第13章 代表と議会制

阪本昌成『憲法1 国制クラシック 全訂第三版』(2011年刊)     第Ⅰ部 統治と憲法   第13章 代表と議会制    本文 p.92以下

<目次>

■1.代表


[63] (1) 代表という言葉と意義


「代表」という言葉は要注意語である。
それは、人を表したり、人・機関の地位や役割を表したり、ある権限それ自体を指したりする。
人も役割も権限もひとつの言葉で表現しようというのだから始末が悪い。
本書では、人を表すときには、「代表者」、機関を表すときには「代表機関」ということにしよう。
代表機関とは、統治に携わる人または人の集合体を指す。
法律の執行を任務とする行政機関(官僚団)や、法令を正しく解釈・適用することによって法的紛争を解決する裁判所・裁判官は、代表ではあり得ない。

さらに、代表の行為は、公開・公然のなかで繰り広げられる統治活動であって、秘密裏の行為ではあり得ない。
代表者 representative は、もともと、ある事柄を我々に再現してみせる(represent する)人のことだ、と考えれば分かり易いだろう。
もっとも、「ある事柄」が何であるのか、ここを理解することがツボなのだが。

君主が代表者だった時代には、“君主は国家・国民の一体性を再現する存在だ”といわれたこともあった。
この代表の機能を「象徴的代表」ということにしよう。
君主は儀式を好むが、それは国家・国民に一体性をパノラマのように儀式を通して人々に再現してみせるためだ。
君主が象徴的代表である根拠は、血統(世襲)、伝統、神の啓示等々さまざまだった。
議会は、君主に対抗して《我々は国民の意思を再現 represent する機関である》という、もうひとつ別の代表概念を突きつけた。
これが選挙制代表となっていった。
選挙制が普及した今日、我々が「代表者」というときは、選挙民によって選出された人を指す。
代表者の集合体を「代表機関」という。
代表機関が議会である。

私法において「代表」とは、法的効果が誰に帰属するのか云々するタームであるが、憲法における「代表」とは法的効果の帰属先を論ずるものではない。
憲法と私法でのこの違いを鮮明にしようとするとき、“代表とは政治的意味であり、政治的代表のことだ”と強調される。
つまり、代表者とは、ある政治体制のなかで国民の政治的選好を公然と再現してみせる人をいう、というわけだ。
これを「国民代表」(*注1)ともいう。
代表制とは、国民のうちの多数者の政治的選好を反映するように統治機関が組織されていることをいう。

(*注1)国民代表について
国家や国民があたかも実在するかのように論じてきたこれまでの憲法学であれば、国民代表を次のように説明するだろう。
「国民代表とは、統一的な国家意思の形成のために主権者意思によって選任された人をいう」。
国家の意思や主権者の意思について語ることは擬制に過ぎると信ずる私は、意思に代えて「政治的選好」と表現し、その選好を多元的であるとみて「統一的」という表現を用いることをしない。

[64] (2) 議会の歴史


今日の代表概念は、議会制、選挙制、複数政党制を represent したものである。
つまり、代表概念は議会の歴史を反映しているのだ。
中世中期以降、財政危機に瀕した王は、等族(司祭、村長、修道院長等)に対して、自主的援助金を提供するよう求めた(これが後には税となる)。
その際、王に意見を具申するための会議体として誕生したのが等族(身分)制会議である。

各等族身分は、その伝統的な固有の特権を君主から守るために、等族会議に代表者を送り出した。
その代表者は、選出母体からの命令的・個別的委任を受け、指示されたとおり発現・表決する存在だった。
委任の条件と範囲に違反した代表の行為は無効とされたばかりでなく、代表者の罷免事由とされた。
この代表は「命令的委任代表」と呼ばれる。

確かに、この委任代表のもとでの代表者の役割は限定されていた。
が、これが統治にもたらした変容は重大だった。
というのも、この代表者の登場は、等族の権力と王の権力という二元構造のもとで、王の権力が制限されることを象徴的に示す事態となったからである。

近代主権国家は、等族国家にみられた君主と等族との二元構造を克服することによって成立した。
ヨーロッパ大陸では、その克服は、政治的統一を一身で代表する君主の登場、すなわち、絶対君主制の確立によって達成された([5] [6] えおみよ)。
絶対君主の権力に対抗する際に引き合いに出されたのが、等族会議による王権の制約の例だった。
“代表なければ課税なし”の標語のもと、市民たちは、統治に携わる集会(governmental assembly)のひとつとして代表機関を作り上げることを要求し、これに成功した。
代表機関は、すべての人を代表する我々こそ国家統治の正当性の根源である、と主張して、立法の実体権限を君主から奪い取ったのである。
これが、今日の議会の原型である。
このように、近代立憲主義にとって代表という考え方は極めて重要な発明であった。
この考え方によって初めて、絶対君主の権力から分離独立した議会という統治機関が成立し得たのである。

議会成立の背景に留意したとき、代表機関としての議会は立法機関としてのみ成立したのではないことが分かる。
議会は、課税への同意という、立法でもなく行政でもない君主の作用に同意することから発生生育したことに表れているように、執政府を監視監督しながらそれを抑制することを目指していた。
その本来の目的に従って議会は、課税に対する同意権に始まって予算審議権、立法権限、さらには執政府の政治責任追及権まで獲得していく。
この段階であっても、君主はなお立法の裁可権を保持するのであるが、立法権の実体が議会に移るにつれて、それは国家機関間の調整権限となって(⇒[60])、ほぼ全面的に制限された君主となる。
議会が君主に代わって統治権力の中心となるためには、代表者は、選挙区の利害をそのまま伝える役割ではなく、“すべての人の利益を考慮する存在だからこそ、議会の正当性は君主に優位する”と自らを位置づけることが必要だった(※注釈:つまり「委任代表」から「国民代表」へ代わる必要があった)。

[64a] (3) 純代表


“すべての人の利益を考慮する存在”としての代表者を選出する方法、それが公営選挙だった。
選挙によって選出された代表者は、選出母体からの指示・訓令から自由に、発言・票決できるよう保障された。
代表者はその発言・票決等について責任を問われないという免責特権はそのためである(これについては、後の [136] でふれる)。
この代表のあり方を「純(粋)代表」という。

「純(粋)代表」は、アキレス腱をもっていた。
この代表制における代表者は、“自分はもはや選出母体のローカルな利害を君主に具申する存在ではない”との否定命題を浮かび上がらせるために、“我等は全国民の代表である”とポジティブに強調した。
ところが、現実には、選挙権者・被選挙権者ともに「自由と財産」「教養と財産」を有する同質の市民階層の代表に過ぎなかった。
純代表には実態が伴っていなかった、という意味で、イデオロギーに過ぎなかったのだ。
純代表制は、一見すればデモクラシーのための装置のようでありながら、個々の代表者と彼と利害を同じくする人々の自由を守ろうとしているという意味での“リベラリズム”を基礎としている(シュミット)。

これは視点を換えていえば、国民主権と議会制のギャップでもある。
このギャップに敏感な急進的なデモクラットであれば、〔国民主権→国民の自己統治→直接民主制〕という直線的配列を念頭に、こういうだろう。
“議会または代表が必要であるとしても、それらは直接民主制の次善の策であって、国民が主権者となるには純代表制は排除されなければならない”。
急進主義者は、代表制原理には個人主義的な臭いがあるとこれを警戒して、デモクラシーを自同性原理に定位させようとするのである。

上の主張は、そのままの形で憲法体制に実現されたことはない。
なぜなら、直接民主制は、ナポレオンやヒトラーのような、「英雄的指導者」を激情の中で誕生させる怖れがあるからだ。
これを「プレビシットの危険」(※注釈:人民投票(plebiscite 指導者選出や領土帰属のための人民投票で、投票結果に強制力がある点で一般の国民投票 referendum と区別される)による指導者の決定が独裁者(人民投票的独裁 plebiscitary dictatorship)を生み出す危険)ということがある。
直接民主制は、政治的争点を「イエス/ノー」という単純な選択肢に変えてしまい、それだけ性急な政治的選好を統治過程に反映させるのである。

[64b] (4) 半代表


直接民主制のもつ危険は多くの人たちを納得させた。
とはいえ、国民主権の理念と、制限選挙制・純代表制とが整合しないとの見方も多くの人たちを納得させた。
その結果、新しい代表観が登場した。
それは、19世紀中葉、普通選挙制の実現をみたフランスにおいてであった。
フランス第3共和国憲法(1875年)は、純代表に代わる別の代表制を模索して、選挙民の意向を無視しないための工夫を凝らした。
具体的には、
(ア) 大統領による民選議院の解散制度を導入し、
(イ) 選挙民を直截に代表する議会が最高機関であると謳った
のである。
これによって選挙民は、代表者の発言・票決を従来に比べて実効的に統制できるようになったのである。
ここに《選挙人と代表との政治的選好の間に事実上の同質性が確保される》とする新たな代表観が誕生した。
この代表制は「半代表制」と呼ばれることがある。

[64c] (5) 多様な代表観


但し、フランスの流れは決して普遍的ではないことには留意を要する。
イギリスにはイギリスの、アメリカにはアメリカの代表観が存在してきた。
アメリカ合衆国憲法は、人民が憲法制定権力を有するという、人民主権(popular sovereignty)の原則を標榜しはしたものの、だからといって、人民主権に相応しい代表制は○○のはずだ、といった硬直した考え方を採用しなかった(⇒[40])。
合衆国憲法は連邦制という独自の権力分立制を導入した関係で、州利益を代表する上院議員が各州の代表者とされた(州の大小に拘わらず2名が割り当てられた)。
州の人口に比例して選出される下院は、直接民主制の次善の策として位置づけられた。
が、下院議員が強い権限を揮(ふる)わないよう、2年ごとの頻繁な選挙に服せしめた。
さらに同憲法は、一身で全国民を代表する大統領を置いた。
もっとも、その選出にあたっては、人民の激情による選出を阻止するために間接選挙制とされた。

このように、アメリカ合衆国は、州や地域の代表としての議会、全国民の代表者としての大統領というふたつの代表機関を置いたのである。
大陸諸国の相当数が、君主と議会というふたつの代表機関を置けば、かつての二元構造の復活となることを危惧し、議院内閣制という新たな理論によってこれを克服しようとしたのに対して(この議院内閣制の狙いについては、既に [60] でふれた)、アメリカは独自の代表観を権力分立構想のもとで独自の道を歩むのである。


■2.議会制


[65] (1) 議会に期待されるもの


私は、[64] において、議会は統治に携わる集会として成立した、と述べた。
歴史的にみれば議会は、君主を重心としてもつ権力分立制と、これに対抗しようとする民主制との接点に登場し、君主の統治権を削ぐ権力組織体として、予算審議、法律制定、軍隊編成、外交処理、官僚統制等々の権限を獲得していった。
この動向のなか、19世紀になると議会こそ国民の自由と財産保障の砦だ、と期待され、実際そのような機能を一部果たした。

議会こそ人民の意思を表明する機関だ、と期待する論者は、議会がルソーのいう一般意思またはカントのいう定言命法を表示する機関となるだろう(なるべし)、と期待した(今日の我が国の憲法学者にも、この期待を表明する者がみられる。最高機関としての国会に立法権を独占させ、内閣を法律執行機関に押しとどめようとする憲法学説は、この期待を表している)。
“議会こそ、統治の自同性原理(治者と被治者の自同性)を実現する機関となろう”というわけである。
ところが、普通選挙制確立後の大衆民主主義における統治の実態は、自同性原理の理想とは程遠く、国民の利益または公共性の名のもとでの個別的利益の争奪戦となっている。
純代表のもとで選出され構成される議会は、一般意思を表明するところなどでは到底なく、対立する利害を公開審議の場で討議しながら「調整する場」となっている。

自同性原理から懸け離れた代表制原理のもとで、「政治的利害の取引の場」となった議会をみて、急進的デモクラットは、主権者であるはずの国民と議会構成員(代表者) - 一般意思と代表者意思 -との間に広がるギャップを埋めたがる。
国民代表機関の権限を「人民主権」のもとに脱構築しようとする見解がこれである(先の [39] でふれた憲法制定権力論は、この流れのなかで理解されるとよい)。
これに対して、デモクラシーの過剰を警戒する穏健派は、国民のバラバラの選好を束ね、これを公然と審議し穏やかに調整することこそ現代議会の役割だ、という([69]もみよ)。
これが、自同性原理または自己統治という言葉のもつ魔術から解放された、妥当な見解だろう。

民主制を徹底させれば、各人が代表者として統治上の争点を審議し票決する、自同性原理のもとでの直接民主制となるだろう。
これは権力の集中制だ。
権力分立は、これを避ける工夫だった。

[65続き] (2) 間接民主制の要


確かに、我々全員が統治に関心を持って、その決定に自ら参与し責任を負うという統治体制は、多くの思想家たちの理想とするところだった(現在でもそれを実現したいと熱望している思想家や哲学者は消え去ることがない)。
ところが、我々は、日常の生活をしなければならず、統治に費やす時間・エネルギーを十分に残しているわけではない。
たとえ余裕があるとしても、それを統治以外の分野に向けたいと希望する人々も相当数存在するだろう。
その種の人々を誰が非難できようか。

経済市場が分業で成り立っていると同じように、統治の分野も分業が必至なのである。
「統治する者/統治される者」の分業である(⇒[8]、[27])。
統治する者が代表であり、それが選挙制代表に拠るとき、議会の議員となったり、アメリカ的大統領となったりするのである。

統治における分業体制にあっては、政治の消費者である選挙民が、統治する者に対して有効な統制を及ぼし得る政治体制、すなわち民主制となる(この点については、既に [27] でふれた)。
我々全員が政治の生産者となると同時に消費者となる直接民主制(自同性原理)は、ヒステリックな統治となるに違いない。
民主制は、議会制=間接民主制と繋がるとき、近代立憲主義の常道となったのである。

但し、純粋代表のもとでは、被治者が治者(代表)に対して統制を及ぼそうとしても、選挙民と代表者との関係は法的に切断されている。
このために、選挙民は有効な統制の手段を日常的に持ってはいない。
代表者への統制は、間歇的選挙の機会のみである。
有効な統制の機会であるはずの選挙も、争点は必ず複数あって、統制の焦点を一点に集中することも困難である。
純粋代表の制度は、多数者の政治的選好を反映するのではなく、少数者の利害が組織化されてある争点に集中したために偶然に出来上がる塊を反映するだろう。
この点に留意したとき、間接民主制または純粋代表制は、統治技術としてベストではなく、様々な、次のような工夫によって、その欠陥を埋めなければならない。

まず第一に、 民意の多元的な分布を可能な限り正確に反映する代表制とするために、選出(選挙)のあり方を工夫することである。
その工夫のひとつが比例代表制である。
これは、複数の政党の掲げる公約または綱領を選挙の争点として、基本的には、選挙民が投じた票数に応じて議席を配分する選挙制であり、“少数者も代表されるべし”という構想である。
但し、すべての議会の議席を比例代表制によるとすれば、多数意思の形成が困難となって、政局が不安定となりがちとなる。
そこで、各国は、比例代表制と小選挙区選挙制との組み合わせを採用することが多い。
第二に、 地域的利害は、住民の生活に最も密着した地方政府に直接表明されることが望ましく、そのための補完的チャネルが整備されなければならない。
地方自治制度はそのためにある。
第三に、 一定種の公務員につき、任命による公務員であっても、国民による選定罷免権の対象とすることもひとつの対応である(日本国憲法にみられる最高裁判所裁判官の国民審査はその一例である)。
競争試験によって選抜される公務員は、通常、その対象外とされる。
第四に、 代表者は公益を口にしながら自己利益を最大化しようとしたり、議会での多数を占めたときには、その自己利益を固定化しようとしたりするものだ、という議会政治の欠陥を補正するための統治機関の役割である。
これが、たとえば、会計検査院であったり、独立行政委員会であったり、オムブズマン(※注釈:ombudsman 行政監察官)であったりする。
なかでも、私たちの自由領域が多数決によって削減されるとき、民主過程を破る司法審査制の役割が忘れられてはならない(⇒[17])。
憲法規定の大部分は、移ろい易い議会の多数の意思に対抗するためにある。

[66] (3) 日本国憲法上の代表制


日本国憲法の採用する国民代表制は、徹底した直接民主制であると解し得る余地はなく、次のいずれかだろう。
まず第一に、 選挙人の選好を法的に遮断するなかで、代表者が独自に政治的選好を形成する代表制、すなわち「純代表制」、
第二は、 代表者が選挙人の利害との事実上の同質性を維持しながらも、独自に政治的選好を形成する代表制、すなわち「半代表制」、
第三に、 主権者であるはずの国民(人民)と代表者との距離が短ければ短いほど望ましいとの前提に立って、命令的委任に服する代表制すなわち「委任的代表」(直接民主制の次善手段としての代表制)、
以上の3つである。

日本国憲法の文理をみれば、「権力は国民の代表がこれを行使し」と謳う前文、国会議員が「全国民を代表する」と定めて選出母体からの統制を受けないことを示唆する43条、それを具体化するために代表に免責特権を与える51条等から考えて、上の第三の選択肢は消去される。
となると、日本国憲法上の代表制は、純代表制または半代表制のいずれかだろう。

“選挙人の意思と代表者の意思とが事実上、同質性を示している”半代表制は、日本国憲法上のどの要素に表れているか?
半代表論者は、普通選挙制、衆議院の解散制度、政党制等の要素を挙げる(政党の機能については、後の [68] でふれる)。
これらの要素によって、事実としては、代表者への自由委任は貫徹し得なくなってきた、というわけである。
半代表論には、“地域的利益は同質であってその意思は代表され得る”という想定があるのだろう。
ところが、地域的利益も実は多元的であって、代表され得ると思われる利益も、実は、同質的ではなく個別的でしかないのである。
半代表論は、国会を地域の特殊・個別的利益の巣とするだろう(大統領公選制や首相公選制は、特殊利益代表と化した議会に対して、全体利益代表としての執政府の長を置いて、議会の半代表機能を修正する試みである)。
さらには、参議院議員の任期が6年、衆議院議員のそれが4年と長期であることからして(45、46条)、選挙人と代表との事実上の同質性が果たして見て取れるだろうか?

確かに、後でふれるように、先進諸国における政党の発達は、代表者の行動を変えてきており、“議員は政党によって拘束された、政党のための受託者だ”ともいわれることがある。
これは、単に代表者が党則・党議に拘束されているということだけでなく、〔政党支持者または一般党員→政党→議員〕という連鎖のなかで、多数の政党支持者(選挙人)によって代表者が統制されていることをも意味している。
このことは、選挙人が選挙において政党に票を投ずる比例代表選挙制、なかでも、選挙人に候補者名簿上の順位の選択を許さない拘束名簿式比例代表制においては、特に頷(うなず)けるだろう。

[66a] -


では、拘束名簿式比例代表選挙制のもとで選出された代表者が、所属政党から脱退または除名されたとき、その議員としての地位は不動であるか?
選挙人は、当該代表者の所属した党に投票した、にもかかわらず、事後、その人物の所属政党に変動が生じた場合、当該代表者の議員としての資格はどうなる?

このケースの結論を左右するのは、上でふれた日本国憲法における代表制の理解である。
半代表制だ、と解する論者であれば、脱退等によって事実上の同質性を表す〔政党支持者または一般党員→政党→議員〕の配列に狂いを生ぜしめた以上、その議員は代表者としての資格を失うはずだ、というだろう。
これに対して、日本国憲法における代表制は純代表制だと解する論者は、《選挙人が党の規律を通して代表を間接的に統制できるとしても、それはあくまで政治的な意義をもつにとどまり、憲法典上の代表の法的地位に変更を迫るものではない》というだろう。
これらのうち、半代表なる概念が事実上のものにとどまることに留意すれば、法的効果を発生させようとする思考は、いただけない。


※以上で、この章の本文終了。
※全体目次は阪本昌成『憲法1 国制クラシック 全訂第三版』(2011年刊)へ。


■用語集、関連ページ


阪本昌成『憲法理論Ⅰ 第三版』(1999年刊) 第一部 第十一章 議院内閣制

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最終更新:2013年03月23日 20:30