マルクス主義1

古典的なマルクス主義では、政治体制は、①絶対主義体制→(ブルジョア革命)→②ブルジョア民主制→(プロレタリア革命)→③プロレタリア民主制、と順に「進歩」すると考える(歴史法則主義)
ところが1933年1月にドイツで、②ブルジョア民主制→(反革命)→④ナチ政権(ファシズム体制)、という「歴史法則外」の体制変動が発生し、ドイツ共産党が弾圧され、ソ連がナチ政権の打倒対象と名指しされた事態を受けて、1935年8月のコミンテルン第7回大会で、ファシズム体制や帝国主義国の植民地・従属国となっている地域に関する新たな革命戦術(人民戦線戦術)が提起された。
古典的なマルクス主義も、反ファシズム・反帝国主義の革命戦術も、共に、①まず民主共和制の樹立→②次に社会主義体制の樹立、という「二段階革命論」を提起している。
以下、日本語版ブリタニカ百科事典より引用。
なお、用語は「民主主義」と「民主制」が混在しているが、democracy は -ism(思想)ではなく -cracy(制度) であり、厳密には「民主制」が正しいことに注意。

ブルジョアジー
bourgeoisie
歴史的概念として、封建社会を打倒し封建的土地所有を廃棄して、資本制生産様式に基づく近代社会を生み出した近代民主主義革命、すなわちブルジョア革命の担い手たる階級をいう。
ブルジョアジーの闘争は、市民的自由、すなわち基本的人権と、市民的国家の確立の要求を掲げ、自らを聖職者・貴族の支配階級と対置した意味での「第三身分」と認識して行われた。
ブルジョア革命ののち、ブルジョアジーは資本家階級として、自らが生み出した労働者階級であるプロレタリアートと対立するに至った。
プロレタリアート
proletariat
階級としての資本家、すなわちブルジョアジーに対立する概念で、資本主義社会において、生産手段を持たず、自らの労働力を資本家に売ることによって生活する階級としての労働者を指す。
奴隷や農奴とは異なって生活手段の所有から解き放たれているばかりでなく、人格的な自由を持ち、自己の労働力を商品として資本家に販売することのできる自由な労働者が多数生み出されたのは、ブルジョア革命と本源的蓄積過程においてであり、産業革命以後、社会は大きく①ブルジョアジーと②プロレタリアートに分離された。
彼らを社会階級として初めて認めたのはA.スミスであったが、マルクスは、労働者階級は唯一の価値の創造者であり、歴史変革の主体であると規定した。
語源はラテン語の proletetarius (無産者)。
かつては無産者階級、今日では労働者階級と訳されるが、労働者階級が経済学的規定を持つ用語であるのに対して、プロレタリアートはより広義の歴史的・社会的な概念を含む用語として用いられることが多い。
プロレタリアを労働者、勤労者、無産者、プロレタリアートを労働者階級、無産者階級と訳して区別することもある。
社会構成体 マルクス主義の社会構造論。
<1>生産力の一定の発展段階に見合う生産関係(生産・分配・交換・消費を巡って形成される社会関係)が社会の下部構造を成し、
<2>その現実的土台の上に政治的・法律的制度や組織が整えられ、
<3>更にそれが宗教的・芸術的・哲学的、また理念的・イデオロギー的な社会的意識が照応する形で上部構造が成立する。
この様にマルクス主義の社会構造は建築のアナロジーで組み立てられている。
この枠組みを用い、生産力と生産関係、生産関係と上部構造の矛盾調和のダイナミズムという視点から歴史を全体的に捉えようとするのが史的唯物論のアプローチである。
共産主義社会
communist society
マルクス主義の理論によって提示された社会形態。
私有財産制と国家を廃絶し、財産の共有を基礎として人間疎外を止揚した人類史の最高段階と位置づけられている。
共産主義は低次の段階としての社会主義と区分される。
<1> 社会主義段階では、資本主義の痕跡を残しており、能力に応じて労働し、労働に応じて消費する。
<2> だが共産主義の段階に至ると、資本主義的要素は全て取り除かれ、能力に応じて労働し、必要に応じて消費する。
ここに至って初めて疎外は止揚され、人間の解放は実現する、とされる。
歴史法則主義
historicism
個人を歴史的に無意味な道具とみなしつつ、偉大な理念・民族・階級・指導者に注目して、歴史のうちに何らかの普遍的な発展法則を発見しようとする歴史哲学的世界観。
従って、歴史主義 historism とは区別される。
歴史法則主義はマルクス主義に代表される大規模な「計画」と「統制政策」の根拠になっているが、K.R.ポパーは著作『歴史主義の貧困』の中で、これが多くの点で誤った科学理解に立脚したものであることを批判した。
二段階革命論 前資本主義的関係が残存している後進資本主義国における革命は、まずブルジョア民主主義革命であり、然る後に社会主義革命へと転化する、という理論。
K.マルクス、F.エンゲルスは1848年の『共産党宣言』で、
<1> ブルジョア革命は封建秩序と政治的絶対主義を打ち壊し、ブルジョア民主主義と資本主義とを労働者階級と共に建て、
<2> 次いで労働者階級はブルジョア民主主義によって整えられた諸条件の下で、自らを組織して資本主義を転覆し、社会主義の建設へと向かうと定式化した。
これを受けてN.レーニンは、1905年の『民主主義革命における社会民主党の二つの戦術』において、ロシア革命の戦略を、
<1> 労働者は農民と同盟を結び専制政治を完遂し、
<2> その後、貧農など半プロレタリア分子と手を結び社会主義革命を完成する、とした。
ロシア革命後、28年7月コミンテルンはその第6回大会で綱領を採択したが、そこでは、
<1> 資本主義が高度に発達した国における革命が社会主義革命であるのに対して、
<2> 資本主義の発達が中位の国の革命は、社会主義革命に転化するブルジョア民主主義革命、すなわち二段階革命である、とされ、これが二段階革命論を全世界に普及させ、定着化させるもととなった。
人民戦線
people's front
1934~35年頃の世界に台頭してきたファシズム勢力に対抗して結成された反ファシズムの広範な共同戦線。
35年8月ファシズムの世界的台頭という状況に直面したコミンテルン第7回大会は、
<1> G.ディミトロフ、P.トリアッチらの努力によって、社会民主主義政党を当面の敵としていた従来の社会ファシズム論を改め、
<2> 各国の共産主義者・社会民主主義者が労働者・農民・小ブルジョアジーを基礎に広範に提携して人民戦線を形成し、ファシズムに対抗する、
という新しい方針を打ち出し、画期的な戦術的転換を行った。
この転換は国際共産主義運動史上重要な意義を持ち、既にイタリア・フランス・スペイン・中国などに芽生えていた統一戦線への志向を更に促進することとなった。
(1) フランスでは、早くも34年2月以降、極右勢力の台頭に抗して、社会党と共産党の統一行動が展開され、35年6月には急進社会党などの諸政党・諸団体もこれに加わって人民戦線が成立した。
36年春の総選挙では人民戦線派が勝ち、社会党党首L.ブルムを首班とする第一次人民戦線内閣が成立した。
しかしブルム内閣は、やがて内外の保守勢力の抵抗、スペイン内乱を巡る国際情勢の変化に直面して下野し、人民戦線は崩壊した。
(2) スペインでは34年9月共産党と社会党の接近が始まり、36年1月正式に人民戦線が結成された。
同年2月の総選挙ではスペイン人民戦線派も勝ったが、同年7月F.フランコ将軍の反乱にあい、以降2年8ヶ月の激しい内乱となった。
しかし結局、人民戦線は39年3月崩壊した。
(3) 中国では35年8月1日に中国共産党が抗日救国のための民族統一戦線結成を訴える「八・一宣言」を発し、翌36年12月の西安事件を経て第2次国共合作が実現、やがて抗日戦争の勝利がもたらされた。
(4) 日本では、36年日本無産党が人民戦線の結成を提唱したが、37年冬から38年春にかけて政府の弾圧を受け、多数の逮捕者を出し(いわゆる人民戦線事件)、人民戦線運動は失敗に終わった。

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