「検察の論告求刑は終わりました。 続いて被告側の最終弁論です…が、被告は何か発言はありますか」
罪状は明白だった。
大統領とその護衛官達に対する殺傷行為。
犯行は残虐だった。
槍状の氷柱に心臓を貫かれた者、凍結した肉体を砕かれた犠牲者たち。
凶行は神の前で行われた。
最強の国家を率いる男が、礼拝の為に訪れた教会が犯行現場となった。
犯人は魔女だった。
漆黒のドレスに身を包んだ魔女がたった一人で大統領の命を奪い、数十人の護衛官を殺傷した。
魔女は捕らえられた。
対能力者用の装備に身を固めた特殊部隊と強力な能力阻害装置の前に魔女は屈した。
指導者を失った巨大国家は大いに揺らいだ。
アフリカ系出身の大統領の暗殺は、多民族国家を大きな亀裂を走らせた。
暗殺の真相究明を求めて抗議するアフリカ系米国人。
緊迫した空気に便乗して、常日頃からの不満を訴えるヒスパニック。
混乱に乗じて商店を襲撃する白人貧民層。
社会の動乱を鎮めるには警察の力だけではあまりにも無力だった。
大統領の後を継いだ副大統領によって非常事態宣言が布告され、州兵が動員された。
そして事態の沈静化を図る為に、その元凶とも言える魔女を公開で裁く旨を宣言した。
裁きの場所は…ゲティスバーグ。
かつて国家を二分した南北戦争の激戦が繰り広げられた古戦場。
戦役の終結後、時の大統領リンカーンによって戦没者への追悼演説が行われた土地。
国家分裂の危機を乗り越える象徴的な意味を持つ場所。
ゲティスバーグの所在地であるペンシルバニア州の高等裁判所で魔女が裁かれることになった。
法廷周辺には大量の軍隊が動員された。
魔女をも屈服させた特殊部隊。大型の能力阻害装置が取り付けられた装甲車が台を連ねている。
超法規的措置で開かれることになった魔女裁判には弁護人が存在しなかった。
人権のためという崇高な目的で名乗り出る者もいたが、怒りに打ち震える国民の要請という名の脅迫の前に、任に就く者はなかった。
裁判長が形式的に弁護人を務めることで、裁判は進められていくことになった。
被告人には自らを弁護する権利があることが通告されたが、その権利は検察側の論告求刑が終了するまで行使されることはなかった。
検察の厳しい追求に嘲笑で応える魔女に対して、再三に渡って法廷侮辱罪の適用が警告されたが、魔女の態度が改まることはなかった。
世界を侮蔑する魔女の様子を中継したTV放送は未曾有の高視聴率を獲得し、その模様を録画した動画がアップされた投稿サイトはサーバーが壊れるほどの閲覧者が殺到した。
そんな異常な裁判もあと少しで結審する。
「…では、少しばかり喋らせてもらおうか」
法廷に緊張が走る。
裁判の進行を無視して、愚弄としか思えない言質を取ってきた魔女が初めてまともな言葉を話したのだ。
ここまでの検察の追求に対して、弁護側、つまり被告自身は何一つ反証を挙げてこなかったために、裁判は迅速に進行してきた。
大統領暗殺という大罪にもかかわらず、十日間で検察の論告求刑までこぎ着けたのだ。
そのスピードに馴染んでいた関係者は、この段階で発言を求める被告の真意を図りきれず、戸惑いを隠せなかった。
「被告人は何か話すことがあるのですか」
緊張を破って裁判長が魔女に改めて問い質した。
「ああ、少しばかり尋ねたいことがあってね。 確かこの裁判の冒頭であたしには自分を弁護する権利があると説明されたが、あれはまやかしか」
「そんなことはありません。 我が合衆国の憲法は、その崇高な立法の精神に基づいて、貴女のような凶悪な犯罪者に対しても一定の権利を保障しています。 しかし何故今になって」
「ふん、別に今更お前らごときにお情けを乞おうなんか思っちゃいない。 ただあの検事のおっさんの最後の論告求刑を聞いてたら、背中の辺りがむず痒くなってきてね」
犯行時に身につけていた漆黒のドレスを剥ぎ取られ、無粋な囚人服の着用を強いられた魔女が不適な笑いを浮かべる。
名指しされた検事は、何事かと眼鏡をかけなおして資料を読み返す。
「今は本来あなたの犯した罪について、最後の弁論を行う機会なのですがね」
裁判の運営に齟齬が生じないか気に掛ける裁判長。
しかし被告自身が殆ど発言しないにも関わらず、裁判を進行させたことに対して公正を欠くのではという批判的な意見も耳に入ってきている。
裁判長自身が被害者である大統領と同じ肌の色をしていることを、その理由として取り沙汰する輩もいる。
司法省からの強い要請で余儀なく行った措置とはいえ、将来の転進を考えれば被告に意見を陳述する機会を与えることも必要だろう、と彼は判断した。
「…いいでしょう。 今回の裁判自体が戦時下における軍事法廷のように特殊な形で進行しています。
通常の裁判とは異なる経緯を辿るのもやむを得ないのかもしれません。 但し発言は今回の事件に関する内容から逸脱しないようお願いします」
取材の為に入廷を許されていたTV局のクルーの胸は期待で高鳴った。
未曾有の事件の裁判中継は、記録的な高視聴率を獲得した。
中継に相乗りする世界中のTV局から入って来る放映権料の額も莫大なものに膨れ上がっている。
とはいうものの、被告からの反証の無い単調な展開には、中だるみを訴える視聴者も現れ出していた。
ここで、被告の魔女が自分の無罪を訴えたなら、裁判中継への関心も更に高まるだろう。
(精々歌って裁判ショーを盛り上げてくれよ、別嬪の魔女さん)
軍隊に警護された裁判所を遠巻きに囲んでいる数十万の群集も息を飲み、その気配は伝わるはずの無い法廷内にさえ伝わってきた。
「ま、そんなに改まることもねえんだけどな。
あたしが訊きたいのは、あたしが殺したのは一体誰だっつーことなんだがね、おっさん。
はげ頭にロイド眼鏡のおっさん、お前だ、お前に訊いてるんだおっさん。」
「検察官。 被告の質問に答えてくれますか。 それと被告は言葉遣いに気をつけてください」
裁判長の慮ったような声が法廷に響いた。
自分の肉体的な特徴をあげつらわれた屈辱と、法廷を愚弄された怒りに顔を紅潮させながら検察官は口を開く。
「只今の被告の質問の意図が不明です。
この裁判の冒頭から私は何度も被害者の氏名を挙げて、被告を追及してきました。 それを何故今さら」
「あ、わりー、悪い。 勿論あたしが氷漬けにして砕いてやったのが誰かなんてことは聞くに及ばない。
何故なら、あたしは標的の名前も、そいつをいつ襲えばいいかってことも、殺しの依頼主からちゃーんと仰せつかってるんだから」
法廷内に走るざわめき。
それは数秒の時間差の後に、裁判所を取り巻く群衆からも生まれてきた。
ここに至るまで、大統領殺害についての核心部の証言を頑なに拒んできた被告自らが、背後関係を仄めかしたのだ。
魔女の横顔を追っていたカメラマンが、その表情を少しでも近くから捉えようと、立ち入りを禁止されているエリアに入り込もうとして廷吏に制止される。
勢い込む検察官。
「さ、さ、裁判長。 今被告の口から重大な証言が飛び出しました。
この裁判は論告求刑を終え、最終弁論が終わり結審するのを待つばかりでしたが、再度の被告人尋問をおこなうべきとの動議を提出します」
「その動議を受理するか否か、暫く時間を戴きたい 」
審理が大きく動き出したのを感じながら、どのような形で収拾をつけるべきか自問する。
同じアフリカ系出身者として、国政の頂点に登りつめた男の死の真相を、自分の法廷で徹底的に究明したいという思い。
動揺した国家を安定させる政治目的を内包している裁判の迅速な結審を図らねばならないという使命感。
二つの思いが交錯する、が、その思いは魔女の哄笑に打ち破られた。
「フハハハッ、おっさん達は何必死こいてんだっつーの。
お前ら救いようのない馬鹿どもの運営する裁判なんか本当はどうでもいい。
ただ私は知りたいんだ。 私が殺したあいつは一体何者だったかを」
「だから、何度言ったらわかるんだ。 お前が命を奪ったのは、このアメリカ合衆国の最高…」
怒りに声を荒げる検察官が思わず黙り込む。
魔女が手錠で拘束されている両手を翳して、黙れとでもいうようなジェスチャーをしたからだ。
「お前は馬鹿だ。 あたしの言葉の本質を捉えることが出来ないでいる。 言葉の表面しか捉えることの出来ない救いようのない馬鹿だ。
お前はこの裁判の間、あの哀れな男のことを何度もこう言った。 彼はこの国の希望だったと。 混迷する世界に光を照らす太陽だったと。」
「そうだとも、彼は、亡くなった前大統領は疲弊したこの国の経済を立て直す希望だった。
混迷する世界情勢に新秩序をもたらす為に、核軍縮プログラムを推進する光だった。
お前はその希望を打ち砕いた闇だ、悪の根源だ。」
「うん、それそれ。 その希望だ、光だなんのっていう甘ったるい言葉を聞くたびに、あたしの背中はむず痒くなってくる。
あいつは、あたしがあの教会で打ち砕いてやったあいつはただの男だった。 ただのくたびれた男だった。 ただの痩せっぽちの男だった」
「貴様、まだ愚弄するのか。 あの方は、お前が無残な遣り口で命を奪ったあの人はこの国の、いや世界の希望だった」
「お前こそ、あの男を愚弄している。 いいやあの男の死を利用しようとしている。
いや、お前だけじゃない。 この国の国民の殆どが、あの男の生を利用しようとしてた。
あの男の人生を消費しようとしていた。 たった一人の男に世界の希望とやらを背負わせてな。」
「お前はわかっていない。 あの人は疲弊しきっていたこの国を立て直すために、正義の旗を掲げて大統領選に立たれたのだ。
この偉大な国の国民は、あの方の掲げられた正義に共鳴して、あの方に一票を投じたのだ。
あの方は決して一人ではない。 あの方はニ億を越える国民の負託に応える為に戦ってこられたのだ。」
「ふん、かなり事の深層に踏み込んできたじゃねえか。 偉大なる民主主義があの男を選んだってわけだ。
だが、それでもあたしには納得できないね。 お前らが信奉する民主主義とはつまり、自分たちの進む道は自分たちで選択するってことだ」
「そうだとも、デモクラシーは守らねばならぬ。
そして事実自由と平等を守る為にこの国は、何度も血を流してきた。
それは崇高な犠牲だ。 そんな自由の国にお前は戦いを挑んだ。
その罪は断罪されなければならぬ。」
「つまり、この国のこれから進む道も、これまで進んできた道もお前ら国民が自ら選択してきたってことだ」
「そうだ」 魔女に揶揄されたロイド眼鏡を乱暴に外すと、その柄で魔女を指弾する。
「ってえことは、この国の陥った陥穽も、嵌り込んだ泥沼もお前ら国民自身が選んだ道ってことだ」 不敵な笑いを頬に浮かべる魔女。
「そ、そうだが」 魔女の言葉の真意を諮りかねて、検察官の言葉が澱む。
(この女は一体、何を言い出そうとしてるんだ。 それに何だか急に肌寒くなってきたぞ)
「結局私が言いたいのは、そこさ。 お前らの抱え込んでいるホームレス。 お前らがテロとの戦争で失った兵士の命。
麻薬と銃が溢れかえった素晴らしい社会もお前ら自身が生み出してきたってことだ。
ところが恥知らずのお前たちは、自分たちの選択が誤っていたことを認めようともしない。
少しばかりてめえの暮らし向きが悪くなってきたかと思うと、自分たちの選んだ大統領に石を投げて追おうとする。
私たちは騙されたって、被害者面をしてな。 そして服を着替えるよりも簡単にその首を挿げ替える。
救世主様、ヒーロー様、あなた様こそ私たちの希望でございます。 どうか哀れな私たちを偉大なあなた様の力でお救い下さいってな感じにな」
「裁判長、早く結審してこの女を処刑してしまえ。 この女は我が国の民主主義を愚弄している」 判事に詰め寄る検察官。
騒然とする法廷。 数十秒のタイムラグを経て裁判所前に詰めかけた群衆もざわめき出す。
騒ぎを取り静めるため木槌を打ち鳴らさんとする判事だったが、魔女の視線に射竦められて木槌を振り下ろせず固まってしまう。
「お前も大統領殺害犯を裁く法廷を任されるぐらいなら知っているだろう。 ゲティスバーグという場所で何が起こったか」
「ゲティスバーグは南北戦争の激戦地だった。 戦後行われたリンカーンの演説は民主主義の理念を端的に表現したものとして…」
魔女の口の訊きようは、裁かれる者が裁判官に対してとる態度を逸脱していたが、それを咎めることも忘れてしまっている。
「人民の、人民による、人民のためのってやつだな。 だがお前は知っているはずだ。
リンカーンの言った人民の中に、お前のご先祖様たちは含まれてなかったってことを。
奴が奴隷解放を打ち出したのは、南軍への海上封鎖を有効にする為に、奴隷制に否定的な英国を味方につけるためだった。」
「確かにリンカーンは生粋の奴隷解放論者じゃない。
南北戦争には自由主義と保護主義。 重商主義と農本主義の衝突という一面があったのも事実だろう。
しかし彼の奴隷解放宣言がアフリカ系アメリカ人の地位の向上に貢献したことは揺ぎ無い真実だ。
虐げられていた黒人奴隷は自由を獲得した。 だからこそこの国では肌の色の黒い大統領が誕生した。」
「ふん、自由の国、アメリカ・ザ・ビューティフルってやつだな。 だったら独立宣言を起草したジェファーソン。
大統領も務めた奴が百人を超す黒人奴隷を飼っていたっていう事実をお前はどう受け止めてるんだ」
「あの時代の富裕層なら珍しいことではない。 彼が偉大だったのは南部の大富豪という立場に甘んじることなく、政治家としてこの国を変えようとしたことだ。 そして、この国は変わ…」
「変わっちゃいない。 このクソッタレの国は何も変わっちゃいない。 自由、平等、博愛主義。 この国の掲げる理念の全部がまやかしだ」
怒号が飛び交う中、優雅でいてどこか他人を侮蔑したような物腰で語る魔女。
「自由を獲得しただと、笑わせるな。 私に言わせればお前らは何世紀も前から奴隷のままだ。 もしも変わったことがあるとするならば」
TVカメラを睨みつけ不敵に笑う。
「二百年前、お前らのご先祖様は、鎖に繋がれ檻の中に囚われていた。
その末裔のお前たちは、生まれた時からタグを付けられて放し飼いにされている。 それだけのことだ」
「黙れぇえええーーーっ」
判事はあまりの暴言に我を忘れ、手にした木槌を魔女に投げつけてしまった。
魔女が避けようとも、防ごうともしなかったため、顔に当たってしまった。
額から流れ出る真っ赤な血。
痛みも怒りも浮かべず、哄笑する。
「アハハハッ! それでいいんだよ。 感情の赴くままに行動する。 それこそが本当の自由って奴さ」
被告席を離れ、TVカメラの前に近づいていく魔女。
廷吏もそれを止めようともしない。
「お前たち、満たされていないんだろ。 だったら奪えばいい。
許せない奴がいるんだろう。 だったら毀せばいい。
欲望を抑えきれないんだろう。 だったら犯せばいいんだ。
私はそうやって生きてきた。」
流れた血で濡らした指でカメラのレンズに文字を書き、英語でも日本語でもない言語で呟く。
“Marea Zeita de Nord I
Acum, s? ne trezeasc? oamenii din aceast? respira?iei tale
S dragon malefic al lumii interlope
Din acest ne distruge lan?ul de col? t?u
Ice Age I Come”
裁判所を取り囲む数十万人の人間が暴発した。
それを鎮圧しようとする軍隊と衝突する。 打ち倒される車両。
その中には能力阻害装置を搭載した装甲車も。
暴徒と化した人々の作り出す轟音の意味を察知した判事は、法衣の下に携帯していた護身用の拳銃を手にすると廷吏に命じた。
「能力阻害装置の効果が無くなる。 その前にこの女を何とかしないと」
判事が目にしたのは裁判の取材に訪れていた女性キャスターや女性職員に乱暴狼藉を働く男たちの姿だった。
その中には屈強な廷吏たち、職務を放棄したカメラマン、欲望に目の色を変えた検事の姿もあった。
「な、何てことだ」 上ずった声が判事の口から洩れる。
「アーッハッハッ! どうだい美しいだろう。 これが本当の自由ってやつさ」
襲われる人、破壊される物の生み出す悲鳴にうっとりと聞き惚れながら魔女がうそぶく。
「き、貴様。 これが狙いで、能力阻害装置を破壊するのが目的で人々を扇動したんだな」
「能力阻害だと。 指向性の電磁波で人間の脳にジャミングして能力行使を妨害する。
そんな科学の原理で、私の魔術が防げるとでも思っていたのか」
「何・・・」
「あんなもの効きやしないんだよ最初から。
魔術とは虐げられし者が、闇の中で星の光を頼りに編み出した復讐の英知。
研究室の人工的な光の下で作り出された能力阻害装置なんてすり抜けてしまうんだよ」
「クソッ。 お前なんかにこの国を好きになんてさせない。
彼が愛して、彼が守ろうとした自由の国、アメリカをお前みたいな魔女なんかに」
必死の言葉を耳にした魔女は判事に歩み寄った。
「ひっ」 被虐の恐怖に脅えた判事は、手にした銃を魔女に向けて引き金を引こうとした。
しかし、法廷を満たし始めていた冷気は、既に銃の機関部を侵食していた。
発射されない弾丸、掌は冷気で銃に凍りつけられてしまった。
吐息が感じられるくらいに近づいた魔女に脅える判事。
「ひぃーっ、ひぃーっ」 身を翻して逃げようにも、冷え切った体は思うように動かない。
「お前、本当にそう思ってるのか。 あいつが、あの哀れな大統領がこの国を愛していたと」
判事は死の恐怖に脅えながらも、自分を曲げることなく魔女にぶつける。
「そうだ。 彼はこの国を本当に愛していた。 だからこそ彼は大統領になったんだ。 身の危険を厭わずに」
その言葉を聞いた魔女はふっと笑った。
「そうかもな、確かに奴はこの国を愛していた。 だからこそ、この国に絶望してしまった。」
魔女の口から出た思いもかけない言葉に戸惑う判事。
「奴は希望に満ちていた。 心に灯る希望の火さえ消えなければこの国の現実も変えれると信じていた。
だけど、この国は奴が考えている以上に腐りきっていた。
軍産複合体、石油資本、巨大メディア、エスタブリッシュメントの支配層。
戦争の存在によってのみ、その存在を維持しえる勢力が、この国を支配していることに奴は失望した。」
「・・ち、違っ」
判事の言葉を静かに押し留め、自分の話を聞くように促がす魔女。
「それでもやつは戦おうとした。 この国の暗部に存在する勢力と。
時に妥協しながら、時に服従しながら、それでも油断を誘って敵の中枢に切り込む機会を窺っていた」
「じゃ、じゃあお前はこの国の闇に潜む支配層に命じられて、彼の命を奪ったのか」
「黙って聞けよ。 奴は踏み込んでしまった。 決して立ち入ってはいけない闇の領域に。
この国を覆う闇から逃れられないことを悟ったやつは、自分の死を覚悟した。 だけど、何とか自分の家族だけは助けたかった。
闇の送り込む暗殺者から、自分の家族を守るにはどうしたらいいか。 考え抜いた奴は一つの答えを導き出した。 それは…」
「…それは」 魔女への敵意も忘れてその言葉を待つ判事。
「闇の刺客が送り込まれるよりも先に、自分の意志で死んでしまうことだった。 家族が巻き添えにならない場所と時を選んでな」
「彼は自分の意思で死を選んだというのか」
「まあ、そういうことだな。 だが世界最強の国家の指導者には最強の警護、最高の医療チームが付いて回っている。
奴が確実に死ぬには、魔女の手助けが必要だったってわけさ」
「馬鹿な。 彼に限ってそんなことを考えるなんてあるはずが…」
「あるんだよなあ、それが」
「そ、それならお前にはどんな見返りがあるんだ。 どんなに多額の報酬を手にしたって、世界中のお尋ね者になってしまうんだぞ。
そんなもの、割りが合わないじゃないか。 お前が政治的な信条があるテロリストなら話は別だが。」
「へっ、政治なんてクソ喰らえさね。 あたしはデッカイ報酬を手にするのさ、そうこの手に収まりきれないくらいのね」
「そ、それは一体?」
判事の問いかけに、艶然とした笑いで応える魔女。
気がつけば法廷内の破壊と凌辱は一応の収束を見せていた。
怒号と破壊音に満ち溢れていた裁判所の近辺も、静寂を取り戻そうとしていた。
(皆、理性を取り戻してくれたんだ)
判事の目に希望の灯が点る。
それを見透かしたように、魔女は…。
「外の様子を見に行こうじゃないか。 見晴らしのいいところへ案内してもらおうか」
数分後、裁判所のテラスに魔女と判事の姿があった。
二人の眼前には、数十万の群集がいた。
軍隊と衝突した彼らの、体は傷つき、身なりはボロボロだったがその眼は野獣のようにギラギラと輝いていた。
血の味を知った餓狼の群れが、新たな得物を前に舌なめずりをしているようだった。
「こ、これは…」
「お前は暴徒と化した連中が、理性を取り戻したって期待したみたいだけど、そいつは違う。
こいつらは自由を味わってしまった。
心の衝動のままに、体を動かす快感を知ってしまった。
規律や禁忌に囚われないで、考える喜びを知っちまった。 もう、戻れやしないよ」
「じゃあ、何でこんなに大人しいんだ。 何故本能の赴くままに破壊行為を続けないんだ」
「人は背反する行動原理を、己の中に共存させられる不思議な生き物だ。
こいつらは誰にも支配されたくない、絶対的な自由を獲得したいという願望と同時にもう一つの思いを胸に抱いている。
それは、絶対的な権力に支配されたい、圧倒的な強者の保護下に入りたいという思い」
「そんなの、矛盾してる」 目の前の現実を受け容れたくない判事は魔女に反駁する。
「そうかね。 むしろ自然な成り行きだとあたしは思うけどね。 自分たちより弱い者は虐げる、しかし自分たちより強い者から身を守る為に、強者の保護下に入る。 人間なんて、そんなもんさ」
呆然と立ち尽くすばかりの判事に魔女は命じた。
「ここじゃ低くて、あたしの姿が連中に見えやしない。 お前、跪いて踏み台になりな」
「な、何を」
魔女の命令に反発を覚えていた判事だったが、やがてその瞳に暗い光が宿り、段々と体を屈めていく、そして。
「ミティ様、仰せのままに」
「アーッ、ハッハッハ」
法衣を着た判事の肉体を踏み台に、暴徒の群れを睥睨する魔女。 その姿は絶対王政の時代に、臣民を拝謁する女王のようだった。
「お前の体は中々踏み心地が良いよ。 まるであたしの踏み台になる為に生まれてきたような男だね、お前は」
「ありがとうございます」 判事の言葉には愉悦の響きが籠っている。
返答を聞き満足そうな表情になった魔女だが、次の瞬間それは厳しいものに変わり、臣民への命令を下す。
「お前たち。今、こうしてここに蜂起したお前たちの姿を前菜に優雅なディナーを楽しんでる奴等がいる。
為替や株価の変動要因として、数字に置き換えてるふざけた奴等がいる。 鎮圧すべき対象として、ライフルの照星に収めてる奴等がいる。
そいつらはセキュリティに守られた大邸宅に、障壁に守られた要塞都市に、お前たちのボロ家を見下ろす高層ビルに、地下深く建造された核シェルターの中に潜んでやがる。
今から行くぞ。 そいつらから引っぺがしに行くぞ。 警察を恐れるな、軍隊を恐れるな、神を恐れるな、死を恐れるな。
お前たちが恐れるべきはこの私、氷の魔女、ミティ様だけさ。
私の為に生きろ、私の為に戦え、そして私の為に死ね。
お前たちが私に忠誠を誓う限り、私はお前たちを保護してやるよ。 この魔術の力でな。」
そう言って手を掲げると、空中から高速で飛来した無数の雹が機銃掃射のように、裁判所の建物に炸裂する。
自然現象とは異なる高密度の氷の弾丸は正義と公正の象徴を破壊していく。
臣民から口々に上がる歓声。
「ミティ様、万歳。 ミティ様、永遠なれ」
「進撃」 魔女はある方角を指差した、その先には首都ワシントンD.Cがあった。
20××年、アメリカ合衆国は消滅し、新たなる女王の御世が始まった。
最終更新:2010年06月17日 05:20