ルソー革命思想の正体

「御先祖を、畏れの心をもってひたすら愛していたならば、1789年からの野蛮な行動など及びもつかぬ水準の徳と智恵を祖先の中に認識したことでしょう。
・・・フランス人を目して時代遅れの国民、1789年という解放の年まで惨めであった、生まれの賤しい奴隷的国民と見なす、などという選択をすることもなかったでしょう」

エドマンド・バーク『フランス革命の省察』(1790年)

<目次>



■このページの目的

  • 日本において、戦後長く、社会科学の分野で暴威を振るったマルクス主義思想は、1989-91年のソ連・東欧諸国の共産主義体制崩壊で、完全に勢いを喪失しました。
  • しかし、マルクス主義思想の母胎となったジャン・ジャック・ルソー『社会契約論』に見られる革命思想は、現在でも学校教育で学童・学生に無意識のうちに刷り込まれ続けています(中学生の歴史教育から文系大学生の社会思想・政治思想科目まで、ルソーとフランス革命を無批判に賛美する傾向が強い)。
  • いわゆる「左翼」といわれる人たちのうち、
  1. 現在でも残存する真正の共産主義者(マルクス主義者)は、もはや救い様のない確信犯的な人々であるとして、
  2. このルソーを起源とする革命思想に取り憑かれた人々は、まだ洗脳を解く余地があると判断できるのではないでしょうか。
    • もっとも、進歩派知識人といわれる人々や、鳩山由紀夫・加藤紘一など「リベラル左翼」政治家などは確信犯の域に達しており救い難いと思われます。
  • このページでは、こうしたルソーの革命思想の正体を、フランス革命の海外での一般的な評価も踏まえて詳解し、戦後日本で行われ続けている「革命教育」の残滓を完全に払拭することを目的とします。
  • 但し、このテーマはルソー流の「人権思想」「社会契約説」に深く侵されている「日本国憲法」の是非の問題(そして戦後の法学界の異常性の問題)に直接絡む遠大なテーマでもあり、このページが一応の完成を見るには、相当な時間がかかると思われるのでご容赦願います。

■ルソーを知るには、まずこの本から

告白(上中下:3巻本) (岩波文庫)
ジャン・ジャック・ルソー(著), 桑原 武夫(翻訳)

ルソーの「自伝」ですが、脚色(嘘)が非常に多いと言われています。文庫本で3冊と長いのですが、大学などで習う『社会契約論』のイメージとはまた別のルソーの人物像を知るのに最適です。内容も波乱万丈で面白いはず(スタンダールの傑作『赤と黒』はこの『告白』を下敷きの一つとして着想されています)。
なお、同じく岩波文庫からでている『ジュリ~新エロイーズ』も読めればルソーの実像が完璧に見えてきますが、現在品切れ・再刊の予定なしで残念です。
※参考リンクオスカルも読んだ!? ~新エロイーズ ジャン・ジャック・ルソー~(タロット占い師のぐだぐだ日記様ブログ)

■英語圏では、否定的に扱われているルソーとフランス革命

(1)TIME社(米)発行『TIME マガジン ミレニアム特集号』『ライフ人間世界史』は共に完全無視

権威あるニュース雑誌『TIME』を発行している米TIME社は、1999年に発行したミレニアム特集号(“この千年間に活躍した世界の人物”)にてルソーやフランス革命を完全に無視。ナポレオンは何と源頼朝と同格の扱いだった。
日本でも訳本が出版された『ライフ人間世界史』シリーズ(タイム社ライフブックス編集部刊、絶版:図書館にてどうぞ)は21巻の大作にも関わらず、やはりフランス革命を完全に無視している。

(2)J.M.ロバーツ(英)著『世界の歴史』は冷淡に短く記述し、バークの保守主義を併記

英『オックスフォード・ヒストリー・シリーズ』監修者J.M.ロバーツ教授の邦訳版『世界の歴史』第七巻「革命の時代」 では、ルソーの扱いは1ページのみであり、英国人らしくルソーとフランス革命を否定したエドマンド・バークの思想をルソーの思想の後に併記している。
フランス革命もその影響力の大きさは認めるものの、その意義については否定的な記述が目立ち、やはり終わりのほうで以下のようなエドマンド・バークの革命への批判を確り記述している。

「保守主義による最初の反革命論の著作が出版されたのはイギリスでした。1790年に出版されたエドマンド・バークの『フランス革命の省察』がその本です。バークはそれ以前に、アメリカの植民地住民の権利の保護を主張していた人物で、この本もたんに特権階級を擁護しただけのものではありませんでした。バークは、社会は意思と理性でつくられるものではなく、何よりもまず道徳性の現れであると説きました。そしてフランス革命については、それは知識階級の傲慢と不毛な合理主義、そして最悪の罪であるうぬぼれの現れであるとして、きびしく非難したのです。」

■なかなか難しいフランス人自身の革命の評価

  • 日本では幸い、フランス近代文学が多数翻訳されており、貴族文化の華が咲いたフランス革命以前(17-18世紀)から、パリ・コミューン壊滅(1871年5月)をもって一連の革命運動が完全に終結し、経済的繁栄が続いた第三共和制の時代(20世紀前半)まで、豊富な文学作品によって当時を生きたフランス人の意識と世相を定点観測することが不完全ながら可能である。
  • 代表例を挙げれば、
1. 大革命前 1.ルソー『告白』(前述)
2.ラクロ『危険な関係』
2. 大革命~第1帝政期(ナポレオン1世) 該当なし
3. 王制復古期 1.バルザック『ゴリオ爺さん
2.スタンダール『赤と黒』
4. 7月王制期~第2共和制期 1.フローベール『感情教育』
5. 第2帝政期(ナポレオン3世) 該当なし
6. 第3共和制期 1.ジッド
2.モーリヤック
3.プルーストなどの諸作品
:
|
※これだけ読んだら、教科書そのままに、ルソーとフランス革命を賛美し肯定するような単純頭からは脱却できるはず。
  • 私の感想では、革命、特に流血の大革命を肯定的に捉えている文学者は皆無であり、むしろ貴族的な生活に強烈な、あるいは仄かな憧憬を抱いているような場合が普通のように見受けられる。「ブルジョワの趣味は俗悪」という捉え方が一般的であり「やはり品のいいのは本物の貴族だ」というのが彼らの最大公約数的な見解である。
  • 要するに、自分は革命で立場が強化されて成り上がったブルジョワに過ぎず、再度自由を奪われるのは困るが、貴族的なものへの憧れは実は非常に強い、という精神構造で、多くのフランス人が生きていたようにみえる。この傾向は現在も変わらないのではないか。
  • いずれにせよ、フランス人が心底から、あるいはこぞって7月14日の革命記念日(バスチーユ牢獄襲撃の日)を称揚しているなどとは思わないほうがよい(もっともフランスは左翼政党や左翼文化人が強い勢力を持っており、心底から革命記念日を祝っている人も多いと思われる)。

■マルクス主義者に占拠されている日本の史学会

  • 以下は歴史問題の基礎知識の「劣化著しい史学界」より転載。なぜ日本でルソーやフランス革命が場違いに大きく扱われているのか、その背景を説明。
  • 歴史学研究会(戦後に、羽仁五郎を暫定委員長として再建され史学界を仕切ってきたマルクス主義史観の学術団体)が、ソ連崩壊後の1992年に至って、以下のような序文を付した雑誌を発行している。今となっては余りにも馬鹿馬鹿しい内容であるが、彼らの正体をここでもう一度しっかり確認しておこう。

<参考1>歴史学研究会「戦後歴史学と歴研のあゆみ」-創立60周年記念 -1993年5月刊行-

はじめに  -批判的史学をめざして-
1932年12月に創立された歴史学研究会は、自らの歴史を振り返ってすでに『歴史学研究会 四十年のあゆみ』、『歴研半世紀のあゆみ』を刊行している。昨年、六十周年を迎えるにあたっても記念行事・出版を考えたが・・・財政的にもあまり余裕のない状況だったので、つつましい企画で満足することにした。
・・・
歴史学研究会の創立は、必ずしも反「史学会」とか、その後有力になっていく皇国史観に逸早く対抗するとかの意識をもってのことではなかったようだ。・・・だが、第二次世界大戦後、歴研はマルクス主義者を中心に時代のエートスに応える歴史研究者の団体として大きな影響力を及ぼすに至った。いわゆる「戦後史学」の中軸をになったと言ってよかろう。しかし1970年代になると、「戦後史学」はイデオロギーの面でも歴史研究の方法の点でも批判に晒されるようになった。その頃の特徴は批判者の多くが歴研と同根の「左翼」の人々であったことである。
1980年代の末ともなると、ソ連邦が消滅するという、それを長らく願っていたような人ですら意表をつかれるような事態が生じた。歴研を批判していた「左翼」にとっても歴研批判どころではなくなり、土台が一緒に揺らいだと言える。・・・歴研委員会の中ですら、歴研にとっては馴染みの「人民的・変革的・科学的」という言葉に対する違和感が表明された
私は、1990年の総会の答弁で述べたとおり、その三つの言葉を「下からのまなざしをもち、現実の矛盾から目を逸らさず、学問的な手続きをきちんとふむ」ことと理解する。・・・歴研は今もこの三つを追及しようという人々の集まりである。あくまでも現実と歴史に批判的な目を持ち続けるのが「歴研」であろう。そして、江口委員長の時代から、党派的分裂の危機を何度も乗り越えてきた伝統を持っている。
その伝統と観点に立って、1992年12月5日(土)、東京大学本郷キャンパスで「いま、なぜ歴史学か」というテーマを掲げてシンポジウムを開催し、約200名の参加を得た。・・・
さらに、全12巻の「講座世界史」(東京大学出版会)「国民国家を問う」(青木書店)との出版を準備している。これも六十周年記念企画の一環である。
以上すべての企画に協力された方々に深く感謝したい。とくに若い委員の諸君に。そうした若い諸君の存在こそが歴研の未来を保証してくれるのである。
1993年3月 委員長 西川 正雄
※「あくまでも現実と歴史に批判的な目を持ち続けるのが「歴研」であろう」⇒日本国の現状と歴史を常に否定的に見るのが「歴研」の使命だと告白。
※「全12巻の「講座世界史」(東京大学出版会)と「国民国家を問う」(青木書店)との出版を準備している」⇒要するに日本で出版される歴史全集はマルクス主義者が執筆。

  • 以下は、同じく歴研の2002年発行の雑誌のあとがきである。こんなインチキ嘘つき団体が未だに跋扈しているのが日本の史学界の現状である。

<参考2>歴史学研究会「戦後歴史学を検証する」-歴研創立70周年記念 -2002年12月刊行-

あとがき
(前略)60年、70年ごろと現在では歴史学をとりまく状況も学問のスタイルも大きく異なっている。最近の委員の中に、自分は社会主義者であると自認したり、人民闘争史を追求していると自己紹介したりする人は皆無といってもいい。しかし、では戦後の歴研がこだわってきたテーマや戦わされた議論は無駄だったのだろうか。私にはとてもそのようには思えない。60年代、70年代の歴研がこだわった精神、築いたもの、そこから今につながっている地下水脈を確認することが、歴史学の危機とまでいわれる現在の状況の中で、歴研が今後も魅力ある歴史学会として活動していくための足場となるだろう。三回にわたった討論会はいずれも予定時間を超過して、活発な議論が交わされた。70年なんてまだ生まれていなかった、という若い会員も多いだろうが、是非、三つの討論会記録をお読みいただきたいと思う(後略)
2002年12月14日 歴研創立70周年記念誌作成担当 榎原 雅治
※「戦後の歴研がこだわってきたテーマや戦わされた議論は無駄だったのだろうか」⇒完全に無駄・無意味でした。もういい加減にしましょう。
※「60年代、70年代の歴研がこだわった精神、築いたもの・・・歴研が今後も魅力ある歴史学会として活動していくための足場となるだろう」⇒嘘の上塗りは止めましょう。

★日本の歴史教科書が、今もルソーとフランス革命を賛美し続ける理由★


  1. 教科書執筆者(=革命論者)が、日本でも、フランスのような「革命」(皇室廃止)を目論んでおり、その願望の反映である。
  2. フランス革命は、小市民(サン・キュロット)によるプロレタリア革命の要素を含んでおり、マルクス主義者からの好意的解釈が生じ易い。
  3. フランス革命は、82年後のパリ・コミューン成立(世界初のプロレタリア政権成立)に繋がっており、その面からも好意的解釈が生じ易い。

■参考リンク

哲人? 狂人? ルソー(全体主義の祖)の『社会契約論』
フランス革命の真実───人類の負の遺産
保守主義の父 エドマンド・バーク保守主義
フランス革命-wiki

■関連ページ

法学の基礎知識 文学の基礎知識

■ご意見、情報提供

  • 俺は日本第一党を支持する保守派だと思ってるけど、自身を自虐的に描いた告白を第一に紹介するってw、ルソーはジュネーブで生まれたが、我々が独裁制を好まないように、絶対主義を好まないとか色々な愛国心の仕方があるわけで、これはどうかと思うな -- 通りすがり (2016-10-02 19:45:54)
名前:
コメント:

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2016年10月02日 19:45