第四章 立憲主義と法の支配

阪本昌成『憲法理論Ⅰ 第三版』(1999年刊)  第一部 国家と憲法の基礎理論    第四章 立憲主義と法の支配 p.59以下

<目次>

■第一節 立憲主義の歴史的展開


[64] (一)最古の意味での立憲主義にいう constitution はルール概念と結びついていた


立憲主義(constitutionalism)の体系は、18世紀になって確立された([3]参照)。
もっとも、その起源は、古代ギリシャに遡り、封建時代にあってもその思想は消え去らなかった。
それは、ときには宗教的な主張として、ときには歴史的な主張として、その内容に変遷をみせながらも、宗教的・歴史的な秩序による統治者(統治権)の制限を説く理論から、道徳哲学によって支えられた法体系による制約論へと、理論体系化されたのである。
その過程は、円滑なものではなかった。

最古の立憲主義は、国家権力の恣意的行使(専制政治)を防ぐために、constitution によってそれを統制することを目指した。
そこでの constitution は、先にふれたように([30]参照)、「ルールを定める行為」またはかく定められた「ルール」を意味した。
もっとも、それは、政体の長所短所を判定する物差しにとどまり、強制力をもつものではなかった。

その後、中世までは、恣意的統治に対する法の勝利は、莫大な血とエネルギーの代価の割には、緩慢であった。
なぜなら、正常時においては、領主とその下の領民は、旧き良き法、良き慣習によって包まれる法共同体であったために法の必要は意識されず、不正規状態にあっては、それまでの立憲主義は、constitution に反する恣意的な統治に対して有効な「制裁」を用意していなかったからである。
それでも、立憲主義の思想は、歴史から消え去ることはなかった。

[65] (ニ)中世における constitution は「統治」と「司法」との区別を知っていた


イギリスにおいては、「立法」という思考はなく、法は作られるのではなく発見され維持されるものであると考えられてきている。
中世におけるコモン・ローは、宣言された法の集積であり、基本的な法の体系とみられたが、王権全体を統制する法力まで持たなかった。
その法上の空隙部分は、王権といえども法のもとにあるという理論によって補充され続けた。

13世紀の法律家H. ブラクトンは、王権にも、法によってその行使の制限されている領域と、制限されざるそれとがあることを指摘した。
前者は jurisdictio (司法)と呼ばれ、後者は gubernaticum (統治)と呼ばれた(マクワルワイン著、森岡敬一郎訳『立憲主義 その成立過程』)。
ブラクトンは、jurisdictio の領域に関しては、王権の行為であっても、立法行為であっても、コモン・ローによって拘束されていると説き、また、H. ボーリングブルクは、国民の歴史から確定されるはずの実体的な制約原理として、太古からの憲法(ancient constitution)が存在してきた、とも主張した。
これが後世の立憲主義思想の母胎となる。
これに対して、ヨーロッパ大陸諸国では、この思想は、意図的に排斥されてしまう。

■第ニ節 「法の支配」の観念の成立


[66] (一)立憲主義的 constitution は「基本法」による統治を求める


「人間に服従するのではなくて、ただ法に服するときに、人々は自由である」(I. カント)。
「神の支配」や「人の支配」に代わる「法の支配」は、自由の法的表現であり、近代立憲主義の追究してきたのは、まさにこの点にある。
constitution は、近代に至って初めて「基本法」(fundamental law)としての属性をもつに至る。
その属性をもつに至った歴史的背景を、イギリスについてみれば、次の通りである。

第一は、 ブラクトンの説いたように、「統治」と区別された「司法」(jurisdictio, ius)という概念が一貫して存在し続け、これが君主の統治権を絶対的・無制約とさせない力として作用していたためである。
16世紀の重大な政治的軋轢は、「司法」と「統治」との両者を分かつ不明確な境界線を巡って反復された。
その闘争の中で、コモン・ローの比類のない強靭さの故に、司法領域の最終的判定者は、パーラメントと裁判所とであり、それらの機関も、法のもとにある、との思想が17世紀にかけて勝利を収めるに至る。
国王の大権に基づいて、コモン・ロー手続に拠らない裁判をしていた星法院の廃止(1641年)は、このコンテクストで捉えられる。
第二は、 宗教上の見解の対立によって、一つの教義によって統治することができなくなった結果、宗教的教義に代わる基本的・世俗的な統一的価値が求められた背景がある(宗教教義による統治権の制約から法理論による制約へ)。
そればかりか、16世紀の宗教改革は、不正な支配者に対する抵抗と不服従の宗教的正当性を説いた。
この宗教的抵抗義務を、権利の概念に再編成したのが、モナルコマキと呼ばれる抵抗権論者であった。
彼らは、「法が国王をつくる」とするアリストテレスの言葉に依拠することによって、「神によらざれば権力なし」としてきた王権神授説を打破しようとしたのだった。

こうした歴史的背景は、フランスについても基本的に妥当する。
同国においても、フランスの国王の至上権を拘束してきた三つの枷として、16世紀の思想家たちは(J. ボダンでさえ)「王権の基本法」、「司法」および「宗教」に言及していたのである(同国の政治的実践は、現実にはこれを侵犯してしまう。それでも、立憲主義思想は、完全に死滅することはなく、市民革命という形で一挙に噴出したのである。それは、立憲主義の見方をも根本的に変えたという意味でも、まさに「革命」だった)。

[67] (二)「基本法」のもとでの統治は「法の支配」を意味する


「基本法」にいう「基本」(fundamental)とは、統治に先立って存在し、統治を先導し、拘束する性質をもつこと、そして、通常の法的手続によって改廃されないこと、をいう。
また、“law”(法、法則)とは、人間の意思を超える永遠の真理を表した。
これらが含意することこそ「法の支配」の意である。
「法の支配」(rule of law)とは、語源からみると、「法(則)による統治」(government by law)を意味した。
立憲主義(constitutionalism)とは、基本法としての属性をもった憲法による統治を指す。
18世紀末にみられた市民革命は、統治者が「法」(law)と「立法」(legislation)、「司法」と「統治」との区別を無視したために勃発した。
当時の立憲主義は、統治権からの法や司法への侵入に対して、それを保護する法的制裁方法に欠けていたために、ブルジョアジィからの実力による制裁として発生したのである。

「法の支配」の前提には、次のような思想が流れている。
統治主体が誰であろうと、統治と憲法(国制)とは、同じものではないこと。または、法と統治権力とが同じ源泉に拠らないこと。
憲法(constitution)は、統治を先導し、拘束するものでなければならないこと。
憲法は、人民が政府に委託する権能を規定していること。それ故に、憲法は、統治権限を制限するものであること。
如何なる統治であれ、憲法の示す制限を越えた権能行使は、正当ならざる権力の行使であること。「法は王である(Lex, Rex.)」とか「もともと法(lex)とは正しきこと(ius)の確認である」ともいわれる。
統治そのものが憲法であるとする国家、すなわち、統治に対して憲法が制限を課していない国家は、憲法をもっておらず、専制国家であること。

こうした思想は、さらに、統治が憲法上の限界を逸脱しているか否かの判定を為す独立機関の必要性を気づかせ、それがまずは司法府の独立保障として、そして、やがてアメリカにおける司法審査制として結実するのである。

右のような思想を底流にもつ「法の支配」は、次第に、統治者を拘束するための具体的な内容と形式とを持つものとして次のように実定法体系中に明示化されていき、法執行の正しさをも実現しようとしている。
(a) 法令の規定なく刑罰は科せられないこと。
(b) 法令は遡及的に適用されないこと。
(c) 行政官の裁量は、厳しく制限されるべきこと。
(d) 裁判官は、法が語ることを伝える口述者に過ぎないこと。

[68] (三)18世紀のイギリスにおいて法の支配は定着期を迎える


裁判官が法を発見して、それを伝える口述者としてふさわしい権能をもつためには(法の支配の一内容である右の(d)を実現するためには)、原則的に、その地位を他の政治部門の影響の外に置かなければならない。
イギリスにおいては1701年の王位継承法が裁判官の独立保障につき次のように謳ったのは、この点に配慮したためである。
「裁判官の任命は、『罪過なきかぎり』続くものとして為されるべきであり、その俸給は不動のものとする。但し、議会の両院の奏上に基づいて裁判官を罷免することは、合法である。」
この裁判官の独立保障は、後世代によって権力分立の一要素であると理論構成されるばかりでなく、裁判官の準拠する法は、君主の「命令意思としての法」ではないこと(「法を確認し維持する《司法》」と「君主の意思を確認し執行する《裁判》」との違い)を気づかせる契機となったのである([412]、[501]参照)。

その他、法の支配の内容として、前記(a)、(b)、(c)を具体化する罪刑法定主義や、一般的・抽象的法の定立と、そのもとでの平等な処遇を意味する「法の平等保護」が摘示されるようになる。
人の自由に対して強制を加えるときには、《未知の無数の将来の事例に等しく適用される法に拠らなねばならない》と考えられたからである(法の一般性・抽象性・平等普遍性)。

この「法の支配」の原型は、D. ヒュームの法哲学に求めることができる。
彼は、自由な国家においては、為政者の恣意的な裁量が廃止されるべきこと、為政者は「すべての政府構成員と被治者に予め知られている一般的で平等な法に従って行動しなければならない」こと、「法が明確に犯罪と定めた行為以外は、いかなる行為も犯罪とされてはならない」ことを述べた(ヒューム著、小松茂夫訳『市民の国について(下)』162、216頁)。

ところが、イギリスにおいて、議会主権という観念と慣行が形成されると共に、議会が制定したものが「法」である、と考えられがちとなって、ヒューム的思考は後退していった。
これに対して、植民地アメリカにおける人々は、当初、旧き良き法の保障する権益に訴えかけることによって、イギリス人としての生命・自由・所有権を正当化しようとしたが、独立戦争を契機として、自然法と結びついた「法の支配」思想を強調するに至った。
それが独立宣言中の「自然の法と自然の神の法」との表明となったのである。

[69] (四)「法の支配」は、その後一時低迷する


ところが、その後法の支配の理念は、フランス革命と、大陸的合理主義哲学(真の自由を知らない抽象的理論、人民の意思が法を作るとする意思中心主義、民主主義と自由主義とを区別しない理論)の影響によって、停滞する。
というのも、意思中心主義を採る限り、誰の意思によって制定されるかという手続が明示的に形式化されれば「法」となると観念されてしまうからである。
ここに、議会または多数者の意思が定めたものであれば、正当な意思の源泉がそこに示されている、といわれることになる([60]において既にふれた、憲法典の正当性を人民の意思に根拠づけようとする理論も、これと無関係ではない)。
こうした思考が、すぐ後の[72]でふれる形式的法治主義に繋がるのである。

[70] (五)法の支配はアメリカにおいて新たに継承・発展させられた


独立戦争は制限君主制を求めて勃発した。
為にアメリカにおいては、統治機関は人民によって委託された権能だけを行使するものと考えられた。
そのために、全ての統治機関は、基本的な法文書によって特定の権力を与えられ(授権規範としての憲法)、同時にその権力も「基本法としての憲法典」のもとで、厳格に限界を定められなければならない(制限規範としての憲法)とされた。

《憲法典は法の支配を具体化した法文書である》と観念することは、法規範の構造を階梯的に捉えることでもある。
アメリカ合衆国憲法上、司法審査に関する明文規定がないにも係わらず、裁判所は、憲法典に違反する下位法の効力を否定しうるとされてきたのは([444]参照)、法規範構造を階梯的に捉えた帰結である([93]でふれるケルゼンの法段階説と比較対照せよ)。

統治機関が人民によって委託された権能だけを行使するということは、全ての権力が人民に由来することでもある。
これは、国家機関の創設権限を有する国民、すなわち、後述する憲法制定権力の主体としての国民、という考え方をアメリカが最初に実定憲法に取り込んだことを表す([118]参照)。
これ以降、「法の支配」が憲法典のもとでの統治と同視されがちとなった。

【表5】「法の支配」の展開
①「司法/統治」の区別論 → ②「基本法」のもとでの統治 → ③イギリスでの定着 → ④大陸での低迷(形式的法治主義) → ⑤アメリカでの発展的継承 → ⑥大陸での見直し

■第三節 「法の支配」の公式化


[71] (一)法の支配はA. ダイシーによって公式化された


A. ダイシー(1835~1922年)は、「法の支配」を成文憲法典による政治権力の統制として捉えなかった(巻末の人名解説をみよ)。
彼は、イギリス独特の不文法的伝統のなかで、法の支配を公式化したのである。
彼のいうその内容は、次の三つである。

専断的権力支配とは対照的に、正式(正規)の法(regular law)が絶対的優位に立つこと。
正規の法とは、司法的合理性によって確認された法をいう。
そこには、法(law)と立法(legislation)との区別が前提とされており、前者が後者を指導していくものとされている。
従って、当然のことながら、立法の実体的側面も法による統制を受けることになる。
何人も正規の法のもとにあり、通常の裁判所の管轄権に服すること(「行政裁判所をイギリス法は知らない」といわれる)。
これは、行政官の裁量は厳に統制されるべし、という命題([66]参照)の帰結である。
憲法は、憲法典によって与えられるのではなく、正式の法の展開(裁判所による適用および議会の活動)の結果である。
人権は、正式の法がある限り破壊されることはない。
これも、法と立法の区別を前提とした議論であり、人権を実定法たる憲法典で語り尽くすことは不可能でもあり、語り尽くせると想定することこそ危険である、とダイシーは言いたいのである。

[72] (二)ダイシーの法の支配の理解は完全無欠ではなかった


右のような「法の支配」の理念は、その後、誇張され、あたかも不動の価値であるかのように説かれていく。
もともとダイシーのいう「正規の法」が何を意味するか定かではなく、正規の法によって自由を中心とした基本権が守られるというのも、イギリスが不文憲法の国であるとする誇張のうえに成立していた。

また、彼の理論は、大陸における法の支配が不完全であるという誤った前提に立っていた。
ダイシーは、大陸法上の欠陥が行政権の行使につき司法審査(適法性審査)の及ばない点にあるとみた。
そのために、行政行為を通常裁判所によって審査する点こそ法の支配にとっての鍵であるとみたのだった。
ところが、実際には、フランスにおいても、ドイツ(プロイセン)においても、法の支配と同じ観点から「法治主義」が説かれていたのである。
もっとも、フランス第三共和国やプロイセンにおいては、その理論が実践に取り込まれないまま、通常裁判所とは系列を異にする、行政機関のための行政裁判所が設置されてしまう([443]参照)。
これを契機に、R. グナイスト(1816~95)によって理論的に(政治的に)歪められた法治主義の考え方が1860年以降、支配的となる。
そして、その後は、ドイツ的法治主義、すなわち議会の定めたものをもって法とする形式的法治主義と、英米的法の支配とは、あたかも、水と油であるかのように今日まで語り継がれているのである。
形式的法治主義は、ルールが従うべき手続上の制約を課すのみである。

【表6】形式的法治主義
議会の意思による法の定立(意思の発動形式の重視)
【議会と行政との関係】
法律のもとでの統治=法律による行政の原理
(ア) 法律の法規範創造の原則
(イ) 法律の留保原則
(ウ) 法律優位の原則
【裁判所と行政との関係】
通常裁判所の民事刑事の司法権行使(限定的司法概念)
通常裁判所による国家行為の合憲性統制の意識的排除
通常裁判所の独立
官僚統制のための行政裁判所(ただし、統治行為は審判対象外)
行政裁判所裁判官の身分保障

[73] (三)H. ハートは「法の支配」を形式的・手続的正義として公式化し直した


「法の支配」とは何であるか、積極的に定義づけ、さらにその論拠を呈示しようとすることは、容易な業ではない。
法の支配は、よく次のように説明される。

(a) 人の恣意的な意思による支配ではなく(マサチューセッツ憲法前文にいうように、「人の支配ではなく、法の統治」である)、
(b) 形式的法治主義でもない(《法の支配は法律の支配にあらず》)。

ところが、この解明では、
(ア) 人の恣意によらざる支配とは、いかなる支配であるのか(《法が支配する》、との解答は、統治の実態を覆い隠すに過ぎない)、また、
(イ) 法の支配にいう「法」とは何であるのか、
積極的に論証したことにはならないのである。
上の(ア)の疑問に関しては、こう解答することも出来なくはない。
すなわち、《人権をよりよく保障することが、法の支配のいいたいところである》、とか、《個人の尊厳をよりよく保護することである》と説くこと、これである。
ところが、法の支配を個人の尊厳の実現と関連づけることは、《法の支配が何を目指すか》という問に対する解にとどまり、《法の支配にいう法とは何であるか》という、法の内実を問う際の解ではない。

法の支配の意義を積極的に呈示する方向として、二つの見方が存在してきた。
第一は、 問題の法令が、human nature という法則(実体的正義や理性)を体現しているか、という法の実質・内容を問う立場である。
その典型的立場が、自然法論である。
第二は、 法の形式を重視するタイプである。
これは、問題の法令が、どのような特定の人々をも対象とせず、特定の目的も知らず、一般的で抽象的な形式を満たしているか否かを問うのである。

法の一般性・抽象性・普遍平等性という形式は、次のような普遍可能性原理の応用編である。

法は、人を定数で(固有名詞として)扱ってはならない。私個人と他の個人との間の数的差異を法的には関連性のない要素とみなさなければならない。
私個人にとって重要であるとみられる類的・質的差異を、法は関連性なき要素とみなさなければならない。

以上は、要するに、《全ての人々の観点から受け入れられることのできる原理を法は組み込むべし》、とする思考である(『憲法理論Ⅱ』 [36] もみよ)。
法の支配の要諦は、法が、特定の人々に対して、特定の仕方で、処遇してはならない、という形式性にある。
その形式性は、「具体的効果を知らないこと、これらのルールがどのような目的を促進するか知らないこと」を含意するのである(ハイエク著、一谷藤一郎訳『隷従への道』108、103頁)。
ところが、ヘーゲル=マルクス主義は、この形式性こそ、人々に対して形式的平等と形式的自由だけを与えるものと批判したために、特定の個人の置かれた地位を配慮して、実質的平等・実質的自由を保障する法令が正義に適う、と考えられがちとなって、法の支配の思想が侵食されていったのである。

法の支配の復権にとって重要な視点を提供したのがH. L. A. ハートである。
ハートは、法の支配の内実として、法としての適正の原理と、自然的正義の原理を挙げる。
前者は、 法の一般性、明確性、公開性、不遡及性を要請する。
それは、形式的正義をいうものと思われる。
後者は、 個別的適用にあたって不偏不党公平であり、また事実の証明や法律の解釈に当って紛争当事者双方の意見を考慮することを要請する。
それは、手続的正義を意味するものと思われる。

法と道徳との必然的関連性を否定するハートは、法の支配の中に、「公正」とか「実体的正義」を含めることに躊躇せざるを得なかった。
この点は、「法律は悪法で、不公正であるかも知れないが、しかし、それを一般的で、抽象的な形に成文化することにより、この危険は極小にまで押さえられる」と考えたデュギーも同様であった。
正義の実体は、いつも論争されてきた。
その論争の中で我々は、得てして過剰な実体を求めがちとなる。
ハート、デュギーが懸念したのはその点であった。

法は最小限の正義を体現すべきものなのである。
その正義は、誰にも積極的な義務を課すことなく、不正義を為さないよう求める消極的なものでなければならない(負の力としての正義。[47]もみよ)。

[74] (四)「法の支配」の小括


「法の支配」とは、統治機関(立法権を含む)が強制力を用いる場合には、公知の、事前に予知可能で(確実性・公開性を持ち)、平等に適用される、一般的・抽象的立法を要請する「基本法」(fundamental law)のもとでの統治をいう。

「基本的」法は、立法とそのもとでの統治がどうあるべきかに関するルールである(統治を先導するための規範)。
「基本的」であるか否かは、法の権威の源泉(誰の意思が法をつくるか)によって決まるわけではない。
それは、一般性・抽象性・平等普遍性といった形式的正義や、両当事者の意見を聴くべしといった手続的正義に従っているかどうかによって決せられる。
この意味での正義は、先にふれたように、誰にも積極的な義務を課すことはなく、個別的な文脈の中で発見され宣言されるに過ぎない。

では、立法がこうした正義を具備しているか否かを判断するに相応しい構造をもっている機関はいずれであるか。
それは、個別的な文脈のもとで、合理的な手続を踏みながら公正な観察者の視点から法を宣言し維持する権限を与えられている司法府である。
「法の支配」が、司法府の独立のみならず、司法的手続の整備の要請、司法審査制と結びつくのは論理必然的である([446]参照)。

「法の支配」による統治機関の統制は、国家が人の自由に対して強制を加える領域に及ぶ。
もっとも、今日では、いわゆる政府の受益的活動についても「法の支配」を必要とするという立場もみられる。
国家の財政政策を法の支配に服せしめることも重大な視点であろう。

[75] (五)日本国憲法も、法の支配の思想に強く影響されている


日本国憲法は、多方面にわたって法の支配の思想を具体化している。
そのことは、
76条において、司法権を一元的に通常裁判所に帰属させ、司法権の独立を保障し、さらに、特別裁判所の設置を禁止していること、
98条1項において、憲法典の最高法規性を宣言して、階梯的法規範構造を採用し、これに反する国家行為の効力を否定していること、
81条において、司法府が一切の国家行為につき、統治を先導する基本法(最高法規)と適合しているか否かを判断できるとされていること、
11条において、「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。」と定め、さらに、13条において「国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」と謳って、形式的法治主義を排除していること、
31条において、「何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。」と定めて、法令の規定なく刑罰を科せられないことを確認していること(31条の解釈によっては、実体規定の明確性まで要請しているとみることもできる)、
39条において、「何人も、実行のときに適法であつた行為又は既に無罪とされた行為については、刑事上の責任を問はれない。」と謳って、事後処罰と二重の危険の禁止を定めていること、
等に表れている。

もっとも、以上の諸条規に言及するだけでは、日本国憲法が法の支配を組み込んでいることを論証したことにはならない。
なぜなら、ある法体系内の公理を出発点として当該体系の公理を論証しようとすることは、決定不可能だからである。
これを「自己言及のパラドックス」という。


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最終更新:2013年07月30日 21:19