影法師の夜~目に映るもの、そこから感じるもの、伝えたいもの~



 一日を終え、久方ぶりにすら感じる政庁の自室に影法師は戻ってくる。
 一人身のうえに出戻りである彼に、一戸建てのようなたいそうなものは当然なく、登庁するにも楽だということで政庁の空いてる部屋を借りて数年。
そこは既に彼のテリトリーと化している。
 美しい木目をした壁に同化するような木彫りの本棚から溢れ、床に積み重ねられたいくつかの本の山を書き分けて彼は自分の机に向かう。

 そう、影法師は藩国政庁の人間であると同時に、秘宝館を中心に活動している文族でもある。
 仕事こそ終われど、彼の一日はここから始まるといってもいい。

 机の上に積まれた、買い溜めした原稿用紙の中から無造作に、まだ何も書かれていない一枚を引き抜くと、彼は胸ポケットから取り出す。
枝折代わりにはさんでいた安物のボールペンを抜きながら、日焼けしたメモ帳の一番新しいページを開く。
 そこに書き留められているものは、仕事中に思いついたネタの数々だ。
 このデジタルの時代に何故アナログ、と思われがちだが。それにはちゃんと理由がある。
 普段なら携帯電話でメモを取るほうが楽なのだが、人前に立つ場合も少なくない以上、おいそれと携帯電話を使うわけにもいかない。
その点メモ帳ならば体裁的な問題もほとんどなく、むしろ左右のページに情報を書き分けられるおかげで仕事への影響もまったくなければ、
書き取ることで頭に叩き込まれるしと、圧倒的に優れていた。
 メモ帳に箇条書き――いや、ただ書き殴られた単語の数々を眺めながら、影法師は頭の中で言葉のパズルを組み上げていく。
 そういえば聞こえはいいが、要はその言葉を使うためのかっこいいシチュエーションを考えているだけに過ぎない。
彼は一日のうちでこの時間こそが最大の疲労を覚える時間であり、最高級の至福を感じる時でもあるのだ。

 しかし、出来はともかく、書くことよりも嬉しく思える時がある。
 作品に感想をくれたとき、寄贈したものを喜んでくれるとき、指摘してくれたとき……。
 例を挙げればきりがない。とにかく、誰かが自分の書いたものを読んでくれたときが、彼にとって最も嬉しい瞬間なのだ。

 ……もっとも、名前の通り日陰者の彼は、作り笑顔で言う感謝の言葉でそれをごまかすのだが。

 赤、青、橙、桃に金。
 色とりどりの言葉を書き綴った原稿用紙の上にペンを置き、仕事……いや、趣味の一環とでも言うべきそれを終了してベッドに身体を投げ出す。
 あまりベッドで寝ることがないせいか、硬さの残るマットレスの感触を感じながらごそごそと毛布を被って明かりを消して枕に顔を沈めた。
 明日もまた、朝から暇無しだろう。
 それに異があるわけではない。人が戻れば読み手も増える……かもしれない。最低限、可能性は増える。
 藩王や摂政に比べれば酷く不純な動機かも知れないが、気合を入れるには十二分だ。
 多くの人を見たい。多くの人の心を聞きたい。多くの人の笑顔に会いたい。
 いつか、もっと上のステップへと登れるように。