(96)104 鞘師修行中。。。



鞘師里保は無言で道場を進む。
静謐を切り裂く、硬質の沈黙。
靴のままで歩む足の裏が板張りの床を蹴る。
"長い血の刃"を携えて一瞬で間合いを詰め、振り下ろす。
紅色の瀑布が床を叩き割り、爆音。

 「いいね」

木片の舞い散る道場の隅に、道重さゆみの裸足が着地する。
道重の動きに遅れて、木片が道場の床に落ちていく。
白々とした刃は、緩く湾曲している。
見るものが見なくても分かる、本当の"日本刀"だ。
柄を握る道重が口の端を歪める。

 「成長したね、りほりほ。でもいきなり斬り付けないでほしいな」
 「大丈夫です。"貴方"は死にませんから」
 「それは親切心と受け取ればいいのかな?」
 「…そうかもしれませんね」

道重が歩を前に進める。
気負いも躊躇も無く、散歩するような歩調だった。
間合いに入られた鞘師は、準備していた突きを放つ。
最速にして最短の直線。
道重は初撃にして必殺の切っ先を受けずに右へと逃げる。
鞘師の突きが連続して放たれるが、道重は風に舞う木の葉のように
軽やかに紅い刃を避けていく。

鞘師の「水軍流」においての刀術は、無闇に刃を打ち合わせない。
ましてや相手は日本刀。
日本刀は近接戦闘や携帯武器では非常に優秀だが
槍には勝てず、飛び道具には無力という弱点は確かに存在する。


だが、接近武器同士であれば互角。質量的には相手の方が上だ。

「水限定念動力」を維持させる精神力を保たなければいけない
鞘師にとって、この勝負はあまりにも気が抜けない。
道重は風のように右へ動き、鞘師の死角に回ろうとする。
鞘師は刃の弾幕を防御に変えた。
再び攻勢に出た鞘師の刃を、道重は刀で柔らかく受ける。
左手が跳ねて、鞘師の手を下へと叩き落した。
同時に刀身が下がり、道重の刀が無防備な空間へ進む。
首筋に迫る鋭利な刃を、反射で左手に篭められた"短い刃"が防ぐ。

まるで時計の針のように両腕が交差した鞘師は刃の軌道を反転。
反撃として鋏のように左右から狭まる刃を、道重が後退して回避。
鞘師は"短い刃"を傷口に沈めていくと、"長い刃"を両手で構える。
対する道重は笑っていた。愛らしい笑顔で。

 「まさか反射神経だけで防がれちゃうなんて凄い凄い。
 うん、やっぱりりほりほだよ。上手過ぎ」

道重の笑顔に対峙する鞘師も獰猛さを含んで微笑む。
頚動脈の上の白い皮膚が破れ、薄く血が滲んでいた。

 「初めの一手でこの技を受けてたら、大半の人の首が飛びますね」
 「そういう流派を会得してたからね。聞いた話だとさっきので
 死ななかったのはごく少数だったらしいの」
 「…なるほど。これは、研究しがいがありますよ」


二人の剣士が無造作に進む。鞘師の殺傷圏が先に触れた。
"紅い刃"が閃光となって伸びていき、道重の頬をかすめる。
早く重い突きの連射砲となった連撃に、道重は防戦一方となる。
崩れた体勢へ、鞘師の突きからの薙ぎ払い。
受けたのは道重が道場の床板に立てた刃。
受けきれずに跳ねた刃を背後に、道重は前へ飛ぶ。
裂ぱくの気合とともに放たれる正面からの白刃。
半身となった鞘師の肩口を掠めた。
さらに翻る刃は、"紅い刃"が盾となって受け止めた。
左手は貫き手となって前に突き出されると、目を狙う指先を鞘師が回転して逃れる。

 「さすがにちょっと危ないですよ。武器を持ったまま目潰しなんて」
 「実戦ではそうも言ってられなくなるよ」

道重は再び距離を詰める。
鞘師に飛燕の速度で追いすがる道重が、蛇のような息吹と共に刃を放つ。
突き。
突きからの斬撃が鞘師の手首を狙った。
相手の防ぐ動きの手前で跳ねた刃が、さらに落雷となって首筋を襲撃。
鞘師の旋回した刀身に防がれると反転。
足下を狙う鋼の猛禽となる。
これも鞘師が刃を反転させて、辛うじて防御した。
道重の攻めは、嵐の激しさと、機械の精緻さの刃だった。

それぞれの刃が、互いの制空権を狙う。
精緻な方程式を解いて、"紅い刃"が嵐を抜ける。


轟音。
道重の手から日本刀が離れた。
鞘師の剣技と剛力に、彼女の握力や力を逃がす技術が敗北したのだ。
さらに道重の痩躯が空中に浮く。
空中制御など不可能な道重へ、鞘師の非道の追い討ちが迫る。

空中で道重の左足が背後に振られる。
追撃を放とうとした鞘師は、絶対の好機に悪寒を感じた。
一秒を百分割し、さらに分割していく赤色の瞳は、道重の脇差しが左の
腰から消失していたことに激しい違和感を抱く。
再び前へ振られた道重の足先は、刃をともなっていた。
脇差しの柄を左足の親指と人差し指で挟んで、振り抜かれる。

通常の剣技ではありえない方向、真下から真上への太刀筋。
鞘師は"短い刃"で受けたが、衝撃を受けきって反撃に移ることは出来ず
流れのままに下がる。
手で着地した道重は逆さとなり、左足と先にある刃が水平回転。
逃げる途中の鞘師の肩口を掠める。
血の霧とともに、両剣士の距離が離れた。
鞘師の首筋には、朱線。
先ほどとは反対側の頚動脈の上の皮が切れて、血が滲んでいた。
肩口の服が切断され、血が零れる。
板張りの道場には、素足の道重が着地していた。
右手に日本刀を握り、左手に脇差しを下げる。


 「油断するかと思ってたけど、全然動揺がなかった。
 しかも完全に隙を狙ったはずなのに、それだけしか傷付けられないなんて。
 多分もう私にはキミを殺すことは出来ない。奥の手も全部使ってしまったから」
 「…いつまでその格好で居るつもりですか」
 「ああ、そういえばこの姿になってても意味なかったよね」

道重の口調が唐突に変わった。
当然だ、彼女は―― 道重さゆみではない。
この道場の形を模した"異空間"も現実世界ではない。
右手は"紅い刃"を握ったまま、鞘師の左手が上がる。
指先が自らの肩口から首筋を撫でる。
赤い血の滴が白い指先を染めた。

 「『水限定念動力』は液体や水素といった化学式であれば固体ですら操る。
 気体の水蒸気ですらもね。そしてキミは私を殺すために"血"を使った。
 『水軍流』の血を私に使った…それは、恨んでるって事かな」
 「けど、速度と角度は比べ物になりませんでした。
 水軍流というものがどんな剣技なのかを知らなければ、悟らなければ
 私はきっと、自分の"血"に負けていたと思います」

それは道重の形をした誰かに対する鞘師なりの畏怖と賞賛だった。
どんなに綺麗ごとを並べても剣術は「殺人術」。
それを前にして自身が生きるか死ぬか、結果は―― 多少上回ったに過ぎない。

自分はきっとまた、この"血"と異能力に魅入られてしまうのかもしれない。
"人を殺せるという事を学んでしまったから"。

鞘師は指先を濡らす血を振り捨てる。
両手で"紅い刃"を構え、刃の先に鋭角の美貌があった。
甘さが存在しない、刃の美しさ。


 「いや、もうやる必要はないよ。ちょっとね、試したかっただけなんだ」
 「試したかった…?」
 「キミは一つ年をとった。前のキミよりも水軍流を支える握力、腕力
 持久力、耐久力。反射神経に情報処理能力や脳は優れていくだろう。
 けどまだ甘さがある。この姿に傷一つないのがその証拠だ。
 それはこれまでの反動かもしれないけど、キミが今居る場所を
 死に場所と決めるなら、もっと強くなれ。もう過去を抱える必要はない」
 「貴方は…そうか」

鞘師は自らに道理を納得させるように頷く。
自身の手にあった"紅い刃"は傷口に沈み、まるで鞘に納めるように姿を消す。
道重の日本刀も小さく鞘鳴りの音を響かせた。

 「ありがとうございました。私はきっともう、迷いません。
 でも死のうなんて事も思ってません。私はたくさんのものを得ました。
 壁を作ってきた分、どうやら私は失うことを怖がってます。
 けど、だからこそ―― 大切なモノだと気付けました。
 また会うときはきっと、今よりもずっと信じられる自分になってますよ」

鞘師は振り返ると、"異空間"の出入り口へと歩き出す。
そこでもう一度振り返る。
其処に存在していたはずの道重は居なかった。
見慣れた少女と、傍らには『水軍流』の守り刀が転がっている。
黒塗りの鞘と黒染めの柄の其れは、まるで死に場所を探しているようにも見えた。


 ――――――

目が覚めた鞘師は一呼吸する。
あまりにも酷い夢だった、というのが第一印象。
おまけに寝不足だ。もっと眠りたかった。不機嫌になりかけて頭を掻く。
あの道重と対峙するなど考えたくも無いが、だがとても新鮮な気持ちだったのも事実。
現実世界の道重はとても優しい。
時々それが仇となっていろいろと大変な事にもなるのだが、それでも時には
頼りになる、尊敬しているリーダーだ。
だがあんなにもたくましさを感じるリーダーも良いな、と思ってしまったのも事実。

携帯を見ると、仲間からの誕生日メールが届けられていた。
これを返信するには時間がかかりそうなので、とりあえず学校の準備をしなければ。
夜にはあのお店で全員が顔を見合わせるのだろう。
今日は、今日ぐらいは甘えてみようか。
鞘師は潤む瞳で外を見上げる。
相変わらず世界は蒼かった。





投稿日:2014/05/28(水) 22:10:45.63 0






















最終更新:2014年05月30日 10:34