第二章 国制と法の理論

阪本昌成『憲法理論Ⅰ 第三版』(1999年刊)  第一部 国家と憲法の基礎理論    第二章 国制と法の理論 p.29以下

<目次>

■第一節 国制を意味する憲法または絶対的意味での憲法


[29] (一)憲法と憲法典とは同義ではない


先に、constitution によって統制されるに至った近代国家を「立憲国家」と呼ぶと述べた([31]参照)。
通常、「憲法」と訳出される constitution は、捉え方によって実に多義的である。
「国家あるところに憲法あり」といわれる場合の憲法とは、その存在形式の違いや、国家の統治形態の違いを捨象して捉えられている。
この視点にたって捉えられた「憲法」を、「絶対的意味での憲法」という。
絶対的意味での「憲法」は、次第に明らかにされるように、憲「法」とも「憲法典」とも同義ではない。
憲法の基礎理論の修得は、C. シュミット(1888~1985)がいうように、憲法と憲法律(典)とを区別することから始めなければならない(巻末の人名解説をみよ)。

シュミットは、「憲法の概念は、憲法と憲法律が区別される場合にのみ、可能である」という(シュミット『憲法理論』27頁)。
憲法の概念を把握しようとする場合、憲法を個々の規定にバラバラに解消したり、その存在形式や改正手続を標識とするとすれば、その本質を見誤ることになる、というのである。

憲法(国制)と憲法典とを区別することによって、次の諸点が明らかとなる。
憲法律は、憲法に基づいて初めて効力を有すること。
憲法律が相対的概念であるのに対して、憲法は絶対的概念であること。
憲法律は憲法律上の改正規定によって改正できるが、同規定によって憲法を改正することはできないこと([144]をみよ)。
憲法律は、停止されたり、破棄されたりすることがあるのに対して、憲法は不可侵であること。
憲法尊重擁護義務・宣言は、個別の条文の遵守に向けられているわけではなく、憲法に対するものであること。
憲法の変遷とは、憲法律上の条文の意味変化ではないこと([150]をみよ)。

「憲法」と「憲法律」とを、簡単に同視してはならない。
通常、我が国では、constitution または Verfassung が「憲法」と訳出されてきたため、それらが当然に法的な意義を有しているかのように理解されてきた。

[30] (ニ)憲法の語源はルールの概念と無関係ではない


constitution または Verfassung と呼ばれるものは、
(ア) 「ルールを定める行為」、
(イ) かく定められた「ルール」、
(ウ) 17世紀以降は、「国家の秩序づけられた根本的枠組み」(ギリシャ時代にいうポリティアに近く、国家の経済的・社会的構造すべてを含むもの)、
のいずれかを、意味した。

このことから分かるように、constitution または Verfassung とは、なまの事実の集合体ではなく、評価基準としてのルールのもとに秩序づけられた構成体を意味し、それが、国家という構成体との関連のなかで言及される場合、「秩序づけられた国家の根本構造」を指すに至ったのである。

[31] (三)憲法とは国制を意味するにとどまる


constitution または Verfassung は、国家という組織との関係では、発生史的には、右の(ウ)にみたように、憲「法」という法的概念ではなく、国家の骨組みまたは国家の全体的な秩序という意味での「国制」をいうにとどまり、その規範的内実は別途分析されなければならない。
Constitutional Law または Verfassungsrecht と表現された段階で、初めて憲「法」という意味をもつに至るのである。

国制の分類として、最も古典的なのがアリストテレスの『政治学』(第三編第七章)のそれである。
彼は、正しい国制として「君主制/貴族制/有産者制」を、これから逸脱した国制として「僭主制/寡頭制/民主制」を、挙げた。

【表3】国制の捉え方
政治の全体的事実状況をもって国制という立場
支配-被支配の事実状況をもって国制という立場
最高の規範の統一体をもって国制という立場

[32] (四)国制をルールと無関係と捉える立場もある


論者の中には、国制につき、ルール概念との結びつきを否定して、以下のように、政治的事実の集合体とみるものもある。
国制の捉え方は、次節の [34] 以下でふれる「法の本質とその究極にあるもの」の見方と不可分の関係にある。

第一の見方は、国制をもって、国家の政治的統一と社会秩序の具体的な全体状況(例えば、ドイツ、フランスといったような、具体的に存在する全体状況)をいうとする立場である。
この場合には、「全体的事実状況としての国家が constitution である」とされる。
これは、政治社会学的な把握の仕方であって、この意味での constitution を出発点としながら憲「法」論(規範論)を展開しようとすれば、事実と規範とを如何にして架橋すればよいか、という永遠の謎に嵌まり込むこととなる。
確かに、国制の概念は、政治と深い関わりをもつものの、全面的な事実または政治状態を指すのではなく、もともと、ルールや秩序との繋がりをもっていた。
否、政治の概念そのものも、人々の共有するルールと、それに基づいた法共同体における支配・被支配関係と結びついていたのである(政治の概念については、【N. B. 1】においてふれた)。

第二の見方は、支配-被支配の形式またはその全体的事実状態をもって、国制とする立場である。
これは、「誰が支配するか」、「誰の意思が最高か」というプラトン以来の政治哲学の問い方である(この見方は、「支配-被支配の形式」という軸を設定することによって constitution を捉え、それを、「君主制/貴族制/民主制」に分けることを可能とする点で、有効な分析枠となってきた)。
これは、法の究極を意思に求める点で、右の第一の立場とは異なるものの、一定の事実状況をもって国制であると捉えて「支配形式としての国家が constitution である」とする点では、右と同型である。
この立場に拠る限り、「支配-被支配の形式」の正当性は正面から問われることはない。

国制は「支配-被支配」という形式または事実状態からのみ成るものではないと考えた場合、支配形式の正当性を問わないこの第二の見方を肯定することは出来ない。

[33] (五)国制を法秩序そのものと捉える立場もある


以上の二つが、国制とルールとの結びつきを否定する立場であるのに対して、第三の立場は、最高かつ究極的な規範の統一体系をもって国制とみる。
これは、国制を諸規範の規範または根本規範(一つの統一的な規範)として捉える。
これは、これまでの諸説と違って、国家そのものを法秩序と考える規範主義に立つ。
そのもとでは、「規範としての国制が国家」、「国制が国家であり sovereign」とされる。

しかし、なぜ法秩序が国家であり sovereign であるか、定かではない。
ケルゼンのいうように、その秩序が実定的である(そう定められている)点に求めるとすれば、この理論の出発点である「規範性」はここで断絶され、事実上妥当しているという、なまの権力関係に転換されてしまう(シュミット『憲法理論』9~10頁は、ケルゼン的規範主義を批判して、「ここで突如として当為はやみ、規範性は断絶する。代わって現れるものは、・・・・・・妥当しているが故に、妥当するという・なまの事実性のタウトロギー(※注釈:tautology トートロジー、同語反復)である」と鋭く指摘している)。
この隘路を抜け出るために、ケルゼンは「根本規範」を最終的な仮設として置かざるを得なかった([94]参照)。
この見方は、最高の規範を、君主でもなく人民意思でもなく、憲法(国制)に求めて、市民的自由と私的所有とを政治的権力の彼方に置こうとする近代立憲主義思想の嫡流に属するといえる。

確かに、近代法治国家を構築しようとする歴史段階にあっては、私的所有権や人身の自由という、疑う余地のない真正の当為の存在が信じられ、だからこそ、あらゆる国制に先立ちそれを超える規範性が説かれた。
また、ときには、それが理性または正義に適うという理由も挙げられた。
ところが、そうした真正の当為と考えられたものが、実は、時代拘束的な相対的なものであることを論理実証主義は明らかにした。
法実証主義が、正義をもって「意欲、利害または情緒に関する理想」であって、そこに客観的基準など存在しない、と説いたのも「認識/価値判断」と峻別する論理実証主義の法学版であったからこそである。
法実証主義者たるケルゼンにとって、「根本規範」は、認識のレヴェルに属するものではなく、民主主義的な論議に対して常に開かれているべき最終的仮設であった。
その仮設は、「国家なき国法学」を生み出した、と批判された(H. ヘラー著、安世舟訳『国家学』)。

以上のような様々な国制の見方は、法の究極にあるものの見方と繋がっている。

■第二節 法の本質と法の究極にあるもの


[34] (一)国制の見方は、「法の究極にあるもの」の見方とつながっている


シュミットによれば、法学上の究極の観念は、①具体的秩序、②意思による決断、③規範、のいずれかであるという。
第一節で概観した国制に関する様々な見解も、これらにそれぞれ対応していることが分かる。

そればかりでなく、右の①~③の対立は、規範と「法」との識別基準を何に求めるか、規範の淵源をどこに求めるか、といった法哲学上の論争とも繋がっているのである。
「法」の見方は、当然のことながら、憲「法」に対する見方をも決定するといってよい。

右のうち、③の立場から、規範が法を生むと考えたのが、ケルゼンである(もっとも、晩年の彼は、民主主義的決断主義と規範主義とを結合させようとして、民主主義的意思決定によって定立された規範が法である、とする②から③を導き出す立場に変わったように思われる)。
また道徳から法が生まれるとする「道徳的規範説」もこの一流派である。

これに対して、②の立場から、主権者の意思によって法が生まれるとするのが「法命令説(※注釈:法主権者意思[命令]説)」である。
このような、意思を法の妥当根拠とする立場をもって「法実証主義」といわれることがある。
この意味では、②から①および③を引き出すシュミット流の理論も、法実証主義的な国制の見方といってよい。
だからこそ、シュミットにとって国制とは、主権者の意思(憲法制定権力)によって創り出された具体的政治的統一体をいう、とされるのである(憲法制定権力については、後の [118]~[132] でふれる)。
こうして生み出された国制が規範として妥当するのは、シュミットにいわせれば、実定的に命ぜられているが故、すなわち実存する意思の故であって、正しい規範だから妥当するのではない(シュミットは、国家の統一的秩序は国家の政治的実存にあって、法律、規則、規範にはない、と言い切った)。
これによって、H. ヘラーが批判したように、「規範なき国家学」が産み出されたのである(ヘラー著、安世舟訳『国家学』)。

しかし、その理論は、「意思」が、なぜ、どうやって権力(【N. B. 5】参照)やその正当性を生み出すかにつき、明らかにしている訳ではない(意思中心(実証)主義は、人間の合理的能力に過剰な期待を寄せたデカルト以来の近代合理主義哲学の名残りである)。
たとえ意思が権力を発生させるとしても、意思を統制するものを考察しない限り、意思は危険な万能の力となる。
歴代の思想家たちは、その危険性を予知して、人間の能力を超えた何らかのルールを、様々に模索してきた(それは、歴史的には、自然法(【N. B. 6】参照)と呼ばれてきた)。
国家や国民を擬人化して、方法論的集団主義に拠りながら、あたかも一つの意思をもったかのように説く意思中心主義は排斥されなければならない。

【N. B. 5】「権力」の見方について。
権力については、それを①関係として捉える立場と、②実体として捉える立場との二つがある。
①前者の典型例がR. ダールの見方であり、彼は、権力とは「本来ならBがしなければならないであろうことを、AがBに為し得る程度」をいうとする。
もっとも、その見方で権力の本体が判明するわけではない。
伝統的な法思考は、「AがBに対して為し得る程度」の実体を、Aの意思がBのそれよりも優越する、事実上または規範上の根拠に求めてきた。
となれば、権力を関係概念として捉えうるか疑問となり、意思という実体を議論せざるを得なくなる。
ところが、意思が実体として存在するか否か、特に、集団の意思を実体的な存在と唱えることが出来るか、なぜ意思が権力を生むか、ここで、我々の思考は中断するであろう。
これに代わる②実体としての権力論の典型例がマルクスの見方であり、彼は警察と軍隊という実体に裏づけられた力を権力として挙げるのである。
なお、本書でいう「権力」とは、その力の源につき正当性を付与されていないものを指すことをいい、これに対して、正当性を付与された力を「権威」ということとする。

【N. B. 6】「自然法」の見方について。
自然法についての見方にも、大きく分ければ二つある。
①一つは、ホッブズ、ロックにみられるような「経験論的扱い方」であり、②他はカント、フィヒテにみられるような「形式的扱い方」である。
①前者は、「自然状態」を想定して、同状態における人間の属性のなかに法則としての自然法を説く考えである。
②後者は、素朴な自然状態から規範を説く経験論的扱い方を排したところに成立した。
それによれば、普遍妥当な当為は、欲求といった主観的なものを捨象して、専ら「意思の形式」の中に求められる。
すなわち、普遍妥当な当為としての自然法は、自由な意思が善を実現するに当たって従うべき外的な形式である、とされたのである。

このように、規範の淵源については、今日に至るまで論争され続けている。
その論争と不可分の形で論議されている「法の本質」に目を転じてみよう。

【表4】法の本質の捉え方
法命令説(※注釈:法主権者意思[命令]説)  主権者の意思の発現をもって、法とみる立場
承認説  事実の反復継続が人の規範意識に支えられて法となる、とみる立場
法実証主義(※注釈:制裁規範説)  制裁を備える規範が法である、とみる立場
道徳規範説  道徳規範が人の法的確信によって支えられて法となる、とみる立場
社会的ルール説  社会の中の一次ルールが、二次ルールによって確認されて法となる、とみる立場
予測説  公的機関が人の行動を予測するための基準をもって、法とみる立場

[35] (ニ)「法」の本質を命令の要素で解明することはできない


法の本質に関する第一の立場は、ホッブズ、J. ベンサム(1748~1832)、J. オースティン(1790~1859)等に代表される「命令説」(客観説)である。
この見解によれば、法規範とそれ以外の規範との区別は、あるルールが採用され改正される方法に求められ(系譜の理論)、法とは、何ら規範的拘束を受けない主権者意思の発する命令である、と特徴づけられる。
これが絶対主義国家論における「憲法」の捉え方となった。

ところが、この説には、ギャングの命令と法とを区別できないこと、命令権者の交代があった場合の法の継続性・持続性を説明できないこと、といった難点が内在していた。

[36] (三)単純な事実の集積から法規範は生まれない


第二は、イェリネックに代表される「承認説」(主観説)である。
これは、事実の反復の中で生まれる人々の確信が規範を生み、社会的な規範意識によって支えられれば法となる、と考える立場である(事実の規範力説)。
実効性(efficacy=事実として守られること)が妥当性(validity=規範として妥当すること)を生むとする見解といってもよい。
この見解は、形而上学が衰退して科学的実証主義に最大の期待が寄せられた時代の産物であった。

しかしながら、この思考法は、事実と規範とを峻別する実証主義哲学の批判の前に、次第に影響力を失っていく。
特に、憲法学において、事実の集積が法規範を生むと考えれば、事実の反復によって基本法が形成される、とする思考を許すだけに、統治を法のもとに置こうとする立憲主義思想の出発点と相容れなくなる(この点は、[150]~[151]での憲法変遷論で明らかにされよう)。

[37] (四)制裁を備える規範が法規範であるとする立場もある


第三は、ケルゼンによって代表される法実証主義の立場である。
これは、「もし、・・・・・・なれば、その場合は・・・・・・」という仮設的命題の後半部分(「その場合は」)に、制裁規定を用意している規範を法規範と考えるのである。
この立場は、事実から規範が生ずることは決してない、という分析哲学の成果を基礎にして、
「規範は規範からのみ生ずる」こと、
法が実定的に存在することこそ、同時に、法が妥当性(validity)と拘束性(binding force)とを有することの根拠となること、
実効性が妥当性を根拠づけはしないこと、
を説く。

ところが、この見解は、法律等の規範性(真正の法規範の属性)を解明することに成功するとしても、憲法という規範の究極的淵源を仮設的な根本規範に求めようとされた段階で、その立場とは異質な、非実証主義的な道徳または自然法領域へと移行せざるを得なくなる。
この移行を避けるために、ケルゼンは、晩年、「規範は人間的意思のみから生ずる」とする意思主義に荷担せざるを得なくなったのである。

[38] (五)道徳のうち人々の規範意識によって支えられれば法規範となるとする立場もある


第四は、法の本質は道徳または正義の諸原則に一致することをいう、とする立場である。
これを「道徳規範説」と呼ぶことにしよう。
この見解は、法体系の根底にあるものを、道徳的義務についての一般的承認・確信(人々の道徳観といってもよい)に求める立場である。
今日の法学者の多くが、この立場に立っており、我が国の法学教育もこの線を基調として運ばれているように思われる。
通例、基本法としての憲法の規範的な実体も、道徳または正義に求められてきた。

ところが、「道徳」、「義務」の多義性、「一般的承認・確信」の程度のバラツキ、「道徳観」の多様性に鑑みれば、この説がどれほどの説得力をもっていようか。
確かに、法体系は道徳と内的関連性を持ちはするだろうが、その関連性は必然的ではない(特に、憲法典の場合、その統治機構に関する条文は、道徳との内的関連性を持つとは限らない)。

[39] (六)法規範は社会的ルールの一つである


第五は、H. ハートに代表される「社会的ルール説」である(ハートをもって法実証主義者として位置づけるのが通常であるが、その分類は正しくない。巻末の人名解説をみよ)。
この立場は、社会的ルールは我々が共同に生活する中で、自由を守ろうとすれば自生(自己増殖)的に生まれるのであって、人為的に意思によって作られる訳ではなく、本性(自然)的に既存しているものでもない、とみる。
ここでいう「自生的」とは、人間の行動の結果ではあるものの、人間の企図の結果ではないこと、自然的でも人為(実定)的でもない第三の範疇を指す。

ハートによれば、社会的ルールのうち、まず、権利を認め責務を課す「一次ルール」が、我々の生活の中で生まれ、その後、何が一次ルールであるかを権威をもって、外的視点から(一次ルールの外に出て)、確認、変更、裁定する「二次ルール」が生まれる
権威を持った判定者が、「二次ルール」に依拠しながら、「ここでは・・・・・・が(一次)ルールとされている」と、両者を結合する段階に至って「法体系が存在する」という([95]参照)。
この二つのルールのうち、人々の受容によって知らず知らずのうちに生まれる「一次ルール」それ自体は、「法」以前(pre-legal)の規範(ルール)にとどまる、とされる。

[40] (七)行動科学は法規範を記述的に捉える


第六は、アメリカのリアリスト法学者によって言われている「予測説」である。
彼らは、法の本質を、公的機関による将来の人的行動の予測に求める。
「憲法とは、最高裁が憲法であるというところのものである」(Ch. ヒューズ)という有名な見解も、この立場に含めてよい。
この立場によれば、法は記述的にのみ捉えられ、規範との結びつきは必然ではないと捉えられる。
この見方は、アメリカ特有の行動科学の一時的隆盛と無関係ではない。

[41] (八)本書は「社会的ルール」説を妥当と考える


以上、規範の淵源、規範と法規範との結びつきを巡って、様々な見方があることを概観した。

以下、本書では、社会的ルール説を基本に据えて、法(law)とは、社会的ルールのうち、何が正当な行為であるか(正確にいえば、何が不当な行為か)を決定するための諸ルールの体系であって、公機関によって万人(統治機構を含む)に一般的に等しく適用されるもの、をいうこととする。
その意味での法は、人為的なルールである立法(legislation)と同義ではない
またそれは、人間存在の道徳・倫理的本性といった意味での自然法を基礎とするものでもない
社会的ルールの一つである法は、我々が共に上手く自由に生きていこうとすれば、自生的に、必然的に出来上がるのである(【N. B. 6】参照)。
以下、本書では、「法」と「立法(または法律)」との違いを意識しながら、両者を明示的に使い分ける。

【N. B. 7】「社会的ルール」の自生的性質について。
「社会的ルール」説に対しては、人々が共同生活を送るという事実から、なぜ規範(価値)が生ずるのか、という批判が寄せられよう。
この批判の依拠する「事実/価値」の峻別論は、哲学上「ヒューム原則」といわれる。
それは、事実の叙述だけを含む命題から、当為についての言明に至ることは出来ないことをいう。
この原則は、長く哲学者によって信奉されてきた。
ところが、経験哲学の父、ヒュームの説く同原則といえども万能ではない。

ある命題が「もし、我々が・・・・・・を望むなら、・・・・・・をすべし」という仮設的形態をとるなら、前件(「もし、我々が・・・・・・」)から規範的ルールを引き出すことは、ハイエクの説く如く、可能である(F. ハイエク『法と立法と自由Ⅰ』105頁)。
前件は、我々の生活の中での因果法則上の(事実に関する)知識からなる。
すなわち、我々にとって望ましい目的、すなわち、自由であるためにはどうすべきかという判断基準を因果法則から学び、その目的を前件の中に含めることによって、我々は規範(ルール)を後件(「・・・・・・をすべし」)として導き出すのである。
その学習過程は、人々の共同生活の中で、長期間に亘って展開され、後世代へと受け継がれ、受容されてきたものである。
このルールのもとで発生するパターンをハイエクは「自生(自己増殖)的秩序」と呼び、本性(自然)的でも、人為的(意思の所産)でもない第三の範疇として位置づけたのである。
さらにハイエクは、ルールが如何にして発生したかにつき次のようにいう。
「ルールは、決して『発明』されたり、言葉で表現されたり、誰かに知られている『意図』をもったりしなかったが、有効的に伝達され施行された・・・・・・。ルールは、・・・・・・我々がいう実践または慣習の中に姿を現す」(ハイエク、同書 99~100頁)。

なお、「ルール」は、①事物の因果法則を指す場合、②人の行為の規範性という場合、③人の行為の当否を判断する基準をいう場合、がある。
本書でいう「ルール」は、もちろん、③の意である。

いずれにしても、単純な事実の集積から規範が生ずるという思考は単純すぎ、規範から規範が生ずるとする思考は循環論法といわざるを得ない。
「法は規範の総体であるが、それはザインの諸事実たる実際的必要性から生じた規範の総体である」(デュギー)とする思考が正当である。

と考えれば、法の究極的観念は、人間が共に自由に上手く生きるために長期に亘って修得してきた社会的ルールに求められる。
その社会的ルールをルール足らしめている根源的なモメントは、自由のための実際的必要性である。
その実際的必要性は、人間の自由な持続的行為において示されるのであって、それは、見方によっては、事実の問題でもあり、規範の問題でもある。
ただただ人間の持続的な自由な行為において示される社会的ルールの淵源を、「究極の確認のルール」(【N. B. 6】参照)という。

国家は、おそらく、各人が望むところを自由に追求しようとする中で、最も適した機構として出来上がったものと思われる。
すなわち、国家も、社会的ルールと同様に、個々人の人間行動の結果であるものの、人間の企図の結果ではない、第三の範疇に属すると考えられる。
国家も社会的ルールも、人間の自由な持続的行為に淵源をもつ。
その意味では、国家の根本構造を指す国制も、ルールの観念と決して無縁ではないはずである。
国制を事実状況として把握することは誤っている。

【N. B. 8】「究極の確認のルール」について。
我々が法の妥当性を求めるために、確認のルールという系譜テストをさらに遡って、これ以上遡れない地点に到達した場合、「究極の確認のルール」に到達したという([95]参照)。
同ルールは、上位法から妥当性を引き出す訳ではない。
その妥当性は、人の持続的行為の遂行の中で人々が受容しているという事態の中に存在するのである。
換言すれば、「究極の確認のルール」は、自らの妥当性を理由づける如何なる根拠も持ち得ないのである(ハートに従っていうならば、「究極の確認のルール」は、内的視点からみれば、他のルールを妥当させる根拠となる規範であるが、外的視点からみれば、ルールをルール足らしめる確認規準という二つの側面を持つ)。

■第三節 憲法の分類 - 相対的意味での「憲法」


[42] (一)国ごとの「憲法」を形式別に捉えて「相対的意味での憲法」という


これまで我々は、「絶対的意味での憲法」について考えてきた。
本節では、視点を変えて、憲法の存在形式からみた場合の「相対的意味での憲法」を考えることとしよう。
「相対的」とは、国家ごとにその形式が可変的である、という意味である。

相対的意味での憲法は、形式性の指標を何に求めるかによって、様々な分類が可能である。

[43] (ニ)存在形式によって、「成文憲法/不文憲法」に類型化される


第一は、「成文/不文」憲法という分類である。
これは、憲法の存在形式の標識が、成文・成典形式か否かに求められる場合の分類である。
この類型は、18世紀にアメリカとフランスに現れた新たな思考、すなわち、憲法とは人権宣言を含む成文の法文書である、とする存在形式に着目した意義づけが一般化した後に成立した。

近代国家成立の後においては、憲法は成文憲法という形式をとるのが一般的である。
これは、イギリスの不文憲法に対する懐疑・反対を動機とする。
各人の自由を守ろうとした近代立憲主義は、総じて、不文憲法に対して懐疑的であった。
なぜなら、不文の慣習は、統治者の利益のために容易に変更され、その有効な制限とはならなかったからである(レヴェラーズは成文憲法の制定の要を説いていた)。
ある論者は、イギリスは不文憲法の犠牲者であり、イギリスの統治は立憲的荒野と化した、とまで述べている。
ところが実は、そのイギリスも、「権利章典」(1689年)、「三年会期法」(1694年)、「皇位継承法」(1701年)等々様々の憲法的文書をもっており、不文憲法の国ではない。
同国では、単一文書方式によっていない点にその特徴があるのである。

イギリスが不文憲法の国ではないように、成文憲法典の国であっても、憲法を全面的に成文化することはない。
constitution は、不文(習律、先例等)の法源からも成っており、成文憲法主義とは、constitution の基本的重要部分が成文化されていることをいう。

今日、「憲法」を想起する際に人々の脳裏に浮かぶのは、アメリカ型の成文憲法典である。
同憲法典は、人権宣言、権力分立等、後の [66] および [67] でふれる立憲主義的内容をもっているために、「憲法」といえば、成文形式で存在する立憲主義的内容をもっている文書が連想されることになる。
ところが、こうした用法は、歴史からみると、比較的最近の特殊な用法なのである。

[44] (三)改正手続の難易度によって「硬性憲法/軟性憲法」に類型化される


第二は、「硬性憲法/軟性憲法」という分類である。
この分類は、イェリネック以来、改正手続を基準にして、憲法が改正手続を加重された法形式となっているか否かに対応して用いられる。
以来、今日我が国でも、この区別に言及する場合、成文憲法典に組み入れられている改正手続が基準とされている(これに対して、J. ブライスのいう「硬性」とは、成文・不文を問わず、下位法に対する権威(拘束力)および改正手続の特殊性を指した)。

改正手続のタイプには、大きく、
立法機関が通常の立法手続よりも加重された要件のもとで為すもの(明治憲法型)、
立法機関によらず、憲法制定会議によるもの、
それらに、国民投票を介在させるもの(日本国憲法は、①+③)
の三つがある。
いずれのタイプにせよ、改正手続において、誰が発案権者とされるかという出発点が重要な意味をもっており、この点は看過されてはならない。

硬性憲法典が好まれ各国によって採用されるに至った理由は、憲法典の規定内容が重大であるからこそ立法権からそれを保護しよう、とする点にある。

[45] (四)決定権威(権力)の所在別の分類もある


憲法を決定する権力(権威)がどこにあるかに応じて、「欽定憲法/民定憲法/協約憲法/条約憲法」に類型化することもできる。
欽定憲法は君主によって、民定憲法は国民によって、協約憲法は君主と国民との協定によって、条約憲法は外国との合意によって、決定されたものをいう。

[46] (五)現実政治の動態から憲法を分類することもできる


成文・硬性憲法が一般化した現代にあっては、従来の「成文/不文」、「硬性/軟性」という区別は意味を失いつつある。
そこで、K. レーヴェンシュタインのように(『現代憲法理論』一、78~92頁)、現実政治の動態から、次のような分類を提案する者もある。
他国の憲法を模倣したものであるか否かによって、「伝来的憲法/創成的憲法」の別を、
政治的理念を謳っているか、それとも、統治過程での制度のあり方だけを技術的に示しているかによって、「イデオロギー的プログラム的憲法/実利的憲法」の別を、
現実の政治過程において憲法がどれほど権力者を統制しているか、換言すれば、憲法典の実効性の程度に応じて、「規範的憲法/名目的憲法/意味論的憲法」の別を、
彼は説く。

規範的憲法とは、権力過程が憲法の諸規範に適応し、服従している場合をいい、名目的憲法とは、政治過程の動態が憲法の諸規範に従って進行していない場合をいい、意味論的憲法とは、事実上の権力保持者の排他的利益のために、仮装として利用されている憲法をいう。

[47] (六)「確認のルール」の一つとして憲法典を位置づけることもできる


法体系を有する社会では、法と、そうでないルール(法以前のルールである一次ルール、例えば、道徳的規範)とを識別するテスト(系譜テストまたは識別テスト)が存在する。
法であるためには、「これこれが、ここでは有効なルールとされている」と公的機関によって確認されるための識別ルールを通過しなければならない。
そのための判断基準が、「確認のルール」と呼ばれる二次ルールである。
二次ルールとは、公的機関に向けられたルールをいう(同ルールには、確認のルールのほか、変更、裁定のルールがある)。

憲法典は、実定法化された確認のルールのうち、他の法的ルールに対して妥当性を与える源泉となっているという意味で、最も基本的な地位を占める。
すなわち、憲法典の法的性質は、「究極の確認のルール」たる国制に基礎を置きながら、他の実定法に妥当性を与えるための「確認のルール」である点にある。

その「確認のルール」が、「究極の確認のルール」を語り尽くすことはない。
「究極の確認のルール」は、人間の自由な持続的行為において示されるのであって([41]参照)、プラクティスの中に潜んでいる(このことは、[154]でふれるように、憲法変遷を限定的ながら肯定せざるを得ない事との繋がりを示唆している)。

確かに、近代立憲主義は、「究極の確認のルール」をも成文の形で可視化しようとしてきた。
憲法典の中でも、「自由」を保障しているルールは、各人の保護領域を画定するための「究極の確認のルール」を取り込んだものと言ってよい。
その意味では、「確認のルール」としての憲法典の一部は「究極の確認のルール」ともなっていると言える。

そればかりでなく、近代立憲主義憲法典は、「自由」保障の手段にとって、歴史的に最も適すると想定されてきた統治機構のあり方を、目的意識的に設計して、これを成文化してきた。
この設計主義的な憲法典の部分は、非意図的な「究極の確認のルール」とは性質を異にしている。

また、憲法または憲法典は、「正義とは何か」という問いに対して積極的な解答を寄せるためのルールではない
それは、基本的に、人々(支配者と被支配者)に対して、何を為すべきかを指示するためのルールではなく、何を為してはならないかを指示するためのルール、すなわち、具体的な文脈の中で、不正義を排除する消極的なルールであって、負の力として作用するのである。

ところが、人々は、憲法および憲法典が最高の道徳規範または実体的正義のための規範であることに期待して、それらは、「人々に何を為すべきかに関するルール」、「正の力」であるかのように説いてきた。
その典型例が、[84]~[91]でみるような「現代立憲主義」である。
それは、「社会的正義」を標榜するだけに、人々に受け容れられ易い。
しかしながら、「現代立憲主義」それ自体が、現代国家の病理でもあることを看過してはならない。


■ご意見、情報提供

※全体目次は阪本昌成『憲法理論Ⅰ 第三版』(1999年刊)へ。
名前:
コメント:

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2013年03月17日 22:16