『リゾナンターЯ(イア)』 75回目




それまで規則正しく動いていた、デジタルの数字。
パソコンの画面上に映し出されていた、「実験」のあらゆるデータ。それらがまるで示し合わせたかのように、ぴたりと止まる。
数字はやがてありえない数値を弾き出し、計算式を飛び出し、画面をゼロの数字が埋め尽くす。ゼロ、ゼロ、ゼロ。

測定不能。

遠隔操作も一切受け付けない。
紺野は、遠く離れた研究所の共鳴抽出機械に致命的な事象が発生したことを悟る。

「どうやら実験は失敗に終わったみたいですね」

ドアのノックがないのは最早お約束。
紺野は無機質な二枚の硝子を訪問者へと向けた。

「ええ。予想以上にリゾナンターたちが活躍してくれたようで」
「相変わらずのポーカーフェイスですね。大失態とも言うべき事態なのに、顔色一つ変えてない」

里田まい。
ダークネスの幹部「不戦の守護者」に仕えていた、「神取」の最後の生き残り。
そしてその主君の首を狩った、反逆の刃。


「大失態、ですか」
「違います? 幹部の大多数を駆り出しておきながら、結局共鳴の力を手に入れることはできなかった。たとえ本来の目的が
『別にあった』とは言え、看過できる話じゃないですよねえ」

まいは既に巫女服を普段着に着替えている。黒を基調としつつもアクセサリで着飾った、派手な服装。おそらくこれが素の彼
女なのだろう、紺野はそんなどうでもいいことを考えていた。

「で、用件は」
「簡単なことですよ」

言いながら、まいが背中に手を伸ばす。
刹那、紺野の鼻先に薙刀の刃が突きつけられた。
武術の達人は、何もない場所から己の得物を取り出し扱う事ができるという。もちろん、異能力の類でもなんでもない。あく
までも相手に気取られずに武器を携行することができるというもの。

「沈みかけの泥舟からは、逃げ出さないとね」
「なるほど。随分変わり身の早い」
「共鳴の抽出に失敗したことに加え、あんたには『幹部殺し』の大罪があるからね。ここであたしがあんたを殺せば、反逆者
の始末という立派な功績ができる」

まいの目には、紺野は少しも取り乱しているように見えない。
ただ、それに対して何の疑問も持たなかった。
目の前の人物は、自分の死さえも客観的に見ている。それが科学者というものだと、まいは知っていた。


「さて。困りましたね。『黒翼の悪魔』さんは田中れいなとの激戦でオーバーホール中。『鋼脚』さんも私が襲撃されたという
公式情報に反して『ゲート』で呼び出すわけにはいきませんし」
「あの世であんたが謀殺した守護者と詐術師が待ってるよ」

まいが薙刀の柄に力を込める。
そんな折、紺野は。

「最後に聞かせてください。私を始末したとして、それがあなたの功績になるとは限らない。幹部の御付のあなた程度の発言
力が上層部に届くかどうかは多く見積もっても半々くらい。まかり間違えば、逆にあなたが追われる立場になる。そのことに
関しては、どうお考えですか?」
「…何を言うかと思えば。は、ははっ。あはははははっ!!!!」

刃先を紺野に突きつけながら、侮蔑の笑いを見せるまい。

「あんたからしたらあたしは所謂『おバカ』の部類に入るんだろうけどね。バカはバカなりに色々考えてるのさ。とあるコネ
を使ってさ。あたしの後ろ盾には『ヘキサゴン』がつくことになったんだよね」
「『ヘキサゴン』…島田翁の組織ですか」

かつて闇社会を支配する一角に存在した、島田カシアスという男。
彼が、莫大な資金と権力により作り上げた組織。彼の豪邸が上空から見ると六角形をしていることから「ヘキサゴン」と呼ば
れていた。

「万が一の時は匿ってもらえばいい。さしもの『ダークネス』もあそことやり合うのは骨が折れるだろうね」
「……」
「あんたみたいな頭のいい人間にはわからないだろうけど。あたしみたいな『おバカ』が上にいくためには、こういう方法が
あるってことさ。泥を被り、泥を啜って…温室育ちのエリートには理解できないだろう」

まいが言い終わるや否や、紺野がゆっくり立ち上がる。
そして、右の手のひらをまいに向けた。


「何の真似?あんたが何の戦闘力もないただの人間だってことは、こっちは百も承知なんだよ」
「確かに。私は非能力者、『でした』」
「…つまらないはったりはよすんだね。安いブラフで動揺すると思ったら」
「知り合いに、他人の能力を第三者に付与する能力者がいましてね」

それまで嘲りの表情を見せていたまいだったが。

「『高利貸し(システム・シャイロック)』。決して小さくない犠牲を払うことで、たとえ能力を持たない者でも、こうやっ
て能力を行使することができる」

部屋のコーヒーメーカーが前触れもなく、弾け跳ぶ。
飛び散った部品やら硝子の破片が床に砕け、黒い染みが床を汚した。

思わずまいは、紺野を睨み付ける。

「『赤の粛清』さんの能力。あれは素晴らしい能力です。確か、『起爆』という能力でしたか。こうやって、離れた場所にあ
るものを任意に破壊することができるんですから。もちろん…」

紺野が言葉を吐くごとに、部屋の中のものが爆破されてゆく。
床、壁、本棚のファイル。吹き飛ばされた書類が、紙吹雪さながらに宙を舞う。

「あなたの心臓も同じように。能力者ではないあなたの心臓に影響を及ぼすことなんて、簡単ですから」

舞い落ちる紙切れ越しに、まいが忌々しげに紺野を見た。

「苦し紛れの捨て台詞にしちゃよくできてるじゃない。けど、あたしは騙されない。あんたは手の内を見せすぎた。あたしは
少なくとも、そういう汚い手であんたが『不戦の守護者』を葬り去ってるのを知ってるんだからね」
「汚いとは心外だ。飯田さんに直接手を下したのはあなた自身じゃないですか。まあそれはそれとして。多分、あなたの薙刀
が私を貫く前に。あなたの心臓は爆破されますが」
「どっちが早いか…試してやるよ!!」


紺野が能力者だとして。
たとえ能力者としても、瞬発力は武芸を学ぶこちら側に一日の長がある。
要するに、相手が能力を発動する前に仕留めればいいだけの話。
自らの頭の中で早々に結論を出したまいは、一呼吸の間すらなく薙刀を引き絞った。
命を奪う一閃の突きが、繰り出される。

鮮血が辺りに撒き散らされる。
それと同時に、薙刀が滑り落ちる乾いた音。

「な…なぁ…ごっごぶっ!!」

まいは苦悶の表情を浮かべつつも、自らの体に起こった出来事を認められずにいた。
胸を襲う、心臓を引き裂かれたような激痛。こみ上げる血。
それらは紛れもなくまい自身の心臓が爆破された証拠だった。

「里田さん。あなたは、馬鹿なんかじゃありませんよ」

酸素が、意識が消えてゆく。
空を仰ぐように口をぱくぱくさせているまいに、紺野が近づき言った。

「救いようのない、大馬鹿です」

眼球が、ぐるんと上を向くのと同時に。
まいは、ばたりと倒れそしてそのまま動かなくなった。


「あなたは過ちを三つ、犯しました。あなたの心臓が爆破されたのは私が能力者だからではなく、空間裂開で肉体から避難し
ていたあなたの心臓を私が受け取った時に、細工をしていたからです。ちなみに周りの小爆発はただの爆竹ですよ。少し考え
れば気づけたでしょうに。それと、あなたが後ろ盾にしようとしていた『ヘキサゴン』。当の島田翁が闇社会から引退するの
に伴ない、解体されるらしいですよ。そして最後に」

紺野が話しかけている当のまいは、とうの昔に死んでいる。
馴染みの回転椅子に座り、倒れているまいを眺める。やはり死んでいる。
けれども、紺野は語りかけるのをやめなかった。

「実験は…失敗なんかしてませんよ」

誰も聞いてなくてもいい。
ただ、それだけは否定しておかないと。
紺野の科学者としてのプライドがそこにはあった。

しかしながら。
僅かな間に二度も自分の部屋で人が死ぬというのも、またおかしなものですね。

死んでいった人間に思いを馳せるのもつかの間、紺野は自らが壊したコーヒーメーカーを新しく購入すべくネットショッピン
グのサイトを開き始めた。





投稿日:2014/05/09(金) 00:57:50.38 0

























最終更新:2014年05月09日 11:25