自民党の派閥
<目次>
■清和会(現:清和政策研究会、以下清和会で統一)
(Wikipedia)
党内では、平成研究会や宏池会と並ぶ保守の名門派閥である。
自民党内では保守合同時の日本民主党(岸信介・鳩山一郎派)の流れを汲む。日本民主党の「反・吉田茂」路線を起源に持つため、親米を基調としながらも自主憲法論・憲法改正論を唱え、再軍備に積極的であるなど比較的タカ派色が強く、冷戦期にはその反共主義志向の反映として、韓国・台湾に独自の人脈を持った。
岸派から続く自民党の有力派閥だったが、いわゆる「角福戦争」以降、自由党系の田中派(後の平成研究会)と大平派(宏池会)の主流派連合に対し、非主流派に甘んじることが多かった。森内閣発足以降、主流派として実質的に政権の中枢を担うようになった。
■経世会(現:平成研究会、以下経世会で統一)
(Wikipedia)
自由党吉田茂派を起源に持ち、周山会(佐藤栄作派)・木曜クラブ(田中角栄派)の流れを汲む保守本流集団。
1985年2月、自民党を離党しながらも派閥領袖として影響力をもち続ける田中角栄に反旗を翻した竹下登・金丸信らを中心に田中派内に勉強会として創政会(そうせいかい)を結成。1987年7月4日、角栄を追放し事実上派閥を乗っ取る形で経世会(けいせいかい)を結成、会長には竹下が就任した(通称竹下派)。 派閥名は中国の古典にある「経世済民」から取った。
■宏池会
(Wikipedia)
政策科学的機構としては、宏池政策研究会と定義される。創設者の池田勇人以来、大平正芳・鈴木善幸・宮沢喜一と4人の総理・総裁を輩出、野党時代にも河野洋平、谷垣禎一と2人の総裁を出しており、自他共に保守本流の名門派閥と見なされてきた。元来、池田を取り巻く官僚出身の議員やスタッフを中心に形成されたという沿革もあり、今日に至るまで政策に通じた議員が多く在籍し、大平正芳、宮澤喜一、加藤紘一などの官僚出身議員も多く在籍する。しかし政策に明るいが政争に暗いと評され、「公家集団」と揶揄されることもしばしばみられる。
当初から離合集散を繰り返してきた自民党各派閥に比べて、各会長の下一致結束して派閥を継続してきたとされ、自民党草創期の名称を今日まで維持している唯一の派閥でもある。しかし1993年の野党転落を機に派の主導権争いが激化して以降は分派や合流を繰り返している。
政策面では、歴史的に明確な一貫性があるわけではないが、自民党内では中道派に属し、特に安全保障では日米関係を重視しながらも、ややハト派的傾向が見られる。小泉政権以降、自民党の主流が保守化する中、後述の宏池会再結集においては意識的にリベラル派の再結集をアピールした。
■主な派閥の違い
まずはこちらをご覧下さい。※演繹的分析
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政党 |
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政治的立ち位置(P.S.) |
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主な議員 |
1 |
自民党 |
(1) |
進歩 |
数は多くないがマスコミの支援を受ける有力議員が多い |
河野太郎、河野洋平、加藤紘一 |
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(2) |
リベラル |
岸田派、旧二階派に多い |
福田康夫、二階俊博、古賀誠、谷垣禎一、野田毅 |
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(3) |
中間 |
額賀派、大島派、石原派に多い |
青木幹雄、山崎拓、小泉純一郎、町村信孝、細田博之 |
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(4) |
保守 |
町村派、旧伊吹派、麻生派に多い |
森喜朗、麻生太郎、安倍晋三、下村博文 |
2 |
民主党 |
(1) |
革新 |
旧社会党・社民連出身者に多い |
江田五月、横路孝弘、菅直人、仙谷由人、千葉景子、岡崎トミ子、齋藤勁、今野東 |
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(2) |
進歩 |
旧民社党(労組系)、旧さきがけ出身者に多い |
鳩山由紀夫、岡田克也、直嶋正行、川端達夫、高木義明、平岡秀夫 |
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(3) |
リベラル |
旧日本新党、松下政経塾出身者に多い |
前原誠司、藤村修 |
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(4) |
中間 |
旧新生党(自由党)出身者に多い |
小沢一郎、石井一、藤井裕久、羽田孜、北澤俊美、野田佳彦、中井洽、山岡賢次、奥村展三 |
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(5) |
保守 |
ほぼ絶滅 |
牧義夫、渡辺周、笠浩史、長尾敬、渡部恒三 |
※以上は、一般に認知されている党の構成や成り立ちから演繹的に導き出した分類結果です。
※実際には後出の帰納的分析により、自民党にも無視できない数の革新・進歩派議員が存在することになります。
会長のP.S.分析(直近10年)
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政党 |
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氏名 |
政治的立ち位置(P.S.) |
補足説明 |
1 |
清和会派 |
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(1) |
福田赳夫 |
保守 |
岸信介の流れを汲み、「タカ派」と評されることが多い。60年代の高度成長期には水田三喜男とともに数度に渡って蔵相をつとめ、また70年代のオイルショック後の転換期にもほぼ一貫して経済運営の中心にあった。総理就任後は1977年のいわゆる福田ドクトリンは、今日に至る日本の東南アジア外交の基軸となっている。また、日中平和友好条約の締結は、その後の日中経済協力の礎を築くことになった。 |
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(2) |
安倍晋太郎 |
真正保守 |
安倍晋三の父。安倍はポスト中曽根を逃したものの竹下政権では幹事長として主流派入りし、ポスト竹下の最右翼と見なされていたが、リクルート事件のダメージを受けたまま病に倒れた。 |
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(3) |
三塚博 |
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安倍晋太郎時代は加藤六月・塩川正十郎・森喜朗とともに「安倍派四天王」と称された。安倍の死後は加藤との「三六戦争」に勝利し、安倍派を継承。しかし第2次橋本内閣の蔵相時に山一証券・北海道拓殖銀行の破綻といった未曾有の金融危機に見舞われた際に目立った指導力を発揮出来ず、大蔵省接待汚職事件の責任を取って蔵相辞任。結果首相への夢はかなわず、翌年には森に派閥会長の座を譲って三塚派から森派とし、政界の第一線から退く形になった。 |
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(4) |
森喜朗 |
真正保守 |
「神の国発言」でマスゴミの理不尽なまでのバッシングを受けた被害者第一号。 しかし、このバッシングの真の理由は森氏が後の安倍・麻生両氏と同じく保守であったことに対するマスゴミ側の反感・敵意による(当時はネットによる歯止めが無かったため国民の多数が騙されてしまった) |
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(5) |
町村信孝 |
保守 |
外相時に中国の反日デモに猛抗議、日本の国連常任理事国就任活動を積極推進、福田内閣では官房長官として福田首相の親中姿勢を抑制し日本の国益確保に腐心。教育正常化を推進し日教組を批判。 |
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(6) |
細田博之 |
保守 |
麻生元総理の言葉狩りに奔走するマスコミやマスコミの情報を鵜呑みにする有権者を批判したが、女性宮家の創設に反対。 |
最終更新:2021年12月31日 12:51