『観察者は我が身の不幸を嘆く』



不思議な部屋だった。
窓も無く、出入り口さえも無い。
無機質な壁に囲まれた部屋の中央にベッドが一床。
ベッドの上には一人の男。
顔は青白く、髪の毛は伸び放題。
身体のいたる箇所に、凍傷を治療したらしい赤黒い痕がある。
身じろぎもしない男の身体中にはコードや展開しており、部屋の隅の機器と繋がっている。

そのベッドの脇に女が一人立っている。
整った目鼻立ちに脱色された髪。
落ち着いた色調のパンツルックに身を固めたその女は男に話しかけている。

「ふぅん、それでその真莉愛って娘の能力は道重さゆみと同じ治癒と物質崩壊ってことでええんかな?」

その問いかけに対する回答は若干のタイムラグの後、ベッド脇の小型モニターに映し出される。

「まだ全容が明らかになっているわけではありませんが、おそらくは…」

その文字を見て取った女は微やかな笑みを浮かべると、再び男の顔を見つめる。

「なんか歯切れが悪そうやん。うちに言いたいことでもあるん?」

暫くの間、モニターは更新されなかった。
まるで男の躊躇いを示すかのように、やがて…。

「私は一体何を監視しているのでしょうか?」
「リゾナンターに決まってるやんか」
「だったら…」

再び暫しの空白。


「リゾネイターとは何のことです? 能力者の隠れ里とは? 彼女たちは殺人を請け負ったりしてるのですか?」

たちまちのうちに小さな画面を埋め尽くしていく文字。
「ダークネス千年帝国」や「闇に棲む人外」、「Qualia」に「再殺部隊第一特殊分隊」…etc。
まったく脈略の無い文字の奔流が収まるのを見届けると女は少し困った様子を見せた。

「あんたの疑問ももっともやけど、今現在のあんたに明確に説明できる自信がうちにはないんよ。せやけど…」

一旦、言葉を打ち切って思案を巡らす女。

「そやな、今のあんた自身の状況を再確認してもらうんがええんかな、A6357148」

A6357148と呼ばれても男は何の反応も見せない。
見せることができないほどに、身体を動かすことが出来ないのか。

「任務の過怠及び幹部に対する暴言の咎によって藤本の粛清を受けたあんたは瀕死の重傷やった」

藤本という名前が女の口から出た瞬間、モニターが自動的に切り替わり男のバイタルの数値を表示するモードになった。
心拍数や脈拍などいくつかの数字に変動が見られる。
やがて数字の変動が収まるのを見届けると、女は画面にタッチして文字を出力するモードに切り替えた。

「身体の方はそんな状態やのにもかかわらず、意識の方はありえんぐらいに通常の状態を保ったままでおられる」
「自分ではとても通常だとは思えないのですが」
「技術者の見立てでは粛清を受けた時のあんたの状態が原因やということや」
「あの時は…、組織で開発中のシステムを通してネットと繋がっていました。彼女たちの支援者の動向を監視するために」
「そう最新式のインターフェイスでネットに接続してたことによって、意識のかなりの部分が電脳空間に取り残されてる」
「GHOST IN THE SHELL」
「つまり身体の方はともかく、あんたの意識はどこにでもあるけどどこにもいない。擬似的なシュレシュレシュレ…」
「シュレディンガーの猫状態ということですね」

そうそうと頷く女の顔に満面の笑み。


「あの娘ら、リゾナンターの実相はなかなか掴みがたい。それを暴くため監視者を接近させ過ぎるとその姿を特定することになる」
「物理学でいうところの観察者効果…ですか」
「難しいことはわからん。ただあいつらの本当の姿を掴めることは今のはあんたしかできん。せやから…」

語尾を濁らせた女の意図が分かったのか、分かりかねたのか。
男の意思を表示するモニターが凍りつく。やがて…

「あなたは誰です?」

女は破顔一笑した。

「うちはあんたのボス。中澤裕子やんか」
「私が中澤裕子をトップとして仰いできたのは事実です。しかし…」
「しかし、なんや?」
「私が知る中澤裕子はこのような部屋、窓も入り口も無い閉ざされた空間に単独で入ることなど出来たりしない」

女の笑みに凄みが加わった。

「ふぅん、聴覚以外は殆ど死んでるっちゅう話やったけど。ああそうか、こっちのセンサーや監視カメラと繋げてるんか」
「お前は誰だ。中澤裕子を名乗るお前は一体誰だ。誰だ誰だ誰だ誰だ誰だ誰だ誰だ誰だ誰だ誰だ誰だ誰だ誰だ誰だ誰だ」
「いくら挑発してもあんたのことは死なさへん。 それに今の問いかけに対する答をもうあんたは知ってる」

まるで死刑の宣告のような言葉を耳にしても男の様子は変わらない。
それは女が最初にこの部屋に現れてから全く変わらない。やがて…


「あなたなら、あなたの能力なら一人ででも殲滅できるだろうになぜ動かない? なぜ手をこまねいている?」

モニターを埋め尽くす疑問符の嵐を見て取った女は男の耳元に口を近づけた。
そしてある言葉を囁いた。
トウモロコシ畑を切り開き、小さな球場を作った男を描いたアメリカ映画の中の一節をもじったものだった。

「If you build it, she will come」

それが終わると女はベッドから離れ、無機質な壁に対面する。

「あんたが望むものを手にしたいのなら、今暫くはあんたの元に集まるあの娘らの全ての動向を観察し続けることや」

女は右手の指先を壁に向けると、まるでスマートフォンの画面をピンチアウトするような動作をした。
それに呼応して無機質かつ硬質な壁が切り裂かれていく。
裂け目はどんどん大きくなり、やがて人間の体が通れるぐらいの大きさになった。
女は後ろ手で軽く手を振りながら、その裂け目に向かって身体を滑り込ませていく。
女の身体が消えて暫く、壁に出来た裂け目が塞がっていく。
裂け目が完全に塞がると、その部屋は再び外界と完全に隔絶された状態に戻った。

部屋の中央には一床のベッド。
その上には一人の男が傷つき衰えた身体を横たえている。
男の様子には何の変化も見られない。
先刻から、男がその部屋に保護という名目で幽閉されてからずっと変わらない。
だが、しかし男は…。





投稿日:2014/10/08(水) 15:24:33.23 0





















最終更新:2014年10月10日 10:10