中川八洋・人権批判

<目次>


中川八洋『国民の憲法改正』(2004年刊) p.146以下


第三部 国家簒奪・大量虐殺の思想を排除する - 根絶すべきフランス革命の教理


フランス革命とは、・・・人民の政府でもなければ、人民による政府でもなく、・・・国民から絶対的に独立した地位に自らを置いた、国民の代表者を僭称する革命家たちの、「主権の簒奪」であった。(アーレント)

第五章 「人権」という、テロルの教理 - 文明と人間を破壊した「フランス人権宣言」



フランス革命において数十万人がギロチン、溺死刑その他で殺されるという大量殺戮(大テロル)は、「フランス人権宣言」(1789年8月)がもたらした必然の暗黒であった。
「人権」、それは自由社会の個々の国民が祖先より相続している自由、生命、財産の権利を粉砕すべく、カルト宗教の暴力の教理(ドグマ)の一つとして誕生した。

しかし、日本では、「人権」がさも素晴らしい近代の哲理と見なされ、「人権」が“自由”を擁護する魔法の力をもっているとの、転倒した錯覚が広く共有されている。
このように逆立ちした異様な「人権」妄想は、「人権」を発明したフランスですら今では実態的には存在しない。
現在では国連と日本(とEU?)だけに見られる狂気であるといってよい。

フランスは、このおぞましい「人権宣言」を、その約90年後の1875年の第三共和国憲法では一旦葬儀に出した。
現在の1958年第五共和国憲法では、前文で一言高らかに触れることで一種のモニュメントに扱い、敬して遠ざけることにした。
現代フランスの憲法は、「フランス国民の権利」を擁護して、「人間の権利」などは出来るだけ思考の外に出てもらうことにしている。

日本の狂ったような「人権」信仰は、アナーキストで、スターリン憲法こそ“理想の憲法”だと考えていたロウスト中佐(GHQ民政局所属)が、1946年2月に、現在の日本国憲法の「第三章」の起草を担当したことに始まった。
もちろん米国憲法には「人権」という概念は匂いすらなく皆無だから、ホイットニー民政局長のような“リベラルの中のリベラル”米国人にとってすら、「国民の権利」より一ランク下にある「civil rights(公民権)」を発想するのがやっとであった。
ホイットニー准将は、ロウスト中佐にあくまでも「civil rights の章」の起草を命じたのである(※注1:高柳賢三ほか編著『日本国憲法制定の過程Ⅰ』、有斐閣、110頁)

だが、オランダ生まれで永くインド在住だった無国籍的ディアスポラ(放浪者)のロウスト中佐は、命令の「civil rights」を無視して、勝手に「fundamental human rights(基本的人権)」などという、非・米国的な思想、つまり白骨と化したフランス革命時の純フランス的概念を墓場から掘り出してきた(※注1:前掲『日本国憲法制定の過程Ⅰ』、216頁)
フランス人権宣言とはフランス人に「フランス国を棄てて無国籍の人間になれ!」と呼びかける呪文であったが、ロウスト中佐はこれに共鳴し、これを日本に再現しようとしたのである。
そして、これがそのままGHQ憲法となった。
リベラルでニューディーラーのホイットニー局長も、「基本的人権」など何の意味かは全く分からず、そのまま放置したのだろう。

ロウストはまた、フランス人権宣言の下敷になったルソー著『人間不平等起源論』『エミール』を信奉していたと見てよい。
ロウストは、現在の第14条になっている「すべて国民は」の所を「すべての自然人は(all natural persons) are equal before the law)」としていた(※注1:前掲『日本国憲法制定の過程Ⅰ』、218頁)。
「自然人」という概念も、それこそを“人間の理想”だとしたのも、オランウータンを“理想の人間”だと妄想していたルソーから生まれた。
そして、この「自然人」という言葉には、アナーキズム(無国籍主義)の核心部分たる、“文明的人間”と同義である「国民」を、「人間」という非国民のレベルに退行させたうえに、さらに動物並みの「自然人」にまで野蛮化させようとの、ロウスト中佐の日本人へのルサンチマン的な呪詛が漂っている。

しかしなぜ、このような戦勝国の、敗戦国への侮辱と復讐に燃えた無国籍的アナーキストの造語「基本的人権」を、「日本にとって屈辱である」「国家として死活的に有害である」とは捉えずに、日本の憲法学者のほとんどは1946年から歓喜し絶賛し続けたのだろうか。
また、この狂気がなぜ沈静化せず、21世紀に入ってもますます炎上しているのであろうか。

GHQ憲法に秘めた、GHQあるいはその民政局の意図には、「軍国主義の復活の芽を潰す」など複数ある。
が、宮沢俊義(東京大学教授)らの憲法学者を含めて当時の日本側の極左勢力は、GHQ憲法を日本が共産社会に至ることを正当化する天の賜物だと考えた。

まず、現憲法第9条の武装解除条項は、日本をソ連軍に無血占領させるに好都合なものであった。
日本の極左勢力が単独で暴力革命を起こし成功するにも好都合であった。
現憲法第1条の「国民主権」は、フランス革命、ロシア革命を再現するに不可欠な、天皇制廃止に転用できる“武器”であった。
また第11条の「基本的人権」も、日本人を「高級な日本国民」から「低級な人間」に落とす定めだから、このような「低級な人間」からなる社会は日本国ではなく、非ナショナルで未開・野蛮な「共産社会」に時間の経過をもって改造される。

つまり、日本国憲法で共産革命の遂行に最も都合のよいところは、第9条、第1条、第11条(および第97条)であるから、日本の憲法革命屋たちはそれらを、「平和主義」「国民主権主義」「基本的人権主義」と呼んで強調することにした。
憲法の定めには仮にも“主義”などがあろうはずがない。
それなのに非学問的で政治運動用表現の「……主義」にした理由は、キャンペーンするに、この方が絶大に効果的だからである。
このことは、例えば、日本国憲法をなぜ「世襲の天皇主義(第1条)」「議会主義(第41条)」「私有財産(=自由)主義(第29条)」と言わないかと考えてみればすぐ理解できよう。
こちらの方が遥かに日本国憲法の原理というに相応しい。
つまり、「平和主義」「国民主権主義」「基本的人権主義」をキャンペーンするのは、日本の憲法学が革命に奉仕する政治パンフレット学だからである。
共産革命に都合のよいとこだけを摘み喰いする「プロパガンダ(嘘宣伝)憲法学」だからである。


◇第一節 偉大なるバークと、その人類初の「人権」批判



1789年秋頃、「フランス人権宣言」という名の、邪教の「福音」が英国に上陸せんとしていた。
一部のイギリス人 - プライス博士や唯物論者のプリーストリら - がそれに「改宗」し始めていた。
このとき、ドーバー海峡の水際でフランス革命の思想の上陸を阻止せよと、英国中にこだまする大声をもって立ち上がった“知の巨人”がエドマンド・バークである。
その『フランス革命の省察』(1790年)は、フランス革命思想の排除に決定的な働きをなした。
その後にあっても人類に多大な影響を与え続け世界史的な古典となった。
この『フランス革命の省察』のなかから、バークが「人権」の核心を最も正しく観察した、そして、「フランス人権宣言」の批判となった部分を例示しておこう。

「人間は(「人間の権利」などの)自然権という非文明社会の権利と(国民の権利という)文明社会の権利の双方を同時にもつことはできません。……文明社会の政治は、自然権によって形成されたのではないし、自然権は文明社会の政治とは全く無関係に存在しているものです(※注1:エドマンド・バーク『フランス革命の省察』、みすず書房、77頁)」(カッコ内中川)

「人間の権利」は、文明社会の文明的な(=自由と法秩序をもたらす)「国民の権利」とは対極的もしくは対立的なものである。
バークは、フランス人権宣言が、文明社会のこの文明性に対する憎悪心が基調になっていることを直ぐ喝破した。

「文明の社会とは慣習(convention)の上に発展してできたものです。だから、慣習こそは文明社会の法(law)でなければならないのです。……文明社会の慣習、つまり法がさも存在しないと仮定しての人間の権利 - 文明社会の慣習の積み重ねがあって初めて造られ得た国の基本政体等と絶対に両立できない人間の権利 - など一体どうして要求できるのでしょうか(※注1:前掲『フランス革命の省察』、76頁)」

“自由”とか“権利”というのは、法秩序が存在して保障され得るものであるし、要求できるものである。
法秩序の形成以前の未開・野蛮な社会を理想としての、「人間の権利」という言葉自体、形容矛盾であろう。
バークは正しい。

トーマス・ペイン著『人間の権利』(1791~2年)は、バークの「人権」批判などに対して、反論というより単に口汚く罵声を浴びせたものである。
当然、フランス革命の全てを否定する英国政府によって、悪書『人間の権利』は1792年12月には発売禁止となった。
しかし、日本の学界・教育界は、平然とペインの方のみ何か高邁な学説の如くに教えている。
それが標的とした、世界随一の古典、バークの『フランス革命の省察』の方は存在しないもの、読む価値のないものと扱い隠しに隠した。
岩波書店も、ペインの『人間の権利』を1971年に文庫として出版しベスト・セラー、ロング・セラーにしたが、バークの『フランス革命の省察』の方を文庫で出したのは、それから約30年を経た2000年であった。
つまり、ペインをして一方的にバークを中傷させるという、「出版犯罪」を岩波書店は企図し実行したのである。
しかも、この文庫本バークの新訳は、訳者の能力からして考えられないレベルの、意味がよく分からないように極端に拙劣な訳にしている。
そうするよう出版社が強く指示したのだろうか、真実を明らかにして欲しい。

米国の大学では、全ての政治学科でバークの『フランス革命の省察』は何らかの形で講義されている。
しかし、ペインについては語られることもない。
アナーキストで無神論者のペインは、米国には存在していない。
英国も同様である。
確かに、1775年に独立戦争が始まるやペインの『コモン・センス』(1776年1月刊)はアメリカ植民地の英国人を「独立」へと奮い立たせはした。
がのち、「人権」を含めペインの政治思想を知った米国民はペインを決して許さなかった。
初代大統領ジョージ・ワシントンは、ペインの名を聞くだけですぐ嫌悪の感情を露わにしたという。
そして、米国人はペインの骨まで米国から追放せんとして墓をあばこうとしたため、友人が慌てて骨を英国に持ち帰った。
が、英国も国を挙げてペインの墓を拒否した。
その友人の死とともにペインの骨は散逸してしまった。

英米で単なる“ならず者”と目されているペインの方のみ教えて、数百年に一人の天才で「政治家必携の、政治的叡智の不朽の手引」(※注2:H. J. ラスキ『イギリス政治思想Ⅱ』、岩波書店、127頁)と世界最高の評価を受けているバークを隠すのは、東京大学法学部を始めとする憲法学の教官が、教育者としても学者としてもひとかけらの良心もないからである。
ナチの迫害と恐怖にあって、また20年間に及ぶ国籍喪失にあって、「人権」というものが自由にも権利にも全くの空疎で無価値であることを体験したこともあって、ヤスパース、ハイデカーの愛弟子ハンナ・アーレントは、その著『革命について』(1963年)で、バークを支持して次のように述べた。

「人権に対するバークの有名な反論は、時代遅れのものでも<反動的>なものでもない」(※注3:ハンナ・アーレント『革命について』、ちくま学芸文庫、161頁)

さらに、日本の憲法学者が米国にも人権思想があるかのような虚偽を捏造するために、フランス人権宣言は、統一国家以前のアメリカの諸邦にあった権利章典を模倣したものだという嘘をいい続けている。
が、アーレントは次のように否定する。
この方が事実に即している。
また、形式の模倣は、思想の模倣であるまい。

「人権宣言がモデルにしたアメリカの権利章典と異なって、フランス革命における人権は、人間の政治的地位ではなく、人間の自然に固有な基本的・実体的権利を明らかにすることをその目的としていた」(※注3:前掲『革命について』、161頁)

そしてバークと同じく、アーレントは、文明の「政治」を文明以前の未開の「自然」に退行させようとしたのが人権宣言であったと指摘する。
フランス人権宣言を読んで、どこかの未開人の、文明を呪う“経文の声”に聞こえないとすれば、それこそ無教養の極みであろう。
同時期に発生した、アメリカ独立・建国の思想とフランス革命の思想を比較したアーレントの『革命について』は、この分野での入門書として第一級である。

「(フランス革命による)この人権は実際、政治を自然に還元しようとしたのである」(※注3:前掲『革命について』、161頁)

アメリカという英国の植民地における諸邦のエリートは、英本国のジェントリー層と同一の感覚をもち同一の生活をしていた。
ほとんどが高い教養と知力に抜きん出た大富豪であった。
そして、英国のコーク卿の『英国法提要』(全四巻、第二巻の冒頭がマグナ・カルタ論)とブラックストーンの『イギリス法釈義』を座右の書とし、英本国の法曹家に準じる法学と法思想の教養を身につけていた。
フランスの啓蒙哲学に傾倒する者はほとんどいなかった。
非コーク的、非ブラックストーン的なジョン・ロックに魅せられたトマス・ジェファーソンや理神論のベンジャミン・フランクリンなどは、当時の米国エリートのなかでは例外的な少数派であった。

「人権」などというのは「動物愛護協会のパンフレットと大して変らぬ」(※4:ハンナ・アーレント『全体主義の起源2』、みすず書房、271頁)との、アーレントの「人権」非難は、「人権」を「竹馬に乗ったナンセンス!」と言ったベンサムを真似て、「人権」を揶揄したのではない。
アーレントは、ガス室で大量虐殺された同胞ユダヤ人に思いを馳せつつ、またドイツの故郷を喪失して20年もの歳月を経てやっと米国籍をとった、この20年にわたる無国籍の自分の体験に照らして、「人権」という虚構と欺瞞を衝いているのである。

なぜなら、「人権」は、「人権」を奪われた無権利状態の人々を救済はしない。
満州国が崩壊し、また邦人保護権をもつ「在外の陸軍部隊」となった関東軍がシベリアに拉致されたあとに、満州の邦人155万人がどんなに「人権!」と叫ぼうと「人権」は保障されないのは明白であろう。
ロシア兵に好き放題にレイプされ財産を奪われ殺されるしかないのである。
自由とか生命は、“国”並びにその“国”において成長した“法秩序”の二つがあって初めて保障される。
“国(ナショナル)”である以上、それは「国民の権利」である。
つまり、自由は「国民の権利」としてのみ要求し得るものであり、「人権」は自由を僅かも保障しない。

つまり、自由を含めて実体ある諸権利は、“ナショナルな権利”(=「国民の権利」)とならなければ体現されない。
バークの言う通り、「国民の権利」は存在するが、「人間の権利(人権)」は何処にも存在しない。
かくも「人権」とは虚構である。
非実在の蜃気楼に描いた空無である。
アーレントは、「人権」という教理が、国家の法秩序との関係を転倒させた、その自家撞着性を次のように述べている。

「人権は譲渡することのできぬ権利、奪うべからざる権利として宣言され、従ってその妥当性は他の如何なる法もしくは権利にもその根拠を求め得ず、むしろ原理的に他の一切の法や権利の基礎となるべき権利であるとされたのであるから、・・・・・・人権を守るための特別な法律を作ったとすれば理に反することになる」(※4:前掲『全体主義の起源2』、272頁)

実際に、革命フランスには、「人権宣言」のみが存在し、法も法秩序も瓦解した。
よって、フランス人は無法において勝手放題に殺戮された。
「人権→無法→殺戮(人権の喪失)」という“悪魔のサイクル”は、「人権」のドグマから生じたのである。
人間の自由も権利も、古来からその国に“世襲”されてきた“法”と“慣習”によってしか保障されることはない。
これのみが真理であり、また真実である。

だから、コモン・ローの母国である英国も、その継承国家の米国も、この程度のことは常識に過ぎないから、憲法思想の中に「人権」が匂いすらもなく皆無である。
フランスも、時々は先祖返りするときがあるようだが、今では反省して英米を模倣している。
日本のみ、世界で事実上一ヶ国、「人権」を崇拝している。
“フランス革命の冷蔵庫”となった、この日本の異様な姿は、約2000年の歴史と伝統を背景にしたナショナルな自由が十全に擁護される、世界最高の法秩序の存在のもとで、気儘に戯言として「人権」を喝破しているのだろうか。
それとも200年以上も昔の革命フランスの「人権→無法→殺戮」の再現を日本に期待しているからなのだろうか。


◇第二節 オウム真理教のサティアン? - 日本の憲法学界



日本の憲法学が、学問でなく、一種の宗教団体のような状況を呈するに至った元凶の一つは、このようなカルト的な「人権」崇拝にあるだろう。
カルト宗教ならば、真実かどうかではなく、信仰するか否かであるから、どんな嘘も構わない。
宮沢俊義らが編集した岩波文庫の『人権宣言集』(1957年刊)は、この嘘の中でも嘘は酷く、特段に伝染力の強い経典となった。

なぜなら、例えばイギリスのところではマグナ・カルタや権利章典や王位継承法など七つの制定法を収録しているが、むろんこれらの中に「フランス人権宣言」に類するものは一つもない。
すべて「英国民の権利」を定めたものである。
より正確には、英国王(女王)陛下の臣民であるが故に、臣民に限定されて附与される「臣民の権利」を定めたものである。
要するに、極めて“国的(ナショナル)”なものを喪失し、伝統や慣習と無縁となった、「フランス人権宣言」のような、「裸の人間」の権利を定めたものは英国の憲法文書には一つもない。
一例として、「権利請願」(1628年)の核心部分を挙げる。
そこには次のように、「国王陛下の臣民(subjects)は・・・・・・」とある。

「国王陛下の臣民は、国会の一般的承諾にもとづいて定められていない限り、税金、賦課金、援助金、その他同種の負担の支払いを強制されない、という自由を相続しております(your subjects have inherited this freedom)」(※注1:『人権宣言集』、岩波文庫、57頁)

「人間としてこの地球に生まれたが故に有している権利」というフランス人権宣言の「人権」の意味は、英国では完全かつ全面的に否定されている。
英国における自由の権利は全て、①英国民で、②国王(女王)の臣民で、③祖先より相続したから、という三条件を満たしているが故に享受できる権利だと定められている。

1689年の権利章典もこれと寸分違わぬ思想の法律である。
そもそも、その正式な法律名は「臣民の権利および自由を宣言し、王位継承を定める法律」である(拙著『正統の憲法 バークの哲学』第二章第一節を参照のこと)。
英国には今日も、憲法的文書の一つとして、「人間の権利」を宣言したようなものは皆無である。
宮沢俊義らは事実の捏造に長けた人物であった。
その『人権宣言集』(岩波文庫)は、計画的なトリックとマジックでつくられた“世紀のプロパガンダ本”でしかない。

米国についても同様であり、米国憲法(1787年起草、88年制定)には「人権」の文字も概念も何処にもない。
あくまでも英国と同様、「国民の権利」しかない。
いや、英国よりも遥かに中世封建時代的であった。
なぜなら、「国民の権利」ですら、ハミルトンら「建国の父たち」らは反対であった。
英国並みの「国民の権利」を憲法に定めることに反対して、ハミルトンは次のように述べた。

「権利の章典を、憲法案の中に入れることは不必要であるのみならず、かえって危険ですらある・・・・・・。もし権利の章典を入れるとなると、それは元来連邦政府に附与されていない権限に対する各種の例外を含むことになり、その結果、連邦政府に附与されている権限以上のものを連邦政府が主張する格好の口実を提供することになる」(※注2:A. ハミルトンほか『ザ・フェデラリスト』、福村出版、418頁)

ただ、中庸的な性格のマディソンが最初に妥協して、建国してから2年後の1791年12月、憲法に修正の形で10項目を追加した。
これが修正第1条から第10条である。
だが、それはフランス人権宣言とは似ても似つかぬもので、あくまでも「アメリカ国民の権利」であって「人間の権利」ではなかった。
あげくに、「反戦・反軍備」の日本の極左憲法学者が途惑い目を閉じ口ごもる「国民の武器を保有し携帯する権利は、これを侵してはならない(shall not be infringed)」が、米国憲法修正第2条である。

さて、この「人間の権利」のない米国憲法に困惑した宮沢俊義らは、その『人権宣言集』にどういう歪曲や嘘を細工して、米国にも「人権」があるというプロパガンダに成功したのだろうか。
第一のトリックが、米国が建国される以前の13邦の憲法文書にすり替える。
第二が戦争(反乱)に在植民地イギリス人を駆り立てた煽動パンフ「独立宣言」にすり替える。
第三のトリックとして、憲法修正第10条、第13条から第15条、そして第19条が、米国憲法の「人間の権利」を定めているという嘘を吐く。

まず修正第13条から第15条についていえば、米国憲法の起草、制定から90年が経過した、この1868~70年の追加条項を以って、米国憲法の(制定時の)精神を語ることは出来るのか。
またそれは、南北戦争後の黒人解法による、黒人への法的保護の附与の条項である。
つまり、黒人もアメリカの「国民(citizen)」と認め、アメリカ「国民の公民権(civil rights)」が附与されると定めたものであった。
「人間の権利(human rights)」とはしていない。

修正第10条は、連邦の権限と定められていないものは州または国民に留保されているというもので、中央政府の統治権力を制限する“立憲主義”の定めのひとつではないか。
「人間の権利」とも「国民の権利」とも何の関係もない。

修正第19条(1920年)は、女性参政権の附与である。
それは「The right of citizens(国民) of United States ・・・・・・」で始まっているように、米国籍を持つ成人女性に限っての参政権であり、「国民の権利」だと明記されている。
外国人の投票権を排除しており、「人間の権利」条項ではない。

米国憲法は、修正(追加)条項のどれに言及しようと、「人権」は何処にもない。
皆無である。
岩波文庫『人権宣言集』の第二章(107~125頁)は、美事なまでに宮沢俊義らの常軌を逸した詐言性を示すものとなっている。
東京大学法学部の憲法学教室は、学生を騙し国民を騙すための研究をしているのだろうか。

なお、そこで宮沢らが米国憲法に代えてトリック的に持ち出す「独立宣言」とか「ヴァージニア邦憲法」とか「マサチュセッツ邦憲法」とか、の何れにも「人権」思想はないことは、拙著を参照して頂きたい(※注3:中川八洋『正統の憲法 バークの哲学』、中公叢書、24~34頁)。

さらに一言。
米国という統一国家の憲法に「人権」が完全に排除されている状況下で、米国誕生以前の13邦の「憲法」を持ち出して強引に歪曲した解釈で仮に「人権」があると証明した所で何の意味があろう。
邦の憲法は邦の憲法であって、米国憲法ではない。
自明ではないか。
宮沢ら日本の憲法学者の、マジック・ショー的な詭弁にはほとほと呆れるほかない。

日本で「人権」というドグマが瀰漫(びまん)してしまった原因であるが、一つはフランス革命を美化してフランス人権宣言について宣伝してきたその効果であろう。
第二は、国連が1948年に総会で採択した「世界人権宣言」は、これまた日本で大々的に宣伝された。
この効果も大きい。
そこで以下、この世界人権宣言について若干のコメントをしておきたい。

なぜなら、「世界人権宣言」も、ベンサムではないけれど「竹馬に乗ったナンセンス!」以外の何ものでもない。
なぜなら、冒頭の第1条より、許し難いほどの嘘を掲げているからである。

「第1条 すべての人間は、生まれながらにして自由であり、かつ尊厳と権利とにおいて平等である」

北朝鮮に生まれた子供たちは、生まれながらにして飢餓と圧制の下で一切の自由をもっていない。
内戦に明け暮れるアフリカの幾つかの国では小学生でさえ武器弾薬の運びや殺しをしなければ生きていけず子供たちに自由はない。
「生まれながらの自由」など「すべての人間」には与えられていない。
飢餓や殺人を強制されていて尊厳など何処にあるのか。
自由はあくまでも“国”ごとであり、自由ある国に生まれない限り自由の享受は不可能である。

つまり、自由とは、その“国”からの賜物であり、「“相続”したから、享受できる」ものである。
現実とは、「人間は生まれながらにして自由がなく、尊厳もなく、<権利の平等>などという言葉が戯言以上の何ものでもない」人々が、世界には何億人もいるということである。
国連の「世界人権宣言」の真っ赤な嘘は、第2条にも続く。

「第2条 すべての者は、・・・・・・この宣言に掲げる権利と自由とを享受することができる」

例えば、北朝鮮の人々のうち、数十万人は日々、人肉を食べ、ついには餓死を余儀なくされている。
「この宣言に掲げる権利と自由を享有できる」などというのは、悪質な虚言であろう。
そして、日本の憲法学の欺瞞性は、第1条から第30条まで全て嘘、嘘、嘘の、この「世界人権宣言」を、あるいは「人間人格の固有の尊厳および平等の権利」を前文に掲げる「国際人権規約(1966年)」を、その文字面のままに事実だと詐称して「人権」を論じていることである。

しかし、虚偽や事実誤認に発した前提に立つ、自由や権利のアッピールをしたところで、自由や権利が擁護されるわけではない。
つまり、そのような前提のもとでそれらを享受することは決して出来ない。
人間の自由や人格の尊厳は、憲法が“国”ごとであるように“国”という枠組のもとで擁護される。
これが唯一の真理である。
だが、この真理を冒涜して、それらが“国”の枠を超えて地球あまねく普遍的に存在し得るなどというのは悪質な虚構である。
憲法学がもし“学問”であろうとするならば、「フランス人権宣言」をまず拒絶するとともに、「世界人権宣言」や「国際人権規約」も完全否定することから出発しなくてはならない。

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