人名解説


<目次>

◆イェリネック


G. イェリネック(1851~1911):ドイツの公法学、行政法学者、国家学の集大成者。
彼は、当時の狭隘な法実証主義に反対して、法学を哲学・社会学と結合せんと目指した。
なかでも、社会学的に考察した国家を、法学的に再構成しようとした大著『一般国家学』(芦部信喜監訳、学陽書房)が、その成果である。
同著作において、彼は、社会学的国家概念と、法学的国家概念とに分けながら、国家を把握せんとした。
彼の有名な国家法人説は、この視点からの産物である。
また、その公権体系論は、人が人であること、また、人が法人において一定の地位を占めること、に応じて各種の公権を類型化したものであるが、これは、人権概念を否定する当時のドイツ国法学に対抗する理論であった。

彼は、事実学と規範学とを区別する新カント派の哲学を基礎としながらも、存在(事実)と当為(規範)とを結びつけるものを「事実的なるものの規範力」に求めた。
これが、事実の観察から規範を説く、彼の有名な「方法二元論」である。
彼の二元論は、事実と規範とを結びつける要因である社会心理的事実、すなわち、人々が事実を規範として受容すること、において一元化された理論ともなっているのである。
しかしながら、その一元化は不徹底であった。

彼の理論は、美濃部達吉に強い影響を与えた。
美濃部が、天皇機関説を提唱したのも、国家という法人における天皇の地位を解明しようとしたからである。

◆ケルゼン


H. ケルゼン(1881~1973):事実と規範とを峻別する新カント学派の哲学に依拠し、法実証主義を徹底させたオーストリーの法哲学者。「純粋法学」の創始者。その代表作に『一般国家学』(清宮四郎訳、有斐閣)がある。
彼の思索の出発点は、イェリネック批判にある。
すなわち、イェリネックのように、国家は自然の領域に存在するものとの前提にたって、それを社会学的分析対象とする視点が誤っている、とケルゼンはみたのである。
そのうえで彼は、国家は法学の対象であって、法学的にのみ把握可能であると考え、《国家とは法秩序そのものである》、と説いた。
また、新カント学派の視点を徹底させて、《規範は規範からのみ生ずる》とも主張した。

彼は、法とは権利・義務等の帰属関係を表示する特殊な規範であると捉えて、帰属関係の始源に「根本規範」を仮設した。
ケルゼンの純粋法学は、H. ヘラーによって、「国家なき国法学」と批判され、また、自然法学者によって、所与の実定法を鵜呑みにする「規範支配」の信仰を生み出した、と批判され、さらにC. シュミットによって、「規範を生み出すものを忘却している」とも批判された。
ケルゼンの理論は、宮沢俊義、清宮四郎等、戦後の我が国の指導的憲法学者に強い影響を与えたが、宮沢・清宮は、ケルゼンほど、法実証主義に徹底的にコミットした訳ではない。

◆シュミット


C. シュミット(1888~1985):ドイツの政治的憲法学者。彼は、新カント学派の方法論とは別の法哲学に依拠して、国家と法の根源を考えた。
その着想は、政治的極限状態における法と国家の役割を考えることにあった。
彼は、例外的極限状況において決断することこそ、主権者の役割であるとみなした。
すなわち、彼によれば、法秩序の究極的根拠は、主権者の決断にあるのである。
これが、彼の有名な決断主義であり、《意思の力が法を作る》とする、バリバリの法実証主義の思考である。
この思考による限り、合法性を正当性に還元すべきではなく、主権者が意欲すれば足るのである。
これが、彼の代表作『憲法理論』(尾吹善人訳、木鐸社)にみられる憲法制定権力論である。

彼は、この決断主義によって、存在と当為との溝を埋めることに成功した、と信じていたが、晩年には、決断主義が存在と当為の対立を止揚しなかった、と自己批判するに至る。
また彼は、自由主義が個人の価値を基礎とするのに対して、民主主義は全体の価値を探求するという点で、両者は両立し難い思想体系であることを説いた。
彼は、また、議会が政治的利害の妥協の場と成り下がっていることを痛烈に批判したことでも有名である(間接民主制批判)。
彼にとっては、国家と個人の間に何らの異物の存在しない、透明な統治体制こそ、理想的であった。
シュミットは、基本権の主体を個人に限定したかったために、個人以外の利益が憲法上保障されている場合、それを「制度的保障」と称したのである。

◆ホッブズ


T. ホッブズ(1588~1679):1640~60年のイギリス革命期の真っ直中に育った政治思想家。
彼は幾何学を好み、幾何学に基づいた政治学の体系を樹立したいと考えた。
その成果の一つが、1651年に出版された『リヴァイアサン』(水田洋訳、岩波文庫)である。
その著作での彼の理論は、心身の能力の平等な諸個人が自己保存権を自然権として有することから出発した。
これが、「万人の万人に対する戦い」という自然状態である。
国家は、諸個人がこの自然状態から抜け出るために考案された(社会契約という形式をとる合意によって成立する)人為的構成体である。

ホッブズは、「如何にデモクラシーは愚かであるか、それに対して、一人の人間は如何に賢明であり得るか」と確信していた。
ために、彼は、平和維持のための装置である国家において、絶対主権をもった君主が君臨する必要を説いたのであった。
もっとも、彼は、そのことから連想されるほど、保守反動の輩ではない。
一言でいえば、彼は、ラディカリストであった。
私の『憲法理論Ⅰ』は、保守反動とのラヴェルを貼られるかも知れないが、私自身は、ラディカル・リベラリストを標榜しており、その立場からすれば、ホッブズに限りない共鳴を覚えている。
以来、近代啓蒙思想家たちは、ホッブズ理論を乗り越えようとして、懸命な思索を繰り返したのである。

◆ロック


J. ロック(1632~1704):イギリスの哲学者、政治思想家。
ロックは、その代表的著作『市民政府論』(鵜飼信成訳、岩波文庫)において、ホッブズ理論を乗り越えようとした。
ロックにとって、ホッブズ理論の欠点は、絶対的主権によって諸個人の共生が初めて保存される、という点にあった。
ホッブズ理論は、人々が共に生活するに当たって、社会において労働し生産するという相互行為を見逃しているのではないか、これが、ロックの診断であった。
だからこそ、彼は、自然状態において人々が労働し、生産するためにも、「生命、自由、財産」が自然権として保障されなければならない、と強調したのである。

ロックの社会契約論は、二段階理論となっていることに、我々は注意しなければならない。
第一段階は、諸個人が契約を締結することによって「市民社会」を樹立する段階である。
第二段階は、市民社会における市民が契約によって政治権力を生み出す段階である。
「政治権力」は、統治のための「道具」として、市民が合意によって作り上げたものであるからこそ、必要とあれば、市民たちは、王の首を別の王の首に、政府を別の政府に、置き換えることが可能なのである。
その考え方が、アメリカ独立宣言に取り入れられたという事実は、余りにも有名である。
私自身は、ロックはイギリス経験論者であるというより、大陸流の超越論者に近い、と位置づけている。

◆ルソー


J. ルソー(1712~1778):フランスの文学者・政治思想家。その代表作が、『社会契約論』(桑原武夫他訳、岩波文庫)
ルソー理論も、ロック等と同様に、社会契約論を説いた、と一般にいわれるが、ルソー以前の理論が、自然状態→社会状態→国家状態という二つの移行を、二段階の社会契約によって説明したのに対して(右のロックの解説をみよ)、ルソーは、社会状態から国家状態への移行を一段階の社会契約で解明しようとした。
『社会契約論』における彼の狙いは、はっきりしている。
各人が他の全ての人々と結びつきながらも、しかも、自分自身にしか服従せず、以前と同じように自由である国制の形式を解明すること、これである。
これこそが彼にとっての根本的な問題であり、社会契約がそれへの解答であった。
ところが、社会契約によって成立した国制において、誰が実際に支配すべきか、という論点でのルソーの解答は、実にナイーヴであった。
彼は、「人民」が支配すべきである、と答えた。
彼の理論において、人民は「一般意思」を具体化する単一の人格である、と単純に片付けられた。
その理論は、共産主義や社会主義を信奉する人々によって何度も援用された。
F. ハイエクや K. ポパーのような自由主義者にとって、ルソーのごとき人民主権論は、人類の歴史上、多くの不幸で破壊的な政治的効果をもたらす元凶以外の何物でもなかった。
社会科学者としてのルソーの全ての著作、『エミール』、『不平等起源論』は、私の見解とは全く相容れない。
文学者としてのルソーの作品と理解するのであれば、話は別であるが。

◆ダイシー


A. ダイシー(1835~1922):イギリスはヴィクトリア王朝期のコモン・ロー研究者。その代表的著作が『憲法序説』(伊藤正巳=田島裕訳、学陽書房)。
ダイシーは、その著書において、国会主権、法の支配、憲法習律について、理論を展開した。
その中でも、「法の支配」を論じた部分が、最も有名である(本文の[71]をみよ)。
彼の『憲法序説』は、モンテスキューの著作と同様に、あたかも聖書であるかのように、扱われた時期もあった。
ところが、彼の理論体系は、「積極国家」を擁護する多くの論者から厳しい批判を受けることとなった。
批判者によれば、ダイシー理論は確固とした体系をもっているものではなく、同書の出版時点の時代、つまり、19世紀的な消極国家に妥当した理論に過ぎない、というのである。
特に、「イギリスにはフランスのような行政法は存在しない」という彼の理論につき、批判者は、①ダイシーのフランス行政法の理解が不正確であること、②イギリスにも行政法特有の理論が認められていること、を衝いた。
確かに、本文の[72]でふれたように、ダイシーの理論は、様々な難点をもっていた。
我々の「あと知恵」に照らして批判することが許されれば、その最大の難点は、国会主権と法の支配との対抗関係を軽視した点にあった、といわざるを得ない。
国会主権とは、国会の制定する法律が基本権の内容と限界を画定できる、と承認することである。
とすれば、それは、まさに、法実証主義的な思考とならないか、と疑問視されざるを得ない。
実のところ、ダイシーは、分析法学者として著名なJ. オースティンの影響を受けていた学者であった。
彼の理論は、基本権(人権)を本来絶対的なものとみるホイッグ的自由主義とは、もともと異なっていたのである。

◆ハイエク


F. ハイエク(1899~1992):オーストリー生まれの万能の社会理論家。現代のA. スミスともいわれる人物。
ケインズ理論に反対し、「福祉国家は隷従への道」と説く。
また彼は、理性によって社会を意図的に改革する「設計主義・合理主義」に反対し、自由な人々の営為の積み重ねによって生まれ出る「自生的秩序」の価値を説いた。
市場の秩序は、まさに、個々人の行動の結果ではあるが、誰によっても事前に設計されたものではない、自生的なものである、というのである。
彼の思想体系は、『ハイエク全集』(春秋社)に集約されている。
その中でも、『自由の条件Ⅰ~Ⅲ』が有名。
もっとも、彼の思考のエッセンスを知ろうとすれば、『法・立法・自由Ⅰ』が最善である。
ハイエクは、最低限の社会保障、徴兵制を容認する点で、ノージックほどの自由至上主義者ではなく、「古典的自由主義者」とでも評しておくべきか。
彼のいう、「法/立法」、「自由主義/民主主義」、「デカルト的合理主義=大陸的啓蒙思想/反合理主義=スコットランド啓蒙思想」といった区別は、合理主義的な法学教育を受けてきた我が国の研究者・学生にとって、超刺激的である。
ハイエク理論が阪本『憲法理論Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ』の基礎となっている。

◆ハート


H. ハート(1907~1992):英米における法哲学の最高峰といってよいイギリスの法哲学者。その代表作は『法の概念』(矢崎光圀訳、みすず書房)である。
通常、ハートは「法実証主義」者である、といわれる。
しかしながら、その評価は、法実証主義の理解にもよるが、正確ではない(「法実証主義」の意味については、本文の[34]をみよ)。
ハートの法理論は、実証主義哲学を基礎としているというより、日常言語学派の哲学を基礎としたものと理解するほうがよい。
哲学は、様々な課題を対象とするが、ある時期、哲学は、哲学自身を語るための「ことば」について、その日常的な用法に目を向けて分析してみることの重要さに気づいた。
この思考が一つの学派を成し、「言語行為論」と呼ばれる学問体系になっている。
例えば、「私は、君に会うために、明日10時にここに来よう」と、私が貴方に言ったとき、その私の発言は、客観的事実を報告しているわけでもなければ、内心での主観(意思)を外部に表明しているだけでもない。
私は、そう言いながら、約束するという行為を為しているのである。
ハートの法理論は、ルールが言葉の使用の中に自生的に、すなわち、計画的に作られるわけではなく、意図しないで反復継続される行為の中にいつの間にか、生まれ出る、という視点の上に樹立されている。
この自生的なルールを、彼は「一次ルール」と呼んだ。

小さな社会においては、人々は、一次ルールに従って生活することができたのであるが、大きな社会においてはそうはいかない。
大きな社会では、《一次ルールが、この社会のルールとなっている》、と確認するためのルールが必要となる。
ここに登場してきたものが「二次ルール」である。
ある社会に一次ルールと二次ルールとが存在するとき、《そこには法体系が存在する》、とハートは言うのである。

ロックにせよ、ケルゼンにせよ、ハートにせよ、世に知られた法理論家は、例外なく、言語の哲学に関する定見を持っていた。
彼らの立場が、それぞれ異なるのは、その依拠する言語哲学の違いを反映しているのである。
読者の皆さん、言語哲学を軽んずるなかれ。

◆ノージック


R. ノージック(1938~):ハーヴァード大の哲学教授。他者に対する強制だけを排除するための強制力を独占する最小国家が、最もユートピアに近いと考える、「リバタリアン(=自由至上主義者)」の旗手。
その代表作として、福祉国家、国家による平等の実現に反対する『アナーキー・国家・ユートピア』(島津格訳、木鐸社)がある。
同書は、巧みな比喩、読者を引き込むような例を頻繁に用いながら、多くの識者が慣れ親しんできた、ステレオタイプ思考に激しく揺さぶりをかけ、全米図書賞の栄に輝いた。
先にふれたハイエクと同様、方法論的個人主義に徹する。

方法論的個人主義に徹する論者は、共通して、公共的利益、社会的利益という芒洋とした概念を徹底して疑う。
また、階級とか国民を、実体化しないのである。

もっとも、最近、彼は宗旨替えしたのか、最小国家論から撤退して、共同体主義に近づいているといわれる。
共同体主義とは、コミュニティにおいて人々が共通善に向けて献身することの中に正義は現れる、とする見解をいう。

◆ロールズ


J. ロールズ(1921~):ハーヴァード大の哲学教授。立憲国家のみならず、福祉国家の理論的正当化を、その著作『正義論』(矢島欽次監訳、紀伊国屋書店)によって、初めて完成させた哲学者。現代のカントとでもいうべき人物。
彼の『正義論』は20世紀最高の哲学書である、との評価すらみられる。
その著作は、素朴な社会契約論の弱点を回避すべく、仮想的に「始原状態」という、損得の予想のつかない状態を想定したうえで、全員が納得できる命題に到達することを説く。
全員が同意する命題こそ正義である、とする「同意(契約)理論」の旗手。
彼のいう、二つの正義原理については、本文の[90]をみよ。

彼の正義論は、英米で圧倒的な影響をもってきた功利主義の正義-その最も単純なものが、「最大多数の最大幸福」を実現することこそ、正義である、とする立場-に対抗して、それぞれの個々人が享受すべき自由は、「最大多数の最大幸福」を破って、保障されなければならない、ということを説く壮大な理論体系である。
もっとも、私自身は、ロールズ理論には、数多くの疑問を抱いている。
彼は、精神的自由や政治的自由の保障と、経済的不平等の是正(経済的弱者のための所得再分配)とが、厳しい緊張関係にあるとはみていないようである。
私のロールズ批判については、『憲法理論Ⅱ』 [32]、『憲法理論Ⅲ』 [468] をみていただきたい。

◆モンテスキュー


Ch. モンテスキュー(1689~1755):フランスの政治思想家。
彼は、人間とその社会が、歴史現象と常に緊張関係にある、とみた。
彼の代表作、『法の精神』(野田良之他訳、岩波書店)が、法を宗教、経済、人口、風土、習俗等との相互連関のなかで捉えようとしたのは、そのためであった。
従って、『法の精神』は、正統派の啓蒙思想の書というよりも、歴史哲学の書、つまりは、歴史法則を求めるための書であるといったほうがいいかも知れない。
彼の最大関心事は、ある社会における矛盾・対立のなかから、いかにして均衡が生み出されるか、という社会法則を見出すことにあった。
だからこそ、その著作が、『lois(自然法則、法)の精神』と題されたのである。
彼の発想は、今日いわれる「弁証法」的な思考といってもよいだろう。

『法の精神』は、不思議なことに、ホッブズ、ロックとは違って、社会の状態や国家の成立に何の関心も示していない。
モンテスキューにとっての主題は、成立後の国家における法、正義、権利、政体、を論ずることにあった。
同著作の最も著名な箇所が、第一部第11篇第六章の「イギリスの国制について」である。
彼は、この章において、政治的自由の保障にとって理想的な国制は「混合政体」である、と説きたかったのである。
モンテスキューをもって、民主的理論の提唱者である、と考えるとすれば、それは浅慮である。


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