靖国神社と英霊の思い

英霊の神聖な座 ~ 靖国神社について正しい知識を得るページ

このページでは、靖国神社に鎮まる英霊の遺された御心について、その歴史的沿革も含めて解説します。

<目次>


■1.留魂(りゅうこん)護国の思い


◆1.用語説明:「留魂」・「鎮魂」・「招魂」


◇「留魂(りゅうこん)」は現在では聞きなれない言葉であり、辞書にも記載がないため、後述する。


◇「鎮魂(ちんこん)」は広辞苑及びwikipediaには以下のように記載されている。

(広辞苑)ちん-こん【鎮魂】
①魂をおちつけしずめること。たましずめ。
②死者の魂をなぐさめること。
(wikipedia) 鎮魂
鎮魂(ちんこん、たましずめ)とは、人の魂を鎮めることである。今日では「鎮魂」の語は、死者の魂(霊)を慰めること、すなわち「慰霊」とほぼ同じ意味で用いられる。しかし、元々「鎮魂」の語は「(み)たましずめ」と読んで、神道において生者の魂を体に鎮める儀式を指すものであった。広義には魂振(たまふり)を含めて鎮魂といい、宮中で行われる鎮魂祭では鎮魂・魂振の二つの儀が行われている。(以下省略)

◇次に、「招魂(しょうこん)」の説明

(広辞苑)しょう-こん【招魂】
①[儀礼(土喪礼、注)]死者の魂を招きかえすこと。昔、人が死ぬと生きかえらせようとして死者の衣を持って屋根にのぼり、北に向かい3度その名を呼んだ。たまよばい。転じて、死者の霊を招いて祭ること。
②(失神したときなどに)魂を招きかえすこと。

◇次に、関連項目として「招魂祭」「招魂社」

(広辞苑)しょうこん-さい【招魂祭】
①死者の霊を祀る儀式。
②招魂社の祭典。
(wikipedia) 招魂祭
招魂祭(しょうこんのまつり)は日本の陰陽道・中国の道教で行われる祭祀・呪術のひとつ。宮中でも行われた。
近代に新しく招魂社・靖国神社などで死者に対して始められた「招魂祭」(しょうこんさい)については靖国神社参照(以下省略)

(広辞苑)しょうこん-しゃ【招魂社】
明治維新前後から、国家のために殉難した人の霊を祀った神社。1868年(明治1)各地の招魂場を改称。1939年さらに護国神社と改称。靖国神社も招魂社の一であるが護国神社と改称しなかった。
(wikipedia) 招魂社
招魂社(しょうこんしゃ)は明治維新前後から、また以降に国家のために殉難した英霊を奉祀した各地の神社。東京招魂社は1879年(明治12年)靖国神社と改称。地方の招魂社は1939年(昭和14年)護国神社と改称。そういういきさつがあるので、明治末期になっても、靖国神社という名称よりも、招魂社という名で庶民には親しまれていた。(夏目漱石の『吾輩は猫である』の中に幼い娘の発言に「招魂社」が登場する。
また、日本初の招魂社は櫻山招魂場(現・櫻山神社、慶応元年(1865年)8月、山口県下関市)である。
王朝時代には、死者に対する陰陽道の招魂祭(しょうこんのまつり)は禁止されていた。死者・生者に対する神道儀礼は鎮魂祭と称されていた。靖国神社の旧称「東京招魂社」は「在天の神霊を一時招祭するのみなるや聞こえて万世不易神霊厳在の社号としては妥当を失する[1]」可能性があるために廃されたという。ただし、名称変更後も「招魂祭」(しょうこんさい)は続けられた。(以下省略)


■2.「留魂」(りゅうこん)とは何か


◆1.吉田松陰『留魂録』巻頭の歌



安政6年10月26日(安政の大獄による刑死の前日)の夕刻、吉田松陰(1830-59)は獄中で遺書を書き残した。これを松陰自ら題して『 留魂録(りゅうこんろく) 』という。

『留魂録』(吉田松陰:著)

その冒頭にある歌

 身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留めおかまし大和魂

すなわち、身はたとえ朽ちても大和魂を留めて御國(みくに)を守らんとする願意を示した歌である。これを「留魂(りゅうこん)」という。

◆2.西郷隆盛『獄中有感』


西郷隆盛(1827‐77、号:南州)は1862年(文久2年)、薩摩藩主島津久光の怒りに触れて沖永良部島に一時流された時に『獄中有感(獄中感有り)』と題する詩を詠んだ。
その末尾には、「願留魂魄護皇城(願くば魂魄を留めて皇城を護らん)」と、やはり「留魂」の思いが詠われている。

獄中有感 西郷隆盛作
朝蒙恩遇夕焚坑   朝に恩遇を蒙り夕に焚坑せらる
人生浮沈似晦明   人生の浮沈晦明に似たり
縦不回光葵向日   たとい光を回らさざるも葵は日に向う
若無開運意推誠   もし運開くなきも意は誠を推す
洛陽知己皆為鬼   洛陽の知己皆鬼となり
南嶼俘囚独竊生   南嶼の俘囚独り生を竊む
生死何疑天付与   生死何ぞ疑わん天の付与なるを
願留魂魄護皇城   願くば魂魄を留めて皇城を護らん

西郷隆盛の留魂祠と留魂碑
※西南戦争によって不本意ながらも明治政府に弓を引いた西郷隆盛は靖国神社には合祀されていないが、勝海舟によって、その遺徳を顕彰する留魂碑が建立されている。

◆3.「留魂」・「招魂」・「鎮魂」


以上をまとめて、平たく表現すると以下のようになる。
留魂(りゅうこん) 「御国(みくに)」「天皇」あるいは、そこまで明確に意識しておらずとも「故郷」「国民」「家族」を護らんとした殉難者の遺した思い(御霊(みたま))のこと。
招魂(しょうこん) 殉難者の思いを御霊(みたま)として神社(正確には神籬(ひもろぎ))に招くこと。
鎮魂(ちんこん) 現代的な意味では、殉難者の御霊(みたま)に対して残された人々が感謝の誠をささげ、御霊を慰め鎮めること。

◆4.各地に残る留魂碑・忠魂碑


上記の吉田松陰や西郷隆盛の留魂の思いは、戊辰戦争から大東亜戦争へと続く幾多の戦いの殉難者達の胸の中に引き継がれた。




※なお全国的には、上記のような思想的背景を帯びた「留魂碑」ではなく「忠魂碑」「忠霊碑」の呼称が使われている場合が一般的である。
※「留魂」の語は陸海軍の士官など一定の護国の思想教育(水戸学・崎門学および国学)を受けた者に好んで使用される傾向があるように見受けられる。

■3.「七生報国」の志


◆1.吉田松陰『留魂録』巻末の歌


『留魂録(りゅうこんろく)』の末尾は以下の歌で結ばれている。

七たびも生きかへりつつ夷(えびす)をぞ攘(はら)はんこころ吾れ忘れめや

すなわち、松陰は留魂録をつづり終えるに際して、大楠公(楠木正成)の「七生報国(しちしょうほうこく)」の志へと思いを馳せた。

◆2.太平記 巻十六



正成座上に居つゝ舎弟正季に向って、そもそも最後の一念に依って善悪の生を引くといへり、九界の間になにか御辺の願あると問ひければ、正季からからと打笑ひて、七生まで唯同じ人間に生れて、朝敵を減さばやとこそ存じ候へと申しければ、正成よに嬉しげなる気色にて、罪業深き悪念なれども我も斯様に思ふなり、いざさらば同じく生を替へて、此本懐に遷せんと契って、兄弟共に刺違へて、同じ枕に伏しにけり

◆3.皇居を守る楠公像



■4.神州正気の精


◆1.藤田東湖『和文天祥正気歌』と「英霊」


吉田松陰・橋本景岳・西郷隆盛ら幕末・明治維新期の志士達の思想に決定的な影響を与えたのは、会沢正志斎・藤田東湖に代表される後期水戸学である。

◇『 和文天祥正気歌(文天祥正気の歌に和す)
藤田東湖(1806-55 水戸の教学を指導した藩儒)が、藩主徳川斉明が幕府に睨まれて隠居謹慎を命じられた時に憤激して、南宋の文天祥(1236-83 元朝フビライ汗による南宋侵攻に抗して戦い、捕らわれても最後まで節を曲げなかった忠臣)の遺した『正気歌(せいきのうた)』に和して詠んだ詩

読み下し 大意
天地正大気   天地正大の気            天地間の正大の気は、
粋然鍾神州   粋然として神州に鍾(あつ)まる    純粋なままに日本に集まっている
秀為不二嶽   秀でては不二の嶽(みね)と為り    高く秀でては富士山となって
巍巍聳千秋   巍巍(ぎぎ)として千秋に聳(そび)ゆ いつの世にも威容を聳えさせている
(途中省略)
承平二百歳   承平 二百歳            徳川幕府が開かれてより太平の続くこと二百年
斯気常獲伸   斯の気 常に伸ぶるを獲たり    正気は、この間つねに人の世に伸び広がっていった
然当其鬱屈   然れども其の鬱屈に当たりては  そうはいっても、時にこの正気も結ぼれて世に現れぬかと見えたこともあったが
生四十七人   四十七人を生ず           その時に、赤穂義士四十七人を生じたのである
乃知人雖亡   乃(すなわ)ち知る 人亡ぶと雖も  かくして人の肉体は死によって亡びるが
英霊未嘗泯   英霊 未だ嘗て泯(ほろ)びず    人が宿していた英霊は決して滅びることはない
(途中省略)
生当雪君冤   生きては当(まさ)に君冤を雪(そそ)ぎ  生きてあるならば藩公の冤罪をそそぎ
復見張綱維   復た綱維を張るを見るべし     正気によって世道人倫が再び健全に輝く姿を示さねばならない
死為忠義鬼   死しては忠義の鬼(き)と為り    もし死を迎えるならば、正気は我が魂に凝(あつま)って忠義の鬼となり
極天護皇基   極天 皇基を護らん        天地の尽きるまで皇国を護持するのだ

※詩中にある「英霊」(この場合は赤穂義士(四十七士)を指す)が、靖国神社・護国神社の御霊すなわち「 英霊 」の語の典拠とされる。

◆2.徳川光圀と「嗚呼忠臣楠子之墓」


水戸学を開いたのは、講壇や時代劇で有名な徳川光圀(水戸黄門)である。
光圀は『大日本史』の編纂をつづける過程で、楠木正成の終焉の地 摂津国(現:兵庫県)湊川を訪ねて、そこに「 嗚呼忠臣楠子之墓 」と刻ませた墓碑を建立した。(現在の湊川神社)

後世、吉田松陰を始めとする幾多の志士がこの楠公の墓碑を拝して涙し、勤皇・護国の志を堅くした。

◇真木和泉守保臣(1813-64 久留米藩士。安政の大獄によって吉田松陰・橋本左内の指導者をうしなった後の尊攘派を物心両面にわたって先達として指導し、戊辰戦争の前哨戦となる禁門の変(蛤御門の変)に決起して破れて自害した)が詠じた詩の一節

嗚呼一片忠臣石    あゝ一片忠臣の石
鎮得神州正気精    鎮め得たり神州正気(せいき)の精

◆3.戦後日本に「神州正気の精」を放つ靖国神社


 幕末期に湊川の畔に立つ楠公墓碑が果たした役割を、戦後日本において果たしてきたのは、靖国神社であり護国神社である。
 政治家であれ民間人であれマスコミであれ、その人物・組織の靖国神社・護国神社に対する姿勢が、その者の国家観・歴史観を明瞭に私たちに知らしめるリトマス試験紙となっている。

◇靖国神社に対する姿勢(見取り図)

靖國
神社
参拝
所属 東京裁判をどう見るか 日本の戦争をどう見るか 憲法をどうみるか 評価
反対論 社民党、共産党、公明党
民主党(社民系など護憲リベラル)
自民党(リベラル派)
北朝鮮、韓国
朝日、毎日、NHK
日本人は全員謝罪汁! 日中十五年戦争は侵略戦争
アジア太平洋戦争で日本は
東南アジアをも侵略した
憲法9条死守
平和憲法を守れ
論外
消えて欲し
いアノヨ
(×)
分祀論 自民党(一般の議員)
民主党(党内で右派とされる議員)
中国政府
読売、日経
A級戦犯の合祀は問題だ 太平洋戦争はアメリカが悪い
しかし満州事変~日中戦争
は日本の中国侵略
憲法改正は必要
特に9条2項は削除すべき
半可通
もっとよく勉
強しましょう
(△)
推進論 自民党(保守派)
民主党(保守派:非常に少数)
台湾の李登輝氏
産経、チャンネル桜
国内法上は戦犯など存在
しない
(国会で名誉回復決議)
大東亜戦争は自存自衛
満州事変~支那事変も侵略
とは言い難い
自主憲法制定が必要 感服
よく勉強し
ておられます
(○)



■5.安政の大獄と東京裁判


◆1.吉田松陰・橋本佐内を始めとする幕末・明治殉難者


吉田松陰・橋本左内・頼三樹三郎をはじめとする「安政の大獄」の殉難者、真木和泉守を始めとする「禁門の変」の殉難者、さらに坂本龍馬・高杉晋作・清川八郎・中岡慎太郎等々、歴史上に著名ないわゆる幕末の志士・国事に盡して斃れられた方々は、幕末・明治維新殉難者として靖国神社・護国神社に合祀されている。

◆2.留魂の思いを遺した殉国七士・昭和殉難者


東京裁判の結果、法務死を遂げられた東条英機元首相を始めとする殉国七士(所謂A級戦犯)、さらに山下奉文大将を始めとするフィリピンなど南方各地や支那で連合国による一方的な「戦犯」判決によって法務死を遂げられた方々も昭和殉難者として合祀されている。
敗戦の責任を一身に背負い、英・米・蘭・支那など連合国民の極めて不当な敵愾心・復讐心を全て引き受けて、従容として戦後日本の再建の礎となられた、これらの方々もまた、尊い留魂の思いを私たち国民のために遺されたからである。

◆3.所謂「A級戦犯」分祀論は間違い


殉国七士を始めとして連合国による「戦犯」判決が下された方々に対しては、サンフランシスコ講和条約発効前後に(当時の最大野党だった左右の社会党も含めて)その全員の赦免を求める国民的運動(4,000万人以上の署名が集まった)が巻き起こり、国会で共産党・労農党(のちに社会党に合流したマルクス主義政党)を除く全政党議員による圧倒的多数の賛成をもって「戦犯」の赦免・名誉回復決議が行われた。

(共産党機関紙・ 赤旗 より引用)
サンフランシスコ平和条約発効(1952月4月)後、国会では戦争犯罪問題の論戦がさかんにおこなわれました。その特徴は、侵略戦争への反省ではなく、逆に戦争犯罪人は「国の犠牲者」「愛国者」であるといった戦争責任の免罪でした。
戦犯釈放・赦免要請決議は参院本会議では52年6月9日、衆院本会議では52年6月12日、52年12月9日、53年8月3日、55年7月19日の計5回ありました。これらの決議は、日本共産党と労農党を除いた、自由党、改進党、右派・左派両社会党などの共同提案によるものです。
(引用終わり)

■6.昭和殉難者の遺された手紙・遺書より


◇笹倉林治 命(みこと)(昭和22年12月フィリピン・マニラにて法務死、享年26歳)
【母上様宛封書】
前略
暫らく御無沙汰致しましたのでさぞ案じ居られた事と存じます。毎週御便りをと心掛け居りますも、手紙の用紙が支給してもらへないので、今日迄延引致し誠に申訳無く存じ居ります。其の後の状況をと存じますも別段変化も有りませんが、私達裁判の再審も終り同ケース死刑四人の内風戸文之君が一人懲役二十年に減刑になり、中村隊長に小生と一条幸真君が減刑無く残されましたので、覚悟はして居たものゝ希みの綱も既に切れました。最後の日に到り何も申し残す事もありませんが、只日本人として将又帝国軍人として従容として立派な態度を以て死にのぞみたいと存じます。故郷の母上一同の事をも案じ居りますも、今更何とも致し方なく、今後御健在にて幸福な家庭を造り、日々をすごされん事を草葉の蔭より御祈り致し居ります。
今日迄の清況をば富山市清水町の田林様が今度皈国するので家に寄るはず故、一切が判る事と存じますから手紙は書きません。此の手紙は隣りの独房の渡辺君に依頼致しました。
友人諸君に宜敷く。

嵐吹き  桜の花は散り行くも   我が魂魄は国を守らん

◇上田貢 命(みこと)(昭和21年6月フィリピン・マニラにて法務死、享年30歳)
 遺書     
昭和二十一年四月二十三日
一. 御両親様ヘ
三十有余年間ノ御養育其他ニ対スル報恩ノ一端モ尽シ得ズ、先キ立ツ罪ヲ御許シ下サイ。然シ、今此処ニ国ニ殉ジ死ニ赴カントスル一事ヲ以テ、全テヲ御許シ下サル事ト存ジマス。
私ノ死後、新聞ラジオ等ニ依リ、私ノ戦争犯罪事実ガ誤報サレテ伝ハル事ヲ怖レ、次ニ簡単ニ事実ヲ書キ残シマス。
●昭和十七年七月六日当時、私ハ四名ノ憲兵ノ長トシテ某部隊ニ配属トナリ、「レイテ」島「タクロバン」町ニ在リマシタガ、七月六日俘虜収容所カラ逃走ヲ計ツタ米人将校一、比島人三ヲ部隊ニ於テ処刑スルニアタリ、憲兵トシテ立会ヲ命セラレ、死刑現場ニ立会ヲシタ事。
(途中省略)
事件事実ハ右ノ通リデシタガ、裁判ノ結果、比人証人ノ嘘言ヲ信用セラレ、当時私ハ「タクロバン」ノ憲兵隊長デ、右ノ事件ハ全テ私ノ命令ニ依リ行ハレタト判断サレテシマヒマシタ。其レト云フノモ、当時ノ部隊長・直接指揮シタ将校・行為者等全テノ人達ハ現在戦死シタカ行方不明デ居ナク、私一人カ生キ残ツテヰタ故、然モ住民ニ良ク名前ヲ知ラレテ居タタメ、私一人ダケ起訴サレタ次第デス。
(途中省略)
内地ノ人達デモ常識ノ有ル人ハ、斯ル馬鹿ナ裁判ガアルモノカト思フ人モアルト思ヒマスガ、此ノ様ナ裁判ハ私ノ場合丈デナク多数アリ、斯ル裁判ガ平気デ行ハレテヰルノデス。ダカラ私トシテハ、裁判ヲ受ケテ殺サレルト思ヘバ残念デスガ、戦ニ負ケテ有無ヲ云ハサヌ敵ニ殺サレタト思ヘバ何ンデモナイ事ト思ヒマス。
(途中省略)
只、御両親様並ニ弟妹達ノ長命ヲ祈ルト共ニ、妻子ノ将来ヲ御願ヒ申シマス。
愛子ノ将来ニ就テハ、私、少シモ束縛シヨウトハ思フテハヰマセン。全テ彼女ノ意思ニマカセテヤツテ下サイ。最後ニ私モキリスト教徒トシテ昇天シテ行キマス。
神ヨ、我ガ一族ニ祝福ヲ与ヘラレン事ヲ!!
(遺骨ガトドカヌト思ヒマスカラ遺髪ヲ同封シテ置キマス)

二.最愛ナリシ愛子ヘ
(途中省略)
三.未ダ見ザリシ最後(ママ)ノ恵子ヘ
1.オ前ノ父サンハ国ニ忠義ナ立派ナ日本人ダヨ。
2.オ前ノ祖父母サンヤ母サンモ立派ナ日本人デス。父サンガ無クテモ祖父母ヤ母サンノオ教ヲ良ク守リベン強シテ立派ナ人ニナルノダヨ。
3.オ前ガ学校ニ行ク頃ハアメリカ流ノ教育ニナツテヰルト思フガ、アメリカ流デモ良イ所ハ進ンデナラヒ、人ニ負ケテハイケナイガ、日本人ダト云フ事ヲ寸時モ忘レテハイケナイ。オ父サンハ永イ間外国ニ居テ、外国ノ女ハ少シモ偉イトハ思ハナカツタ。ヤハリ女ノ人ハ日本ノ女ガ世界第一立派デアツタト思ヒマス。ダカラ大キクナツタラ立派ナオ母サントナツテ立派ナ日本男子ヲ沢山生ンデ、父サンガアメリカト戦ツテ立派ナ戦死ヲシタ事ヲ伝ヘテ下サイ。
昭和二十一年四月二十三日
於マニラ

上田貢
オ父サンハ何時モオ前ト共ニ居テ、オ前ヲ護ツテ居る事を忘れるな。




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