第6章 立憲主義

阪本昌成『憲法1 国制クラシック 全訂第三版』(2011年刊) 第Ⅰ部 統治と憲法   第6章 立憲主義    本文 p.26以下

<目次>

■1.立憲主義の意義と展開


[18] (1) 立憲主義の意義


先の [1] で私は、《統治とは、国家機関を通して為す、一元的・統一的な権力支配だ》と述べた。
統治は、限られたリソースを巡る利害の対立を調整しながら、その配分のあり方を権力的に決定する恒常的かつ永続的な国家作用である。
この権力的、永続的な統治活動の牙を抜いて正当な枠に閉じ込めようとするにが、規範的意味での国制の役割である。
統治を、流動的で恣意的な政治に委ねることなく、国制のもとに規律し安定させる思考を「立憲主義 constitutionalism」という。

近代国家が規範的意味での国制によって統制されるに至った段階のものは、「近代立憲主義国家」といわれる。
これは、国家という強制の機構から各人の「自由」を擁護する、統治上のルールとしての憲法をもっている国家のことである。

[18続き] (2) 立憲主義の展開


立憲国家は、先の [7] でふれたように、18世紀の啓蒙思想の産物だった。
その理論は、絶対主義国家論が余りにも不可能な前提に立脚していたことの反省から生じた。
神の如き君主は、現実には存在しないこと、君主の意思が必ずしも人民の利益に一致しないことが判明したのだ。

立憲国家の理論の起源となると、それは中世に遡る。

[19] 〔A〕中世立憲主義


中世においては、“君主を君主たらしめる法が基本法だ”と考えられた。
旧い歴史的産物のもつ力、すなわち、慣習が基本法の内容を成した。
その具体的な内容は、君主の世襲制、長子による王位継承、領土の不可譲性、そして「君主の権利/領主の権利/臣民の権利」という身分制秩序の維持である。
これらの基本法が君主権限を支えるための論拠だった。
“課税するには身分制会議の同意を要する”という命題が基本的内容として確立されるのは、その後である。

「君主を君主たらしめる法」は、君主権限を統制するためにも言及された。
それが「神の法と旧き善き法」である。
これらは、君主の権限よりも上位にあるという意味で「基本法」と考えられた。
こうした主張を「中世立憲主義」という。
もっとも、中世立憲主義は、善き君主となるための帝王学でもあったにとどまり、悪しき王が出現したとき、無力だった。
「中世立憲主義」は実のところ国家統治権を統制する思想ではなかったのである。

[19続き] 〔B〕近代立憲主義の源流?


「旧き善き法」の主張はさらにリファインされていった。
例えば、ある論者は、君主の主権の行使を「統治/司法」に分けたうえで、“君主は統治領域においては無制約の権力を有してきたのに対して、司法領域においては旧き善き法によって統制されている”と主張した。
また、別の論者は、国民の歴史から確定されるはずの実体的な原理として、太古からの憲法 ancient constitution がある、と主張した。

[20] 〔C〕近代立憲主義への転回


こうした主張は英国の国制に大きな変化をもたらした。
それが、“臨席すれども統治せず”という「臨席/統治」の区別である(「君臨すれども統治せず」という訳は適切ではない)。
この区別はピューリタン革命と名誉革命を通して国制に取り入れられ、立憲君主制を成立させたのである。
これに対してフランスの国制は、この区別を取り入れることなく、君主が統治し続けた。
確かに、フランスにおいても、君主の権力を統制しようとする立憲君主制の理論は知られていた。
が、君主は、制度的にも人的にも、国民代表制から独立しており、その意味で超然とした地位と権力をもっていた。
この背景のなかでフランス革命は、この王政を一挙に覆す過激な運動となったのである。

市民革命は、幾つかの歴史的な条件が整わなければ実現しなかった。
この条件とは、宗教改革運動と近代啓蒙思想の勃興である(⇒[23])。
宗教改革は、聖なる組織体である教会の権力に深い懐疑を人々に抱かせた。
信仰なるものは、教会の知識によって客観化(実定化)されるはずはなく、人々の心(内心)にある主観的で非実定的なものだ、と主張し「客観的宗教/主観的信仰」の違いを説いた。
となると、客観宗教と結びついてその権力を誇示してきた君主の権力が正当であるのか、と疑問視されてくる。
また、世俗の権力は主観的信仰に踏み込むべきではなく、踏み込み得ないはずではないか、とも気づかれてくる。
聖なる権力からも、俗なる権力からも、自由な「私事」領域、そして、近代国家国制の基礎である「政教分離」の誕生である。
近代啓蒙思想は、神の恩寵こそ natural law (本来的法則)だ、とするそれまでの神秘主義的な思考を消し去ることに成功した。
そして、自然権思想・社会契約論を展開しながら、「基本」の内容として“自然権または不可侵の人権を保障していること”を挙げた。

もっとも、社会契約という一時点での人々の同意は、その性質上、瞬間的刹那的であることを賢明な啓蒙思想家は知っていた。
社会契約だけでは、自然権を保全するにとって不十分なのだ。
社会契約に示された基本線を一時的なものにしないことが必要である。
だからこそ、《社会契約に次ぐ第2段として憲法協約が結ばれる》というフィクションが用いられるのである。

一時的な社会契約を乗り越えるために憲法協約が定められたからといって、それでもなお、人々の結合関係が安定するわけではない。
自然権保全という共通目的には同意した人々といえども、他の面においては利害を異にし、対立し得る。
ここに国家の統治の必要が現れるのだ。
憲法協約によって成立した結合関係が共同体とは別種であるからこそ、利害対立を調整する一元的な強制の力、すなわち、国家の統治が立ち現れざるを得ないのである。
先に私が「国家は国民の政治的共同体だ、などというべきではない」と指摘した理由は、ここにある(⇒[1])。

統治は特定の組織(統治構造)とそのための人材を必要とする。
この法的地位が統治機関であり、治者である。
統治が治者という階層を必要としている以上、「治者/被治者」の区別は不可避・必然である([8]もみよ)。
憲法協約が自然権保全に相応しい統治構造を決定するばかりでなく、被治者の基本権を列挙するのは、そのためである。
その際、啓蒙思想家は“統治権力が特定の機関に集中しないで、分割されていること”、すなわち、権力分立構造が組み込まれていることを以って、憲法協約の「基本要素」と考えた。

権力分立構想が歴史上確固となるためには、先の [14] でふれた「執行/司法」の区別に加えて、「立法/執行」の別、さらには、「法律/命令」の別が明確にされる必要があった。
一般的・抽象的な法規範を定立することが「立法」であり、
その法規範を個別・具体的な事案に適用することが「執行」だ、
という区別である。
この「一般性/個別性」という区別が、《臨機の法(個別的な命令)は立法ではない》との主張を支えた。
次いで、“たとえ君主の立法が一般的・抽象的であっても、それは「命令」という法形式であって、議会が立法する法形式、すなわち「法律」とは別だ”と主張された。
これが「議会の立法/君主の立法」、「法律/命令」という分離と、命令に対する法律の優位という主張を支えた。
こうした主張が「司法/議会の立法(法律制定権)/残余の君主権限」という権力分立構造を産み出したのである。

自然権の保全と権力分立という二つの要素を憲法の必須要素だと明言したのが、フランス人権宣言16条の「権利の保障が確保されておらず、権力の分立が定められていないすべての社会は、憲法を持たない」という有名なフレーズである。
この二つの要素を満たす憲法を「立憲主義的憲法」と一般にいわれることがある。
つまり、
《憲法とは、人権宣言と権力分立を含む成文の法文章だ》、
《この法文章は、国家樹立の際の社会契約および憲法協約を成文化したものであるから、主権者をも統制する法力をもっている》
という思想である。
今日、立憲主義を想起する場合、人々の脳裏に浮かぶのは、一般にこのタイプである。
が、フランス人権宣言とその16条は近代立憲主義のモデルではなく、「このタイプだ」と簡単に片付けることは正確でない。
フランス的立憲主義とアメリカ的立憲主義は、憲法に関する見方を大きく異にしているのだ。

[21] 〔D〕近代立憲主義の枝分かれ


フランス型は、憲法をあるべき国家の最適モデルに適合させようとする理論に従って設計しようとした。
なかでも、憲法を制定する力を民主的に創造するための人為的理論が最重要視された。
これが、後の [39] でふれる憲法制定権力の理論である。
人権も、まったく新たに創設され、最適規範に相応しい内容を人為的に持たされた。
人権は、人が精神的にも物質的にも、あるべき姿となるための規範だった。
こうした憲法のモデルが理論通りには運ばないと判明したときには、また別の理論に従って人為的に憲法が制定された。
フランスの憲法は、何度も何度も制定されては軌道修正された。
そして、結局のところ、自由の構成(constitution)に失敗したのだった。
これに対してアメリカ型は、経験と伝統とを基礎とする憲法制定の道を辿った。
理論的な最適規範を設計したところで、上手く定着することはない、と建国の父たちは知り尽くしていた。
それと同時に、憲法制定会議を頻繁に開設して討議を繰り返すと、統治力学の振り子が大きく揺れ過ぎることも予知していた。
建国の父たちは、モンテスキューが理想としていた「中庸な統治体制=混合政体」から多くを学んだ(合衆国憲法はJ. ロック(1632~1704年)の影響を受けて制定された、といわれることがあるが、これは誤診だと私は考えている)。
合衆国憲法が、House of the Senates(通常、「上院」と訳される元老院=貴族政的要素+連邦制)と House of the Representatives(通常、「下院」と訳される庶民院=民主政的要素)という権力分立、さらには、大統領という「民主化された君主」を置いたのは、そのためだった。

また、アメリカ建国の父たちは、人間の理性・知性の限界を知っていた。
人間は、有徳の存在ではなく、権力欲に満ちており、私利を追求するにあたって公共の利益を口にすること等々を建国の父たちは知っていた。
合衆国憲法は、人権保障にあたっても、“自然権を実定化する”とは考えなかった。
権利章典(Bill of rights)は、歴史的・経験的に徐々に姿を現してきた人の権利を確認するものだった(*注1)。

(*注1) アメリカ合衆国憲法における権利章典について
合衆国憲法にみられる「個人の自由と権利」は、自然権思想の影響をさほど受けてはいない。
そこでのカタログは、歴史的にそれまで存在してきた権益を確認したものである。
『憲法2 基本権クラシック』 11頁を参照願う。

[22] (3) 立憲主義のふたつのモデル - 法の支配か民主主義か


以上のように、一言で「近代立憲主義」という場合でも、一方には純粋理論型または超越型があり、他方には経験型・伝統重視型がある。
見方を換えていえば、
フランス型は 民意を統治過程に統合するなかで同時に自由を作り出すための憲法構造を理論的に追究したのに対して、
アメリカ型は 多元的な民意を統治過程に多元的に反映させる憲法構造を伝統のなかから発見しようとしたのだった。
アメリカ型立憲主義は、《個人の権利自由を擁護するための制度的装置として権力分立制を用意する》とよくいわれる。
他方、憲法の民主化を重視するフランスにあっては、議会に反映される一般意思のもとに行政と司法を置くことが、その眼目であると考えられた。
J. ルソー(1712~1778年)の影響だろう。
そのために、議会中心の統治が理想とされた。

これに対して、合衆国憲法は、モンテスキューの理論モデルを参考としながら、民主主義を万能としない権力分立制を導入した。
アメリカ憲法は、「立憲主義=法の支配=権力分立」という等式を基礎として制定されたのである。

立憲主義のモデルをアメリカに求める人物は、《立憲主義とは、法の支配と同義であり、それは民主主義の行き過ぎに歯止めをかける思想でもある》と考える傾向にある。
これに対して、立憲主義モデルをフランスに求める人は、「立憲民主主義」という言葉を多用する傾向がある。
後者は、「立憲」の中に権力分立と人権尊重の精神を含め、「民主主義」の中に、「国民主権」と議会政を含めているようである(民主主義の中に人権尊重を忍び込ませる論者もいる)。
が、それらの一貫した関連性をそこに見て取ることは困難であるように私にはみえる(自由主義と民主主義との異同については、後の [26] でふれる)。

私は、《立憲主義とは、誰が主権者であっても、また、統治権がいかに民主的に発動されている場合であっても、主権者の意思または民主的意思を法のもとに置こうとする思想だ》と考えている。
本書が「立憲民主主義」という言葉を決して用いないのは、そのためである。
法の支配については、後にふれる(⇒[31]以下)。

なお、立憲主義の必須要素として忘れられてはならないものが政教分離である。
近代の立憲国家は、宗教の教義にとらわれることなく、宗教的に中立であるところに成立したのである。

[22a] (4) もうひとつのモデル - ドイツの「法治国原理」


市民革命の歴史をもたないドイツにおいては、「立憲主義」といえば立憲君主制を連想させてきた。
このため、同国は「立憲主義」よりも「法治国原理」というタームを好んで用いてきている。
立憲主義と法治国原理とは厳密にいえば、異質の構想である。
両者の違いは、予想以上に大きい。
要注意点である。

英米的な立憲主義に必須の要素は、①権力分立、②「法の支配」または法の主権、③法律に基づく責任行政、④私法と公法との区別(国家/市民社会の区別)、そして、⑤司法手続による救済原則、である(これに、上にふれたように、政教分離が加わる)。
これに対して法治国原理の必須要素は、(a)司法権の独立、(b)権利救済のための司法手続の法整備、(c)国民の自由と財産の憲法保障、(d)議会の法律(法規)制定権、(e)行政の法律適合性原則、である。

上のふたつを比較すれば、法治国原理には、立憲主義における必須要素である法の支配と「国家/市民社会」二分法がみられない、という違いが浮かび上がる。
この違いは、ドイツにおいては、市民の「自由と財産」にとっての危険が君主からやってくることに対して、議会制定法を以って対処しようとしてきたこと、これに対して、英米においては、市民社会にとっての危険は全ての国家機関からやってくると想定して、自由の砦を議会制定法に求めようとしなかったことに起因する。

上のふたつの違いは、「市民社会」の捉え方とその評定の違いを反映している。
英米においては、市民の自由と市民社会の自律性とをポジティブに捉えてきたのに対して、大陸においては、次にふれるように、市民社会をネガティブに捉え、市民社会の欠陥を議会制定法によって補正していこうと、国家指導に期待して「法律国家」(法治国家)を国制のモデルとしたのである。


■2.近代立憲主義の転回 - 現代立憲主義へ


[23] (1) 市民社会の成立


立憲主義国家は、それが自然権であるかどうかは別にしても、人の基本権を最大限尊重するための統治構造をもつ国家である。
身分制国家から立憲主義国家への変転は、次のような革命的な思考が法の世界に定着したことを示している。
すなわち、
自由意思の主体となり得る人が、すべて等しく法主体、すなわち法人格または市民となる。権利の享有は出生に始まる、と法認されるに至ったのは、そのことをいう。
すべての人が法主体となった以上、意思能力・判断能力のある者は、その自由意思によって法的関係を形成してよい。
国家がその法的関係に関与するのは、当事者に故意または過失があるとき、または当事者の一方が約束を履行しないときである。
国家は公共的な(全員にとって利益となる)事業を行うために、自由意思の主体のあげた収益を一部強制的に取り上げることがある。課税と収用がこれである。この他には国家が自由意思主体の財産権を侵害することは原則としてない。

上の命題は、「身分から契約へ」という有名なフレーズで表されたり、近代法の大原則といわれたりする。
この命題は、視点を変えれば、国家が人々の自由や財産を法的に取り扱うにあたって、
(ア) 身分制に特有だった特権を承認しないこと、
(イ) 個々人が実際にもっている無数の違い(人種、出身地、門地ばかりか、能力、資産等々)も捨象すること、
(ウ) 個々人(私人間)の法的関係には、上の③以外、原則として介入せず、自律的決定に委ねること、
でもある。
自由で自律的な意思主体は誰でも契約の当事者となり得ることとなった。
このとき、人は「市民」(*注2)と呼ばれ、市民どうしの法的関係によって形成される自律領域は「市民社会」と呼ばれ始めた。

市民社会は、国家がこれまで保護してきた特権階級とその既得権を否認し、個々人(といっても、通常は成人男性)による水平的な法関係形成の自由を法認するところに成立した。
この市民社会は、身分制社会や統治機構における位階構造ではない点に注目され、「公(政治)的領域/私的領域」という公私二分論を支えてきた。

近代立憲国家の役割は、いつかは誰でも利用することになる公共財(警察・司法作用、道路港湾等の建設、経済自由市場の取引ルール)を提供すること、および市民社会の自律的な動きを円滑にさせる私法体系を整備することにあった。

国家の作用は、市民社会の機能とは性質を異にしていた。
市民社会は、国家のように特定の組織規律をもたない自律領域であり、統治の領域からはどんどんズレていった。
市民社会が成熟するにつれて、これまでのような(個人-家族-共同体-国家)という同心円のイメージではこの世を捉えきれなくなったのだ。
だからこそ、市民社会は国家の組織規律とは異なる領域だと強調されて、「国家/市民社会(私的領域)」の二分論となったのだ。
この二分論は、《国家は理由なく市民社会に介入することなかれ》という国家権力の制限のために援用された。

(*注2) 「市民」の概念について
「市民」というタームは要注意語である。
法学でいうそれは、「○○市に居住する人」のことではない。
この言葉は、論者の思想傾向を表している。
民主主義が重要だ、と考えるデモクラットは、「市民」とは公的・政治的能力を有する有徳の人を指していうことが多い。
価値中立的な用法を好む論者は、自由で平等な存在として抽象化・理念化された存在をイメージしている。
マルクス主義の影響を受けた論者は、有産階級をもって「市民=ブルジョア」という。

[24] (2) 市民社会批判論


自律的な個々人と、自律的に形成される市民社会は、常に警戒の目で見られ、次第に非難の対象となってきた。
“市民社会は、道徳を忘れた、私的欲望を賞賛する社会とならないか”“経済的な豊かさが実現されても、精神的な荒廃を呼ばないか”と自由主義者ですら、警戒的だった。
その自由主義者の不安に乗じて出てきたのが、マルクス主義だった。

自律的な個人像に対する批判は、“個々人は決して自律的ではなく、貧富の差があるとき、富者の経済的力に屈する弱者だ”となった。
自律的な市民社会に対する批判は、“富者である資本家が貧者である労働者を搾取する階級社会である”“貧富の格差を拡大する不公正な構造をもっている”となった。
上のマルクス主義的批判は、相当数の自由主義者をも巻き込んで進んできた。
そして、近代立憲主義とその国家に対する、大きな批判のうねりとなった。
“近代立憲主義は、人間を形式的・抽象的に捉えるばかりで、階級間の経済格差・権力格差を看過している”“自由と平等という人権は、形式的に捉えられたとき、階級間対立を隠蔽するイデオロギーとなる”というわけだ。
換言すれば、「立憲国家の実態は、階級国家だった」というのだ。

この批判は、現状の生活に満足していない労働者、弱者を自称する人々に歓迎され、穏健な自由主義者たちを大いにたじろがせた。
“市民社会とは、資本主義社会だったのか”“自由主義は、資本主義という影の部分を引きずってきたのか”との見方が普及していった。
そして、こういわれることとなった。
《市民社会における弱者を救済することが正義であり、その正義は国家によって実現されなければならない》、
《近代立憲国家は、消極国家だった、が、今後は、市民社会に国家が積極的に介入して貧富の格差を是正しなければならない》、
《労働者の失業問題を解決するには、国家が総需要を増加させねばならない》等々。
「中性国家」は時代遅れと考えられた。
このターニング・ポイントとなったのがヴァイマル憲法だった。
その14条は「所有権は義務を伴う」と宣言した。
これは、財産権の国有・公有化を目指す社会主義からは一定の距離を保ちつつ、民主過程(議会制定法)を通して社会政策(ブルジョア社会を改良して社会的正義を実現すること)に乗り出す「社会国家」像を国制とすることの表明である。

[25] (3) 現代立憲主義


かくして、国家は「正義」を実現するための強制の機構となった。
ある特定の正義・目標を定め、それに近づくために強制力を用いる国家である。
この正義は、ときに「社会的正義」と呼ばれ、それを実現する国家が「社会国家」といわれる。
この正義原理を憲法に組み入れた国家は「現代立憲主義国家」といわれたりもする([74]もみよ)。

が、不思議なことに、「社会」「現代」が正確には何を指すのか、深く追究されることはなかった。
それは、暗黙のうちに「労働者を中心とする弱者、または、ブルジョア足らざる者に優しい世」を指した。
これらの者の実質的自由を実現することが社会的正義の意だと了解された(後の [74] をみよ)。
だからこそ、「市民法原理」に代わる「社会法原理」が喧伝されてきたのだ。
そして、いつのまにか、農民も、中小企業の経営者も、高齢者も、はたまたときに女性も、“自分たちの実質的な自由は国家によって保護されなければならない”と主張されるようになった。
《この種の主張は社会的正義の美名のもとに自己利益を図ろうとしているのではないか》
《社会的弱者という政治的強者が作られて、既得権の温床となっているのではないか》
と疑問視する向きは、「社会的正義」の前では「冷酷非情」との烙印を押されかねなくなってしまった。

現実を冷静に見直したとき、現代立憲主義国家は、身分上の新たな特権を産み出してしまったのだ。
これは法の支配を侵食しないではおかないはずだ。
近代立憲国家の憲法典は、人の類型として「臣民または市民」、「国籍保有者」そして「外国人」しか知らなかった(⇒[8])。
ところが、マルクス主義の勃興以降の憲法典は、各人の置かれた人的条件を意味する「身分(estate)」という類型を意識し始め、その一定種を強行法規によって保護してきたのだ。

法学者のみならず相当数の社会科学者は、望ましい経済水準や生活水準は人為的に達成できると信じてきたようだ。
そのため、国家は財政・金融政策を通して積極的に経済市場に介入すべきだ、とか、望ましい生活水準を実現するために国家が国民の所得を再分配してよい、と推奨されてきた。
これが「積極国家」といわれるものだ。
今のところ、積極国家の成果は乏しいどころか、マイナスに出ているようにみえる。
現代立憲主義の提唱者は、積極国家における官僚団の数と権力とが必然のごとく肥大すること、そのための行政コストは膨大であること、そのコストは結局のところ国民が負担せざるを得ないこと等々を軽視してきたようだ。

現代立憲主義国家または積極国家のマイナス面は、何も経済的コストばかりではない。
官僚団の規模権限、それを正当化するための無数ともいえる法令が、我々の自律領域に任されてきたはずの領域を閉塞状態に追い込んではいないか?
官僚団が我々の自由を管理の対象としてはいないか?
現代立憲主義国家の病巣は、予想以上に深いようだ。


■3.立憲主義にいう「自由」と「民主」


[26] (1) 民主制におけるフランス型とイギリス型


民主制というとき、イギリスにおいては代表制が前提とされ、自分たちの代表者として誰を送り込むか、という方法を指した。
この民主制の見方を「 手続的民主主義観 」と呼ぶことにしよう。
手続的民主主義観は、民主制といえば、代議制(間接民主制)というやり方のことだ、と考えてきたのだ。
また、イギリスにおいては、自由といえば、国家から強制を受けないことだ、と一般に了解されていた(*注3)。
つまり、人々が統治過程に参加することと、自由であることとは、直接の関連性はない、と考えられていたのである。
これに対して、絶対王制を経験してきたフランスでは、民主制といえば、人民の自己決定が念頭に置かれた。
そのため、間接民主制は直接民主制の補完物または次善の策だ、という主張が強い影響力をもった。
そして、“人民が自己決定することを通してより自由になるのだ”とも考えられた。
フランスにおいては、ローマ教会との争いのなかで、教権から自由に統治形態を自己決定することが「自由主義」の眼目であると捉えられたために、自由主義運動が民主制運動と結びついたのである。

民主制は人々の自由を保障する政体だ、という見方を「 実体的民主主義観 」と呼ぶことにしよう。
我が国の社会科学者の相当数が“民主制は個人の尊厳や自由を擁護しようとする政体だ”と今でも説いているのは、この影響を物語っている。
ところが、モンテスキューが指摘したように、「人々は、絶対君主制と比べて民主制の中に自由があると誤信したために、人民の権力と人民の自由とを混同したのだ」。
民主制は、統治のあり方を決定する方法に過ぎず、“個人の尊厳を保障する政体だ”という主張は、政治学のイロハのイを知らない人の言うことだと私は感じている(「司法権の独立や司法審査制は、民主制を実現するためにある」と述べる法学者の知性を私は疑っている)。

こういう見方に対して、実体的民主主義観に立つ論者は“フランスのみならず、アメリカにおいても同様に考えられているではないか”と反論するかも知れない。
アメリカでも相当数の社会科学者が実体的民主主義観に立っている。
それには、アメリカで“リベラリズム”といわれるとき、「社会民主主義」を指すことが多いという事情が影響している。
社会主義を連想させる“リベラリズム”という用語に代わって、“デモクラシー”が自由の保障までをも含む用語として日常化してしまったのだ。
それでも、アメリカでの指導的な政治学者は、実体的民主主義観によることはなかった。

(*注3) 自由の意義について
自由は、徹底して妨害排除の力だ、という私の理解については、『憲法2 基本権クラシック』を参照願う。

[27] (2) 民主制の市場モデル


アメリカでの厳密な民主制理論は、経済市場モデルを基礎として打ち立てられた。
政治の生産者と、その消費者との関係として、次のように捉えるのである。
通常の財・サーヴィスの生産・提供のためには分業を必要とすると同じように、政治においても、その生産者と消費者の分業が必要であり、また、それは避けられない。
人民であれ、大衆であれ、多数の有権者全員が政治の決定者(生産者)となることはあり得ず、望ましくもない。
大衆または人民の適切な役割は統治者(政治の生産者)を競争選挙で選ぶことである。大衆または人民は、政治の消費者(被治者)として、政治の生産者(治者)の提供するサーヴィスを購入したりしなかったりして、生産者に有効な影響を与えることが出来る。
政治の生産者の役割は、大衆または人民の投票(消費)を目指して、日常的に相争うことにある。
選挙は、投票を獲得するための生産者間のレースであり、統治の生産者を有権者に選択させる方法である。

以上の見方を要約すれば、
《民主制とは、統治者となるべき人物を選出したりしなかったりするための方法だ》、
《大衆または人民が自己決定・自己統治することではない》、
《個人の尊厳や自由・平等保障とは、直接の関連性はない》
ということだ。
民主制とは、望ましい統治の方法・手段をいうのであって、統治の目的ではない。

こう考えれば、自由と民主とは独立の概念として捉える立場が妥当だ、ということが分かるだろう。
両者が、相互に独立の概念であることは、それぞれの反意語を考えれば了解されるだろう。
democracy の反対物は authoritarianism (=独裁制)であり、liberalism の反対物は totalitarianism (=全体主義)である。

[28] (3) 民主制の正当性


実体的価値から解放された民主制は、なぜ正当であるか?
この疑問に関しては、これまで、次のような解答が寄せられてきた。

(ア) 個人的自由にとっての安全装置であること。
これは、“民主制は自由な個人意思と国家秩序の間のギャップを最小限にする手続(やり方)だから正当だ”という理屈である。
つまり、民主制とは、誰もが一票を等しくもって、いつでも多数派となる自由をもつ政体である、というわけだ。
しかし、これも危ういところをもっている。
自由が守られるかどうかは、多数者の意思次第であって、民主制は自由にとって脆弱な防護壁に過ぎない。
(イ) 長期的にみて、多数者意思を形成するよう国民を教育する効果的な方法であること。
これは、“知見を得た選挙民をつくるには、選挙民に政治の消費者として実際に行動させることが一番だ”ということでもあろう。
しかし、投票につき責任を問われることのない選挙民は、公益を口にしながら私利を図ろうと談合することを覚え、実行するだろう。
民主制の危うさは、この点にある。
(ウ) 平和的な政権交代の方法であること。
すなわち、政治的な消費者の票を獲得せんと相争う候補者に対して、消費者が投票したりしなかったりして、政治的生産者を平和裡に交代させ得ること。
この点こそ、自由主義者の最重視する民主制の正当化理由である。

[29] (4) 自由主義の意義


「民主主義」と訳出されるデモクラシーは主義主張のことではなく、正確には政治体制を表す用語である(それは「民主制」と訳出されるべきだった)。
これに対して、リベラリズムすなわち自由主義は、まさに“主義”にかかわる。

自由主義とは、個人の自由を最優先する思想体系である。
それが、国家統治との関連についていわれるとき、
《国家がもっている強制力を最小化すれば、個々人の選択肢は最大化される》、
《そのためには国家の統治権は厳しく制限されなければならない》
という主張となる。
国家の強制力を最小化するための重要な視点は、次の3つである(*注4)。
第一は、 国家とその統治活動を法の支配のもとに置いて、国家の強制力の恣意的発動を統制し、法的予見性・安定性を最大化することである。
第二は、 国民の自由な活動は、事前の公法規制に服することなく「市場での自由な交易」に委ねられるべきだ、と考えることである。自由な市場には、経済市場だけでなく、「思想の市場」も含まれる(自由主義者といえども、必要最小限の事後規制を否定しはしない)。
第三は、 どのようなものであれ、国家による独占(たとえば消防活動や郵便事業の独占)または独占の法認(特定企業による営業独占、労働組合による労働の独占、法曹による法律事務の独占)に、警戒の目をもってみることである。国法によって保護される独占は市場における自由競争を妨げるからである。

以上の第一ないし第三は、相互に無関係ではない。
強制国法によって保護される独占は市場における自由競争を妨げるからである。
(※注釈:自由主義は)機構としての国家の活動のみならず、国家の経済政策をも法の支配のもとにおいて、透明なルールに基づいた事後規制社会を考えているのだ。

では、法の支配とは何か?

(*注4) 自由主義について
自由主義が「自由」をどう捉えているかについては、『憲法2 基本権クラシック』 [19] を参照願う。


※以上で、この章の本文終了。
※全体目次は阪本昌成『憲法1 国制クラシック 全訂第三版』(2011年刊)へ。


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