『pray for you』



「鞘師さんは、永遠をどう思いますか?」

夕方。逢魔が時と呼ばれる時間帯。
西日が「喫茶リゾナント」に射し込み、思わず目を細めてしまう。
ふいに声をかけられた鞘師里保は、「うん?」と何処か情けない声で振り返る。

「なんでそんなこと聞くの?」

責めるつもりはなかったが、言葉尻を捉えて批判したような格好にもなった。
陽の光をその背中に受けた小田さくらは、哀しい顔をするでもなく、膝を曲げて里保の目の前に置いてある観葉植物に向き合う。
脚を折った瞬間に、ぱきっと小気味いい音がした。まるで成長期の骨のようだ。彼女はまだ身長が伸びているのだろうか。
里保の成長は少しずつ止まりつつあり、この目線が暫く、私の世界になるのだなと理解した。

もう少しだけ、高い世界も見てみたいのだけれど。どうやらそれは、ないものねだりになりそうだ。
あの人が見ていた世界を、あの人が感じた世界を、同じ目線で知りたいのに、と。
そういう願いは相変わらず、叶いそうにない。


「鞘師さん、よく植物の栽培に失敗するから」
「……バカにしてる?」
「お水あげすぎなんですよ。あと、葉っぱじゃなくて、根元にあげるのが良いんです」
「え。そうなの?」

里保は慌てて傾けていたじょうろを立てる。
なんとなく、葉に水が当たり、雫が垂れている方が植物は元気になるような気がしていた。
そうか、水は根元にあげるのが普通なのか。と、納得しながらじょうろを床に置くと、さくらが柔らかく笑った。
それは幸福の象徴のような優しい表情なのに、何処か、寂しそうにも見えた。それは、1日の終わりのオレンジの光を浴びているからなのだろうか。

「永遠に枯れない花があったら良いなって、思いませんか?」

さくらは里保から視線を外すと、たっぷりの水をたたえた葉に触れる。
人差し指に落ちる水滴を気にすることもなく、葉脈をなぞるその姿は妙に官能的でぞくぞくした。
色気と言えば譜久村聖が頭に浮かぶけれど、彼女もまた、それに似た雰囲気を常に醸し出している。そのベクトルは両者で異なるけれど。
いずれにせよ、私にはないものだ。これもやはり、ないものねだりか。


「小田ちゃんの能力って…」
「“時間編輯(タイムエディティング)”―――停止ではないので、この空間の時間を止めることはできませんけど、
応用すれば、擬似的な永遠をつくることもできるかも、って考えてますよ」

里保は阿呆のように突っ立ったまま、葉をいじるさくらと、彼女の云う永遠を考えた。
花を枯らし、湿気を増やしすぎてカビさえ生やすポンコツな自分に、植物の栽培は確かに向いていない。
だけど、いつか綺麗な花が咲いたら、私はそれを愛でるだろう。
鮮やかに咲き誇る赤やピンクに目を細め、柔らかい表情をたたえて、その花を守ろうとするだろう。
どんな雨風でも凌げる覆いをつくり、絶えず陽の光を浴びられる場所に置き、そこにある命を長らえさせようとするだろう。

そうして、そのうち、願うのかもしれない。
永遠に咲き続ける花があれば良いと。

花だけじゃない。
ずっと変わらないものがあれば良いと。


気の遠くなるような長い時間、ずっと変わらずに此処に居られれば良い。
哀しみや痛みを分かち合うことができる、この10人で。ともに、この世界で。この場所で。永遠を共有できたら―――


―――「鞘師のこと、信じてるから」


淡い空気を震わせるような言葉が、よみがえった。
頭の中でガラスが割れるような感覚を知る。

この手から大切なものを失いかけたあの瞬間、あの人は私を救い出してくれた。
バラバラに壊れかけた心を丁寧に拾い上げ、糸を紡ぐように私をこの世界に繋ぎとめてくれた。
もうすぐ、この場所を去っていくあの人は。
あの人は私に、約束をしてくれた。

「永遠なんて…哀しいよ」

里保が発した言葉に、葉をいじるさくらの手がふと止まった。

「少しずつ変わるから、私たちは強くなれる」

あの人が去る日はまだ決まっていない。だが、年を越えるころには、あの人はもう、此処にはいない。
私たちに託せると確信できたから、あの人は此処から歩いていく。その歩みをだれも、遮ることはできない。
時間が止まれば良い。永遠に閉じ込められたこの空間で過ごせたら良いと、どうしても、願いたくなる。


それでも、それでも、それでも。

あの人が託したのは、未来だ。
変わりゆく世界の、新しく生まれくる、未来なんだ。

「変わるからこそ、美しいんだよ」

木も、草も、花も、動物も。
風も、空も、海も、人も。
変わらずに揺蕩うものはなく、一定の時間の中でその生命を燃やし、輝きを放つ。
それは「終わり」ではなく、「永遠」でもない。
生を受けて、生きて、死んで。そしてまた何処かでなにかが生まれる。
ただそこに紡がれていくのが、世界の約束だと、思った。

「良かった……」

さくらはそう言うと、膝に手を置いて立ち上がった。
また、ぱきっと骨が鳴る。里保よりも少し低い視線から、こちらを見上げる。上目遣い、というやつだ。大きな瞳に見つめられると、心が微かに揺れ動く。
この独特で、妖艶ともいうべき色に、絆される。

「私も、永遠は哀しいと思います」

その言葉を聞き、里保は一瞬眉をひそめた。


「……じゃあ、なんで、私に聞いたの?」
「だって、鞘師さん、植物育てるの下手ですから。
そのうち、花屋さんで買ってきた百合を見ながら、枯れないでほしい・永遠がほしい、なんて言い出すんじゃないかと思って」

いたずらっ子のように笑う彼女に、ちょっとだけむっとした。
あからさまに唇を突き出し、怖い表情をつくってみせる。さくらは相変わらず気にも留めないで「冗談ですよー」とケラケラ笑った。

「でも……」

その笑顔を一瞬引っ込めて、彼女はトーンを落とした。

「人同士の絆とか、優しさとか、そういう変わらないものも、あると良いですね」

カタカタと、窓が動いた。
風が啼いている。西日が徐々に細くなり、もうすぐ夜に呑み込まれる。

時間と空間。
軸をたたえて存在するこの世界にある、変わらないものと、変わるもの。
永遠はないからこそ、永遠を願う。
烏滸がましく、情けない。
儚く散りゆくからこそ美しいのだと、分かっているのに。


「想いの力次第、かな」

気付いたときにはさくらを真正面から抱き締めていた。
自分が取った行動に意味づけることは不可能だったけれど。自分でも不思議なほどに、動揺はしていなかった。
こんなふうに、だれかを抱き締める日が来るなんて、あのころは想像もしていなかった。

ああ、やはり私は変わった。
時間が、空間が、歴史が、仲間が、私を変えた。

「人を繋ぎとめるのは、お金や権力じゃなくて、想いだよ」

変わってしまう心を、憎しみや哀しみに溢れたこの世界を。救えるものがあるとすれば、それは力ではなく祈りだ。
あの人が命を賭して、私を世界に引き戻したように。
私もまた、純粋に祈りを捧げたい。
この両の手が、血で穢れていたとしても。
この両の目が、血で染まっていたとしても。

「鞘師さんって……意外と詩的ですね」
「……さっきからちょいちょいバカにしてるよね?」
「ふふ。すみません」

さくらはまた楽しそうに笑うが、いちど言葉を切ると、

「……ありがとうございます」

柔らかく、甘く、愛おしい声を呟き、里保の背中に腕を回した。


西日の断末魔は消え、夜の帳が街に落ちる。もうすぐ月が、その顔を出す。

「道重さんのこと、笑顔で送り出せると良いですね」

耳元で囁かれたその声が、微かに涙で滲んでいた気がした。
それに引っ張られないように心を正し、震えながらも「そうだね…」と返す。

永遠は、そこにはない。
あの人はもうすぐ、此処から去る。
それでも、変わらないものは、変えたくないものは、確かにある。
祈りを捧げることもまた、ひとつの呪いだと分かっているけれど。

業が深くても、私は祈ろう。

あの人が、どうか、これからもシアワセでありますようにと。


里保とさくらの吐息が重なる。
ふたりの捧げるひとつの祈りは、ただ静かにそこに鎮座すると、ゆっくりと空気に溶けていった。





投稿日:2014/06/08(日) 19:32:11.08 0





















最終更新:2014年06月09日 12:36