゃん」

ただ、衣梨奈の意志は花音には届かない。
それどころか。

「あやちょはあたしたちにすら心を開かないのに、そんなやつと友達? 寝言は寝てから言ってよ」
「生憎衣梨は目覚めがいいけん、寝言やなかよ」
「そう。だったら、あんたを…『排除』するまで」
「へっ。そんなことできると? 衣梨奈知っとうよ、あんた自身は大して強くないって」

慈悲の無い声で処刑を告げる花音に、衣梨奈は余裕の笑みを見せる。
彼女たちと直接戦った聖たちから、花音の能力は既に聞いていた。人を洗脳し操る能力の持ち主だが、あまり戦闘向きではないと。


「あんたごときに言われるとはね。でもまあ、確かに花音自身はそんなに強くない。あんたみたいなガチバカっぽいのと戦うなんてま
っぴら御免。でもね」

花音が、すっと片手を上げた。
停車した電車の陰からぞろ、ぞろと現れる群集たち。
サラリーマン、OL、工事現場の作業員、ご丁寧に警察官までいる。

ゾンビ映画に出てくるゾンビのように緩慢に、しかし確実に衣梨奈を取り囲んでいった。
あっと言う間に人間バリケードの完成だ。
その群集たちの中心に立ち、誇らしげに花音が言い放つ。

「あたしには百の…ううん、千の軍勢がいる。自分の手を汚さずに、目的を果たすことができる。これってすごいことじゃない?」
「…最低っちゃね」

目的さえ果たせればいかなる手段も厭わない。それではダークネスと一緒ではないか。
衣梨奈は憤るが。花音を糾弾している暇はない。一分一秒が、惜しい。今は衣梨奈の力は春菜が彩花の精神世界を潜行するのに割かれ
ている。集中力が途切れればそれで終わりだ。

「最低で、結構」

言うより迅く、衣梨奈たちを取り囲んでいた群集たちが一斉に襲い掛かる。
先ほどの緩い動きとは打って変わっての、野生の狼を彷彿させるような鋭い猛襲。だが哀れなるかな、理性を奪われた獣たちは悉く衣
梨奈の張り巡らせた罠に絡め取られた。


「能力を使わずに相手を無力化する…ねえ。馬鹿っぽいくせに頭使うんだね」
「衣梨奈は天才やけんね」
「あっそ。ところであたしが昔、何て呼ばれてたか知ってる?」
「そんなん知らん」
「…神童」

糸に絡め取られ、身動きの取れないはずの人々。
だが、機械的に動かされた手が、足が糸に逆らう。強靭な糸に阻まれた肉体はやがて切り裂かれ、血の筋を走らせはじめた。

「あんた何を!!」
「別にそいつらが傷つこうが、あたしは痛くも何ともない。いくら切り刻まれてもいい。手が足がちぎれたっていいの。最終的に目的
さえ果たされれば」

冗談か何かの類であれば。そう願わずに居られなかった。
けれど花音は、笑ってはいなかった。
衣梨奈に突きつけられる、二つの選択肢。
彼らを解放し餌食になるか、彼らを縛りつけ傷つけるか。

「ねえ、どうする? 正義の味方リゾナンター様は、罪も無い人々を傷付けるくらいなら自らの身を犠牲にする? それとも、正義を
貫くために敢えて心を鬼にでもしてみる?」
「……」
「苦しい? でもね、あんたたちみたいな『温室育ち』の感じる苦しみよりも…あたしらがここまで上り詰めるのに味わった絶望のほ
うが、何倍も辛いんだから」


その時、衣梨奈は花音の背後に暗い情念を感じた。
自分達を温室育ちと揶揄するほどの背景とは。
確か彼女たちは警察機関の所属だと言っていたことを衣梨奈は記憶していた。
とするならば、国の機関が彼女たちに「そのような絶望」を経験させたというのか。

そうしている間にも、花音の忠実な僕たちは血を流し、肉を切り裂きながらも糸の包囲網を打ち破ろうとしている。
躊躇している時間はなかった。

五指から伸びる、ピアノ線。
衣梨奈は瞳を閉じ、それから意識を集中させる。

まるで電気のように伝わる、鋭い力。
糸の中でもがく花音の軍隊たちは、体を大きく痙攣させ、そして動かなくなった。

「な、何をしたのよあんた…」
「ほんのちょびっとだけ。衣梨奈の『精神破壊』を開放した。あんたが操ってるおかげで、ダメージも少ない。やけん、あんたのほう
もこの人たちをコントロールできんやろ?」

正確無比な里沙の「精神干渉」と比べ、衣梨奈の「精神破壊」は文字通りの破壊する力。里沙のように必要最低限の干渉で対象を支配
下におくのは至難の業と言ってもいい。能力者ではない人間がこの能力に晒されれば、文字通りの精神の破壊を引き起こす。

しかし、対象が既に他の能力者によって精神的支配を受けていれば、話は別。
互いの能力への干渉によって、言わば双方の支配が及ばない状態にすることができるのだ。
対精神系能力者への対処。精神干渉の分野においてトップクラスである里沙は、事あるごとに衣梨奈に相互無力化の原理を教えていた。
そのことを思い出した、会心の一撃。

確かに一人の能力者としては、花音のほうが上手だった。
しかし、里沙を師匠に持ち、彼女の経験と知識を受け継いだ衣梨奈の思わぬ一手にしてやられた形となった。とは言え、衣梨奈はその
貴重な知識の都合のいい箇所しか覚えてはいないのだが。


振り出しに戻った戦況。
それでも花音の見下すような表情は変わらず。

「…言ったでしょ。あたしの兵隊は百…千、無限だって」
「させるかっ!!」

自らの能力「隷属革命」により新たな僕を呼び出そうとする花音に、衣梨奈が飛びかかる。
もとより戦闘力に乏しい花音、あっという間に衣梨奈に組み伏されてしまう。
能力の相克はあくまでも布石、本命は自らが勝るフィジカルの勝負に持ち込むことだった。

「くそっ、離せ!離せ!!」
「はるなんの仕事が終わったら離してやるけん、それまで大人しくしてるとよ」

大の大人でさえ、糸を手繰ることで鍛えられた衣梨奈の腕力から逃れるのは至難の業。
増してや、自らの手を汚したことのないか弱き細腕では。

「何が仕事よ!あんな、あんな胡散臭いやつにあやちょを救えるはずない!!だったらいっそあたしが!!」

激しい憎悪。それとともに伝わる、深い絶望。
おそらく彼女なりに、手を尽くしたのだろう。その上で、自らの手で終わりを選択するという結論を下した。衣梨奈はそう判断した。
だからこそ。


軽い破裂音が、花音の頬を打つ。
平手で叩かれたのだ。

「なっ…」
「黙って見とき。はるなんが、『あんたの友達』を助ける」

頬の痛さよりも、屈辱。
それが、まるで叩かれた熱さに呼応するように広がる。
音の出る勢いで睨み付け反論しようとする花音だが、両手首を掴まれ、身動きすらできない。
衣梨奈は、倒れている彩花と春菜のほうを見やる。

はるなんなら、きっとやってくれる。

そこには仲間への、揺るがない信頼があった。





投稿日:2014/10/19(日) 01:37:36.80 0