芦部信喜・憲法概念論


※図が見づらい場合⇒ こちら を参照
※左記の他に実は、 自然法または根本規範を認めず、憲法制定権力も認めない特定時点の国民が保持する のはせいぜい 「憲法典 constitutional code」(形式憲法)を制定ないし改廃する権力 (つまり 「国政 national policy」を決定する権力 )であり、 「国制 constitutional law」(国体法=実質憲法)を制定・改廃する権力ではない 、とする見解もあり、そちらが妥当である。
(→リベラル右派の「国民主権」論及び 保守主義の「国民主権」批判 参照。この場合「国制」(実質憲法)は過去から現代に至る世代を重ねた国民の長年のプラクティスの中から徐々に形成されるものと理解される。すなわち法の支配


※図が見づらい場合⇒ こちら を参照
※①宮澤俊義(ケルゼン主義者)・②芦部信喜(修正自然法論者)に代表される 戦後日本の左翼的憲法学は「実定法を根拠づける“根本規範”あるいは“自然法”」を仮設ないし想定するところからその理論の総てが始まる が、そのような ア・プリオリ(先験的)な前提から始まる論説は、20世紀後半以降に英米圏で主流となった分析哲学(形而上学的な特定観念の刷り込みに終始するのではなく緻密な概念分析を重視する哲学潮流)を反映した法理学/法哲学(基礎法学)分野では、とっくの昔に排撃されており 、日本でも“自然法”を想定する法理学者/法哲学者は最早、笹倉秀夫(丸山眞男門下)など一部の化石化した確信犯的な左翼しか残っていない。
このように 基礎法学(理論法学)分野でほぼ一掃された論説を、応用法学(実定法学)分野である憲法学で未だに前提として理論を展開し続けるのはナンセンスであるばかりか知的誠実さを疑われても仕方がない 行いであり、日本の憲法学の早急な正常化が待たれる。
(※なお、 近年の左翼憲法論をリードし「護憲派最終防御ライン」と呼ばれている長谷部恭男 、芦部門下であるが、 ハートの法概念論 を正当と認めて、 芦部説にある自然法・根本規範・制憲権といった超越的概念を明確に否定するに至っている 。)

※以下、芦部憲法論の具体的内容をチェック。


芦部信喜『憲法 第五版』(2011年刊) 第一章 憲法と立憲主義 p.3以下 

<目次>

一. 国家と法


一定の限定された地域(領土)を基礎として、その地域に定住する人間が、強制力をもつ統治権のもとに法的に組織されるようになった社会を国家と呼ぶ。
従って、領土と人と権力は、古くから国家の三要素と言われてきた。

この国家(*)という統治団体の存在を基礎づける基本法、それが通常、憲法と呼ばれてきた法である。

(*) 国家概念
国家の考え方は、立場の違いによっても、社会学的にみるか、政治学的にみるかによっても、著しく異なる。
三要素から成り立つと言われる場合は、社会学的国家論である。
これを法学的にみた国家論として著名なものが、国家法人説である(第二章一2*、第三章二2(一)参照)。
もっとも、国家三要素説には有力な批判もある。
なお、憲法学では、たとえば人権を「国家からの自由」と言う場合のように、国家権力ないし権力の組織体を国家と呼ぶことも多い。

二. 憲法の意味


憲法を勉強するには、まず、憲法とは何かを明らかにしなければならない。
研究の対象を正確に捉えることは、あらゆる学問の出発点である。

憲法の意味を本格的に解明しようとすると、憲法がどのようにしてつくられてきたのか、どのような思想に支えられて登場したのか、という憲法思想史の背景を研究しなければならないが、ここでは、憲法の意味とその法的特質に関する基本的な事柄について概説的に説明するにとどめる。

◆1. 形式的意味の憲法と実質的意味の憲法


憲法の概念は多義的であるが、重要なものとして三つ挙げることができる。

◇(一). 形式的意味


これは、憲法という名前で呼ばれる成文の法典(憲法典)を意味する場合である。
形式的意味の憲法と呼ばれる。
たとえば、現代日本においては「日本国憲法」がそれにあたる。
この意味の憲法は、その内容がどのようなものであるかには関わらない。

◇(ニ). 実質的意味


これは、ある特定の内容をもった法を憲法と呼ぶ場合である。
成文であると不文であるとを問わない。
実質的意味の憲法と呼ばれる。
この実質的意味の憲法には二つのものがある。

(1). 固有の意味

国家の統治の基本を定めた法としての憲法であり、通常「固有の意味の憲法」と呼ばれる。
国家は、いかなる社会・経済構造をとる場合でも、必ず政治権力とそれを行使する機関が存在しなければならないが、この機関、権力の組織と作用および相互の関係を規律する規範が、固有の意味の憲法である。
この意味の憲法はいかなる時代のいかなる国家にも存在する。

(2). 立憲的意味

実質的意味の憲法の第二は、自由主義に基づいて定められた国家の基礎法である。
一般に「立憲的意味の憲法」あるいは「近代的意味の憲法」と言われる。
18世紀末の近代市民革命期に主張された、専断的な権力を制限して広く国民の権利を保障するという立憲主義の思想に基づく憲法である。
その趣旨は、「権利の保障が確保されず、権力の分立が定められていない社会は、すべて憲法をもつものではない」と規定する有名な1789年フランス人権宣言16条に示されている。
この意味の憲法は、固有の意味の憲法とは異なり、歴史的な観念であり、その最も重要な狙いは、政治権力の組織化というよりも権力を制限して人権を保障することにある。

以上の三つの憲法の観念のうち、憲法の最もすぐれた特徴は、その立憲的意味にあると考えるべきである。
従って、憲法学の対象とする憲法とは、近代に至って一定の政治的理念に基づいて制定された憲法であり、国家権力を制限して国民の権利・自由を守ることを目的とする憲法である。
そのような立憲的意味の憲法の特色を次に要説する。

◆2. 立憲的憲法の特色


◇(一). 淵源


立憲的意味の憲法の淵源は、思想史的には、中世にさかのぼる。
中世においては、国王が絶対的な権力を保持して臣民を支配したが、国王といえども従わなければならない高次の法(higher law)があると考えられ、根本法(fundamental law)とも呼ばれた。
この根本法の観念が近代立憲主義へと引きつがれるのである。

もっとも、中世の根本法は、貴族の特権の擁護を内容とする封建的性格の強いものであり、それが広く国民の権利・自由の保障とそのための統治の基本原則を内容とする近代的な憲法へ発展するためには、ロック(John Loche, 1632-1704)やルソー(Jean-Jacques Rousseau, 1712-78)などの説いた近代自然法ないし自然権(natural rights)の思想によって新たに基礎づけられる必要があった。
この思想によれば、
人間は生まれながらに自由にして平等であり、生来の権利(自然権)をもっている、
その自然権を確実なものとするために社会契約(social contract)を結び、政府に権力の行使を委任する、そして、
政府が権力を恣意的に行使して人民の権利を不当に制限する場合には、人民は政府に抵抗する権利を有する。

このような思想に支えられて、1776年から89年にかけてのアメリカ諸州の憲法、1788年のアメリカ合衆国憲法、1789年のフランス人権宣言、91年のフランス第一共和制憲法などが制定された。

◇(ニ). 形式と性質


立憲的憲法は、その形式の面では成文法であり、その性質においては硬性(通常の法律よりも難しい手続によらなければ改正できないこと)であるのが普通であるが、それはなぜであろうか。

(1). 成文憲法

まず、立憲的憲法が成文の形式をとる理由としては、成文法は慣習法に優るという近代合理主義、すなわち、国家の根本的制度についての定めは文章化しておくべきであるという思想を挙げることも出来るが、最も重要なのは近代自然法学の説いた社会契約説である。
それによれば、国家は自由な国民の社会契約によって組織され、その社会契約を具体化したものが根本契約たる憲法であるから、契約である以上それは文書の形にすることが必要であり、望ましいとされたのである。

(2). 硬性憲法

また、立憲的憲法が硬性(rigid)であることの理由も、近代自然法学の主張した自然権および社会契約説の思想の大きな影響による。
つまり、憲法は社会契約を具体化する根本契約であり、国民の不可侵の自然権を保障するものであるから、憲法によってつくられた権力である立法権は根本法たる憲法を改正する資格をもつことは出来ず(それは国民のみに許される)、立法権は憲法に拘束される、従って憲法の改正は特別の手続によって行わなければならない、と考えられたのである(*)。

(*) 軟性憲法
世界のほとんどすべての国の憲法は硬性である。
しかしイギリスには憲法典が存在せず(その点で不文憲法の国と言われる)、種々の歴史的な理由から、実質的意味の憲法は憲法慣習を除き法律で定められているので、国会の単純多数決で改正することが出来る。
このように通常の立法手続と同じ要件で改正できる憲法を軟性(flexible)憲法と言う。

三. 憲法の分類


◆1. 伝統的な分類


憲法の意味の理解を助けるために、憲法はいろいろの観点から類別されてきた。

◇(一). 憲法の形式・性質・制定主体による分類


まず、
《形式》の点からして、 成典か不成典か、つまり成文の法典が存在するかどうか、
《性質》の点からして、 硬性か軟性か、つまり、改正が単純多数決で成立する通常の立法の場合と同じか、それよりも難しく、特別多数決(三分のニ、ないし五分の三)、またはそれに加えて国民投票を要件としているかどうか、
憲法を制定する《主体》の点からして、 君主によって制定される欽定憲法か、国民によって制定される民定憲法か、君主と国民との合意によって制定される協約憲法か、
という区別などがある、と説かれてきた。

しかし、このような伝統的な分類は、必ずしも現実の憲法のあり方を実際に反映するものではないことに注意しなければならない。
たとえば、①については、イギリスのように単一の成文憲法典をもたない国もあるが、イギリスでも、実質的に憲法にあたる事項は多数の法律で定められており、基本的な事項は、実際には、容易に改正されない。
ところが、②にいう硬性の程度が強い憲法でも、実際にはしばしば改正される国は少なくない。

◇(ニ). 国家形態による分類


また、憲法の定める国家形態ないし統治形態に関する分類として、
君主が存在するかどうかによる 君主制(*)か共和制かという区分、
議会と政府との関係に関して、 大統領制か議院内閣制かという区分、
国家内に支邦(州)が存在するかどうかによる 連邦国家か単一国家かという区分、
なども伝統的に説かれているが、これらも憲法の分類自体としてはそれほど大きな意味をもつものではない。
たとえば、君主制でも、イギリスのように民主政治が確立している国もあり、共和制でも、政治が非民主的な国は少なくない(従って、民主制か独裁制かという観点からの分類の方が意味がある)。
大統領制や議院内閣制にも、いろいろの形態がある(例えば、両者の混合形態もあるし、同じ大統領制でも、アメリカのような民主的なもの、南米ないし中近東の諸国のような独裁的なもの、の別がある)。

(*) 君主制
歴史的にみると、君主制は、絶対君主制から立憲君主制(君主の権限に制限が加えられる君主制。君主は単独では行為し得ず、大臣の助言に基づくことを要し、大臣は不完全ながら議会のコントロールに服する。明治憲法の天皇制はこの例である)、さらに議会君主制(君主に助言をする大臣が議会に政治責任を負う。現在のイギリス君主制はこの例である)へと発展してきている。

◆2. 機能的な分類


このような形式的な分類に対して、戦後、憲法が現実の政治過程において実際にもつ機能に着目した分類が主張されるようになった。
たとえば、レーヴェンシュタイン(Karl Loewenstein, 1891-1973)という学者は、
規範的憲法、 すなわち、政治権力が憲法規範に適応し、服従しており、憲法がそれに関係する者すべてによって遵守されている場合、
名目的憲法、 すなわち、成文憲法典は存在するが、それが現実に規範性を発揮しないで名目的に過ぎない場合、
意味論的(semantic)憲法、 すなわち、独裁国家や開発途上国家によくみられるが、憲法そのものは完全に適用されても、実際には現実の権力保持者が自己の利益のためだけに既存の政治権力の配分を定式化したに過ぎない場合、
という三類型を提唱して注目されている。

このような存在論的(ontological)な分類は、主観的な判断が入る可能性がある点で問題もあるが、立憲的意味の憲法が、どの程度現実の国家生活において実際に妥当しているのかを測るうえで、有用なものであると言えよう。

四. 憲法規範の特質


以上述べてきたところのまとめを兼ねて、近代憲法の特質を箇条的に列挙すると、次のようになる。

◆1. 自由の基礎法


近代憲法は、何よりもまず、自由の基礎法である。
それは、自由の法秩序であり、自由主義の所産である。
もちろん、憲法は国家の機関を定め、それぞれの機関に国家作用を授権する。
すなわち、通常は立法権、司法権、行政権、および憲法改正手続等についての規定が設けられる。
この国家権力の組織を定め、かつ授権する規範が憲法に不可欠なものであることは言うまでもない。
しかし、この組織規範・授権規範は憲法の中核をなすものではない。
それは、より基本的な規範、すなわち自由の規範である人権規範に奉仕するものとして存在する。

このような自由の観念は、自然権の思想に基づく。
この自然権を実定化した人権規定は、憲法の中核を構成する「根本規範(*)」であり、この根本規範を支える核心的価値が人間の人格不可侵の原則(個人の尊厳の原理)である。

(*) 根本規範
純粋法学の創唱者として著名なケルゼン(Hans Kelsen, 1881-1973)は、一切の実定法の最上位にあってその妥当性(通用力)の根拠となる、《思惟のうえで前提された》規範を根本規範と呼んだが、ここで言う根本規範はそれとは異なり、《実定法として定立された》法規範である。
それは、「憲法が下位の法令の根拠となり、その内容を規律するのと同じように、憲法の根拠となり、またその内容を規律するものである」(清宮四郎)。

◆2. 制限規範


憲法が自由の基礎法であるということは、同時に憲法が国家権力を制限する基礎法であることを意味する。
このことは、近代憲法の二つの構成要素である権利章典と統治機構の関係を考えるうえで、とくに重要である。

本来、近代憲法は、すべて個人は互いに平等な存在であり、生まれながら自然権を有するものであることを前提として、それを実定化するという形で制定された。
それは、すべての価値の根源は個人にあるという思想を基礎においている。
従って、政治権力の究極の根拠も個人(すなわち国民)に存しなくてはならないから、憲法を実定化する主体は国民であり、国民が憲法制定権力(*)の保持者であると考えられた。
このように、自然権思想と国民の憲法制定権力の思想とは不可分の関係にあるのである。
また、国民の憲法制定権力は、実定憲法においては「国民主権」として制度化されることになるので、人権規範は主権原理とも不可分の関係にあることになる(第18章三3図表参照)。

(*) 憲法制定権力
憲法をつくり、憲法上の諸機関に権限を付与する権力([英] constituent power, [仏] pouvoir constituant, [独] verfassungsgebende Gewalt)。
制憲権とも言われる。
国民に憲法をつくる力があるという考え方は、18世紀末の近代市民革命時、とくにアメリカ、フランスにおいて、国民主権を基礎づけ、近代立憲主義憲法を制定する推進力として大きな役割を演じた。
フランスのシェイエス(Emmanuel J. Sieyes, 1748-1836)が『第三階級とは何か』(1789年)を中心に展開した見解がその代表である。
制憲権と国民主権との関係につき、第三章二2(ニ)参照。

◆3. 最高法規


憲法は最高法規であり、国法秩序において最も強い形式的効力をもつ。
日本国憲法98条が、「この憲法は、国の最高法規であって、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない」と定めているのは、その趣旨を明らかにしたものである(*)。

もっとも、憲法が最高法規であることは、憲法の改正に法律の改正の場合よりも困難な手続が要求されている硬性憲法であれば、論理上当然である。
従って、形式的効力の点で憲法が国法秩序において最上位にあることを「形式的最高法規性」と呼ぶならば、それは硬性憲法であることから派生するものであって、とくに憲法の本質的な特性として挙げるには及ばないということになろう。

最高法規としての憲法の本質は、むしろ、憲法が《実質的に法律と異なる》という点に求められなければならない。
つまり、憲法が最高法規であるのは、その内容が、人間の権利・自由をあらゆる国家権力から不可侵のものとして保障する規範を中心として構成されているからである。
これは、「自由の基礎法」であることが憲法の最高法規性の実質的根拠であること、この「実質的最高法規性」は、形式的最高法規性の基礎をなし、憲法の最高法規性を真に支えるものであること、を意味する。

日本国憲法第十章「最高法規」の冒頭にあって、基本的人権が永久不可侵であることを宣言する97条は、硬性憲法の建前(96条)、およびそこから当然に派生する憲法の形式的最高法規性(98条)の実質的な根拠を明らかにした規定である。

このように、憲法の実質的最高規範性を重視する立場は、憲法規範を一つの価値秩序と捉え、「個人の尊重」の原理とそれに基づく人権の体系を憲法の《根本規範》(basic norms)と考えるので、憲法規範の《価値序列》を当然に認めることになる。
この考えが、人権規定の解釈や憲法保障の問題においてどのような役割を果すかについては、後に述べることにする(第五章-第13章・第18章)。

(*) 国法秩序の段階構造
国法秩序は、形式的効力の点で、憲法を頂点とし、その下に法律→命令(政令、府省令等)→処分(判決を含む)という順序で、段階構造をなしているものと解することが出来る。
この構造は、動態的には、上位の法は下位の法によって具体化され、静態的には、下位の法は上位の法に有効性の根拠をもつ、という関係として説明される(ケルゼンの法段階説)。

なお、憲法の最高法規性と関連して、憲法98条の列挙から「条約」が除外されていることが問題となるが、これは条約が憲法に優位することを意味するわけではない。
両者の効力の優劣関係については後述する(第18章ニ4(ニ)(1)参照)。
条約は公布されると原則としてただちに国内法としての効力をもつが、その効力は通説によれば、憲法と法律の中間にあるものと解されている。
実務の取扱いもそうである。
ただ、98条2項に言う「確立された国際法規」すなわち、一般に承認され実行されている慣習国際法を内容とする条約については、憲法に優位すると解する有力説がある。
地方公共団体の条例・規則は、「法律・命令」に準ずるものとみることが出来るので(第17章ニ3参照)、それに含まれると解される。

五. 立憲主義と現代国家 - 法の支配


近代立憲主義憲法は、個人の権利・自由を確保するために国家権力を制限することを目的とするが、この立憲主義思想は法の支配(rule of law)の原理と密接に関連する。

◆1. 法の支配


法の支配の原理は、中世の法優位の思想から生まれ、英米法の根幹として発展してきた基本原理である。
それは、専制的な国家権力の支配(人の支配)を排斥し、権力を法で拘束することによって、国民の権利・自由を擁護することを目的とする原理である。
ジェイムズ一世の暴政を批判して、クック(Edward Coke, 1552-1634)が引用した「国王は何人の下にもあるべきでない。しかし神と法の下にあるべきである」というブラクトン(Henry de Bracton, ?-1268)の言葉は、法の支配の本質をよく表している。

法の支配の内容として重要なものは、現在、
憲法の最高法規性の観念
権力によって侵されない個人の人権
法の内容・手続の公正を要求する適正手続(due process of law)
権力の恣意的行使をコントロールする裁判所の役割に対する尊重
などだと考えられている。

◆2. 「法の支配」と「法治国家」


「法の支配」の原理に類似するものに、《戦前の》ドイツの「法治主義」ないしは「法治国家」の観念がある。
この観念は、法によって権力を制限しようとする点においては「法の支配」の原理と同じ意図を有するが、少なくとも、次の二点において両者は著しく異なる。

◇(一). 民主的な立法過程との関係


第一に、「法の支配」は、立憲主義の進展とともに、市民階級が立法過程へ参加することによって自らの権利・自由の防衛を図ること、従って権利・自由を制約する法律の内容は国民自身が決定すること、を建前とする原理であることが明確となり、その点で民主主義と結合するものと考えられたことである。
これに対して、戦前のドイツの法治国家(Rechtsstaat)の観念は、そのような民主的な政治制度と結びついて構成されたものではない。
もっぱら、国家作用が行われる形式または手続を示すものに過ぎない。
従って、それは、如何なる政治体制とも結合し得る形式的な観念であった。

◇(ニ). 「法」の意味


第二に、「法の支配」に言う「法」は、内容が合理的でなければならないという実質的要件を含む観念であり、ひいては人権の観念とも固く結びつくものであったことである。
これに対して、「法治国家」に言う「法」は、内容とは関係のない(その中に何でも入れることが出来る容器のような)形式的な法律に過ぎなかった。
そこでは、議会の制定する法律の中身の合理性は問題とされなかったのである。

もっとも、《戦後の》ドイツでは、ナチズムの苦い経験とその反省に基づいて、法律の内容の正当性を要求し、不当な内容の法律を憲法に照らして排除するという違憲審査制が採用されるに至った。
その意味で、現在のドイツは、戦前の形式的法治国家から《実質的法治国家》へと移行しており、法治主義は英米法に言う「法の支配」の原理とほぼ同じ意味をもつようになっている。

◆3. 立憲主義の展開


◇(一). 自由国家の時代


近代市民革命を経て近代憲法に実定化された立憲主義の思想は、19世紀の「自由国家」の下でさらに進展した。
そこでは、個人は自由かつ平等であり、個人の自由意思に基づく経済活動が広く容認された。
そして、自由・平等な個人の競争を通じて調和が実現されると考えられ、権力を独占する強大な国家は経済的干渉も政治的干渉も行わずに、社会の最小限度の秩序の維持と治安の確保という警察的任務のみを負うべきものとされた。
当時の国家を、自由国家・消極国家とか、または軽蔑的な意味を込めて夜警国家と呼ぶのは、その趣旨である。

◇(ニ). 社会国家の時代


しかし、資本主義の高度化にともなって、富の偏在が起こり、労働条件は劣悪化し、独占的グループが登場した。
その結果、憲法の保障する自由は、社会的・経済的弱者にとっては、貧乏の自由、空腹の自由でしかなくなった。
そこで、そのような状況を克服し、人間の自由と生活を確保するためには、国家が、従来市民の自律に委ねられていた市民生活の領域に一定の限度まで積極的に介入し、社会的・経済的弱者の救済に向けて努力しなければならなくなった。
こうして、19世紀の自由国家は、国家的な干渉と計画とを必要とする社会国家(積極国家ないしは福祉国家(*)とも呼ばれる)へと変貌することになり、行政権の役割が飛躍的に増大した。

(*) 社会国家・福祉国家
社会国家(Sozialstaat)は主としてドイツで用いられる言葉であり、福祉国家(welfare state)は主としてイギリスで用いられる言葉である。
その内容は必ずしも明確ではないが、おおよそ、国家が国民の福祉の増進を図ることを使命として、社会保障制度を整備し、完全雇用政策をはじめとする各種の経済政策を推進する国家であると言えよう。
我が国では、かつて、福祉国家論は国家独占資本主義の矛盾を覆い隠すイデオロギー的理論であるという批判が学説の一部に強かった。
そのような問題点があるとしても、現実の経済・社会に照らして、プラス面の実現を強化していくことが必要である。

◆4. 立憲主義の現代的意義


◇(一). 立憲主義と社会国家


立憲主義は、国家は国民生活にみだりに介入すべきでないという消極的な権力観を前提としている。
そこで、国家による社会への積極的な介入を認める社会国家思想が、立憲主義と矛盾しないかが問題となる。
しかし、立憲主義の本来の目的は、個人の権利・自由の保障にあるのであるから、その目的を現実の生活において実現しようとする社会国家の思想とは基本的に一致すると考えるべきである。
この意味において、社会国家思想と(実質的)法治国家思想とは《両立する》。
戦後ドイツで用いられてきた「社会的法治国家」という概念は、その趣旨である。

◇(ニ). 立憲主義と民主主義


また、立憲主義は民主主義とも密接に結びついている。
すなわち、
国民が権力の支配から自由であるためには、国民自らが能動的に統治に参加するという民主制度を必要とするから、自由の確保は、国民の国政への積極的な参加が確立している体制において初めて現実のものとなり、
民主主義は、個人尊重の原理を基礎とするので、すべての国民の自由と平等が確保されて初めて開花する、
という関係にある。
民主主義は、単に多数者支配の政治を意味せず、実をともなった《立憲民主主義》でなければならないのである(*)。

このような《自由と民主の結合》は、まさに、近代憲法の発展と進化を支配する原則であると言うことができよう。
戦後の西欧型民主政国家が「民主的法治国家」とか「法治国家的民主政」と言われるには、そのことを示している。

(*) 自由主義と民主主義
戦前の憲法学 - とくにワイマール憲法時代のドイツ - では、自由主義を否定しても民主主義は成り立つという見解が有力であった。
しかし、宮沢俊義が説いたとおり、「リベラルでない民主制は、民主制の否定であり、多かれ少なかれ独裁的性格を帯びる。民主制は人権の保障を本質とする」、と考えるのが正しい。

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