自生的秩序・ルール・言語行為

我々の時代の保守主義を論ずることは、しかし、かなり逆説的な課題である。
バークが《近代》保守主義の生誕を高らかに宣言した時代には、その背景に、土地と議会を支配したジェントルマン達の貴族主義が、確固として存在していた。
保守主義は、ブルジョワ的産業主義と大衆的民主主義に反対する、ジェントルマンのイデオロギー足り得たのである。
しかし、ニ世紀に亘る、産業化と民主化の津波のような進撃が、あらゆる種類の貴族主義を粉砕し尽くし、技術と大衆が完全に勝利を収めた、我々の時代の保守主義には、いかなる階層的な基盤も期待し得ない。
我々の時代の保守主義は、支配階層のイデオロギーといったものではあり得ないのである。
我々の時代を支配しているのは、むしろ技術と大衆なのであって、それらを称揚する思想は、進歩主義でこそあれ、保守主義などでは全くあり得ない。
我々の時代の支配的なイデオロギーは、支配的であるがゆえに保守的であるという訳には、必ずしもいかないのである。
しかし、支配的であるものを擁護することが、必ずしも保守的であるとは限らないという状況は、かなり逆説的であると言う外はない。
このような状況において、保守主義は、いかに立ち現われるのであろうか。
我々の時代の保守主義を論ずるためには、この問いを避けて通る訳にはいかない。
これが、保守主義を20世紀末の今日において論ずることの引き起こす、差し当たりの困難である。

保守主義を論ずることは、しかし、より根本的な困難を孕んでいる。
保守主義を論ずることは、取りも直さず、自然発生的に形成される伝統や、合理的には言及し得ない偏見や、個体的には帰属し得ない権威やを論ずることに外ならないが、これらの伝統や偏見や権威やは、むしろ言葉によっては語り得ず、ただ行為において示される類いのものなのである。
すなわち、保守主義を論ずることは、語り得ぬものを語らねばならぬという困難を抱え込むことに等しいのである。
しかし、この困難は、保守主義が、合理主義と個体主義を否定することにおいて始めて成立したという、その出生の秘密の内に、既に孕まれたアポリア(※注釈:aporia 論理的正解を見出し辛い難問)である。
すなわち、保守主義は、客観的には言及し得ず、主観的には帰属し得ない、主客いずれでもあり得ない、言い換えれば、「~ではない」としか語り得ないものとして、この世に産み落とされたのである。
従って、保守主義を論ずることは、極めて逆説的な作業となる。
すなわち、保守主義は、進歩主義の称揚する諸価値を否定する作業の積み重ねの彼方に、いわば描き残された空白として、立ち現われて来るのである。
この意味において、保守主義の擁護する伝統は、《空の玉座》である。
すなわち、一切の存在は玉座を指し示しているにも拘わらず、そこに鎮座すべき王は永遠に不在なのである。

現代の保守主義を論ずることに纏わる、これらの困難を切り抜けるために、本書は、20世紀における、必ずしも保守主義者とは自認していない、合理主義と個体主義の批判者達の言説を取り上げてみたい。
何故ならば、現代の保守主義は、支配的なイデオロギーを喧伝している、自称保守主義者達の言説によく現れているとは考え難いからであり、また、現代の保守主義と言えども、合理主義と個体主義とを否定する言説の隙間にしか、決して立ち現われ得ないからである。
本書は、このような現代における啓蒙の批判者として、F・A・ハイエクH・L・A・ハートJ・L・オースティンの三者を取り上げることにする。
言うまでもなく、現代における合理主義と個体主義の批判は、この三者のような、ウィトゲンシュタインに近い筋日常言語学派からのそれのみならず、現象学解釈学からのそれ、あるいは、構造主義ポスト構造主義からのそれといった、様々な潮流によって担われている。
20世紀思想の主だった潮流は、押しなべて合理主義と個体主義の批判に従事していると言っても、決して過言ではないのである。
それらの諸潮流の中から、主としてイギリス(あるいは英米圏)をその活躍の舞台とした、ハイエク・ハート・オースティンの三者を選択する理由は外でもない。
このニ世紀の間、《近代》進歩主義に抗して、最も激しく戦い抜いてきた、イギリス保守主義の伝統に、ささやかな敬意を表したいからである。
イギリスは、産業革命と民主革命の祖国であるとともに、《近代》保守主義のいつかは還るべき《イェルサレム》なのである。


フリードリヒ・A・ハイエクは、1899年、オーストリア・ハンガリー帝国爛熟期のウィーンに生まれた。
ルードウィヒ・ウィトゲンシュタインが母親の又従姉妹に当たる家系の出自である。
ウィーン大学で法学、政治学、オーストリア学派の経済学を学ぶとともに、1927年よりオーストリア景気変動研究所の所長を勤めた。
しかし、オーストリアの政治状況下では教授職を得難く、英米圏に渡り、1931年よりロンドン大学、1950年よりシカゴ大学に奉職する。
その後、1962年に西ドイツのフライブルグ大学に戻った後、1967年に退職した。
1974年にはノーベル経済学賞を受賞している。
主著『法・立法・自由』の出版は、第一巻「規則と秩序」が1973年、第二巻「社会的正義の幻想」が1976年、第三巻「自由人達の政治秩序」が1979年である。
ハイエクは、社会の全体を合理的に管理し得るとする技術的合理主義あるいは産業主義と、その政治経済的表現であるあらゆるタイプの社会主義(コミューン主義、民主社会主義、ケインズ主義、国家社会主義、福祉主義、行政国家など)を、理性の思い上がりであるとして根底的に論駁するとともに、大衆の意志に絶対の主権を授与する無制限な民主主義こそが、隷従への隧道(※注釈:すいどう、①墓場へと降りていく道、②トンネル)であるとして厳しく批判する。
ハイエクは、この技術的合理主義と大衆的民主主義への反駁の立脚点として、行為の累積的な結果として生成されるにも拘わらず、行為の意識的な対象としては制御され得ず、また、行為の主観的な意図にも還元され得ない(行為の)秩序としての、自生的秩序(spontaneous order)の概念を提出する。
この自生的秩序という概念こそが、保守主義を論ずるに当たって、是非とも参照されねばならないキー・コンセプトなのである。
ハーバート・L・A・ハートは、1907年、イギリスに生まれた。
オックスフォード大学卒業後、弁護士を経て、1954年より母校に戻り、1968年に退職した。
主著『法の概念』の出版は1961年である。
言うまでもなくハートは、英米圏の法哲学を代表する社会哲学者であるとともに、オックスフォード日常言語学派の最も重要なメンバーの一人である。
ハートは、法を含むルールを、最高、無制限の主権者の命令あるいは意志に帰属させる、個体主義的な社会論の不可能性を緻密に論証する。
ハートにとって、(内的視点から見た)ルールとは、個体の行為の妥当性を判定する理由となるものであって、個体の意志にはついに帰属させ得ない存在なのである。
しかし、ハートは、ルールについての個体主義的あるいは主観主義的な理解を拒絶するからと言って、当為判断の理由たるルールについての客観主義的あるいは自然主義的な理解に与する訳ではいささかもない。
ハートにとって、(外的視点から見た)ルールとは、あくまでルールに従っているという慣習的な行為の中にのみ見出されるものであって、いまここに遂行されているという事実以外の、いかなる客観的あるいは絶対的な根拠も持ち得ない存在なのである。
すなわち、ハートにとって、ルールとは、自らはあらゆる行為の妥当性を判定する理由となるにも拘わらず、自らの妥当性を根拠付けるいかなる理由も持ち得ずに、ただ慣習的に従われている存在に外ならないのである。
このようなハートのルール論が、保守主義の論ずべき点について、極めて大きな示唆を与えることは明らかであろう。
このようなルール論の形成に当たって、日常言語学派の哲学、わけてもジョン・L・オースティンとの交流が、決定的な役割を果たしたことは言うまでもない。
ジョン・L・オースティンは、1911年、イギリスに生まれた。
オックスフォード大学卒業後、1933年より母校に奉職し、1960年に没した。
主著『いかにして言語とともに行為するか』(※注釈:『How to Do Things with Words』)は、1962年の出版である。
言うまでもなくオースティンは、20世紀後半のイギリス哲学を代表する日常言語学派の第一人者である。
オースティンは、言語は何等かの事実を記述するものであり、言葉の意味はその記述対象である、従って、事実によってその真偽を検証し得ない言明は無意味であるとする、実証主義(※この文脈では論理実証主義 logical positivism の「意味の検証可能性テーゼ/原理 verifiability principle」 を指すものと思われる)あるいは記述主義の呪縛から言語を解放する。
オースティンによれば、言語は、命令や判定や約束やの発話に見られるように、それ自体が社会的な行為の遂行なのであって、事実の記述に帰着し得るものではなく、その真偽を検証し得なくとも有意義なのである。
しかし、オースティンは、言語は客観的な事実の記述ではなく行為の遂行であると主張することによって、あらゆる発話は発話する個体の主観的な意図や情緒や欲求やの表出である(※注釈:情緒主義 emotivism)と主張したい訳ではない。
オースティンによれば、発話の社会的な行為としての効力は、その発話の適切性を判定する慣習的なルールに依存するのであって、発話する個体の主観的な意図には帰属し尽くせないのである。
このようなオースティンの言語行為(speech act)論は、保守主義を論ずることの複雑な様相を照らし出す。
保守主義を問うには、人間にとって最大の伝統あるいは慣習である言語への問いを、その射程に入れねばならないのである。

彼ら三者は、無視し得ない差異を留保しつつも、合理主義あるいは実証主義と、個体主義あるいは主権主義とに対する懐疑を共有している。
すなわち、彼らは、その力点の置き方にかなりの相違を認めるとしても、世界に対する、合理的な制御あるいは言及の可能性を疑い、また、社会の、個体的な意志への還元あるいは帰属の可能性を疑っているのである。
さらに、彼らが、そのような懐疑の立脚点として提出する、自生的秩序、ルール、言語行為の諸概念もまた、ある幾つかの特徴を共有している。
すなわち、これらの諸概念は、行為の結果として慣習的に生成されるにも拘わらず、(制御や言及やといった)行為の対象とはなり得ない暗黙的な事態であり、かつ行為を妥当させる規範的な根拠となる、といった諸特徴のいずれかを、必ず指し示しているのである。

このような自生的秩序・ルール・言語行為の諸概念が、ウィトゲンシュタインの言語ゲームの概念と、言わば家族的に類似していることは、注目されてよい。
言語ゲームは、人間の行為の遂行は総て言語ゲームの遂行とならざるを得ないという意味において、行為を拘束する(規範的な)事態であり、また、自らの総体を対象とした(その正当化をも含む)いかなる言及をも許さないという意味において、暗黙的な事態である。
すなわち、言語ゲームとは、自らにあらゆる行為を従属させるとともに、自らは如何なる根拠をも保持し得ない、いわば慣習的な事態なのである。
このような言語ゲームの概念は、自生的秩序・ルール・言語行為の諸概念と、そのかなりの特徴を共有している。
保守主義を論ずるに当たって、言語ゲーム論は、極めて魅力的な題材を提供しているのである。
しかし、本書は、ウィトゲンシュタインの言語ゲーム論を、明示的には取り扱わない。
一つには、ウィトゲンシュタインのテクストを解釈する作業が、解釈の可能性それ自体をも含めて、かなりの錯綜した課題と見受けられるからであり、二つには、言語ゲーム論と、わけてもハートのルール論との相互関係をめぐる、極めて鮮やかな分析が、近年、橋爪大三郎によって為されているからである(※原注1:橋爪大三郎『言語ゲームと社会理論-ウィトゲンシュタイン・ハート・ルーマン-』勁草書房 1985)。
従って、本書に現れる言語ゲーム論は、ハイエク・ハート・オースティンのテクストの解釈に投影された、その射影に過ぎない。
しかし読者は、本書に落とされた、ウィトゲンシュタインの長い影を、やはり鮮やかに見いだす筈である。
何故ならば、ウィトゲンシュタインこそが、20世紀思想の諸結果と、保守主義の伝統とを結び付ける、あの《失われた環》(※注釈:missing link)に外ならないと想われるからである。

以上のような、ハイエクの自生的秩序論、ハートのルール論、オースティンの言語行為論、さらには、ウィトゲンシュタインの言語ゲーム論が、現代における保守主義の在処(ありか)を発見する、最も有力な手掛かりとなることは明らかであろう。
保守主義の変わらぬ拠り処は、遂行的に生成される伝統であり、合理的には言及し得ぬ偏見であり、個体的には帰属し得ぬ権威であった。
自生的秩序やルールや言語行為やさらに言語ゲームといった、20世紀思想の指し示すものは、遂行的に生成される慣習的な事態であり、合理的には言及し得ぬ暗黙的な事態であり、個体的には帰属し得ぬ規範的な事態である。
従って、保守主義とこれら20世紀思想の間には、ほとんど完全な同型対応が存在していることになる。
あるいは、これら20世紀思想は、むしろ保守主義の現代における新たな表現であると言ってもよい。
すなわち、保守主義は、これら20世紀思想に身を託して、この20世紀末の現代に立ち現われた、と言って言えないことはないのである。
しかし、これらの議論の当否は、本論に委ねることにしよう

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最終更新:2013年06月11日 16:27