第5章 戦争の放棄

阪本昌成『憲法1 国制クラシック 全訂第三版』(2011年刊)     第Ⅱ部 日本国憲法の基礎理論   第5章 戦争の放棄    本文 p.137以下

<目次>

■1.軍事の憲法的統制


一. 民軍関係


[89] (1) 行政としての軍事


立憲主義の課題のひとつが、政官の関係を如何に配置するか、だった。
そのひとつの解答がイギリスにおける parliamentary government(※注釈:議会政治)、公選部門と官僚とを分離したうえで、公選勢力の官僚に対する優位を慣行として作り上げることだった(⇒[60])。

立憲主義は、それを実現する以前にも、広い意味での政官関係のうち、政と軍との関係(民軍関係)を統制しようと試みていた。
それは、これまでの「君主の軍隊」から「議会の軍隊」とする試みだった。
イギリスは、いち早くこれに成功した。

それでも、軍隊は、通常の官僚団以上に専門的知識と装置を抱える機能集団であり、議会がこれを有効に統制することは至難の業だった。
そこで、専門職業的将校団を統制する特殊な法制度が考えられた。
これが、civilian control である。
シヴィリアンとは、「現役軍人でないこと」をいう(シヴィリアンというタームは、軍人や警察官と区別するときには、「民間人」を指すことがある。日本国憲法制定に先立って、連合国から、いわゆる civilian control 条項が呈示されたとき、当時の政府関係者は日本語にどう訳せばよいか、困惑しながら、結局は「文民」という新造語をこれに充てた。以来、非軍人が軍隊を管理することを意味する civilian control は「文民統制」と称されてきた)。

国家の安全を軍事的に保障する作用を「行政」と特徴づけたうえで、それを文民統制、最終的には議会の監督下に置くことが、立憲主義憲法の重大関心事だったのだ。
その他、立憲主義憲法は、正規軍の編成、予算、宣戦の承認権等に関する議会の審議承認権をも明文規定しながら、軍隊を統制してきた。

[90] (2) 戦争の憲法的統制


国家または国際団体の正規軍が武力を行使し合う法状態のことを「戦争」という。
この定義から覗えるように、戦争は「行政」を超えていた。
憲法が、安全保障体制の大綱と戦争の手続的統制とを定め、その細部を議会制定法(憲法より下位の実定軍事法制)で埋めたとしても、戦争遂行を目的とする軍隊を有効に統制できなかったのだ(⇒[12])。
そこで、特に第二次大戦後、一定種の「戦争」自体を憲法によって明示的に禁止しようとする憲法が制定されてきた。
侵略戦争や制裁戦争を放棄するイタリア憲法(11条)、国策の手段としての戦争を放棄するフィリピン憲法(2条2節)、侵略戦争の準備行為まで違憲とするドイツ基本法(26条)等がこれである。
これらは、戦争または武力行使の廃止ではなく、その限定に向けられた動きである。

ニ. 9条の特異さ


[91] (1) 9条ロマンティシズム


これら諸外国の憲法と比較対照したとき、日本国憲法9条は、戦力不保持と交戦権の否認を謳っている点で特異である。
9条解釈は、護憲か改憲か、革新か保守か、という分水嶺となっていた。
思想を異にする人々も、“9条は戦争を放棄している”または“軍隊の保持を禁じている”との理解のもとで、この枠内に収まろうとしない人々を“保守”だと称してきた。
この“革新派”(護憲派)の理解は、9条の文理、マッカーサー原則、吉田内閣時代の公式見解等々を今見詰め直しても、素直だった。
9条2項冒頭にいう「前項の目的を達するため」を論拠として、“自衛戦争は禁じられていない”と論ずることは強引だった。

9条は、憲法を直接有効な法としようとしてきた憲法の歴史を逆行させたようだ。
政治にみられる事実と、憲法の文理との間の溝はあまりにも大きく深くなってしまった。
軍事費と称さないで防衛費といい、戦車といわないで特車といっている間に、世界に有数の軍事力を持つに至った日本、これではまるでカリカチュアだ。
人々が憲法のもつはずの重厚さを軽視しているのは、ここに起因している。
現実の国際政治が、非武装中立を許すほど甘くないことは、今では誰もが了解していることだろう。
私のような醒めた人間は、9条が日本国憲法の輝きではないこと、戦勝国が敗戦国に対して課したペナルティだということを、知っている。
“平和”というタームから非武装中立を連想することのイマジネーションの貧困さを知っている。

[91続き] (2) 国際政治からみた9条


第二次大戦後の、いわゆる冷戦構造は崩壊した。
だからこそなのだろうか、地域紛争が頻発している。
地域紛争の予防や解決にあたって、国連の安全保障理事会の役割、国連憲章には明文の根拠はなく、プラクティスとして展開されてきている「平和維持活動PKO」の役割は、重要である(国際的にはPKOは、PKF活動を含むと理解されている)。

日本国憲法前文が「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」というフレーズは、国連または(将来実現するものと期待された)国連軍を念頭に置いていたともいわれる。
国連憲章は、「すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、・・・・・・慎まなければならない」と規定しながらも(2条4項)、51条においては、加盟国の個別的自衛・集団的自衛権を条件つきながら承認している。
これが、国際政治の「常識」だろうし、これがグローバル・スタンダードだろう。

日本国憲法前文が国際社会の公正と信義に期待するというのに、9条を論拠にPKOや安全保障理事会による軍事的措置への協力を拒むことは、国際社会の常識に反するだろう。
“9条を地球規模で実現しよう”というロマンティックなスローガンでは、国際社会の常識に対抗することが出来るはずはない。
そのことは重々承知のうえで、“日本国憲法が、もし軍隊を認知すれば、権力分立構造を根底から変質させ、立憲主義を危機に陥れるだろう”と考えることも出来る。
何しろ、先にふれたように、軍事を行政として位置づけがちだった立憲主義憲法は、軍隊と戦争を有効に統制する術を知らないで来たからだ。
だからこそ。戦略的な配慮に立って、自衛隊が、軍隊おいう立憲主義にとって異物とならぬよう、9条の「平和主義」を敢えて強調する向きもみられるのだ。

以下では、国際政治の冷淡さにも目を瞑(つむ)り、戦略的な思考にも門を閉ざして、9条の文理を実証主義的に理解することに努めてみよう。


■2.武力行使違法化の歴史


一. 戦争の意義と戦争の一般的禁止


[92] (1) 戦争の意義と類型化


国際紛争を解決する強制的手段は、非軍事的措置(たとえば、相手国の大使・公使の国外退去の如く、自国の領土内で採り得る措置)と、軍事(武力)的措置とに分けられる。
軍事的措置のうち、最も徹底したそれが、これまで「戦争」と呼ばれてきた。
国際戦時法の範囲内で、国家または国際団体があらゆる強制的加害手段、なかでも正規兵力を用いて相手国の抵抗力を制圧できる法状態が「戦争」といわれた(今日の国際法では「戦争」概念は放棄されている)。

人類は、歴史上、「戦争」をさまざまに類型化し、統制しようとしてきた。
たとえば、古典的な「正戦/不正戦争」という区別による統制や、主権者によって開始され宣言されたかという手続による統制がそれである。
後者の考え方を「無差別戦争観」という。
無差別とは、戦争を「正/不正」に類型化しないことを指す。
この考え方が第一次世界大戦に至るまで国際法学の主流を占めた。

人類に未曾有の惨禍をもたらした第一次世界大戦後、国際平和維持を目的として国際連盟が設立された(1920年)。
連盟規約の前文は、加盟国による戦争に法的歯止めをかけるべく、紛争当事国がその解決手段として「戦争ニ訴ヘサルノ義務ヲ受諾」することを概括的に謳った。
これは、従来法的野放し状態にあった戦争に対して、限定的ではあるが法的規制を課し、戦争を違法化する第一歩であった。
が、連盟規約は戦争の一般的禁止にまで踏み込まなかった。

[93] (2) 戦争の違法化


1928年の不戦条約(正式には「戦争放棄ニ関スル条約」)は、条約締結国があらゆる紛争の平和的解決を約束するとともに、「国際紛争解決ノ為戦争ニ訴フルコトヲ非トシ、且其ノ相互関係ニ於テ国家ノ政策ノ手段トシテノ戦争ヲ放棄スル」ことを謳った(1条)。
これは、戦争のなかでも、侵略戦争と国策の手段としての戦争とを禁止し、自衛戦争を例外とする趣旨である。
これによって、戦争が原則的に禁止されることとなった。

こうした国際的努力をもってしても、第二次世界大戦の勃発は阻止し得なかった。
国際連盟の経験と反省を基礎に設立された国際連合は、不戦条約の内容をさらに前進させて、ひろく武力行使の違法化に乗り出した。
その点に留意して国連憲章2条4項は、「戦争」という表現を避け、すべての加盟国に、ひろく「武力による威嚇又は武力の行使」を慎むよう義務づけたのだ。
国連憲章は、国連による強制措置、「自衛権」の発動等一定の場合における例外を除き、国際紛争解決の手段としての武力行使を一般的に禁止し、戦争の違法化からさらに武力行使の違法化原則までをも確立したのである。
というのは、「侵略戦争/自衛戦争」という区別のもとで、“9条は自衛戦争を許容しているか”という教科書的な論点の立て方自体、今日では通用しないのである(9条について論じ得る論点は、自衛権行使およびそのための組織であって、自衛戦争云々ではない)。

[94] (3) 自衛権の意義


国連憲章は「個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない」ことを確認し(51条)、自衛権については、その行使を禁止対象外としている。
国際法上、「(個別的)自衛権」とは、不法な攻撃を除去するために、緊急やむを得ない場合に必要な範囲にとどまる限りで行使される国家の固有の権利である、といわれる。
これは、国家であれば当然に有する自己保存権だ、ともいわれる。
そのうえで、「自衛権」の発動要件として、不法な危害の急迫性と、排除の必要限度性とが挙げられる。

この自衛権の意義づけは、個人の正当防衛の意義に倣ったのではないか、と感じさせるところがある(実際、政治の言葉では、たびたび、そういわれる)。
近代啓蒙思想は、個々人が自律的な自由意思主体であるのと同じように、国家も独立の自由意思主体だ、と捉えた。
そのために、国家が個人の権利を侵害してはならないのと同様に、“ある国家は他の国家の権利を侵害してはならない”“他の国家に不当に強制力を用いてはならない”と考えられた。
フランスの1791年憲法、1793年憲法が、いち早く征服目的の戦争を放棄したのは、そのためだった。

果たして、「自衛権」は国家固有の不可譲の「権利」であるのか?
自衛行為は権利だ、という理論が説かれたのは、次のような事情からだった。

不戦条約は、侵略戦争および国策の手段としての戦争を禁止するにあたり、その例外を「権利」という積極的用語を選択することによって、主要国の参加を容易にしようとした。
こうした政策的配慮が背後にあったために、「権利としての自衛権」が説かれたのである。

自衛とは、厳密にいえば、《武力行使違法の原則に違反して他国の主権を侵害した場合であっても、緊急の必要性の故に、違法性の阻却される国家行為だ》と定義するのが正確である。
「自衛権」概念が、右のような背景で説かれたことに留意したとき、“主権国家たる以上、日本も国家固有の権利としての自衛権をもっている”“自衛権は、独立国に当然の固有の権利であって、憲法典によって放棄したり、否定できる筋合いのものではない”とする論理に疑義を抱いて当然である。
しかも、右論理は、〔主権国家→固有の自衛権保持→武力の行使可能→そのための武力装置の準備は当然〕という一連の思考に流れ易い。
この筋道は、〔主権→対外的独立性→その手段としての固有の自衛権→自衛権行使のための正規軍〕と、主権概念を手段に変質させてしまっている。
「固有の自衛権」という用語が、国家の属性と手段との間にみられるはずの溝を隠すのだ。

ニ. 9条の解釈


[95] (1) 9条における個別的自衛権


たとえ独立国家が自衛権を有しているとしても、各国家は、その憲法において、自衛行為の態様と、そのための装置如何を選択することが出来る。
その際の選択肢に、武力不行使原則を徹底させることも含まれてよい。

日本国憲法の場合、9条1項だけであれば、不戦条約のスタイルに似て、論争を呼ばなかっただろう。
9条の特異さにとって決定的な要素は、「陸海空軍その他の戦力」(一切の戦力)の保持の禁止および交戦権の否認だった。
これらは、9条が武力不行使原則を徹底する選択肢によったことを示唆している。

もっとも、この理解は、9条1項の「国際紛争を解決する手段としては」、2項の「前項の目的を達するため」というふたつのフレーズにこだわらず、“9条全体の流れと文理に素直な読み方をすれば”という留保つきである(このふたつのフレーズについては、すぐ後にふれる)。
2項が軍隊のみならず「その他の戦力」まで放棄したうえで、交戦権をも放棄したとき、国家の有するとされる自衛権(ここでは個別的自衛権)は、何を指すことになるか?

国際法上、伝統的に、《自衛権とは、外国から現に行われている違法な侵害に対し、緊急の必要がある場合必要な範囲で、武力をもって反撃する権利だ》といわれ続けてきたことは先にみた。
一切の戦力の不保持・交戦権の否認のもとでは、この自衛権が登場する余地はないように思われる。
理屈をこねれば、“日本という国家は、自衛権を有している、が、9条がその行使を禁じている”ということは出来なくはない(集団的自衛権に関する政府の解釈が、これに近いことを考えれば、あながち屁理屈でもなさそうだ)。

こうした強引なロジックは筋が悪い。
そのことを自覚してのことだろう、学説のなかには、9条は将来の国家目標を掲げた“政治的マニフェストだ”というものもみられた。

[95続き] (2) 武力によらない自衛権/自衛のための武力


伝統的意味の自衛権は否定されている、という命題を法的に有意としながらも、《国家であれば、当然に固有の自衛権をもつはずだ》という思考に拠ろうとするとき、次のような言い方が好まれる。
“9条は、伝統的な意味での自衛権を放棄してはいるものの、「武力によらない自衛権」を容認している。”つまり、9条の選択は、世界に前例がないだけに、「自衛権」概念も、前例に縛られることなく、新たに選択されたのだ、というわけである。
「武力によらない自衛権」としては、レーダー網の整備、電波妨害、警告装置の設置等が考えられている。
平和的外交をこれに含めようとする見解もあるが、自衛権なるものは、外交努力が尽きたところに発生するのであるから、ここまで拡大することは不当である。

以上の如き、「伝統的自衛権放棄・武力によらない自衛権の保持説」に対して、“9条は伝統的な自衛権を放棄していない”とする見解も根強い。
この見解には、ふたつの説き方がみられる。

第一は、 〔伝統的自衛権保持→自衛戦争→自衛のための戦力保持〕という流れを考える立場である。
これを「自衛戦力合憲説」と呼ぶことにしよう。
この説の論拠は、
(ア) 1項にいう「国際紛争を解決する手段としては」というフレーズが、国際法上、自衛戦争の放棄を含まないと理解されてきたこと、
(イ) 2項の冒頭にいう「前項の目的を達するため」とは、国際紛争解決手段のための戦争または武力行使の放棄を通して国際平和を誠実に希求することを指す、
という点にある。
しかしながら、「前項の目的」は、“平和を希求する”点に求めるのが素直なはずで、平和実現のための“手段として”の部分に関連づけることは、如何にも強引過ぎる。
第二は、 〔伝統的自衛権保持→ただし、自衛の「戦争」放棄→自衛のための武力の行使・武力による威嚇は放棄されておらず→自衛のための武力の維持・行使可能〕という流れを考える立場である。
これを「自衛武力行使合憲説」と呼ぶことにしよう。
この説は、「国際紛争を解決する手段としては」という限定が、「戦争」、「武力による威嚇」、「武力の行使」の3つのうち、後二者に掛かるものと読むところに特徴をみせる。
換言すれば、「戦争」は無条件に放棄されているのに対して、後二者は限定的に放棄されている、と理解するのである。
この「戦力/武力の行使」分離論は、“だからこそ、2項では「陸海空軍その他の戦力」の不保持が謳われるのだ”と2項を解明してみせる。
自衛武力行使合憲説は、このように、“自衛権行使の範囲内で武力を行使すること、そのための装置を維持しておくことは、9条の禁止するところにあらず”という。
しかしながら、「戦争」の原則禁止から「武力による威嚇」の禁止にまで拡大してきた国際法上の展開に鑑みたとき、「戦争/武力行使」、「軍隊/非戦力的武力」という区別自体成立し難く、この見解の説得力は大いに削がれる。

内閣の統一的公式見解は、前文及び9条1項の平和主義といえども、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための装置をとりうる」ことを認めており、9条2項もその手段として最小限度の実力保持を禁止していない、という(昭和58年3月17日参議院予算委員会における法政局長官答弁)。
自衛権は独立国家であれば当然に保障されている固有の権利だ、というのである。
統一見解は、自衛権発動の要件として、
(1) 我が国に対する急迫不正の侵害があること、
(2) これを排除するための他の方法がないこと、
(3) 必要最小限の実力行使にとどまるべきこと、
を挙げてきている(昭和44年3月10日参議院予算委員会における法政局長官答弁以来の内閣見解)。

[96] (3) 9条における集団的自衛権


上に述べてきた自衛権は、個別的自衛権、すなわち、独立国家がそれぞれ有しているといわれる権利のことだった。
これ以外に、「集団的自衛権」がある。

個別的自衛権という伝統的な概念のほかに、集団的自衛権という概念が登場したのは、先にふれたように、国連憲章51条においてである。
集団的自衛権とは、自国の軍事的安全保障にあたって、他国または国際機構とともに自衛にあたる国家の権利をいう、とされる。
このための体制としては、NATOや旧ワルシャワ条約機構のような地域的な集団防衛体制と、2国間条約によるものとがある。

内閣は、我が国は集団的自衛権を国際法上有しているが、9条によってその行使を禁じられている、と解釈してきた。
そうなると、2国間条約による安全保障体制を取り決めている日米安全保障条約が合憲であるかどうか、疑問となってくる。
内閣は、安保条約5条にいう共同行動は我が国自身の自衛として為されるのであって、集団的自衛権には該当しない、との見解によっている。
ところが、この条約の前文は「両国が国際連合憲章に定める個別的又は集団的自衛の固有の権利を有していることを確認し・・・・・・」とはっきりと述べており、内閣の解釈には説得力がない。

さらに、1997年の「日米防衛協力の指針(ガイドライン)」は、防衛協力における自衛隊の役割分担を見直させた。
これは、集団的自衛権概念で初めて説明できることである。
学説のなかに、“9条は個別的自衛権の保持と行使を容認しているが、集団的自衛権行使を否認している、という内閣のロジックは一貫性がない”と論断するものがあるのも当然だろう。

[97] (4) 9条に関する裁判例


昭和26年に設置された警察予備隊に関する違憲訴訟以来、9条に関する裁判例は、数多い。
最高裁判所は、9条問題に関し、いまだ正面から見解を明らかにしてはいない。
が、砂川事件上告審判決は、「我が国が主権国としてもつ固有の自衛権は何ら否定されてものではなく、我が憲法の平和主義は決して無防備、無抵抗を定めたものではない」との判断を示している(最大判昭34.12.16刑集13巻13号3225頁)。
これは、安保条約および行政協定に基づくアメリカ合衆国軍隊の駐留の合憲性判断にあたってふれたところであるとはいえ、最高裁は、先にふれた〔伝統的自衛権保持→自衛戦争→自衛のための戦力保持〕という「自衛戦力合憲説」に与しているのではないか、と推察できる(もっとも、圧倒的多数の憲法学者は、政治戦術的な考慮があるのだろう、“最高裁の判断はまだ明らかにされていない”とだけ述べている)。

下級審判決ではあるが、百里基地訴訟第一審判決は、伝統的意味の自衛権を国家の基本権と捉えたうえで、9条は自衛権行使のための有効な防衛措置を予め組織することを禁止していないとした(水戸地判昭52.2.17判時842号22頁)。
その上告審判決は、自衛隊用の土地を私人から購入する国の私法的行為には、9条の統制力は及ばないと判断した(最3小判平元.6.20民集43巻6号385頁)。

自衛隊が9条2項によって保持を禁じられている「戦力」に該当し違憲だと、我が国の司法府として初めての判断を下したのが、長沼事件訴訟第一審判決である(札幌地判昭48.9.7判時712号24頁)。
この事件は、自衛隊の基地建設のために保安林の指定を解除することの合憲性を争ったものである。
同判決は、「わが国が、独立の主権国として、その固有の自衛権までも放棄したものと解すべきでない」としながらも、その自衛権を「武力によらざる自衛権」に限定した。
伝統的意味での自衛権行使は放棄されている、とみたのである。
判決は、「民衆が武器をもって抵抗する群民蜂起の方法」等の、軍事力によらない方法によるべきことを説いた。
が、しかし、民衆による抵抗は国家による行為ではなく、これを自衛行為と位置づけることは筋違いだった。
その控訴審判決は、代替施設が整備されたために周辺住民への災害の恐れはなくなり、原告の訴えの利益は消失したと原判決を取り消したが、その際、傍論として、他国の武力侵略に対して如何なる防衛体制を採るかは極めて高度の政治的判断を要する統治行為の範疇に属する、と指摘した(札幌高判昭51.2.17行集27巻8号1175頁)。
上告審判決は、訴えの利益に関する原審判決を支持したが、その傍論部分については何も言及しなかった(最1小判昭57.9.9民集36巻9号1679頁)。


※以上で、この章の本文終了。
※全体目次は阪本昌成『憲法1 国制クラシック 全訂第三版』(2011年刊)へ。


■用語集、関連ページ


阪本昌成『憲法理論Ⅰ 第三版』(1999年刊) 第ニ部 第四章 戦争の放棄

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最終更新:2013年03月23日 23:57