第十ニ章 政党論

阪本昌成『憲法理論Ⅰ 第三版』(1999年刊)  第一部 国家と憲法の基礎理論    第十ニ章 政党論 p.197以下

<目次>

■第一節 政党の発生


[227] (一)政党は自然発生的に成長して議院内閣制の成立条件となった


議院内閣制の成立する条件は、政党、なかでも二大政党制の確立にあった。
二大政党のなかの多数派の首領が内閣を組織することから、議会と内閣との間の政治的一致の原則が成立し得るのである。
「議院内閣制は政党政治の行われる装置」として国制上の慣行として生成発展してきたのである。

政党は、リーダーシップある指導者によって統率される組織体である(政党の意義は、次節の [230] でふれる)。
政党は指導者に従い、指導者は党員の中から同質的な内閣を組織することが出来る。
内閣全体の一体性・連帯性はここから生ずる。

政党の発生は、議会観の変容とも並行する。
古典的な議会観によれば、議会とは国民の一般意思を表す組織体であった。
その見方は、代表もその選出母体も「教養と財産」をもつ同質の人々であった時代においては成立し得た。
ところが、普通選挙制の実施後の現実の国民は、凝集した一体ではなく、政治的には勿論、経済的、宗教的、文化的な利害対立によって分裂した諸集団の束という他ない。
この時点から、議会は、統一的な国民意思の表示の場ではなく、社会における利害対立を公式のルールに従いながら調整する場であると観念されてくる。

議会が、現実的利害対立の調整の場であるとすれば、その利害を明確に表示し、集約化する媒体が登場すること必然となる。
この利害の表出・集約機能を果たす最も重要な存在が、政党である。
政党の存在とその機能は、理論によって設計されたのではなく、現実の世界で発生した一連の出来事によって決定されてきたのである(G. サルトーリ)。

[228] (ニ)政党は普通選挙制の実現に伴って成立した


政党が歴史上どの時点で成立をみたかにつき定見はない。
イギリスにみられたウィッグとトーリは、同質の支配的階層における二つの名望家集団であった。
その後、それらは保守党、自由党となるものの、それらも同質性を示す集団であった。

政党が発生する要因は、先にふれたように、国民の中での社会経済的対立、宗教的対立、人種的対立等の利害対立である。
その利害対立は、普通選挙制の実施によって噴出した。
国民の内部での利害対立を政治過程に表出するための基本的条件が整った後に、政党は登場した。
その基本的条件とは、言論・集会・出版の自由が保障されて権力回路が開かれていることであり、代表制や議会政治のルールが確立することであった。

政党が、地区委員会の設置によって、その最初の固定的な組織形態を整えて、多元的な社会的利害対立を吸収し始めたのは、18世紀末頃になってのことであった。
それまでの政党は、フランスのようにルソーの影響を受けた国では「一般意思を偽造せんとする異物」であると拒絶されがちであったのは当然としても、アメリカにおいてさえ「有害な徒党」(J. マディスン)とみられた。

[229] (三)政党は当初敵視されたが次第に法認されてくる


政党の存在が憲法典を頂点とする実定法によって認知されるまでには、有名なH. トリーペル(1868~1946)の政党の四段階説(反対→無視→法制化→憲法編入)にみられるように、紆余曲折がみられる。

政党の存在がまず国法によって忌避された理由は、自由で平等なる議員からなる古典的議会観と相容れなかったことによる。
政党の登場した当時の国家が、中間団体に対して一般的に強い警戒感を抱いていたことはいうまでもない。
だからこそ、19世紀までの憲法典上の規定は、命令的委任の禁止、免責特権条項を組み入れ、議院規則は、議席の抽選による配分等、政党組織発生を阻止する様々な方策を施したのである。
当時までの国家理論によれば、統治権なるものは憲法典上の機関に排他的に委ねられるべきものであった(「反対の時代」)。

その後、19世紀の諸憲法典は、結社の自由が政治的結合の権利を含むとの理解のもとで、政党の誕生を手助けはしたものの、憲法上の扱いはそこで停止したままであった(「無視の時代」。イェリネックも「政党そのものは、それでも、国家秩序の中に何らの地位を有していない」と述べた)。

さらにその後、生育の基本条件も整った段階で、政党は、正式に法令によってその存在につき承認を受けつつも、規制の対象となっていく(「法制化の時代」)。
この段階への端緒は19世紀終盤のアメリカにみられた予備選挙手続における政党の法的規制・承認にあるが、最大の転機は、ヴァイマル憲法(1919年)22条の採用した比例代表制に求められる。
同条を受けた選挙法は、各政党が候補者名簿を作成し、選挙人は自己の支持する政党の候補者名簿に票を投ずることを法認したのである。

ところが、こうした法律上の承認にも拘わらず、ヴァイマル憲法自身は、命令的委任の禁止(21条)、議員の免責特権(36条)規定を有しており、政党に対して防御的態度を維持した(また、130条において、官吏は全体の奉仕者であって一政党の奉仕者であってはならない、とされているのも、政党に対する警戒心の表れであった)。
従って、この時期にあっても、「政党は憲法外の現象」との評価が一般的であった。
依然として、憲法典自身、議会は自由・平等な独立して表決する議員によって構成されるものだ、という理念にお依拠していたのである。

19世紀から20世紀にかけて、政党政治と民主主義とが矛盾なく結合していたのは、イギリスとアメリカだけであった。
それ以外の西欧世界の諸憲法典が、政党をタブー視することなく正式に政党の存在に言及するようになるのは、第二次大戦の終了とその後の先進自由主義国の政治的安定を待たねばならなかった。


■第ニ節 政党の意義と機能


[230] (一)政党は政治権力を獲得するための任意結社である


政党の定義は未だ確立されていない。
通常、政党の特質は、圧力団体や市民運動との対比のなかで求められる。
その特質が、これらの団体とは違って、政治権力を獲得しようとする点にあるとみれば、政党とは政治権力を獲得しようとする人的組織体である、と定義づけることも出来る。
ところが、この定義も、「政治権力」の意義自体、論争を呼ぶところだけに、掴みどころのないものとなってしまう。

右の定義を基礎としながら、政党が国政の選挙過程を通して「政治権力」を獲得せんとしている点に着目すれば、「政党とは、立法府議員選挙に候補者を送り出す全ての組織」をいうと定義されることになる。
「政党とは、・・・・・・選挙を通じて候補者を公職に就けさせることが出来る全ての政治集団である」とする有名なG. サルトーリの定義もその一例である(サルトーリ『現代政党学Ⅰ』111頁)。
もっとも、この定義は、政党活動を選挙過程とだけ関連づけているために、第一に、議席獲得を目的としない政治団体を政党から排除してしまうばかりでなく、第二に、政党間の相互作用を看過しがちとなる点で、視野が狭すぎる。

政党が、歴史的には、任意の結社(一定目的をもった、永続的で同質の人的結合体)として承認され、成長してきたことに鑑みれば、結社としての属性は勿論、その目的や組織原理の固有性に着目した定義を模索しなければならない。
政党は、公式には選挙戦での勝利に焦点を当て、政権獲得を最終目的とするために(統治過程を統制する結合体)、その基本方針や公約は、多数者の支持を受けるだけの公共的・包括的なものとならざるを得ない(公共的包括的結合体)。
また、選挙人の有する具体的・日常的利害を集約するための指針となる党綱領を整備し、恒常的な地方組織と、地方組織を指導する統一的全国組織というピラミッド型の階層を形成するのが通例である(合理的組織原理に基づく結合体)。

右のような政党の特性に鑑みた場合、政党を以って、「政治権力への参加、獲得を目的とし、この目的を達成するために永続的組織を利用する、共通のイデオロギー的見解を有する人々の結合体」をいうとするレーヴェンシュタインの定義が、現時点では、最も説得力を持とう(『現代政治論』94頁。シュンペーターの定義もほぼ同旨)。

右にいわれる「政治権力への参加、獲得」とは、選挙過程と政党間の相互作用のなかで、最終的には、立法審議の指導権を掌握するばかりでなく、執政府を形成することを指すものと解される(執政府を形成することに成功すれば、法案作成段階の指導権まで掌握できる)。

[231] (二)政党の機能は利益掌握から政権獲得まで多種多様である


現代政治における政党の機能は、次のように要約できる(岡沢憲芙『政党』参照)。

様々な個人や集団の表出する利害・要求を、処理可能な数セットの選択肢にまとめる利益集約機能、
政治に関する情報を選挙民に提供し、公論の形成を助ける情宣機能、
政治的リーダー(議員、首相等)を選抜して、統治機構上の地位に就任させる選出機能、
内閣や大統領府を組織したり、議会や委員会での審議のイニシアティヴを握る等するための、政治的意思決定マシーン機構化機能。

今日、政党の存在について「民主制は、日々のパンと同じように、政党を必要とする」とか「政党は現代政治の動脈である」とか評されるのは、こうした機能に鑑みてのことである。
なかでも、政党が議会を通じて執政府を形成し、運営するに至った段階の政治を、「政党政治」という。
また、政党政治において、政党相互作用が展開される枠組みを「政党システム」と呼ぶ。
政党システムは、行動単位数に焦点を当てて、一党制、二党制、多党制に従来は分類されてきた。
今日では、この分類は単純すぎるとの反省のもとで、一党制、一党優位政党制、二大政党制、穏健な多党制、分局的多党制等を挙げるのが通例である。

[232] (三)政党政治の時代になると政党は憲法編入の時代を迎える


政党は、一定の共通目的を基礎とし、自主規範(指導→服従等の内部統制のルール)を持つ永続的な任意の人的組織体であるという意味で、通常の私的結社としての属性をもっている。
先に示した政党の利益集約機能や情宣機能は、私的結社としての活動に着目した場合の機能である。

ところが、政党はそればかりでなく、政党政治の時代に突入した段階で、あたかも国家機関の創設機関の如くとなる。
先に指摘した政党の選出機能(政権担当者としての政党)および政治的意思決定のマシーン機構化機能(政局運営者としての政党)は、国家機関創設機関さながらの機能である。

政党は、このようにヤヌス的属性をもつ。
「政党は、一方の端を社会に、他方の端を国家に架けている橋である。別の表現を用いると、社会における思考や討論の流れを政治機構の水車にまで導入し、それを回転させる導管、水門である」(E. バーカー)。
今日の政党は、社会と国家とを架橋すべく、支持団体の利益を集約し、議会という統合機構のなかで、他の支持集団を基礎とする政党と競争しながら、国家機構に手を延ばすのである。
このことからすれば、政党をフォーマルに公的機関と位置づけることも、不合理な思考ではない。

第二次世界大戦後の諸外国の憲法典のうちの幾つかは、一国の政治が政党の動向によっても決定されるとの認識に立って、政党のあり方につき言及してくる。
例えば、ドイツ連邦共和国基本法は、結社条項(9条)とは別に、政党条項をもち、その21条に曰く、
「政党は、国民の政治的意思の形成に協力する。その設立は自由とする。政党の内部秩序は、民主的諸規則に合致しなければならない。政党は、その資金の出所および使途並びにその資産について、公開の説明をしなければならない。その目的または党員の行動Nに徴して、自由で民主的な基本秩序を妨害しもしくは廃止し、またはドイツ連邦共和国の存立を危うくするような政党は違憲とする。違憲の問題については、連邦憲法裁判所が決定する。」
この規定は、私的結社とは異なる憲法上の地位を政党に与えている点で、トリーペルのいう「政党の憲法編入」という第四段階を示唆するかのようである。
特に、「内部秩序」、すなわち、党の意思形成、候補者の選定、綱領・党則の決定、役員の選出等につき、民主的諸原則に合致するよう求めている一項は、他の国にみられる政党の役割についての宣言的な規定スタイルとは性質を異にしている。

それでもなおドイツ基本法は、自由で独立の議員の地位を保持するための命令的委任禁止条項(38条1項)をもつ。
政党条項と、命令的委任禁止規定とを、どう調和すればよいかにつき、ドイツの学者の間でも見解は一様ではない。
ある見解によれば、政党条項の目的は命令的委任の禁止の思想に終止符を打つことにあるといわれ、反対の見解によれば、政党条項にそこまでの意義は与えられない、とされる。
こうした見解の対立は、ドイツ基本法が政党の憲法編入への過渡期にあることの表れであろう。

[233] (四)政党国家は病理的現象をももたらす


政党は、国民と議会を、さらに、議会と執政府とを結ぶ不可欠のリンクであり、代議政治の生命線である。
ケルゼンが「デモクラシーは、必然不可避的に政党国家である」といい、レーヴェンシュタインが「政党は直接民主制の代替となり、政党の意思こそ一般意思となる。従って、国民主権とは政党主権である」とやや誇張気味に述べたのは、健全な政党の姿に期待してのことであった。
ところが、政党は、選挙の際、整然とした行動要領を提示しないばかりか、その政策表明(公約)は、選挙民の投票行動を決定する力に欠け、また、選挙に勝った政党の行動指針ともならないのが現状である。
政党は、世論の最大公約数のターゲットを当てるために、政治的争点を相対化し、曖昧にしがちである。
政治学者たちが、政党の腐蝕衰退現象について語り始めたのは、こうした現象を正面から見据えたためである。

特に政党と国民との関係をみれば、政党は、最も有効に票を獲得しようとして利益誘導的政治活動へ流れ、組織票をもつ特定の集団利益の代弁者と成り下がっている(本書が「半代表」の理論に警戒的であるのは、こうした現実政治に配慮しているためである)。
さらに政党と官僚組織との関係をみれば、政党は、議会内での発案・政策作成過程において、専門知識を有する官僚組織の協力を得なければならないために、「全体の奉仕者」であるはずの公務員を「政党の利益の奉仕者」へと変質させてくる。
こうした政党の腐蝕衰退現象は、政党に代わる代議政治の生命線がないだけに、憲法政治にとって重大問題である。
後述するように、政党の組織のあり方、内部での意思決定過程、政党財政等につき、憲法典上さまざまな要請がると解されるのも([236]参照)、政党の憲法政治への影響をもはや無視出来ないからこそである。


■第三節 政党の憲法上の性質


[234] (一)ヤヌスの顔をもつ政党の性質を簡単に解明することは出来ない


基本的には、政党は社会に根源をもつ私的な任意結社であるものの、今日では、国家機関の創設機関さながらである。
こうしたヤヌスの顔をもつといわれる政党が、憲法上いかなる性質をもつ団体であるか、という理解の仕方も、政党の果たす公私に亘る多様な機能に応じて多様とならざるを得ない。
政党条項をもっているドイツ基本法のもとで、政党の憲法典上の性質(【N. B. 16】参照)につき、学説は、①国家機関説、②社会団体説、③媒介説(折衷説)、と、鋭く対立している。

【N. B. 16】ドイツにおける政党の性質をめぐる論争について。
ドイツ基本法上、政党がいかなる性質をもつかという論争は、違憲政党の禁止条項の理解の仕方と関連している。
まず国家機関説は、 政党の政権担当機能を重視して、政党を一つの国家機関、すなわち、国法上の創設機関であると解する。
この立場によれば、憲法典上の公的機関としての政党は、その根拠たる憲法秩序に適合することが要請される。
現行のドイツ基本法が、自由と民主主義の名のもとで自由民主主義を否定する政党は存在してはならないとする「戦う民主主義」を標榜して違憲政党の禁止を定めているには、政党の公的機関としての性質に鑑みてのことである、と同説は理解する。
社会団体説は、 政党がその根を社会に置いていること、また、利益集約機能や情宣機能を果たすことを重視して、一つの任意の非営利団体であると理解する。
この説は、政党に保障されるべき設立の自由、活動の自由、内部統制の自由、解散の自由等を解明することに成功する。
媒介説または折衷説は、 政党の地位が「公/私」いずれかであるという硬直した態度を避け、画一的に法処理できぬ独自の法領域の法理に従うものと理解しようとする。
この説は、
(ⅰ)政治的権力は、憲法典上の機関のみによって行使されるわけではないこと、
(ⅱ)党員資格や内部事項の運営につき、政党は相変わらず立法(法律)によって侵害されてはならないと解されてきてはいるものの、司法的に統制されるのであって(ドイツの場合には政党の解散措置は司法手続によってとられる。連邦憲法裁判所のその権限については、連邦憲法裁判所法の13条に、手続に関しては、同法の43条以下に定められている)、絶対無制約・自由放任ではなくなってきていること、
(ⅲ)選挙法制によって政党が規律されたことは、その規律がいかに技術的であっても、選挙過程が統治過程の一要素である以上、政党を純粋に私的任意結社として位置づけることはもはや不可能であること
等をその前提としている。
その上で、この説は、政党が国家と社会との間にあり、その本質は国家と社会とを媒介する点にある、とする。
ドイツ基本法の標榜する「違憲政党の禁止」は、政党の媒介的機能に鑑みて、政党が法治国家の一部となることを求めているもの、と解されることになる。

[235] (ニ)政党の現実政治における機能と、その憲法典上の地位とを混同してはならない


政党の憲法上の性質に関する論争は、解決困難といわざるを得ない。
見解の分かれ目は、政党の現実に果たしている憲政上の機能(制度化されざる動態)を重視するか、それとも、憲法典という公式のルールに組み込まれた地位(制度化された静態)を重視するか、にある。
政党が全面的に憲法編入されていない現段階で、その憲法上の性質を語ろうとする以上、今日の現実政治における政党の「機能」からまずは接近する以外ない。
とすれば、政党を私的な社旗亜団体の一つとみることは、政党の現実の機能をあまりに軽視することとなる。
なかでも、議院内閣制が憲法構造上採用されている場合、政党の政権担当機能は軽視されてはならない。
もし政権担当機能を軽視すれば、政党とそれ以外の政治結社との識別は困難となろう。

かといって、政党を国家機関の一つとして捉えることも出来ない。
国家機関とは、公式のルールによって一定権限が与えられている人または集団をいうのであって、機能面からみて「実質的には、これこれの権限を行使しており、従って、国家機関たる地位にあるといってよい」と帰結することは安易過ぎる。

政党は社会にその基盤を持っているだけに、社会構成員からの支持不支持によって常に消長を繰り返す存在であるから、正式機関と違って、その存在につき公式に憲法典で言及しようとしても、完全に捉え切れるとは限らない。
「今日の政党活動の難点と弊害を - 選挙および投票技術の機能のほかに - 政党を法的な組織として認めそれを公の機関とすることによって除去しようとしても何ら得る所はないであろう。・・・・・・なざなら政党の本質はあらゆる官僚的組織とは次元を異にして存在し続けるものであるからである」(シュミット『憲法論』286頁)。

[236] (三)政党はその公的機能に応じた法的規制に服すべきである


政党の特性は、政党の現実政治に果たす機能に鑑み、国家機関でもなく、社会団体でもない独自性にあるといわざるを得ない。
「政党政治」の主役たる政党を、法人格なき私的結社として位置づける時代は去った。
政党は、国民全体に対する「反応良き政治」(responsible politics)を目指しつつ、自由で民主的な党内運営や、収入・支出の公開を法律上規律された特殊な法人と位置づけられなければならない。

立憲主義下の統治が、開かれた権力回路のなかでの多数者意思によるそれでなければなrない以上、権力奪取を目指す政党の内部的運営は、オープン、フェア、そして合理的でなければならない。
そうでない政党は、自らの存在理由を自ら否定することに等しい。
政党が自由民主主義的憲法構造のもとで生まれ、成長してきたものである以上、
(a) 複数の政党が存在するなかで、自由に競争すること、
(b) その党内での自由と民主主義が確保されること、
(c) その収入・支出につき公開とすること
等に関して法律(例えば、政党法)による統制に服すことは、現代立憲主義憲法典の当然に許容していることと解される。

政党の果たす公的機能に相応しい地位を与えて、これを保護する一方で、政党がその地位内にとどまるよう規制する最善の方策を考案すること、これが現代立憲主義の根本問題である。


■第四節 日本国憲法と政党


[237] (一)政党の根拠規定を求めるとすれば21条である


我が国の憲法典は、政党条項を持たず、政党の憲法編入の時代まで相当の距離を残している。
そのことは、我が国の憲法典が命令的委任の禁止(43条1項)、議員の免責特権の保障(51条)、そして公務員の政治的中立性(党派的中立性)に関する規定(15条)、等をもって、政党に対して防御的姿勢をみせていることに表れている。

政党に関する直接の根拠規定を求めるとすれば、憲法21条の結社の自由である。
だからこそ、政党は、設立の自由、内部組織・運営・活動の自由、解散の自由を有する。
憲法21条が政党の根拠規定であると考える以上、我が憲法典の政党に対する姿勢は、ドイツ流に違憲政党を禁止する「戦う民主主義」とは、根本的に異なって、私的結社性を強く保障しており、たとえ「自由」や「民主主義」を否定することを綱領として掲げる政党であっても、その設立の自由を享有するものと解するほかない。

もっとも、結社の自由の享有の程度は、政党の独自性に応じて、他の私的結社のそれとは異ならざるを得ない。
政党の独自性は、現代憲法の採用している議院内閣制下での政権獲得・維持または抑制機能に表れる(議院内閣制とは、執政府と立法府との間に政治的一致原則を満たすための統治類型であり、その政治的一致に当たっての原動力になるのが、議会において多数者を組織している政党であること、実際、議院内閣制の成立は、政党制、特に二大政党制の確立と歴史上符合していること等については、[227]でふれた)。
周知のように、八幡製鉄政治献金事件における最高裁判決(最大判昭45.6.24、民集24巻6号625頁)は、政党が議会制民主主義を支える不可欠の存在であると捉え、憲法は「政党の存在を当然に予定している」と述べた。
この理解に関しては、議会制民主主義というやや漠然とした概念に依拠しながら(おそらく、「政党が国民の政治的意思形成に協力すること」を「議会制民主主義を支える存在」と評したのであろう)、政党の存在を説いているところに疑問が残らざるを得ない。
政党の根拠規定はあくまで21条であって、政党の自由を制約する理由として議院内閣制のもとでの公的機能を挙げるべきであったろう。
我が国の通説は、「政党法」に訓示的規定を組み入れることは出来るが、強制力を以って統制できない、という(佐藤・131頁)。

[238] (ニ)政党は各種法令によって間接的に承認を受けている


日本国憲法には政党条項がみられないとはいえ、政党の現実政治に果たしている機能からして、政党を無視するわけにはいかず、現行法は政党につき、様々な形で言及している。
トリーペルの四段階でいえば、我が国は「法制化」の段階にある。

もっとも、日本国憲法上、政党だけを単位とする選挙制を採用することや、政治活動を政党のみ保障することは表現の自由や法の下の平等に反するために、現行法は「政党」という用語を避けて「政治団体」とか「会派」という用語によっている。
例えば、国会法46条は、技術的・議事法的観点から、「常任委員及び特別委員は、各会派の所属議員数の比率により、これを各会派に割り当て選任する」と定めている(なお、議員の議席は明治憲法下の帝国議会においては、当初都道府県別に定められていたが、第21議会以降、衆議院に関しては議長が党派別に決定するという慣行が成立した。現行の衆議院規則14条、参議院規則14条によれば、毎会期の始めの議長が議席を定めることになっているが、慣行に従って、党派別に指定されている)。

政党の存在を間接的に法認している例が、選挙法関連法である(選挙組織体としての政党の法認)。
例えば、公選法86条は、候補者となるべき者は氏名、本籍、住所等と並んで「所属する政党その他の政治団体の名称」を届け出なければならない、と定めている。

なかでも、昭和57年に導入された参議院議員比例代表選出制および、平成6年に導入された衆議院の比例代表制は、我が国の政党政治の進展に応ずるものであり、あるいは「憲法編入の時代」を告げるものと評し得るかも知れない(もっとも、比例代表選出制は、第二院のうちの252名中100人についてであること、「憲法編入」といっても、憲法典上の政党条項による編入ではなく、公選法が実質的意味での憲法に該当するとの理解に立った上であること等の留保が必要であろう)。
公選法に拠れば、候補者名簿は一定条件を満たす「政党その他の政治団体」が届け出るものとされ(86条の2)、投票は「政党その他の政治団体」に対して行われ(46条2項)、当選人の数も「政党その他の政治団体」の得票数を基礎にして決定される(95条の2)。

[239] (三)政党を規制する現行法は政治資金規正法である


政党の組織運営については、党内民主主義の確立が憲法典上政党に義務づけられていると解されるとはいえ、アメリカ諸州にみられるような予備選挙の法的規制や、ドイツにみられるような政党法による規制は、我が国では為されていない。
党の組織運営については、基本的に結社の内部統制の自由に委ねられている。
なぜなら、政党が結社の自由を享有する以上、政党は、その目的達成に必要な限りで、内部的統制権を保障されているからである。
内部統制権の限界は、司法府の判断に委ねられる。
その司法審査に当たって裁判所は、党内民主主義の遵守という手続的側面につき重点を置くことになる(政党内部の紛争に対する司法審査のあり方については、『憲法理論Ⅱ』の結社の自由の箇所でふれる)。

現在のところ、政党を規制する法令として挙げられるものは、政治資金規正法のみである。
同法は、「議会制民主政治のもとにおける政党その他の政治団体の機能の重要性」に鑑み、政治団体の政治活動を国民の不断の監視と批判のもとに置くべく、政治団体の届出、政治資金の収支の公開および授受の規正その他の措置を講ずることを目的としている。
具体的には、
政治団体の名称、主たる事務所の所在地、主としてその活動を行う地域等を、都道府県選挙管理委員会または自治大臣へ届け出ること(6条)、
政治団体の会計責任者は、会計帳簿を備え、全ての収支につき記帳しなければならないこと(9条)、
政治団体の会計責任者は、年間収支に関する報告書を毎年選挙管理委員会または自治大臣に提出すること(12条)、
選挙管理委員会または自治大臣は、同報告書の要旨を公表すること(20条)、
政治活動に対する寄付につき、量的制限(22条)および質的制限(22条の3)のあること、
等を定めている。

国家意思の形成に政党が現実問題として重大な影響を与えているとはいえ、現行法は、政党を国家機関として扱っているわけではない。
政党は正式の国家機関である国会と内閣に対して、その意思を投射するものの、憲法典を頂点とする現行法制は、国家意思の決定は国家機関によって為されるべし、という古典的スタンスに出ているのである。

[240] (四)政党は代表制のあり方をも変えるか


アメリカの政党は、(a)地方に権力が分散化されていること、(b)そのために党中央の規律は弱いこと、(c)活動が間歇的であること、といった特徴をみせている。
議員の交差投票が許されていることは、このことを物語る。
これに対して、我が国の政党は、(ア)党本部に権力が集中していること(党員の中でも院内グループが権力を有していること)、(イ)党の規律が強力であること、(ウ)中央執行部が不断の活動を示していること、にその特徴がみられる。
我が国の場合、イデオロギー上の対立をみせてきた複数政党制のもとで、勢力拡大を目指し、組織内部の構造矛盾を顕在化させないためにも、党規律は自ずと強化されざるを得ないのである。
我が国においては、交差投票が稀有であるのは、特に院内グループが党規律または中央執行部の指令に恒常的に強く拘束されているためである。

こうした傾向は、我が国独自であるわけではなく、諸外国においても、「議員は政党によって拘束された、政党のための受託者」となっているといわれている。
その現象を、政党Aによって組織された選挙人からみると、強力な党規律を通して、間接的に議員aを有効に統制していることになる。

特に、拘束名簿式比例代表選挙制が採用され、選挙民は政党(または会派)に投票する以上、ケルゼンのいうように、「議員がその地位を得た基礎である政党から脱退、もしくは除名されると直ちにその議席を失うこと・・・・・・は、厳格名簿方式のもとで選挙が行われるところでは、しごく当然のことである」(『デモクラシー論』65頁)といえないであろうか。

拘束名簿式のもとで政党の意思に拘束される代表は、自由委任の理念から離れる代表となる。
我が国の通説が、日本国憲法43条の規定を半代表であると理解する理由は、この点とも関連している。
しかしながら、代表は、彼(彼女)が享受する自由を通して政党に属することを選択しているのであるから、所属政党に「拘束」されているわけではない。

日本国憲法の場合、43、51条からして、我が国の代表が純代表であると解すほかないことについては、既にふれた([166]をみよ)。
選挙民が、党の規律を通して間接的に代表を有効に統制できるとしても、それはあくまで政治的な意義をもつにとどまり、憲法典上の代表の法的地位に変更を迫るものではない。
従って、ある政党から立候補して当選した人物が、党籍をリ離脱した場合、または党より除名されたとしても、議員資格を喪失するわけではない(但し、拘束名簿式の比例代表選出制のもとで、政党等の名簿登載者で当選した者が政党を脱退するか政党を除名された場合には、先のケルゼンの指摘の如く、疑問が残らないわけではない。この点、公選法は、「政党本位の選挙」を当選人の決定までの段階にとどめているようである。同法98条2項は、当選人の繰上補充の決定に当たって、名簿登載者で除名、離党その他の事由で政党所属員でなくなった旨の届出があった場合には、これを当選人と定めることが出来ない、としている)。

我が憲法典が、政党条項を持たず、議員に対して「全国民の代表」としての地位と免責特権を与えているのは、その当否は別として、政党国家現象を予想し切れないまま古典的議会観に拠っていることの証左である。

[241] (五)政党に対する公的助成は、政党の機能を変化させるか


国家は政党の財政について、伝統的に、「規制もしなければ援助もしない」とする態度を貫いてきた。
ところが、政党の「公的機能」の増進、腐敗防止、政党間競争の機会均等の保証等を理由として、政党に対して補助金を支給する国家が増加してきている。
我が国でも、平成6年「政党助成法」が制定され、政党交付金が支給されることとなった。
これは、決して政党が受給権を有するという法的構成ではなく、一定条件のもとでの補助は憲法上許されている、という前提の立ってのことである。

検討されるべきは、右にいう「一定条件」が如何なるものであれば、憲法上許容されるか、である。
政党への金銭的援助(政党援助型)は、政党の設立や運営を禁止・強制するもの(禁止型)とは異なって、主には、政党の自由(結社の自由)侵害とは言い難く、平等原則違反か否かが問われることとなろう。
その際、党内民主主義の確立されていない政党には補助しない、とか、民主主義の破壊を綱領とする政党には補助しない、とすることは、政党の設立自由に条件を課していない我が憲法典においては、合理的な区別ではなく、平等原則違反となろう。
これに対して、国会において5人以上の議員を有すること、または、直近の国政選挙において2%以上の得票率を獲得したことを条件とすることは(政党助成2条)、他の政治団体や政権獲得を目的としない政党に対して過剰な負担を負わせる、不合理な処遇といわざるを得ない(ドイツでは、議会に議席を持たなくても、0.5%以上の得票を獲得した政党が助成の対象とされている)。

国家による政党の財政的な援助は、政党を国家依存的な存在に変えないか、危惧される。
政党が自由な結社として誕生し成長してきたことを考えれば、その財源は、もともと、党費や寄付に求めなければならない。
さらには、国家助成は、既存の政党間の競争だけを促進して、新たな政党の誕生を妨げるマイナス効果を持つかも知れない。


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※全体目次は阪本昌成『憲法理論Ⅰ 第三版』(1999年刊)へ。
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最終更新:2013年03月18日 18:37