小沢一郎語録

<参考資料>
ブログ国を憂い、われとわが身を甘やかすの記
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ブログ主:阿比留瑠比さん
政治部外務省兼遊軍担当。政治部の前は社会部、その前は文化部生活班に所属。

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小沢一郎氏の初当選からの言動を振り返る・その一
小沢一郎氏の初当選からの言動を振り返る・その二
小沢一郎氏の初当選からの言動を振り返る・その三
小沢一郎氏の初当選からの言動を振り返る・その四
小沢一郎氏の初当選からの言動を振り返る・その五

<目次>

■小沢一郎の本性を解剖する

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小沢一郎の過去の発言を振り返ることで、この男の思想・生態を徹底解剖できます。
年配・中年の方々は忘れていたことを思い出し、若者は新たな発見ができると思います。
小沢一郎がいかに汚く、金と権力のためなら何でも(現在は売国)する男かご理解いただけることでしょう。

■小沢一郎の発言の歴史


小沢一郎氏の初当選からの言動を振り返る・その一

◆昭和44年12月28日サンケイ、27歳、日大大学院生、初当選時に


「老齢化で動脈硬化の状態にある国会に若い世代の代表として新風を吹き込みたい。父(故小沢佐重喜氏)に負けない立派な政治家となり、支持者の期待に応えたい。70年代の日本はわれわれヤングパワーの時代。それだけに責任の重大さを痛感します。若さと駆け引きのない清潔さを売りものに、ばりばりとやっていきたい」

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 =誰にでも若いときはあるのですよねえ。それにしてもヤングか。時代を感じます。

◆昭和58年1月20日産経夕刊、自民党総務局長、愛読書に関連して


「(前略)最も人間的に好きなのが西郷隆盛である。(中略)西南の役では前途有為な人材を多く失い、政治家としての見通しが悪かったのも確かだ。だが、逆に情に流される西郷に人情政治家の捨てきれない魅力がある。『子孫のために美田を残さず』との言葉も味わい深い。私の亡父(佐重喜元建設相)も票田こそ残してくれたが、遺産はなかった」

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 =小沢氏名義のたくさんの不動産は誰が受け継ぐのでしょうね。

◆昭和61年2月1日読売、自治相、資産公開のコメント


「閣僚のうちで不動産が二番目に多いとは知らなかった。世田谷の土地は、最近、湯島の家を売って買い換えたもので、両親が残してくれた土地の資産価値が出ただけだ。普通預金はあるにはあるが、公開しなくてもいいというので出さなかった。政治家には資産を持っている人もそうでない人もいるが、肝心なのは、どのように行動していくかであって、資産があるかどうかは、政治家の在り方に、直接かかわりはないと思う」

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 =なんだ、多少は美田を残してもらっていたようですね。私も、資産があるかどうかそれ自体は、政治家の在り方に直接関係はないと思いますが。

◆昭和61年8月17日日経、自治相、政界昭和世代インタビュー


「西独の憲法が『他国の占領が終わった時点で新しい憲法をつくる』と明文化しているように、日本の憲法も法律・手続き論としてひとつ問題がある。他方、実態論からすれば定着しているのは間違いない。ただ、英文和訳した憲法だけに『理想宣言』みたいなところがあり、個々の実態と合わなくなっている面も多くある。憲法9条では文字通り戦力を持ってはいけないのに戦力を持っているとかね。運用・解釈論は必要だが、すべてをそれでやると非常に危険です。ある程度のものをきちんと合意してつくっていくことが必要で、その意味では私は改憲論者かもしれないな」

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 =このころは保守派の政治家だと思われていたのでしたね。

◆昭和63年10月1日朝日、リクルートが小沢氏の政治団体に200万円の献金していたことが発覚した際のコメント(※リクルート問題では、小沢氏の親類が非公開株1万株を譲渡されていたほか、当時の筆頭秘書がリクルート関連の不動産金融会社の役員を務めていた)


「リクルート社は、岩手でリゾート開発をしている企業で、去年12月に、ほかの地元のみなさまのご好意と同様、政治活動の資金の一部として受け取ったようだ」

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 =まあ、みんないろいろありました。

◆平成元年9月21日産経、自民党幹事長、総選挙を控えた茨城県での講演で


「自社連立、自公民、自社公民もあり得ない。それは単なるなれ合い、野合でしかない。自民党がこれまで何で国民の負託を受けてきたのか。野党がなぜ万年野党なのか。それは国の存立にかかわる外交、防衛、治安など根本の政策が野党に欠けているからだ」

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 =民主党がいま、最も避けている分野だと思いますが。

◆平成2年2月24日朝日、幹事長、自民党三役に聞く


「私は個人的には、政治献金をすべてやめるという考えだ。個人からの献金なら良いという話があるが、献金する規模が小さくなればなるほど利害が絡む。ただ、政治家個人ではなく、政党への献金ならいい。との議論はあるかも知れない」

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 =国民の税金である政党助成金を不動産購入にあてるのはどうかと思いますが。

◆平成2年12月31日朝日、幹事長、党三役インタビュー


「政治にカネがかからないのがいいことで、かかるのは悪いとマスコミ的な仕分けをするのは非常におかしい。僕はカネのかからない政治を目指す、とは一度も言ったことがない。国民が求めているのは、きちんとしてカネが集まり、きちんとして使われ、それがオープンになることだ。オープンでないところに問題がある」

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 =うーん、正直に本音を述べているのかどうか解釈に困るような。

◆平成4年3月12日日経、インタビュー


「憲法改正は自民党の党是ですから、これはわざわざ議論するまでもない。9条にしろ、その他の条項もいろいろ時代の変遷において変えなければならないところがいっぱいある。(内閣)法制局の解釈論になぜそんなにこだわらなければならないのかというのは全くその通りです。たまたまずっと自民党内閣が続き、それぞれの内閣が過去の経緯にすべてとらわれて、同じ判断をしなければいけないという錯覚に陥っているわけですよね」

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 =法制局の権能に対する指摘は同意します。ただ、現在の小沢氏が横路氏ら党内旧社会党グループと憲法9条はいじらないという誓約書を結んでいるのはなんとも…。

◆平成4年3月14日朝日、インタビュー


「私に言わせれば、朝日のいまの論調は、非常に失礼な表現になるが、あまり物事を深く考えない学生の作文を見ているようです。(中略)自分だけの独善と正義ですべてを律し、ほかの意見を受け入れようとしない。これこそいつか来た道であり、政治的には国際協調と話し合い路線を放棄した歴史の誤りではないですか」

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 =そういえば朝日とケンカしていたこともありました。

◆平成4年6月21日朝日、北海道での講演


「社会党のような感覚では、これからの地域開発も政治もだめ。社会党が強いところほど後進、後発地域が多い」

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 =だから、その旧社会党議員・労組を基盤にしているあなたの今の姿は…。

◆平成4年7月24日産経、政治改革を聞く


「(献金は)『小口でたくさん』と言うが、とても集まらないのが実態で、それは幼稚園の作文みたいな話です。そういうのはいけない。カネを出す単位はできるだけ大きい方がいい。単位として一番大きいのは税金です。(中略)だから僕は、『政治活動にかかる金は税金で出しなさい。こんなに安上がりなものはない。いろんなスキャンダルが起きたり、疑われたりするこのロスとコストを考えてみなさい』と言っている」

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 =この人の生活感覚に共感を覚えている有権者が分かりません。

「社会党は、よくPKOが(自衛隊と)『別組織ならばいい』というが、それなら『なんで別組織だと憲法をクリアできるのか』と言いたい。その論理を言ってみてほしい。本当にもういい加減でしようがないですよ」

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 =それで、国連待機部隊なら何でいいのか?

◆平成4年11月3日朝日、インタビュー


「(派内構想は)簡単な言葉で言えば、改革派か守旧派かの対立。日本が変わる必要があるという考え方と、いや、このままでいい、という時代認識、現状認識の違いによる対立がある。もちろん、人間関係から生じている面も現象としてあるが、底流は現状認識の違いだ(中略)金丸さんの事件の扱いについては、事実と違ったことが先行している。私は政治の世界に出たときから改革派だった」

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 =最近は改革という言葉はあまり使われなくなりましたね。

小沢一郎氏の初当選からの言動を振り返る・その二

◆平成5年1月10日日経、キヤノンの賀来竜三郎会長との対談で


「日本はコンセンサス社会、村社会だから、体制内のある程度の力と支持をもってしないと革命も改革もできませんね。(中略)単にピョンと体制の中から出ていって、大衆に呼びかければ永続した力になるかというと、ならない。野党も国民もそういう人にはついていかないのです」

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 =なるほど、よく分かります。それで今は、自治労や日教組などの「体制」を力の背景、また源泉として大事にしているわけですね。この人の選挙戦略にもこの考え方は反映されているように思います。

◆平成5年3月10日毎日、インタビュー


「政治資金についての僕の考えは、ディスクロージャー(全面公開)だ。収支を全部公開し、1億2000万人の目で確かめる」

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 =小沢氏が昨年2月に資金管理団体「陸山会」の領収書を公開した際には、領収書など文書の撮影やコピーは禁じ、公開時間も1社あたり30分間だけと制限するなど、とてもきちんと閲覧することはできませんでしたが。

◆平成5年3月13日産経夕刊、記者会見、金丸信氏の脱税事件について


「心情的には真実でないことを願う気持ちでいっぱいだが、事実とすれば誠に残念、遺憾なことで、政治家として許されないことと認識している」

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 =金丸氏にかわいがられ、育てられた愛弟子としてはさぞや辛かったでしょうね。

◆平成5年10月26日読売、新生党代表幹事、記者会見で


「(自分に取材がないまま記事を書いたとして、産経と日経を記者会見から締め出したことに関連し)記者会見は義務でやっているのではなく、サービスだ。批判はかまわない。しかし、いいかげんなことはやめてくれと言っている」

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 =そういうこともありましたね。まあ正論である部分もありますが。

◆平成5年11月9日産経、新生党代表幹事、記者会見で、大手ゼネコン鹿島から、500万円の献金を受けていた問題で


「いくつかの団体で資金協力をいただいたのは事実だ。資金は領収書も発行され、使途も明らかだったと報告を受けている。すべて法にのっとって適当に処理されたと認識している。(資金を処理した政治団体は)法的に中身を要求されているわけではないので(言わない)。相手方の心理は分からないが、職責に対して、見返りが欲しいという資金提供は受けるつもりはない」

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 =まあ、確かに相手の心理は分からないと強弁できないこともありませんが…。当時、政治資金規正法では、政治家個人、またはその政治団体が一個人または一法人から年間百五十万円を超える政治献金を受けることを禁じていました。鹿島からの献金が適法に処理されたのなら、複数の政治団体が受け皿となっていたはずですが、小沢氏は明らかにしませんでしたね。お得意のディスクロージャーはどこに言ったのか。

◆平成5年12月27日朝日、新生党代表幹事、東京都世田谷区の土地・建物を購入から7カ月後に売却し、3000万円の差額を得ていた件について


「あくまで居住用に購入した。実際、家族と現地を見て、自宅を新築する段取りまで話し合った。だがその後、自宅としては、やや手狭なものしか新築できないことが分かったため売却した」

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 =自宅を買うときに広いか狭いかぐらい考えてから買うものでしょうに。記事によると、購入から売却までの間、小沢氏は一度もここに住まず、「小沢氏側の了解を得ていた」という以前の所有者がそのまま住んでいたほか、この土地はその後、小沢氏と親しい会社社長など3者の間で転売され、短期間で1億円以上の差益を生んでいたそうです。昔から不動産に対して慧眼ぶりを発揮していたようで。

◆平成6年2月7日産経、新生党代表幹事、民放番組で北朝鮮について


「北朝鮮は核兵器をすでに完成し、間違いなく核武装していると思う。(中略)日本は何の危機管理もできていない。もし、北朝鮮が何らかの軍事的動きを起こして、それを国連などが阻止しようとするとき、日本がどうするかは深刻だ」

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 =日本の置かれた状況への危機意識は共有しますし、評価しますが…。北朝鮮の核兵器の完成について「間違いない」と断定していますが、その10年以上早い情報の根拠は一体何なのでしょうか。そしにしても、ここにも「国連」が出てきますね。

◆平成6年2月9日朝日、新生党代表幹事、先の北朝鮮核武装発言について記者会見で


「目で見てきたわけではないから説明するのは不可能だ。そう思っているというだけ。私のカンだ」

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 =はあ…。けっこうオカルト的な発想をする人なのかもしれません。

◆平成6年2月14日読売、新生党代表幹事、佐々木毅東大教授のインタビューで、献金の「適法処理」のわかりにくさを指摘され


「今の法秩序にのっとって処理している。これは僕だけでなく、他の人もだ。『その法がザル法だからけしからん』とか、『そんな脱法行為的なことをしてけしからん』とか、そういうたぐいの批判だ。今の税法の仕組みで許容されているいろんな特例や、税務署の裁量の余地がたくさんある。そこがけしからんということになったら、それに準じて処理している人は、みんなけしからんことになる」

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 =どうやら、自身のやり方が「脱法的」だということは理解した上で、開き直っているということのようです。

◆平成6年2月18日産経、新生党代表幹事、インタビュー、マスコミ論


「私の感じるところでは、マスコミの意識は今でも自民党政権下の55年体制の中にある。自民党政権の批判をしていればよかったわけで、ワンパターンで記事が書けた。日本社会に問われていることはマスコミにも問われている。現象を追うだけではなく、時代の流れの中で、オリジナルな主張を打ち出していくべきだと思う」

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 =これは耳を傾けられます。まあ、政府与党ばかりたたくマスコミの習性に、今は野党代表のこの人も助けられているのでしょうが。

小沢一郎氏の初当選からの言動を振り返る・その三

◆平成6年5月11日東京、新生党代表幹事、細川首相が佐川急便グループからの借金問題で辞任したことについて


「細川総理の場合は、僕が聞いている範囲では何も非難されるような金銭の授受はなかったと思っている。(中略)あなた方がすぐカネの問題うんぬんと言って、それで辞めることがいいとは決して思わない。単なるマスコミの報道の中で悪みたいなイメージを与えてそういうことになるのは、日本の政治にとって悲劇だと思います」

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 =まあ、私も、何かスキャンダルが発覚するたびに、ことの軽重も問わずに辞任を迫るのはおかしいと思います。でも、あなたが言うと説得力が…。

◆平成6年5月17日朝日、新生党代表幹事、朝日が小沢氏の「どの女と一緒に寝ようがいいじゃないか」発言を報じたことに関連して


「この間も朝日新聞にまさに誹謗、中傷の記事が載った。この記事を見て、本当に私は、朝日新聞は『アカ新聞』か『ブラックジャーナリズム』かと思った。私はこうしたペンの暴力を断じて許してはならない、こういう信念で戦っている」

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 =ふむふむ、なるほどなるほど。これに対し、朝日は箱島信一東京本社編集局長(後の社長)名で「なにを根拠にしているのか、理解に苦しむ。報道は事実をそのまま伝えたもの」と反論しています。こんなこともあったなあ。この朝日・小沢対決は、6年10月15日に朝日の秋山政治部長(後に社長)が聞き手となって小沢氏の長文のインタビューを載せ、事実上の「謝罪」に代え、和解しました。

◆平成6年6月5日産経、新生党代表幹事、大阪市での講演で


「政権をとるための数合わせは野合だ。自民党では最近、流行にあやかって護憲リベラルを言う人が増えた。自民党綱領には自主憲法制定があり、護憲リベラルを言う政治家の見識を疑う」

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 =このころの小沢氏は護憲リベラルを盛んに批判していますが、今ではすっかり小沢氏自身が護憲リベラルと化し、政権をとるためなら何でもありになっているようです。

◆平成6年11月16日夕刊フジ、新生党代表幹事、記者会見


「政治は所詮、権力闘争です。もちろん、権力の源泉は国民ですよ、国民主権なんだから。最高の権力者たる国民の信頼をどちらがより多く得られるかで、政権を行使することになる。(中略)権力そのものは、あなた方は間違えて反権力といっていきがっているが、反権力は反国民ということなんだよ。憲法では主権者は国民なんだ。権力の所在は国民にあるんだよ」

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 =この発言は、珍しく納得がいきます。私も、ジャーナリストが言葉の意味をたいして考えも吟味もせずに「反権力」のポーズをとり、それでいいのだろうとタカをくくって思考停止しているのを見ると、いつも違和感を覚えるからです。また、国民(有権者)こそが権力の主体であるというのは、私も実にその通りだと思います。

◆平成7年12月15日夕刊フジ、新進党幹事長、党首選立候補に関するインタビューで自民党の創価学会攻撃について


「怖くないよ。学会を好きな人も嫌いな人もいる。あれが半世紀、政権をとってきた政党だろうかって、みんな思っている。いいがかりをつけて誹謗中傷、後ろから蹴っ飛ばしてる類でしょ、これじゃ絶対自民党は伸びませんよ。あせって政権取るのが早すぎたんです、社会党と組んで」

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 =学会をかばっていますが、何だか現在とは立場も言っていることも逆になっている感じですね。まあ、そんなものかもしれませんが。

◆平成7年12月21日朝日、新進党幹事長、18日の会合での発言


「私は韓国や中国に『政治的意図で反日教育をしておいて、何が将来の友好だ。いつまでも憎悪を忘れさせず、残るのは憎しみだけだ』などといつも言っている。そのようなことをきちんと面と向かって言うことが大切だ」

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 =文句ありません。まったくその通りだと思います。しかし、ここ数年、寡聞にして小沢氏の口からこのような正論を聞いたことがないように思います。保守色は消して、護憲リベラルと協調している方が票になると考えているのかどうか。

◆平成7年12月22日夕刊フジ、新進党幹事長、夫婦別姓選択制に関する福島瑞穂氏の質問に答えて


「基本的に、賛成です」

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 =ふーん。短い回答ですが、あまり小沢氏がこの問題について発言しているのを見聞きしたことがないので掲載しておきます。

◆平成7年12月28日毎日、新進党幹事長、党首公選で羽田元首相を破り、党首就任が決まった祝勝会でのあいさつ


「命をかけて党のため、国のために頑張ります」

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 =命ねえ。党のためねえ。その後の新進党のことを思うと…。

◆平成7年12月28日産経、新進党幹事長、党首公選の結果判明後の記者会見


「任期内の(衆院)選挙は事実だ。一般的には与党のキャップが内閣を組織する」

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 =小沢氏はこのとき、次期衆院選に勝って首相になることに意欲を示していたわけです。よく、小沢氏は政権をとっても首相にはならない、と言う人がいますが、私はそんなことはあり得ないと思っています。間違いなく、絶対に、何が何でも首相になりたくて仕方がないと思っているはずです。それが政治家の性ですから。

◆平成7年12月31日産経、新進党党首、インタビュー


「今のPKO(国連平和維持活動)は、参加していながら戦闘行為は一切だめだという。日本の指揮権をそのまま持ってやれば憲法9条違反だ。私はそれは良くないと思うので、国連にすべて預けるという考え。主権の一部委譲になってもいい」

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 =出ました国連至上主義!。でも、中国が安保理事国として拒否権を持つような国連にすべてを預け、あまつさえ主権委譲まで言い出すとは…。

「(創価学会の池田大作名誉会長の参考人招致問題について)池田氏を呼ぶ正当な理由は何か、自民党に理由を明示してもらうことが先だ。私は国会で話を聞く正当な理由はなく、政治的、意図的な主張だと思っている。信教の自由にもかかわる問題で、多数をもって(招致を)やるのは天につばするものだ」

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 =いやあ、このときはさぞや公明党は感謝したでしょうね。でも、その小沢氏が現在は、参考人招致カードで公明党を揺さぶっていると。政治の世界は全く、きれいごとではすまされないものです。整合性など問うだけむなしいのかもしれません。

小沢一郎氏の初当選からの言動を振り返る・その四

◆平成8年1月12日毎日、新進党党首、村山首相辞任後の談話


「村山(富市前首相)さんの退陣にしても、遅きに失した感があった。経済問題一つとってみても、活力を取り戻す有効な手立ても何も講じられなかった。自民党、社会党、さきがけの連立政権の限界、行き詰まりをはっきり示したものだった。しかも、予算を編成しておいて、通常国会の前に辞めてしまうことになった。こうしたことは憲政史上に例がなかったことだ。村山さんは、首相としての責任を放棄したと言わざるを得ない」

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 =政治の世界は移り変わりが激しく、村山氏が「元旦の青空を見て辞めることを決意した」と突然、辞任したことも、もう多くの人は覚えていないかのようです。民主党は次期衆院選で単独過半数を得られらなかった場合、社民党と連立するのでしょうが…。

◆平成8年1月18日産経夕刊、新進党党首、新進党大会でのあいさつ


「自民党は憲法20条の解釈を見直し、政教分離法を制定しようと画策しているが、数を頼りに民主主義を踏みにじり、憲法をないがしろにするもので、断じて許すことができない」

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 =必死で創価学会・公明党をかばっています。まあ結局、自民も今の民主もご都合主義という点では一致していると言えますね。

◆平成8年2月1日産経夕刊、新進党党首、住宅金融専門会社への6850億円の公的資金投入について街頭演説で


「金融関係の会社とはいえ、私企業であり、国民のみなさんの税金を使うことは許されるべきものではない」

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 =当時、そういう議論がありましたね。直接、小沢氏とは関係ありませんが、このときはマスコミは大騒ぎしたのに、後に朝鮮総連系の朝銀信組にこのときの倍近い計1兆3千数百億円が投入されたときは、実に小さな扱いでした。今でこそ平気で話せることも、つい最近までは強固なタブーに守られていたものだと思います。

◆平成8年2月20日夕刊フジ、新進党党首、盛岡市での党首誕生を祝う会あいさつで


「政治家の一人として私も永田町にいて、やり切れない無力感を感じ、現実から逃避したい気持ちにもかられる。郷里のみなさんの厚情に接し、嫌なことがあっても乗り越えていこうと自らに言い聞かせている毎日」

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 =かなり弱音を吐いています。ふつう、政治家がこういう心情を漏らすと、弱い政治家のレッテルを貼られるものですが、この人は「神話」に守られているようで、不思議と失策を繰り返しても根拠の分からない期待を持つ人や、言動を深読みしてありのままの実像を見ようとしない人が後を絶たないように感じます。

◆平成8年4月2日朝日、新進党党首、訪中して銭外相と会談して


「何だかんだ言っても、野党ではしようがありません。(次の衆院)選挙で勝たなきゃだめですよ」

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 =率直な本音でしょうね。わざわざ中国で話すことでもない気はしますが。

◆平成8年5月4日朝日、新進党党首、訪中して熊光楷・人民解放軍副総参謀長と会談して


「中国脅威論にはくみしないし、脅威とも思わない。(だが)核兵器を持たなければならないという認識は、私たちと違う。各国が自衛のために武装するのは乗り越える時代に入った。核兵器は時代遅れだ。日本でも自衛のために核武装という議論が出てくるのは決していいことではない」

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 =うーん、なんというか…。小沢氏は6年2月には、「北朝鮮は間違いなく核武装している」と断言しているわけですから、「自衛のために武装するのは乗り越える時代」「核兵器は時代遅れ」と言ってもなあ、という気がします。まあ、前者は持論の集団安全保障論のことを言っているのでしょうし、記事は会談内容の一部しか反映していないのかもしれませんし、どうなんでしょうね。

◆平成8年5月17日産経、新進党党首、鉄鋼労連幹部との会合で


「いい政策を打ち出したからといって選挙に勝てるわけではない」

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 =これは、正直な実感なのでしょうね。選挙では、「いい政策」よりも「選挙向けの政策」を掲げた方がいいのだという。

◆平成8年6月7日朝日、新進党党首、インタビュー(聞き手、若宮啓文氏)


「憲法の理念から言えば、主権国家論はもう古い。これを乗り越えて初めて、憲法の理念が生きてくる。主権国家がそれぞれ自衛権を主張し、軍備を拡張するという話は懲りた、もうやめよう、となったのが戦後の憲法ではないか」

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 =なるほど、小沢氏はある意味、憲法絶対論者なのだなと思いました。しかし、21世紀の現実をみると、小沢氏の主張する方向とは反対に、主権国家の存在感が強まっているようにも感じます。

「(集団的自衛権について)従来の政府解釈が間違っているわけで、戦後ずっと、日本が都合よく楽をするためにそう解釈してきた。政府解釈なんて内閣が代われば変わる。内閣が代わったら新しい内閣の方針に従ってやればいい。前の内閣がこう解釈したから、こうあらねばならない、なんて言ったら世界に笑われる」

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 =憲法をすべてに優先する大前提に置くようで、その解釈は柔軟であっていいというわけでしょうか。今はこういう言い方はしていないようですが。因みに、「戦後ずっと」というのは必ずしも正しくなく、岸内閣までは行使禁止論ではなく、制限行使論だったというのが実態だと思います。

◆平成8年6月28日東京、新進党党首、「最近発売された週刊誌」の対談記事からの引用


「もう私も、この世界26年。老兵は退いた方がいい」

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 =それから12年以上も経ちますが。

◆平成8年7月4日産経、新進党党首、党首に聞くインタビュー


「日本国憲法というのは日本の理想論だけど、世界連邦、地球連邦的な夢を描いた憲法だから、その憲法の精神から言えば国際社会の中で日本が責任を果たすのが最大の理念だ」

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 =ここまで見てきて感じるのは、小沢氏は自分でも「口下手」と言う割に、インタビューなどではけっこう能弁にいろいろな考えを述べているということです。「ワンフレーズ」と揶揄された小泉元首相は、実際、インタビューなどでも同じ事象に関する問いには同じ言い回しの繰り返しで答えるパターンが多かったのですが、少なくともボキャブラリーという意味では小沢氏の方が豊かだと思いました。まあ、それは必ずしも分かりやすさにはつながりませんが。また、憲法を「理想論」「夢を描いたもの」と規定しながら、それに準じようとする姿勢は、社会党・社民党勢力とくっつくのりしろになっているのかな、という感想も抱きました。

◆平成8年七月5日産経、前日の続き


「日本人の不安定な国民性は戦前も戦後も変わっていない。江沢民中国国家主席と金泳三韓国大統領が(昨年11月)会談して、日本は今に軍事大国になって、大陸に軍隊を進めると言っている。その根底は何かというと、日本人は信用できないとまじめに思っていることがある」

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 =この発言は重要だと思います。私は常々、小沢氏や故宮沢元首相、故後藤田元副総理らに共通するのは「日本人に対する不信感」だと考えてきましたが、ここでも小沢氏は中韓サイドに立った物言いをしていますね。それは政治家としては致命的な大問題だと思うのですが…。「国民の生活が第一」でも何でもいいですが、国民を信用しない政治家が国民について語ることを、どうして信頼できるのか。

◆平成8年7月31日産経、新進党党首、橋本首相の靖国神社参拝について


「首相が判断することだ。信念に基づいて行動したことだろう。私個人は政治家として靖国の問題に形式にこだわるのはあまり賛成しない。素直に、戦争で亡くなった方に対してそれなりの慰労と追悼の意を表することは、政治家であれ何であれ、そのこと自体は一向に差し支えない」

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 =こう言っていた人が今は、首相の靖国参拝に反対しているのですからねえ。歳月の中で多少言うことが変わっていってもいいと思いますが、こういう大事な問題でころっと態度を変えるのはいかがなものかと。

◆平成8年10月21日産経、新進党党首、第41回衆院選で自民党に大敗して


「われわれの率直な姿勢がもう一つ理解が行きわたらなかった。(選挙戦で十分政策論争が行われず)残念だ。論議をするような社会にしていかなければならない。私の責任問題は党員や支持してくれた人に対するものなので、その方々と話したい」

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 =このときは私は社会部(宮内庁担当)に所属していて、敗戦の弁を語る小沢氏のテレビインタビューのもようを社会部のテレビで見ていました。上の記事には書いてありませんが、確かこのとき小沢氏は感情が激して、「新進党の政策を理解しない国民がよくない」という趣旨の発言も行っていたはずです。私はそれを聞いて、野村サッチーなどを候補に立てて有権者をバカにしておきながら、政策が理解されないもないだろうと、この人に初めて反感を覚えたのを記憶しています。なめているなと。そのときの直感は後にこの人を党首とする自由党を担当したことで、正しかったと実感しました。

小沢一郎氏の初当選からの言動を振り返る・その五

◆ちょっと一休み。(現在の小沢一郎の体調について)


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 ちょっと間が空きましたが、今日は不定期連載中の「小沢語録」の第5弾を提供したいと思います。昨夜、マスコミとは関係のない業界の人と話をしていて、向こうから「そう言えば、民主党の小沢代表はしょっちゅう体を壊しているが、あんなに体が弱くて首相が務まるわけはないだろう」と言われました。私は、「それでも、民主党が勝てば首相になっちゃうんですよ」と答えましたが、その「体調問題」について、昨日の青森市での記者会見で小沢氏自身が語っているので、まずそれから紹介します。相変わらず、偉そうな口調で小沢氏本人(とその熱心な信者)しか納得しないような理屈を述べています。

記者:体調はいかがか。

小沢氏:私自身の体調は良くありません。ただ、「100里の道は99里を持って半ばとすべし」という家康の遺訓がある。私も2年半前に代表に就任して以来、走り続けてきたので、だいぶくたびれているが、あと、家康流にいえばあと1里だが、あと半分というつもりで、全力で体の続く限りがんばってまいりたいと思う。

記者:日程キャンセルについて。(インドのシン首相との会談のような)国際的な会談を欠席することで、激務に耐えられないのではという批判が出ている。選挙にとってマイナスではないか。

小沢氏:総理大臣になって、首脳会談ということであれば、多少、体調が悪くても何しても欠席することはありません。私、野党ですから。総理大臣じゃないですよ。国務大臣でもないですよ。勘違いしないでくださいよ。だから私の党の代表としては幹事長がちゃんと出席していますから。私が体調が悪い代わりに幹事長がちゃんと行って会談をしていますんで、何もおかしなことはないと思います。

国民のみなさん、選挙にも、別にマスコミがなんだかんだ言うが、そういうことは選挙民のみなさんがよくよく分かっておられることだろうと思います。何でマイナスになるの? 体悪くて休ませてくれと言っているのに、何でマイナスになるの? あんたどうする? 体悪い時、それでも新聞に出ていくか。具合悪ければしょうがないでしょうがよ。

私は今、選挙、とにかく政治家である以上、選挙のことに関する約束はね、たとえ這ってでも出てこないといけないが、その、今日のこともあるし、また私は月曜もまた地方出張しなきゃけない。その意味で私の今の立場は総選挙で勝つということなので、選挙の日程を最優先の課題にして、できるかぎりみなさんのお役に立ちたいというのが今、野党党首としての役目だと思っております。》

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 …ただねえ、これまで小沢氏の過去記事のスクラップを読み返してきて改めて感じたことは、この人は本当に何度も入院や療養を繰り返しているということです。いつか表にでもしてまとめようかとも考えていますが、本気で大丈夫か?と思いたくなります。以前もどこかで書いたと思いますが、小沢氏の元秘書の一人は、小沢氏が政治資金で都心にあれだけたくさんのマンションなどを買っている理由について、「先生は体が弱いので、いつでも必要なときにすぐ休める場所が必要だからだ。ホテルだと落ち着かないし」と語っていましたが、聞いていて内心、「どんな王侯貴族だってそんな贅沢は無理なんじゃないか」と思っていました。

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 ちょっと余談が長くなりました。それでは、「語録」をお届けします。今回は、平成8年10月の衆院選で、小沢党首率いる新進党が解散前議席を下回る大敗を喫してから、9年11月までとなります。今回もまだ自由党時代には到達できませんでした。道は長い。

◆平成8年11月30日朝日、新進党党首、党の両院議員総会でのあいさつ


「政権を担うとなると、外交、安全保障問題を抜きにしては考えられない。これまで『話を詰めると角が立つ』という話があったので『丸く、丸く』でやってきたが、党ができて2年が経過しており、もう、そういう議論をオープンにしていいのではないか」

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 =では、民主党内でもきちんと議論してもらいたいですね。本当に衆院選後は政権を担うのかもしれないのだから。民主党ができて何年経つんでしたっけ…。

◆平成9年1月21日朝日、新進党党首、宮沢喜一元首相との対談で(司会・若宮啓文氏)


「国連が信頼できないからといって、日本独自の道を歩むのは危険だ。憲法の理想に向かい、国際社会の共同作業に積極的に参加していくことが、日本にとり良い選択だと思います」

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 =以前も書いたので繰り返しませんが、「日本独自の道を歩むのは危険だ」という言葉に、この人の日本と日本人に対する不信感が表れているように思います。

◆平成9年2月27日産経、新進党党首、7時間にも及ぶ党両院議員総会で、オレンジ共済からの党岩手県連への献金問題に関連し、辞任要求をされて


「オレンジでも何でも、カネでももらっていりゃあみんなに言われなくてもすぐに辞めます。何のやましいこともない。私が党首にふさわしくないという人は12月に向けて党首選の準備をすればいい」

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 =当時、オレンジ共済事件に関連して、新進党からの離党者が次々に出ていましたね。今となっては、そんなこともあったなあ、という感じですが。

◆平成9年3月6日産経、新進党党首、記者会見で評論家の江藤淳氏から産経紙面で議員辞職して故郷に帰り、捲土重来を期せと叱咤されたことについて


「江藤先生は今日の政治的な状況、風潮を嘆き、その前提に立ちながら、私に試練を作り、紙面を通じて忠告を与えてくれたと思う。国民のためにどうあるべきか、私自身が判断する」

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 =泉下の江藤氏がいまの小沢氏を見たら、何と言うのでしょうね…。

◆平成9年5月15日朝日、新進党党首、記者会見で、3日前には認めていた自民党の森喜朗総務会長との会談を否定して


「森さんとはお会いしていません。たまたま同じ時間帯に(ロンドンに)滞在していただけです。(会談の情報は)間接的なものでしょ。私は本人だから」

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 =この会談については、森氏は認めていたし、小沢氏自身も12日の党5役会議では「森氏から会おうと言われたから断る理由もないし、真剣な政策論議なら、ということで応じた」と説明していたのです。全く、いい加減というか、人を小馬鹿にしているというか。

◆平成9年6月28日産経、新進党党首、名古屋市で開かれたパーティーであいさつし、支持労組の服部光朗友愛会会長らとの会合をすっぽかしたとの報道を批判し


「私は、今まで正当な理由なくして人様と交わした約束を反故にしたことはない。報道は全く事実無根だ」

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 =ドタキャンの多さでは政界一かもしれないこの人ですが、本人の意識の中ではすべて正当化されているということでしょうね。

◆平成9年7月23日産経、新進党党首、千葉県で開かれたゴルフ大会で前半、成績が振るわず、記者団を前に一言


「そろそろ引退しようかな」

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 =すればよかったのに。

◆平成9年9月2日産経、新進党党首、江藤淳氏との対談で


「今の政権(橋本政権)を構成している主要な人たちは、社民党と一緒になっている。ということは、理念とか、イデオロギーとか、哲学とか、そういうものは関係ないわけですね。(中略)社会党と一緒になることによって、55年体制の延長なんですけど、多少なりとも持っていた保守のその部分までおかしくなっちゃっている気がする」

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 =いや、別にいいですけど、それってブーメランになってるような。

「(『この人』と思う政治家を聞かれて)やっぱり僕は大久保利通さんです。あれだけ憎まれても、あれだけやるというのは…」

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 =この小沢語録シリーズでも紹介した通り、小沢氏は以前は好きな人物として西郷隆盛を挙げていましたね。心境の変化か、状況の変化がそうさせたのか。

◆平成9年9月5日朝日、新進党党首、ゼンセン同盟定期大会でのあいさつ


「いちいち日常のことについて、ぐじゅぐじゅ文句を言われていては、ろくな政治家になるはずがない。私は政治行動の決断について後援会に相談したことはない。みなさんが国政に適任だと思って出した以上、カネと票は出すけれど、『あとはお前の見識でやれ』っと。こうでなくちゃんらない」

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 =カネと票は出しても口は出すな、というわけですね。明快なものです。

◆平成9年11月6日読売、新進党党首、記者会見で


「私は毎日反省している。朝起きるたびに反省している。全力で一生懸命やってきたが(昨年の)総選挙で第1党になれなかったのは、私の力が及ばないところがあるんだろうという意味で反省している。どうしてマスコミに嫌われるのだろうか、という反省もしている」

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 =読売は記事を、「記者団からは『どこまで本心からの発言なのか』との声も――」と締めくくっています。まあ、反省だけなら○○でもできるわけですしね。

■続き

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小沢一郎語録の続きは小沢一郎語録2 に記載されています。
以下はそのページを取り込み表示したものです。

小沢一郎語録の続き。

<参考資料>
ブログ国を憂い、われとわが身を甘やかすの記
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ブログ主:阿比留瑠比さん
政治部外務省兼遊軍担当。政治部の前は社会部、その前は文化部生活班に所属。

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小沢一郎氏の初当選からの言動を振り返る・その六
小沢一郎氏の初当選からの言動を振り返る・その七
小沢一郎氏の初当選からの言動を振り返る・その八

<目次>

小沢一郎氏の初当選からの言動を振り返る・その六

◆平成9年12月4日朝日、新進党党首、記者会見で、公明が翌年夏の参院比例代表での合流を撤回する方針を内定したことについて


「公明が選挙を別にやるとの話が本当なら大きな影響を持つことになる。(公明党を)解消して(一緒に)やるということで新進党を作った。やらないのなら新進党は成り立たない。地方議員や党本部の職員の問題もあるので、すぐにはできないということだった。私は今でも全面解消して、新進党として一本化するという初心を貫くのがベストだと思う」

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 =このころはまだ旧公明党・創価学会に未練たらたらですね。小沢氏はたびたび「数合わせ」の論理を批判しますが、一方でそれは当然だとも思っているのでしょう。そうした矛盾を抱えるのは、現実を動かさなければならない政治家として、ある意味仕方がないとも考えるのですが、この人の場合、「オレの言うことは何も変わっていない」と開き直るから始末に負えないというか。

◆平成9年12月17日読売、新進党党首、党首選候補者インタビューで


「日本の政党は政策でぴしっと分かれていない。基本的な考え方を立て、それに賛成する人が勢力を結集するというのが正しいやり方だと思う」

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 =本当にそうであればいいな、と私も思います。でも実際はというと、現在の小沢氏率いる民主党が一つの政策でまとまった集団、政党だなんてだれも思っていないし、小沢氏自身もこれっぽっちも信じていないことでしょう。悲しい現実です。

◆平成9年12月17日産経、新進党党首、党首選候補者インタビューで、創価学会・公明の「政教一致」について問われて


「政党として政治としてあり得ない。そう考えて接したことはない」

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 =さて、現在ではどう考えて接しているのやら

◆平成9年12月28日産経、新進党党首、両院議員総会で解党について


「新進党結党以来3年が経過し、いろいろな評価があると思うが、日本政治に大きな役割を果たした。新進党の成果をさらに発展させるべく、『日本再構築宣言』の実践に向けて全力を尽くしたい。2年間ふつつかな党首だったが、おわび申し上げる」

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 =後に小沢氏は、新進党が崩壊していなければ政権を取れた可能性が高かったと認めているわけですが、そこが不徳の致すところ、なのでしょうね。「あのとき少し我慢しておけば…」と眠れない夜を過ごしたことが何度もあったのではないかと想像します。でも結局、人は変われないというか、「自分自身」を繰り返し体験するしかないのかもしれないと、この人を見ているとそんな気がします。

◆平成10年1月1日産経、自由党設立委員会委員長、NHK新春インタビューで


「行革、民間の規制撤廃など既得権益を組み替えることは大きな痛みを伴うが、闘う政策集団として勇を奮って乗り越えたい」

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 =「闘う政策集団」という言葉に、懐かしさを覚えました。確かに自由党のときは、少人数でもあったし、内部に矛盾は抱えつつも、それでもまだ「政策集団」を名乗るだけのものがあったように思います。しかし、その限界を誰より感じていたのが、ほかならぬ小沢氏だったのか。

◆平成10年3月11日朝日、自由党党首、日本外国特派員協会での講演で


「自由党は今は50数人だが、国民のために明確な政策を示す政党を支持するという認識が高まれば、過半数をとれる。私の気持ちは『我に改革を与えよ、しからずんば死を』となる」

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 =このころまでは、小沢氏は盛んに「改革」を口に出し、キャッチフレーズにしていましたね。しかし、「改革」はやがて小泉元首相の専売特許のようになり、やがてそれに否定的イメージが被せられるに及んで、小沢氏はあまりこの言葉を遣わないようになった気がします。それにしてもこの講演でのセリフは、まるで劇的効果を狙うことを好む小泉氏が言っているかのようですね。

◆平成10年3月27日毎日夕刊、自由党党首、10日の日本外国特派員協会での講演の言葉を引いて


「数十人の同志と改革の旗を掲げて自民党を出てから4年半になりますが、正直に申しますと、改革への道のりがこれほど長く、険しく、つらいとは思っておりませんでした。日本ではいまだにアンシャン・レジーム(旧体制)が続いております。それを考えると情けなくなることさえあります」

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 =金丸信氏らの庇護の下、47歳で自民党の幹事長となって権力を振るい、世の中を少し甘く見ていたことを告白しています。その率直な心情吐露はいいのですが、今では小沢氏自身が自治労、日教組など旧体制の守護神と化しているようで…。

◆平成10年5月14日日経、自由党党首、インタビュー


「我々は政権や政治勢力を我々の考えを実行する手段と考えている。だから我々の考えが実現できる限り、直接、政権のポストに就こうが就くまいが、協力していく。極端な話、政策で一致するなら共産党との協力も辞さないと僕は言っているし、当然、自民党も例外ではない」

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 =この時期、この表現が気に入っていたのか、他紙のインタビューでも「共産党との協力」を語っています。まあ実際、次期衆院選では共産党票がどれだけ民主党に回るか注目されているわけですから、違った形でそれは実現しそうですが。

◆平成10年8月14日毎日、自由党党首、参院選自民党大敗後のインタビュー


「それでも、なおかつ、まだ自民党は直面している危機の本質に気がついていない。要は橋本さん(龍太郎前首相)に責任を全部負っかぶせ、シャッポだけ首を切った。今までの歴史の中でもまれなことだ。自民党は負ければ、(手を左右に動かし)今度はこっちに振って全交換し、生き延びてきた」

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 =この見方に関しては私も、自民党の在り方の本質を突いていると同意します。昨年の参院選後、安倍元首相とその保守路線に敗戦の責任をすべてかぶせ、思想信条的にその対極に位置する福田前首相に雪崩を打った自民党議員たちの姿が目に浮かびます。それでは何の解決にもならないのに…。

◆平成10年11月20日産経、自由党党首、自自連立合意後の記者会見で


「私たちにとっても、国民の皆様のためにも大変よかった」

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 =もともと前言を翻すことなど平気な人なのでしょう。

◆平成10年11月23日サンケイスポーツ、自由党党首、テレビ番組で将来、首相を目指すのかと問われて


「みんながどうしても必要だというなら拒否しない」

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 =この時期、小沢氏が「ハイ」になっていたのが何となく伝わるセリフです。有頂天になっていたとも言えますね。

◆平成10年12月5日産経夕刊、自由党党首、党国会議員候補者コンテストでのあいさつで自自連立について


「連立しても参院では過半数に達しない意味で数合わせにならない。それでも、自民党が連立を求めてきたのは、自由党が主張した政治、行政、経済の各改革を認め、理念と政策の力を借りて今日の日本の危機を乗り越えないといけない、ということだと思う」

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 =当時、私は政治部の初年兵として首相官邸で小渕首相の総理番をやっていました。夜回り先などで秘書官らから自自連立についての舞台裏や小沢論などをいろいろ聞いたのを懐かしく思い出しますが、このころは私もまだ小沢氏に根拠のない期待感を持っていたのです。いま、この人のつくられ、祭り上げられた「イメージ」「虚像」を批判し、その是正に努めていますが、当時は私自身、幻惑されていました。

◆平成10年12月11日産経、自由党党首、女性週刊誌「女性セブン」で「ひれ伏してでも」と自自連立を進めた野中広務官房長官について持ちあげ


「政治家個人の確執なんてどうでもいいこと。今回の連立の決断についても本当に腹が据わっていないとできません。その意味で、(小渕恵三)総理も野中さんもたいへんな政治家。僕自身、野中さんに感情的なわだかまりはありません」

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 =3週間ぐらい前の週刊現代で、野中氏は不動産問題など小沢氏の政治資金問題について「どうして東京地検が動かないのか不思議だ」という趣旨の発言をしていましたが、政治家同士の互いの評価なんて多くはその場限りのものなのだと思います。一時期がっちりと手を結んでもやがて離れ、また知らん顔をして仲良くしてみたり。小沢氏の場合、離れていく人がちょっと尋常ではないほど多いということは言えますが…。

小沢一郎氏の初当選からの言動を振り返る・その七

◆平成10年12月25日産経、自由党党首、党の納会で自自連立が成立したことについて


「つらいこともあったが、皆さん頑張って今日まできたことを、お互い喜び合いたいと思う」

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 =元のサヤに戻り、自民党とまた一緒にやれることがうれしくて仕方がなかったようです。

◆平成11年1月16日産経夕刊、自由党党首、自民党大会での来賓のあいさつ


「久しぶりに党大会に出席させていただいた。党歌(「われら」)も一緒に歌わせていただき、複雑な心境とともに感慨深いものを覚えた。自民、自由両党は揺るぎない信頼関係を築き、協力し合い、政治、行政、経済など21世紀に向けてあらゆる改革の推進の先頭に立っていこうではないか」

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 =これを読み返した私もまた、感慨深いものがあります。そんなこともあったなあ、と。でも、初心が続かない人なんですよねえ…。

◆平成11年2月19日産経、自由党党首、自民党の村上正邦旧中曽根派会長の勉強会で復党の意思について聞かれ


「いまただちに一緒になるとは私の口からは言えないが、理念・政策が一致するなら一緒にやっていくのはやぶさかではない」

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 =自民党に戻りたくて仕方ない気持ちがにじみ出ているかのようです。

◆平成11年4月2日産経、自由党党首、インタビューで日米関係について


「本当の日米関係を築くなら、日本は同盟国、友人としてやれるだけの責任と役割を果たさないとダメだ。英国は労働党のブレア首相でさえ最後は米国と行動をともにする。国家としての威信とプライドをきちんと持って同盟国として存立しているということだ。経済面では日本は規制を緩和し、市場をオープンにして、米国など外国資本をどんどん入れればいいのに、政界も財界も腹がすわっていない」

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 =小沢氏の「腹」はどこに行ったのでしょう。どの口が言うのか、という気もします。

◆平成11年9月6日産経、自由党党首、民放テレビ番組で憲法について


「憲法は、自由な国民の意思表示によってできる状態でないと有効でない。契約も脅かされたり監禁されたりして署名したものは無効だ。日本国憲法も占領時代につくられた憲法なので、いったん無効にして新しい憲法をつくるべきとの議論もある」

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 =この現行憲法無効論を一貫して述べているのなら、傾聴に値するとも思いますが、今ではこんなこと決して言いませんからねえ。首尾一貫しない人です。

◆平成11年10月6日産経、自由党党首、盛岡市での講演で


「自由党はうるさくてかなわんと自民党は言う。日本ではリーダーシップを発揮すると独裁者、剛腕と嫌われ、私も政界で『原理主義者』と嫌われる」

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 =私も、政治家のリーダーシップとは何かと考えることがよくあります。リーダーの「決断」が混迷した事態を切り開き、新たな展開をもたらすことがある一方、ただのわがまま、独善に映ることもありますね。難しいものですがこの人の場合…。

◆平成11年11月12日産経、自由党党首、記者会見で自自合流について


「私の方から自民党との合流を打診したことも、要請した経緯もない。われわれは本当にいい日本を作り上げるための政策を国民に訴えている。その政策をよしとして、ともに力を合わせ実行しようという仲間がいれば、何党に所属していようと、手を携えていくのは当然だ。政策実現を可能とする選択を探るのは、政治家、政党として当たり前だ」

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 =このころ、永田町・霞ヶ関では自自合流は選挙対策上、小沢氏サイドが持ちかけたという話が専ら流通していました。

◆同上、自由党若手議員との懇談で


「自民党は下手に出ればいくらでもつけあがるが、強気に出ればどこまでも譲るところだ」

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 =こういう小沢氏の考え、姿勢が、野中広務官房長官(のち幹事長代理)との間にはさまれた小渕首相を追いつめていったのでしょうね…。

◆平成11年11月15日産経夕刊、自由党党首、民放テレビ番組で自民党との合流論議について


「党としてどうこうとかは、公式にも非公式にもない。お互いのいろんな会話でそういうことが口の端に上ることはあった」

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 =この人は日本人はあいまいだとよく叱っていますが、自分はどうなんだか。

◆平成11年12月16日産経、自由党党首、記者会見で、自民、自由、公明の三党連立にとどまることを正式に表明して


「首相や自民党の善意と誠意にもう一度期待して、(定数削減の)実現にかけてみようと考えた。(自自合流問題については)そういう意味の話は小渕首相との会話の中でも出た。ただ今日(の党首会談)は政策合意、約束を何とか実行するようお互いに智恵を出そうということが主だった」

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 =このころ、小沢氏は何度も「連立離脱」と大騒ぎしてはあっさり引き下がることを繰り返し、夕刊紙だけでなく一般紙でも「オオカミ中年」と書かれていました(命名・山崎拓氏)。こういうありがたくないあだ名も、時の経過の中でみんな忘れていくものだから小沢氏も助かっています。

◆平成12年1月7日産経、自由党党首、党本部での仕事始めでのあいさつ


「今年は辰年で、占いに詳しい人に聞くと何やかや大変な年だそうだ。自由党は結党の原点を常に忘れず、つらくても我慢して力を合わせて、国民のために大きな役割を果たすことができる年になるよう努力をしていきたい」

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 =このとき、小沢氏が公の場に姿を現したのは前年の12月15日以降、初めてのことでした。こうしてずっと言動を追っていると、やたらと入院や雲隠れが多いほか、この「つらい」という言葉もよく吐いているのが分かります。

◆平成12年4月2日産経、自由党党首、自自公党首会談で、小渕首相から連立解消を通告された後の記者会見で


「わが国の議会制民主主義を守るため、自民党も自由党もみんな生まれ変わって、保守再生の形で政治に当たらなければならないとの考えは変わらず持っている」

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 =自民党との合流、保守新党結成にまだ未練を残した言葉です。ただ、こうした小沢氏のせっかちな強引さが、自自に亀裂を入れ、連立解消につながったのは間違いないと思います。当時、私は小渕首相番記者の一人でしたが、小渕氏が思い悩み、苦悩している様子ははっきりと伝わってきました。そして、小渕氏は倒れ、不帰の人となりました。小渕氏の長男(優子議員の兄)が、弔問に訪れた小沢氏に頭も下げず、ずっとにらみつれていたというエピソードも聞きました。

◆平成12年6月3日朝日、自由党党首、総選挙インタビューで、1993年に自民党を飛び出してからの軌跡について


「僕も反省してるんだが、自社のアンシャンレジーム(旧体制)の復活を許してしまった。もう少し(非自民政権を)続けていれば、完全に旧体制は崩壊したと思うが、息を吹き返しちゃった」

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 =そして今は、自分が民主党代表として旧社会党勢力を取り込み、アンシャンレジームを体現していると。

◆平成12年6月8日産経、自由党党首、総選挙インタビューで公約「戦後保守との決別」について説明し


「自民党は、国際政治や教育、日本の伝統文化の問題でも、本来守るべき価値を大事にせず、経済的に豊かにすることだけを政治の目標にした。戦後、連合国軍総司令部(GHQ)の占領政策は、日本を二度と国際政治の場に登場させないように、民族の力を弱体化させるのが目的だったが、戦後経済の復興だけは、一生懸命やってくれという姿勢だった。衣食住、経済を復興させることだけは許されていたから、当時の吉田茂首相は、まずこれに全力を傾けた。吉田首相自身が後に、こんなことではダメだと日記に書いている」

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 =時代的に、このインタビューには私も一枚かんでいるのかもしれませんが、記憶にありません。ただ、この小沢氏の主張、認識には異存がありません。素直にその通りだと思います。同じ人が、今ではそのGHQの教えを忠実に継承している日教組を支持基盤にしているというのが、何とももの悲しい気がします。

◆平成12年6月26日産経、衆院選で与党三党が過半数議席を確保したことについて


「私の読みが外れた。もう少し国民は積極的に(選挙に)参加すると思っていた。危機感がそれほど強くなく投票結果に表れなかった。現状のままで何とかならないかということの方が、国民の心理としては上回った」

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 =いつかどこかで聞いたような、そしてまたいつか聞くことになるようなセリフですね。デジャブのような…。

小沢一郎氏の初当選からの言動を振り返る・その八

◆平成12年8月18日夕刊フジ、自由党党首、「剛腕コラム」


「自民党には『目先を変える』とか『振り子の論理』といった考え方があり、年齢の若い議員を重要ポストに登用して新鮮なイメージにしたり、タカ派的な首相をハト派的に首相に変えるなど、本格的な改革を避けて目先の変化だけで国民をゴマかすようなところがある」

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 =これは基本的に同意見です。しかし、この自民党のやり方も、対抗勢力が社会党しかおらず、党内の各派閥が疑似政権交代を行っていた時代には通用しても、今ではもう国民は誤魔化されないでしょうね。いつまでも同じようなことを繰り返していたのでは、自民党は国民に見放されていくばかりだと思わざるをえません。

◆平成12年9月1日夕刊フジ、自由党党首、「剛腕コラム」


「大手新聞やテレビではなかなか取り上げないが、国民のみなさんは、これからの選挙で各政党ごとの政策や政治理念を徹底比較してほしい。マスコミはあまりにも政局報道が多過ぎる。政局とは政策を実現するための手段であって、目的はあくまで政策であり政治理念」

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 =言葉通りに受け取っていいものかどうか悩みますが、とりあえずおっしゃる通りです。私も、国民が民主党の「政策INDEX2008」にもっと関心を持つことを期待します。

◆平成12年9月7日毎日、自由党党首、ゼンセン同盟大会であいさつし、政府との政策協議再開にこだわる連合を批判し


「(連合は)なんでこう、未練たらしく言うのかなと思う」

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 =まあ、別に小沢氏がどこでどう言おうとかまわないのですが、会場の受け止めはどうだったのでしょうね。

◆平成12年9月27日夕刊フジ、自由党党首、「剛腕コラム」、永住外国人への地方参政権付与に賛成する理由について


「僕は、(永住外国人に)地方参政権を付与することによって彼らのわだかまりを解き、帰化を促進させられると考えている。(中略)地方参政権を付与して帰化を促進することは、朝鮮半島有事における日本の混乱状況を防ぐことにもつながる」

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 =この認識は不思議です。そもそも、大韓民国民団が地方参政権要求を強めた背景には、同胞の帰化によってどんどん組織が弱体化することを防止する目的があったといいます。参政権を得ることによって「何も帰化しなくてもいいか」という状況をつくろうということですね。なのに、小沢氏は参政権付与が帰化を促進すると主張しています。中にはそういう場合もあるのかもしれませんが、私にはよく分からない理屈です。

◆平成12年10月20日夕刊フジ、自由党党首、「剛腕コラム」、中国の朱鎔基首相の来日時に会談を断った理由に関して


「特に中国首脳の場合、『みんなに会いたい』という理由で、迎賓館に各党党首が出向いて次々に会談していく。まるで君主に臣下が拝謁するように。こんなやり方は米国大統領だってやらない。中国首脳のだけ」

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 =その言や良し、なのですが、国会開会中の昨年12月に、菅直人代表代行ら幹部をはじめ民主党議員40数人を引き連れて訪中し、日本では滅多に見せない満面の笑みを浮かべて胡錦濤国家主席と握手していた小沢氏のことを思うと…。

◆平成12年12月19日朝日、自由党党首、インタビューで平成3年10月に、海部俊樹首相の後継総裁選に出ることを金丸信氏らから要請されて断った件について


「後から考えれば、金丸さん、竹下(登)さんの威光を背景に思う存分、やれたかもしれない。しかし、その時は病気をした後だったし、心構えもなかった。また宮沢さん、渡辺(美智雄)さん、営々と努力してきた大先輩を飛び越すなんてという日本人的感情が働いた…。ドライに割り切れなかった」

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 =ちょっと後悔がにじみ出ています。このインタビューには渡部恒三衆院副議長のコメントがついていて、渡部氏は「金丸さんから総理にと言われて断ったとき、私も『チャンスは二度ない』と説得したが、次もあるとうぬぼれていたのかな」「小選挙区制は彼の持論だが、政治改革を打ち上げたのは金丸問題から世間の目をそらせることと、羽田さんを引っ張り込むことも狙いだったと思う」と率直に述べています。その渡部氏が今は小沢氏とまた一緒にやっているのだから、政界って…。

◆平成12年12月26日産経、自由党党首、インタビューで、改憲を訴える自由党が護憲の社民党候補を応援するわかりにくさについて


「それは日本人の情緒的な発想だ。自民党政治では現在の危機を乗り越えることはできない。新しい政治体制を構築するという一点で合意できればいい。割り切らないと改革はできない」

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 =何か根本的なところで誤魔化しているような気がします。というか、この人の場合、いつも「日本人の~」という言葉をマイナスの意味で遣うのですが、やめてほしいものです。

◆平成13年1月11日産経、自由党党首、記者会見で社民党との土井たか子党首との憲法観の一致について


「土井さんは憲法前文と(戦争放棄に関する)9条は変えないでいこうと思っている。前文(の内容)については、基本的に私が今までも主張してきたことだ」

:
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 =私は、現憲法の中で何が一番よくないかというと、9条よりも前文だと思います。これは以前から何度も書いてきていますが、叱られた子供が先生に「もうしません」と媚びながら謝っているような、独りよがりな他者依存がむきだしで、同時にいびつな幼児性そのものを体現しているようないやらしいあの文章…。9条は空想的ですが、まあ一つの理想をうたっているのはそうだと思いますが、前文はいただけません。

◆平成13年4月29日日経、自由党党首、岩手県内での記者会見などで、新たに発足した小泉政権で田中真紀子氏が外相に就任したことについて


「田中角栄先生の娘ですから速射砲のごとく言葉が出てくる。ただ、きちんとした自分なりの哲学、政策をもって語りかけた田中先生とはちょっと違う。具体的な政策を聞いたことがありません」

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 =分かっているじゃないですか。今は連携を深めているようですが。

◆平成13年5月17日産経、自由党党首、記者会見で皇室典範見直しについて


「(皇位継承権を)男系に限ったのは明治時代。過去には女性の天皇もいた。おかしなところはどんどん変えればいい」

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 =なるほど、そういう考えですか。小泉政権時代には、私は宮内庁担当経験者だったことから、さんざん皇室典範問題について記事を書いてきましたが、小沢氏がどういう考えであったかは迂闊にも見逃していました。この短いコメントでは分かりませんが、過去にいた女性天皇はみな「男系」なのですけどね…。

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最終更新:2013年12月23日 23:25