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(1963年) 手塚治虫原作の漫画をもとに日本初の連続TVアニメ(当時の言葉で「テレビ漫画」)として制作され、常時視聴率20~40%台を誇る大人気番組となった。1966年末の最終回はアトムが地球を救うためにミサイルを抱えて太陽に単騎突入するという神風特別攻撃隊をイメージさせるエピソードで締めくくられており、放送を見た全国の児童に大きな精神的影響を与えたという(なお、この最終回はアメリカ放送版ではカットされた)。 2005年に放映され一部で名作の評がある『SoltyRei 』(ソルティレイ)には鉄腕アトムのモチーフが垣間見られる。 |
野獣先輩
(1974年) 宇宙空間を舞台とした戦闘・メカ系アニメの金字塔であり、1977年の劇場版の大ヒットにより空前のアニメ・ブームを巻き起こした名作である。そして大東亜戦争末期の戦艦大和の沖縄特攻作戦(菊水作戦)を直接のモチーフとする点でも特異な位置を占める作品である(宇宙戦艦ヤマトは、坊ノ岬沖に横たわる大昔の戦艦・大和の残骸を隠れ蓑にして建造され、沖縄ならぬイスカンダルを目指して単艦で出撃する、という設定となっている)。終戦からまだ29年、沖縄の日本復帰からまだ2年しか経っていない時点でのこの放送内容は相当に刺激的であったはずであり、敵のガミラス帝星がアメリカよりはナチス・ドイツをイメージさせる描出となっているところもまた興味深い。 2012年~13年にかけて現代風にストーリー改変したリメイク版 が制作され、劇場公開・TV放送された。 ※なお後述の■4.補論:80~90年代アニメの左翼汚染について も参照(当ページがなぜ「ガンダム」「ナウシカ」を名作と評価しないのかを説明しています)。 |
なななななななななな
(1985年) 魔法少女アニメは1966年の「魔法使いサリー」を初めとして数々の名作が作られてきたが、この作品は完成度において一つのピークを達成するとともに魔法少女アニメというカテゴリー自体を半ば破壊したと評される。すなわち、この作品は、魔法の力でいつの間にかマジック劇団のアイドル・スターに祭り上げられてしまった少女が、やがて魔法ではなく自分の力で憧れのマジシャンへの道を進む決意を固めて妖精に魔法の力を返却してしまう、という異例の展開を、少女の心境の緩やかな変化という一種の心理ドラマとして構成して、従来の魔法少女アニメより一歩も二歩も高い境地に達してしまった。 これ以降の魔法少女アニメは、男児向けの戦闘アニメとさほど見分けのつかない戦闘美少女系アニメ、ないしはマジカル・エミのようなノーマル系の魔法少女をモチーフとしたパロディ的な作品ばかりが制作されるようになってしまったという。 |
新世紀エヴァンゲリオン
(1995年) それまで顕著に存在した男児向け・女児向けといった性別カテゴリーや、アニメは子供向けのものといった固定観念を破壊したアニメ史上空前絶後の問題作。一応は戦闘・メカ系アニメの顔をしているが、むしろ主人公と周辺人物たちの心理劇という側面が世界の破滅という悲劇と相俟って視聴者に強くアピールし、「セカイ系」という新たなアニメ・カテゴリーを創出したとされる。 21世紀に入ってもストーリー改変したリメイク版劇場アニメ が数年置きに制作・公開されヒットし続けている。 |
カードキャプターさくら
(1998年) NHK放映アニメ史上最高額といわれる潤沢な予算を掛けて制作され、深夜アニメとは桁違いの数の視聴者に愛されかつ影響を与えたこのアニメは、TV全70話+映画2作という長編でありながら、シリーズ構成・脚本・作画に殆ど綻びが見られず、上で紹介したマジカルエミなどの先行する魔法少女アニメのモチーフを踏まえながら 、主人公である少女の2年半に渡る緩やかな心の成長を描き切って飽きない。 このアニメの本来のターゲットとされる視聴者層(つまり小学生達)は、心の正しい女の子は(そして勿論、男の子は)このように感じ、また振る舞うのだ、ということを知らず知らずのうちに心の裡に感じ取ったはずであり、現在もなお男女を問わずこの作品を最愛のアニメに挙げる人が絶えない。 もしこの作品を絵柄だけ見て「萌えアニメ」と切り捨てるとすれば、それは大きな勘違いであろう(なお、このアニメの放映が終わった2000年頃から「さくら」と命名された新生児が急増 し現在までその趨勢が続いているという)。 |
涼宮ハルヒの憂鬱
(2006年、2009年) 2006年春の時点で、①シリーズ構成・脚本、②演出、③作画、④楽曲・声演のいずれを取っても当時としては異例に高い完成度をもって制作・放映され、現代アニメの方向性を決定づけた傑作。 それまでのアニメが、世界や人類の平和、ないしは主人公の心の葛藤といった大袈裟なテーマを勿体つけて視聴者に語りかけていた(語りかけられる側には日蔭者意識=オタク意識がまとわりつくのが常だった)のに対して、この作品は何よりも「視聴者を楽しませる」というエンターティンメント性の高い内容にシフトして構成されており、そのためにリア充(リアル生活も充実している人)系ラブコメの代表作とも評されることになった。 2006年放送版は内容がシャッフルされておりストーリー展開が掴み辛いので、2009年放送版(再放送&完全新作)+映画『涼宮ハルヒの消失 』(2010年)の視聴をお勧めする。 |
ガールズ&パンツァー
(2012年秋) 女子高生が戦車に乗り込みスポーツ・バトル!の馬鹿馬鹿しい設定と思わせておいて、話が進むほどに少年漫画の王道的展開を見せる熱血“神”アニメ。構成に一切無駄がなく、登場するほぼ全てのキャラクラーが各々個性的な魅力を放っている点、そして何よりも毎回何故か視聴者に幸福な満足感を与えてくれる点でも稀有な傑作。 |
とらドラ!
(2008年秋) 作品の半ば(第13話辺り)までは月並みな学園ラブコメと思わせておいて、そうして張った様々な伏線を、第17話以降~最終話(第25話)までの最後の1/3で見事に回収しつつシリアスな恋愛と友情の相克劇を爆発的に描き出す現代版『感情教育』。アニメにここまで説得力の高いリアルな恋愛感情の表現が出来るとは正直思わなかった・・・。不覚でした。 |
魔法少女まどか☆マギカ
(2011年冬) 使い古された“魔法少女”というファンタジー設定を逆手にとって、視聴者をまんまと哲学的思索へと誘い込んでしまう、①原作プロット・シリーズ構成・脚本、②演出、③作画、④楽曲・声演 の全てに亘って完璧な出来映えの傑作(※内容紹介動画 )。 なお、余りに本作が傑作すぎたせいで果たして筋の通った続編が可能か危ぶまれていた2013年10月公開の新編「叛逆の物語」 も脚本・作画とも予想を上回る濃密かつ精緻な仕上がりで当シリーズの圧倒的魅力を改めて認識させるものとなった。 |
けいおん!
(2009年、2010年) (1)~(3)と違い、アニメの物語(ロマン)としての側面は敢えて抑えて、平凡な学園生活を題材としつつ作品の技術的洗練度を最高度に高めた傑作。メイン・デッシュが出てくるわけではないのだけれど、少しずつ味わっているうちに、じわじわと美味しくなって何杯でもお替りしたくなる感覚はまるで日本料理? |
THE IDOLM@STER(アイドルマスター)
(2011年夏) 2013年初めに、NHKラジオ番組で、事前選考を経て対象を10名に絞ったうえで行われたアニメ・ヒロイン人気投票「わたしの大好きなヒロインたち 」で、上記の魔法少女まどか☆マギカ(暁美ほむら、鹿目まどか)や、けいおん!(平沢唯)、さらにはカードキャプターさくら(木之本桜)、涼宮ハルヒというアニメの世界では超有名なヒロイン達を差し置いて、全体投票の44%を獲得して第一位に選ばれたのは、このTHE IDOLM@STER(アイドルマスター)のヒロインの一人、天海春香だった。 ヒロインといっても、同作品はある芸能事務所に所属する12人の少女達のアイドルとしての成長を一種の群像劇として描いており、天海春香はその中の一人、むしろアイドルとしては最も地味で控えめな役としてしか描かれおらず、最終3話で人気アイドルとして個々に輝き始めた少女達の結束の要(かなめ)としての地味な貢献にようやくスポットがあたる仕掛けとなっている。 いわゆる萌え系の絵柄のアニメであることに加えて、アイドル成長ものという題材であることから、ゲーム原作のこの作品の良質なアニメ化には相当の困難があったはずだが、そこを奇をてらわず淡々と個々の少女達の成長エピソードを積み上げながら、ラストを“少女達の原点”そして“絆”の確認で締めくくる手法は、やはり見事であると云うべきであろう。 東日本大震災の起こった2011年は、実は「魔法少女まどか☆マギカ」、「STEINS;GATE」、「あの日みた花の名を僕達はまだ知らない」といった名作アニメが次々と制作・放映された年であり、震災とこうしたアニメ品質の突然の向上とに特に因果関係はないのかも知れないが、「THE IDOLM@STER」もまたそうした特別な年の雰囲気を背景に幾人もの才能ある人たちの秘められた熱意によって生み出された作品であるように受け取ることは可能であろうし、また前記のNHK番組でエントリーされた10人のヒロインの中でも一番地味な役割の少女が圧倒的多数で「わたしの大好きなヒロイン 」に選ばれたことにも何かしらの必然があるように見ることもできるだろう。 私はこの作品を視聴しながら、「アニメは本当に下らないのか?」という自問を何度も繰り返さざるを得なかった。 |
化物語
(2009年) 化物語を第一作とする《物語シリーズ》は2013年現在もセカンド・シーズンが放映中の、表現技法に関して実験色の非常に強いアニメであり、ストーリー自体も予想の斜め上に走る場合が多くエンターティンメント性の高い作品に仕上がっている。 |
STEINS;GATE
(2011年) 作中に若干の無駄・無理展開があるため残念ながらS級認定から外したが、想定科学ADVの謳い文句に恥じない良作である。特に厨二病(中二病)の自覚症状のある人にお勧めかも? |
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Angel Beats!
(2010年) ストーリー展開に粗も目立つが意外な感動ポイントも多い良作。テーマとしては「涼宮ハルヒ」等のエンターティンメント一色の学園コメディとは違って、各々の登場人物たちが自分の人生の意味を真剣に問う部分も確り描出されている変則的構成となっており、また動画にある女性バンド Girls Dead Monster(ガルデモ)が奏でる様々な楽曲も併せて楽しめる作品である。 |
コード・ギアス
(2006年、2009年) 長編の戦闘・メカ物としては珍しくマンネリではなく常に次話が気になる良作。 不死の美少女から「絶対遵守の力」ギアスの能力を授けられた神聖ブリタニア帝国元皇子ルル-シュが、日本人レジスタンスを糾合して、母を見殺しにし自分と愛する妹を政略の道具として利用した憎き父シャルル皇帝に挑む、という貴種復讐譚に加えて、学園ラブコメの要素まで備えた、非常に幅広い範囲のアニメファンが楽しめる作品となっている。 一般に戦闘・メカ物の代表作とされる「ガンダム」にあるような変に気負った反戦・平和主義的な主張、あるいは「とにかく話せば分かる」的な無根拠な発想の刷り込みが無いところも良い。 |
ひぐらしのなく頃に
(2006年、2008年) ストーリー的には十分にA級レベル(少なくとも一見の価値のある作品)に該当するが、しばしば作画崩壊を起こしてしまったり、登場人物間のどうでもいいギャグの応酬でせっかくのストーリーが中断されてしまう、といった難点が目立つため残念ながらB級(キラリと光る箇所のある作品)とした。 しかし他のアニメ作品ではなかなか味わえない異様な恐怖感・緊張感を経験できる稀有な“怪作”であることは確かだ。 |
魔法少女リリカルなのはA's劇場版
(2012年夏) 萌えアニメの外見をしていながら、実は正義と勇気を真正面から描き出す燃える快作。魔法少女まどか☆マギカ以上に強い偏見を持たれそうな作品であるが、構成に無駄が多く作画も古いTV放送版 (2004年、2005年、2007年)ではなく、それらのリメイクである劇場版第一作(2010年)、そしてこの劇場版第二作を先ず見ると良いと思われる。 |
true tears
(2008年) この作品は作画・演出・音響とも地味であり、ストーリーも今ひとつ不明瞭で、無理な設定も幾つか目立つほか、ラブコメ的な要素も皆無に近い(第一話だけで視聴を切られそうな作品である)。だからこの作品を名作と呼ぶ人はあまりいないだろうし、当サイトの評価もB級(部分的に光る箇所のある作品)に留まっている。 しかし、ただ一つ、この作品に描かれている高校生たちの揺れ動く恋愛感情ないしそれに関連する様々な心の動きだけは、実にリアルであって、作り物の域を超えていると思う。 アニメでこのような複雑・微妙な恋愛心理の揺らぎを真正面から描いた作品としては、S級(何度も見返す価値のある作品)欄に挙げた「とらドラ!」と本作くらいしか私には見当たらない。そして、その両作品が女性の原作になるものだという点にも留意が必要である。正直に言えば、本作品も「とらドラ!」も女性の側の心理描写は真に迫っており圧巻なのだが、男性の側の心理描写には幾分かの違和感が残る。しかし、その点を差し引いても、本アニメは恋愛心理のリアルな動きを追った稀有な作品と評価し得ると思う。 |
CLANNAD(2007年)、CLANNAD After Story(2008年)
このアニメは非常に根強いファンを持つ作品であり、色々なサイトで恋愛アニメの代表格と紹介されているが、実際には夫婦愛・家族愛が中心テーマであって、もしこの作品に感動ポイントがあるとすれば、それはその点だと思う。 このアニメの第一期(CLANNAD)には可愛い絵柄の少女が多数登場して各々主人公の男性と絡むが、前述の true tears や「とらドラ!」などのように友人や恋人たちの間の複雑な恋愛心理の軋みが説得力をもって描かれているわけではなく、単なる恋心の躊躇い・恥じらい、もしくはご都合主義的な事件の発生ばかりが延々と続くだけであり、美しい部分も醜い部分も含めてリアルな・納得のできるような恋愛感情の描写を期待して視聴すると完全に肩透かしを喰らってしまう危険が高い。 その上この作品は第一期・第二期の本編だけで44話もあり、しかも夫婦愛・家族愛というテーマに沿って話が大きく動き出すのは第二期の第16話からなので、それまではひたすら忍耐が必要となる。評判につられてこのアニメを新規に視聴する方は注意されたい。 |
花咲くいろは
(2011年春) 上記の true tears と同一の制作会社(P.A.WORKS)・同一のシリーズ構成(岡田磨里)であり、true tears が富山県南砺市を舞台としているのに対してこの作品はお隣の石川県金沢市の温泉街を主な舞台としており、典型的なご当地アニメとなっている。 また true tears は全13話で高校生達の恋愛感情の描写に焦点を絞っているが、この作品は全26話と余裕のある回数となっており、主人公の女子高生が祖母経営の旅館に住み込んで仲居修行を経験し次第に自分の将来の夢・目標に目覚めていく様を中心としつつ、周囲の友人や先輩・祖母さらに東京に居る男友達・母親らとの交流を丁寧に綴る構成となっている。 この作品はどの回も脚本・演出・作画とも高いレベルに統一されており本来ならばA級(少なくとも一見の価値のある作品)にランク付けしてもいいほど高品質なのだが、主人公の女子高生および彼女を取り巻くサブキャラがすべて本質的にはどのような環境であっても生き抜いていける健全さしか持ち合わせていないために「とらドラ!」のヒロインたち(逢坂大河および櫛枝実乃梨)のような「ガラスのハート」と形容される繊細さ・脆さを描写するに至っておらず、その点で残念ながら作品に幾分深みを欠く結果となっている(なお「とらドラ!」も岡田磨里氏のシリーズ構成だが原作は竹宮ゆゆこ氏のラノベなので、その点で作品の性質に違いが出ていると思われる)。 なお、主人公の女子高生の母親とTV版には登場しない父親との出会い等を描く劇場版花咲くいろは HOME SWEET HOME も併せて見ると作品世界をより良く理解できるようになる。 |
俺の妹がこんなに可愛いわけがない
(2010年秋、2013年春) 自分の兄貴を好きになってしまう少女の話は色々あるが、妹側は気づいていないが実は血のつながった兄妹ではない(お兄ちゃんだけど愛さえあれば関係ないよねっ )とか、本人たちは実の兄妹ではないと知っているが兄貴には心に決めた恋人がいて妹は「負けヒロイン」になってしまう(ソードアート・オンライン(ALO編) )といった月並みな結末に大抵は終わってしまう。 しかし本作品のヒロインは、3歳年上の兄貴を恋い慕っていた小学生時代に、兄貴と幼馴染で同級生の「兄貴を自分から奪い兄貴を変えてしまった」憎い眼鏡っ娘の中学生(=こいつがラスボス!)に「兄貴に恋してる妹なんて気持ち悪いだけ」「妹は兄貴と結婚できない」と釘を刺されて、それでも思いを絶てずに「どうしたら駄目じゃなくなるのか」未来の自分に懸命に問いかけるメッセージを遺す。今のこの思いを決して無くさないために・・・。 OPに当時まだニコニコ動画に投稿していたClariS(このあとすぐ魔法少女まどか☆マギカ のOPでブレイク)を起用したり、背景画や小物などのディティールが雑だったりと本作品はどちらかといえば低予算で制作された部類と思われる(特に第1期)が、原作と脚本が優秀だったためか「あにこれ」の総合得点ランキングでは42位に過ぎないのに「お気に入り登録者数ランキング」では11位 という人気作になってしまった。 美少女で頭も良くスポーツも万能なのに何故か「妹ゲー(エロ・ゲーム)」オタクの妹に軽蔑され邪険にされても結局いつも彼女を助けてしまう兄貴の「実は良い奴」ぶりにばかり話が流れてしまう第1期+第2期の12話まではまだ月並みな「ツンデレ込みのハーレム系アニメ」に見えるが、妹側の事情が次第に明らかになっていくTV放送最終話~TV未放送(WEBのみ配信)ラスト3話で一気に話がブッ飛ぶ。 秋葉原オタク文化を非常に詳細に解説している点も含めて、この奇抜なストーリー展開はアニメでなければ不可能だろう(肯定的な意味で)。ラスト3話をWEB配信だけにしたのも納得である。 |
やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。
(2013年春) 子供時代からずっと「ぼっち(一人ぼっち=友達がいない)」で、最早「ぼっちのサバイバル哲学」まで体得している高校生が、指導教師に強制されて入部した「奉仕部」で部に持ち込まれる様々な問題を部員の少女たちと協力しながら解決していく過程で彼女達との心の交流を深めていく、という物語構造は、後述の月並アニメ(C級)欄で紹介する『僕は友達が少ない』と似ており、こうした「ぼっち」の友達づくり・恋人づくりをテーマとした物語を「残念系ラブコメ」と呼ぶそうである。 しかしこの作品の登場人物達の思考パターン・行動パターンは、コメディ要素が強く楽天的な『僕は友達が少ない』のものとは大きく異なり、非常に現実的でシリアスなものとなっている。 特に主人公の少年は、周囲の人物達の思考や行動を先回りして読むとともに、問題解決のために自ら憎まれ役を買って出て、しかも何の報酬も期待しないという特異な行動を常としており、そのために周囲の大多数の人たちからは誤解されるが、「奉仕部」部員の少女達や指導教師からは次第に好感を持たれていくことになる。 おそらく今後のストーリーは、性格の対照的なこの2人の少女と少年とのかなりシリアスな友情と恋愛感情の相克劇に発展していくものと思われるが、原作ラノベがまだまだ未完なのでアニメ第2期が始まるのはかなり先になるのかも知れない。 |
ソードアート・オンライン
(2012夏) ガールズ&パンツァーが放映されるまでは2012年の一番人気アニメと思われた作品。ストーリー・脚本・演出・作画ともそつがないが、その分インパクトも不足気味なのが残念。 しかしこの水準の作品が「月並アニメ」という評価になってしまうところに現代アニメの水準の高さが如実に現れているともいえる。 同一原作者のアクセル・ワールド もやはり仮想世界と現実世界の交差を描いたもので一部に人気がある。 |
Fate/Zaro
(2011年、2012年) 大作風の造りで視聴者を大いに期待させ、実際にも脚本・演出・作画とも相当な水準にあるが、作品テーマが確りしていないためにシリーズを通して視聴し終わると何故か余り心に響かない一寸残念なタイプの作品というものがある。この作品はそうした失敗作とまでは言えないにしても製作者側の商業的あざとさを視聴者に見透かされたのか今ひとつ盛り上がらない作品となってしまった。 なおFateシリーズには他に時系列的にはZeroの続編となる Fate/Stay Night や、平行世界で登場人物(画面の銀髪の少女)が魔法少女となってカードを集めるFate/Kaleid Liner プリズマ☆イリヤ がある。 |
とある科学の超電磁砲
(2009年、2013年) Fate/Zero とは逆に学園都市における女子中学生の視点という比較的狭い舞台に立ちながらも、コメディ要素を交えて軽快に超能力者同士のバトルを描いて好評を得たシリーズ。実はこの作品はとある魔術の禁書目録 から派生した外伝であるが御坂美琴と彼女のSistersに注目が集まり本編よりも人気がでてしまった。 |
これはゾンビですか?
(2011年、2012年) 魔法少女や学園コメディの色々な要素をパロディ化してお気楽に組み合わせた支離滅裂な内容だが、第一期の第1話だけは傑作といってよい出来。 |
中二病でも恋がしたい
(2012年秋、2014年春(予定)) 中二病癖のせいで中学時代を「ぼっち(友達いない=一人ぼっちの略)」で過ごしてしまい高校進学を機にこの恥ずかしい悪癖を完全放棄しようと決めていた少年が、入学早々なぜか過去の自分と同じ症状の少女に付きまとわれてしまい、気になる美少女やクラスメート達に自分の過去がバレないかヒヤヒヤな毎日を送る羽目に。 上記の「俺の妹が・・・」に比べるとストーリー自体は今ひとつ捻りが足りないが、作画も演出も緻密で登場人物たちの感情表現にも無理がない。 サクサクと次話を視聴したくなるサスガの面白さに加えて、最後にちゃんと“中二病でも恋していいんだよ”という好意的メッセージを届けるところは、やはり京アニ作品はクオリティ高いと思う。 2014年早々に始まる第2期でも果たしてこのクオリティを維持できるのか注目したい。 ちなみに動画にある少女の眼帯は(11eyes やコードギアス でお馴染みの)「邪気眼」を封印するため必要なもの(笑)であるが、本作品の登場人物たちにはこのような特殊能力は一切ない。 |
僕は友達が少ない
(2010年秋、2013年冬) メディアファクトリーが新たに生み出した独自のアニメ構成は、こちらが初作品。いたいけな面もあるが、実はラブコメも意識して製作してある。2011年10月と2013年1月のNEXTがあるが、動画はNEXTのもの。 |
あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない
(2011年) 涙腺崩壊続出の感動アニメ。作画・演出・楽曲の各レベル共とても高いが、脚本が予定調和的すぎて物語としての意外さ成分が不足しているのがちょっと残念。でも素直に感動できる良質なアニメであることは確かだ。 |
宇宙戦艦ヤマト2199
(2012~13年) 右は■2.アニメの古典 欄でも紹介している、1974年TV版制作・1977年劇場版公開で空前のアニメ・ブームを巻き起こした往年の名作「宇宙戦艦ヤマト」の劇場版リメイク作品である(但し現代風にストーリー改変あり)。 この作品は右動画にあるとおり2012年から2013年にかけて全7章が順次制作されほぼ3ヶ月置きに劇場公開されたが、最初は公開館10と非常に小規模であったものが盛況を得て、12館さらに16館へと次第に公開館数を増やしていき、さらに劇場版を元にしたTV版の放映が決定し、それも好評を得て2014年度の完全新規作となる続編の制作・公開が決定している。 ただこの作品を一見して気づくのは作品のクオリティの高さに比較して新聞・TV等の既存マスコミで話題にされるケースが非常に稀(というよりほぼ皆無)である、という点である(①ガンダムや②ジブリ作品に対するマスコミの持て囃し具合と比較してみるとよい)。 これは要するに左翼が根強いマスコミとしては旧日本海軍の旗艦やその沈没に至った作戦行動(沖縄救援作戦)を連想させるアニメ作品は極力国民の目から遠ざけたい・無視したい、ということであろうが、実はこの点に関しては今から約40年前の初代「宇宙戦艦ヤマト」の場合も同様であったそうで、当時のTV版は児童アニメの名作「アルプスの少女ハイジ」の裏番組という扱いを受けて放映期間短縮(実質的に打切り)となり、3年後の劇場版も当初は僅か4館の小規模公開 でしかなかっものが劇場前に長蛇の行列が自然発生してしまうなど草の根的な人気が出て公開館が全国に広まり大ブームになったとされる。 ネットの無かった1970年代~90年代前半は新聞・TVなどで左翼的言論が横行していたことは有名だが、アニメの世界でも1977年以降のヤマト・ブームに対して、これを「ナショナリズム」復活の兆候と警戒する左翼陣営から組織的な反撃が行われたと考えることは不思議ではないはずである。 具体的にいうと日本人を主人公とする「自衛戦争」の体裁を守っていたヤマトに対して、無国籍な登場人物達が「そもそも戦争行為そのものが悪である」「とにかく攻撃側と心を開いて話し合えば万事解決する」とする結論に特に論理的必然性もなく安直に到達してしまうストーリーの作品が、主に、①ガンダム系作品、②宮崎駿「風の谷のナウシカ」などスタジオ・ジブリ系作品の二大系統で量産され、マスコミの全面的バックアップを受けて“人気アニメ”に仕立て上げられてしまう、という現象が恒常化してしまっていたのである。 この問題の悪影響は現在も深刻で、例えば「アニオタ保守本流」を自称する古谷経衡氏 までが未だに①ガンダム・②ジブリ作品を称賛しているという残念な結果となって現れている。 このような本末転倒な現象はそろそろ終わりにしたいものである。 |
① | 2006年以降放映の現代アニメであること、 |
② | 比較的低年齢層ないし低リテラシー層から評価ないし無視されているために作品の実際のクオリティに対して過大評価となっている又は過小評価となっているおそれが高い作品については各々評価を補正すること、 |
(1) | “アニメの基礎知識”のページへ意見、それとTPPのこと | cancerkiller173のブログ『AD173丁目』様 |
(2) | つまりアニメを毛嫌いする者こそサヨク精神の持ち主だったということさ | 同上 |
(3) | ネトウヨ「ガルパン、とらドラ、まどマギ、けいおんはS級愛国傑作アニメ。ジブリは反戦左翼D級アニメ」 | 2チャンネル・ニュース速報(嫌儲板) |
(4) | ネトウヨのアニメ考察サイトwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww | 2チャンネル・雑談系(ハロプロ板) |