なおす者、その始まり





 玄霧藩国の医師と整備士。
 玄霧藩国の医師として有名なマッドサイエンティスト(厳密に言ってしまえば治療行為はついていないが、玄霧藩国のマッドサイエンティストは治療が可能である)は、整備と医療の両立が可能な職業として知られているが、彼らの源流というべき、医療と整備を両立した存在は、藩国建国当初から存在していた。
 当時としては高い治療能力と整備能力は、戦闘の役にこそ立たなかったが、その存在した意味は、後に皆の知られるところとなる。




たすくるもの


もし、あなたの目の前に、何種類もの力があって。
その中からどれかだけを選べといわれたら、あなたはどれを選びますか?

 人の言う『力』には無数の定義が存在し、それらのもつ価値もまた、人それぞれによって異なる。
 それは剣をもて切り結ぶ力かもしれないし、
 魔法によって炎を起こす力かもしれないし、
 あるいは機械を自在に操る力かもしれない。


 これは、玄霧藩国の選んだ力がたまたま『なおす力』であっただけという
 だが決してそれだけでは終わらない、そんなお話である。




なおす

 医師と整備士。生身と機械という違いこそあれど、両者に共通する性質として、なおす能力を持っている事が挙げられる。
 どちらの技術も根幹は同じ。『構造を理解して、問題部分に手を加え、機能を改善する』事を指して「なおす」と言うのだ。
 メスをもって病巣を切開することも、スパナとレンチによって老朽化した部品を交換することも、薬を処方して風邪への対処法を教えるのも、全て同じ。
 そこには、必要な知識分野の違いしか存在せず、そしてその両方を習得しているのが、玄霧藩国の医師と整備士達であった。


病院にて白衣を纏うもの達が振るうメスも、

整備工場にてツナギに身を包むもの達が掲げるレンチも、

 その存在意義は共通している。目的意識が統一されているからこそ、見えてくるものもある。
 目指す頂があるからこそ、伸ばした手が掴むものもあるのだ。
 そして、そんな彼らが掴んだものに、こんなものがあった。


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 『理想再現(イメイジング・グローリー)』
 その言葉を、今でも覚えている玄霧藩国人はそう多くない。
 かつては医師であり整備士である彼らと、その能力を指し示していた言葉である。技名と言い換えてもいい。
 理想を再現するもの。栄光の体現者。
 輝かしい文言であるこれらは、確かに彼らを称えるものではあったがしかし、決して彼らの天才性を意味する言葉ではない。
 才能と言うものも間違いなくあろう。だが、数ある中で万人に許された才能はただ一つ。
 その名を、努力と言う。
 特別でなく、ただ地道に、ひたむきな修練が、考え付く最高効率の動きを体現してみせるまでに技術を磨きぬく。
 遠き果てない理想に手を伸ばし、求め続けあがき続けたからこそ、掴み取った栄光。それが彼らの技であり、誇りなのだ。
 だから、誰しもがその言葉を忘れ去った今でも。その誇り、その志が彼らの胸に息づいている限り、理想は再現され続ける事になるだろう。
 過去から現在に、やがては未来へ。




だから、と、そして

 彼らの歩んできた道程は、決して優雅で栄光に満ちたものなどではない。
 古くはそもそも出撃の機会がなく、医療能力が求められる機会もなかった。誰かの役に立つこともなく、ただ別の『力』を持った者が活躍するのを横目に見ていた。




 やがて、死者が出始めて、存在を求められた。

 戦場で死に掛けた者の息を吹き返す。

 それが、主な役割になった。

 戦場で控え、被害がなければ待機で終わり。

 誰かが死んだときのための、保険。




 「医師は仕事がない方がいい。少なくとも、戦場では」

 その心に偽りはない。

 だが、死と向き合う事しか出来ないという事が歯痒い。

 そう、当時の医師達は語っている。


 それでも。幾多の人々の願いと声を力に代えて、誰もが諦めるような難手術を成し遂げ、数多の人々の命を救ってこれたことを、彼らは正しいと信じているのだ。
 戦争である以上、多かれ少なかれ犠牲は出る。ならば、出てしまった犠牲をどれだけ減らせるかが彼らの戦いであり、それこそが求める『力』なのだということ。
 あの時選んだ『力』が、決して間違いではなかったのだと信じて、彼らは医療に、修理に従事し続けている。


     


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「私はまだ、歩き続けることが出来ています。
我々の土台を築いたあなたに、恥じることがないように。
だから、また、いつか」

――差出人不明の手紙