芦部信喜『憲法 第五版』抜粋

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<目次> #contents() ---- *■1.「憲法学の権威」芦部信喜 戦後左翼の言論支配は、様々な分野に及んでいるが、憲法学の分野では、宮沢俊義→芦部信喜と続くラインがその中心となっており、歴史学・政治思想・宗教史など他分野に比較しても、その勢力はなお強大である。 &ref(http://cdn35.atwikiimg.com/kolia/?cmd=upload&act=open&page=%E6%9D%91%E4%B8%8A%E9%87%8D%E8%89%AF%E3%80%8C%E5%9B%BD%E5%AE%B6%E7%A5%9E%E9%81%93%E8%AB%96%E3%80%8D%E3%80%81%E4%B8%B8%E5%B1%B1%E7%9C%9E%E7%94%B7%E3%80%8C%E5%A4%A9%E7%9A%87%E5%88%B6%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%B7%E3%82%BA%E3%83%A0%E8%AB%96%E3%80%8D%E3%81%AE%E6%A4%9C%E8%A8%BC&file=%E6%88%A6%E5%BE%8C%E6%B0%91%E4%B8%BB%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E8%80%85.GIF) しかし結論から先にいうと、芦部憲法論の依拠する法概念理解は旧来のドイツ法学(ないし大陸法学)系の自然法論であって、理論上は既に半世紀以上前に破綻しており(1961年のH.L.A.ハート『法の概念』刊行)、その門下である[[長谷部恭男>http://www35.atwiki.jp/kolia/pages/1794.html]]からも明白に否定されてしまっている。 このページでは芦部憲法論のエッセンスを紹介するとともにその致命的欠陥を指摘する。 ---- *■2.芦部信喜『憲法 第五版』紹介と抜粋(内容チェック) |&ref(http://www35.atwiki.jp/kolia?cmd=upload&act=open&pageid=1637&file=%E8%8A%A6%E9%83%A8%E3%80%80%E6%86%B2%E6%B3%95.jpg)|[[『憲法 第五版』>http://www.amazon.co.jp/dp/4000227815]] (芦部信喜:著、高橋和之:補訂 (2011年))| |~|[[芦部信喜(故人)>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%A6%E9%83%A8%E4%BF%A1%E5%96%9C]]は、宮沢俊義に始まる東大憲法学(戦後左翼の通説的憲法学)の権威であり、本書は法律系資格受験者に最も参考にされている影響力の大きい基本書である。芦部の政治的スタンスは&color(crimson){&bold(){リベラル左派~かなり左翼より}}と考えると理解しやすい(※参考ページ:[[政治的スタンス毎の「国民主権」論比較・評価]])。| ---- **▼第一章. 憲法と立憲主義 &size(12){&color(green){↓本文はここをクリックして表示/非表示切り替え}} #region() &include_cache(芦部信喜・憲法概念論) #endregion ---- **▼第三章. 国民主権の原理 &size(12){&color(green){↓本文はここをクリックして表示/非表示切り替え}} #region() &include_cache(芦部信喜・国民主権論) #endregion ---- **▼第十八章. 憲法の保障 &size(12){&color(green){↓本文はここをクリックして表示/非表示切り替え}} #region() &include_cache(芦部信喜・憲法改正論) #endregion ---- *■3.芦部憲法論の致命的欠陥 **▼1.芦部憲法論の依拠する法概念理解(半世紀前の法学パラダイム) |&ref(http://www35.atwiki.jp/kolia?cmd=upload&act=open&pageid=1770&file=%E8%8A%A6%E9%83%A8%E3%83%BB%E6%86%B2%E6%B3%95%E3%81%AE%E6%A7%8B%E9%80%A0.GIF)&br()※図が見づらい場合⇒[[こちら>http://www35.atwiki.jp/kolia?cmd=upload&act=open&pageid=1770&file=%E8%8A%A6%E9%83%A8%E3%83%BB%E6%86%B2%E6%B3%95%E3%81%AE%E6%A7%8B%E9%80%A0.GIF]]を参照|BGCOLOR(lavender):※左記の他に実は、&color(crimson){自然法または根本規範を認めず、憲法制定権力も認めない}(&color(green){特定時点の国民が保持する}のはせいぜい&color(green){「憲法典 constitutional code」(形式憲法)を制定ないし改廃する権力}(つまり&color(green){「国政 national policy」を決定する権力})であり、&color(navy){「国制 constitutional law」(国体法=実質憲法)を制定・改廃する権力ではない}、とする見解もあり、そちらが妥当である。&br()(→[[リベラル右派の「国民主権」論>第8章 国民主権あるいは憲法制定権力]]及び[[保守主義の「国民主権」批判>http://www35.atwiki.jp/kolia/pages/1760.html#id_0301b94e]] 参照。この場合「国制」(実質憲法)は過去から現代に至る世代を重ねた国民の長年のプラクティスの中から徐々に形成されるものと理解される。すなわち[[法の支配>リベラル・デモクラシー、国民主権、法の支配]])| |&ref(http://www35.atwiki.jp/kolia/?cmd=upload&act=open&page=%E8%8A%A6%E9%83%A8%E4%BF%A1%E5%96%9C%E3%80%8E%E6%86%B2%E6%B3%95%E3%80%80%E7%AC%AC%E4%BA%94%E7%89%88%E3%80%8F%E6%8A%9C%E7%B2%8B&file=%E6%B3%95%E6%AE%B5%E9%9A%8E%E8%AA%AC%EF%BC%88%E3%82%B1%E3%83%AB%E3%82%BC%E3%83%B3%26%E8%87%AA%E7%84%B6%E6%B3%95%E8%AB%96%E8%80%85%EF%BC%89.png)&br()※図が見づらい場合⇒[[こちら>http://www35.atwiki.jp/kolia/?cmd=upload&act=open&page=%E8%8A%A6%E9%83%A8%E4%BF%A1%E5%96%9C%E3%80%8E%E6%86%B2%E6%B3%95%E3%80%80%E7%AC%AC%E4%BA%94%E7%89%88%E3%80%8F%E6%8A%9C%E7%B2%8B&file=%E6%B3%95%E6%AE%B5%E9%9A%8E%E8%AA%AC%EF%BC%88%E3%82%B1%E3%83%AB%E3%82%BC%E3%83%B3%26%E8%87%AA%E7%84%B6%E6%B3%95%E8%AB%96%E8%80%85%EF%BC%89.png]]を参照|BGCOLOR(lavender):※①宮澤俊義(ケルゼン主義者)・②芦部信喜(修正自然法論者)に代表される&color(crimson){戦後日本の左翼的憲法学は「実定法を根拠づける“根本規範”あるいは“自然法”」を仮設ないし想定するところからその理論の総てが始まる}が、そのような&color(green){ア・プリオリ(先験的)な前提から始まる論説は、20世紀後半以降に英米圏で主流となった分析哲学(形而上学的な特定観念の刷り込みに終始するのではなく緻密な概念分析を重視する哲学潮流)を反映した法理学/法哲学(基礎法学)分野では、とっくの昔に排撃されており}、日本でも“自然法”を想定する法理学者/法哲学者は最早、笹倉秀夫(丸山眞男門下)など一部の化石化した確信犯的な左翼しか残っていない。&br()このように&color(navy){基礎法学(理論法学)分野でほぼ一掃された論説を、応用法学(実定法学)分野である憲法学で未だに前提として理論を展開し続けるのはナンセンスであるばかりか知的誠実さを疑われても仕方がない}行いであり、日本の憲法学の早急な正常化が待たれる。&br()(※なお、&color(crimson){近年の左翼憲法論をリードし「護憲派最終防御ライン」と呼ばれている[[長谷部恭男>よくわかる左翼憲法論2~長谷部恭男・追討編]]は}、芦部門下であるが、&color(crimson){&size(20){&bold(){[[ハートの法概念論>http://www35.atwiki.jp/kolia/pages/1359.html#id_53446b7f]]}}}を正当と認めて、&color(crimson){芦部説にある自然法・根本規範・制憲権といった超越的概念を明確に否定するに至っている}。)| **▼2.ハートの法概念理解(現代の世界標準の法学パラダイム) &ref(http://www35.atwiki.jp/kolia?cmd=upload&act=open&pageid=1768&file=%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%88%E3%81%AE%E6%B3%95%E4%BD%93%E7%B3%BB1.png) &ref(http://cdn35.atwikiimg.com/kolia/?cmd=upload&act=open&page=%E6%B3%95%E5%AD%A6%E3%81%AE%E5%9F%BA%E7%A4%8E%E7%9F%A5%E8%AD%98&file=%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%88%E3%81%AE%E6%B3%95%E4%BD%93%E7%B3%BB2.png) ※上記のように、&color(crimson){ハート}の&color(crimson){法=社会的ルール説}は、&color(crimson){現実の法現象について詳細で明晰な分析モデルを提供}しており、&color(crimson){特定の価値観・政治的イデオロギーに基づく概念ピラミッド}に過ぎない&color(crimson){法=主権者意思[命令]説}の法体系モデルを、&color(crimson){その説得力において大幅に凌駕}している。 ※上図について、詳細な解説は[[法と権利の本質に関する2つの考え方>http://www35.atwiki.jp/kolia/pages/1359.html#id_53446b7f]]へ。 **▼3.(参考)長谷部恭男による芦部説の否定 自然法に基礎を置く根本規範・憲法制定権力が憲法典を授権する、とする芦部説は、その門下であり近年の左翼リベラル派の護憲論(憲法改正反対論)の中心的論者となっている長谷部恭男(東大法科大学院長)によってさえ以下のように明白に否定されている。 |BGCOLOR(khaki):あえて憲法制定権力という概念を用いてこの問題-なぜわれわれは憲法を尊重すべきか-に答えようとするならば、より説得力のある途は、おそらく清宮四郎や芦部信喜がとった立場、つまり超実定的政治道徳たる根本規範によって拘束され、その授権を受けた憲法制定権力なるものを想定する途であろう。&br()・・・(中略)・・・&br()実定法体系を超える政治道徳に従い拘束されることによって正当化された憲法制定権力の行使の結果であるからこそ、現在の憲法典に従うべきことになる。&br()&br()しかし、そうであれば、むしろ憲法制定権力概念は無用の長物であって、直接に憲法典の道徳的妥当性、つまり超実定的政治道徳との整合性を論ずれば足りるのではないだろうか。&br()憲法制定権力概念そのものには憲法典を正当化する力はなく、すべての正当化の力がその背後にある政治道徳に求められるのであれば、やはり憲法制定権力を持ち出す必要はないように思われる。&br()それは不要な剰余ではないか。| |BGCOLOR(khaki):憲法制定権力は、世界の存在を証明するために措定された人格神と同等の概念である。&br()世界を創造する神という概念による世界の存在証明が筋の通ったものではありえないのと同様-(中略)-憲法制定権力は憲法の存在と妥当性について筋の通った説明を与えることはできない。| ※長谷部恭男『[[憲法の境界>http://www.amazon.co.jp/dp/4904702026/]]』p.11およびp.22より抜粋 ---- *■4.ご意見、情報提供 - 芦部信喜vs佐藤幸治 http://togetter.com/li/421322 -- 名無しさん (2013-07-29 08:13:54) #comment #include_cache(政治理論・共通)
&include_cache(芦部信喜・憲法論★撃墜編~よくわかる左翼憲法論Ⅰ)

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