臣民の道1

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***◇1.目次 |序言| |第一章 世界新秩序の建設| |一、世界史の轉換| |二、新秩序の建設| |三、國防國家體制の確立| |第二章 國體と臣民の道| |一、國體| |二、臣民の道| |三、祖先の遺風| |第三章 臣民の道の實踐| |一、皇國臣民としての修練| |二、國民生活| |結語| ***◇2.序言 &size(12){&color(green){↓本文はここをクリックして表示}} #region | 皇國臣民の道は、國體に淵源し、天壤無窮の皇運を扶翼し奉るにある。それは抽象的規範にあらずして、歴史的なる日常實踐の道であり、國民のあらゆる生活・活動は、すべてこれ偏に皇基を振起し奉ることに歸するのである。| | 顧みれば明治維新以來、我が國は廣く知識を世界に求め、よく國運進展の根基に培つて來たのであるが、歐米文化の流入に伴なひ、個人主義・自由主義・功利主義・唯物主義等の影響を受け、ややもすれば我が古來の國風に悖り、父祖傳來の美風を損なふの弊を免れ得なかつた。滿洲事變發生し、更に支那事變起こるに及んで、國民精神は次第に昂揚して來つたが、なお未だ國民生活の全般に亙つて、國體の本義、皇國臣民としての自覺が徹底してゐるとはいひ難きものがある。ともすれば、國體の尊厳を知りながらそれが單なる觀念に止まり、生活の實際に具現せられざるものあるは深く憂ふべきである。かくては、我が國民生活の各般に於いて根強く浸潤せる歐米思想の弊を芟除し、眞に皇運扶翼の擧國體制を確立して、曠古の大業の完遂を期することは困難である。ここに於いて、自我功利の思想を排し、國家奉仕を第一義とする皇國臣民の道を昂揚實踐することこそ、當面の急務であるといはねばならぬ。| #endregion ***◇3.第一章 世界新秩序の建設 ****▲1.世界史の転換 &size(12){&color(green){↓本文はここをクリックして表示}} #region | 近世初期以來數百年に亙つて、世界人類を個人主義・自由主義・唯物主義等の支配下に置いた舊秩序は、いまや崩壞の一途を辿り、未曾有の世界的變動の中に、新秩序の建設は刻々に進行してゐる。この世界新秩序の意義を明確にするためには、先ず世界近世史に就いてその大要を瞥見しなければならぬ。| | 近世史は一言にしていへば、歐洲に於ける統一國家の形成と、これらの間に於ける植民地獲得のための爭覇戰との展開である。即ち近世初期にアメリカ大陸が發見せられ、それに引き續いて歐洲諸國民は支那・インド等の遥かなる東亞の地へも、大洋の波を凌いで盛んに來航することとなつた。而してその全世界への進出は、やがて政治的・經濟的・文化的に世界を支配する端緒となり、彼らは世界をさながら自己のものの如く見なし、傍若無人の行動を當然のことのやうに考へるに至つた。| | この侵略を歐洲以外の諸國はただ深い眠りの中に迎へた。南北アメリカもアフリカも、オーストラリヤも印度も、武力を背景とする強壓と、宗敎を手段とする巧妙なる政策とによつて、瞬く間に彼らの手中に歸した。阿片戰爭によつてその弱體を暴露した支那もまた、忽ちにして彼らの蠶食の地と化するに及んだ。我が國は、室町時代末より安土桃山時代にかけて、先ずポルトガル・イスパニア等の來航に接し、後に鎖國政策によつて一時の静安を得たけれども、幕末に至りイギリス・フランス・アメリカ・ロシヤ等の來航漸く繁きに會し、神洲の地もまた安からざるものがあつた。| | 元來歐洲諸國民の世界進出は冒險的興味の伴つたものであつたとはいへ、主として飽くなき物質的欲望に導かれたものである。彼らは先住民を殺戮し、或ひはこれを奴隷とし、その地を奪つて植民地となし、天與の資源は擧げて本國に持ち返り、或ひは交易によつて巨利を博した。されば彼らの侵略は世界の至る所に於いて天人共に許さざる暴擧を敢へてし、悲慘事を繰り返したのである。アメリカ-インディアンはいかなる取り扱ひを受けたか。アフリカの黒人は如何。彼らは白人の奴隷として狩り集められ、アメリカ大陸に於いて牛馬同様の勞役に從事せしめられたのである。このことは大東亞共榮圏内に於ける諸地方の被征服過程と現状とに就いて見ても、思い半ばに過ぎざるものがあらう。而して西暦十八世紀末より十九世紀にかけての歐洲に於ける産業革命は、彼等の世界支配の勢いを劃期的に飛躍せしめたことはいふまでもない。機械の發明による工業の發達は、夥しい原料を要求すると共に、その莫大な製品を売り捌く海外市場を必要とした。彼らは愈々盛んに原料の獲得と製品のはけ口とを植民地に求めた。やがて勢いの趨くところ、彼ら同志の間に熾烈なる植民地爭奪や貿易競爭が起こり、かくして弱肉強食の戰いを繰り返したのである。近世に於けるイスパニヤ・ポルトガル・オランダ・イギリス・フランス等の間の戰爭や勢力消長史は、海外侵略と密接な關係のないものはない。かかる弱肉強食的世界情勢の形成は、やがてその矛盾を擴大し、ついに西暦1914年の世界大戰の勃興を見ることとなつた。| | 世界大戰は、獨佛間の歴史的仇敵關係も與つてはいるが、主として英獨の制海權の爭奪、經濟制覇の鬪爭がその原因となつてゐる。而して戰爭の結果戰敗國ドイツは徹底的重壓を加へられて滅亡の淵に逐はれ、英佛米の獨占的世界支配が愈々強化せられた。民族自決の美名の下に弱小國家が戰後の歐洲地圖を彩つたけれども、それ等は要するに英佛米の世界制覇の堡壘たる役割りを擔ふものであつた。所謂正義人道はただ彼等の利己的立場を正當化する手段に過ぎなかつたのである。| | 近世初期以來西洋文明の基調をなした思想は、個人主義・自由主義・唯物主義等である。この思想は弱肉強食の正當視、享樂的欲望の際限なき助長、高度物質生活の追及となり、植民地獲得及び貿易競爭を愈々刺戟し、これが因となり果となつて世界を修羅道に陥れ、世界大戰といふ自壞作用となつて現れたのである。されば大戰後彼等の間からも西洋文明沒落の叫びが起こつたのは、當然のことといはねばならぬ。英佛米等があらゆる手段方法を講じて現状維持に狂奔し、また共産主義の如き徹底的なる唯物主義に立脚して階級鬪爭による社會革命を企圖する運動が熾烈となつた一方では、ナチス主義・ファッショ主義の勃興を見るに至つた。この獨伊に於ける新しい民族主義・全體主義の原理は、個人主義・自由主義等の幣を打開し匡救せんとしたものである。而して共に東洋文化・東洋精神に對して多大の關心を示してゐることは、西洋文明の將來、ひいては新文化創造の動向を示唆するものとして注目すべきことである。| | かくて世界史の轉換は舊秩序世界の崩壞を必然の歸趨たらしむるに至つた。ここに我が國は道義による世界新秩序の建設の端を開いたのである。| #endregion ****▲2.新秩序の建設 &size(12){&color(green){↓本文はここをクリックして表示}} #region | 滿洲事變は、久しく抑壓せられていた我が國家的生命の激發である。この事變を契機として、我が國は列強監視の中に、道義的世界の創造。新秩序建設の第一歩を踏み出した。蓋しこれ悠遠にして崇高なる我が肇國の精神の顯現であり、世界史的使命に基づく國家的生命の已むに已まれぬ發動であつた。| | 我が國の地位は明治三十七八年戰役によつて一躍世界的となつた。この戰役は、ロシヤの東亞進攻態勢によつて獨立を脅威せられた我が國が、擧國一致、眞に國運を賭して立つた自衛のための戰いであつたが、その世界史的意義は極めて重大であつた。即ち歐洲の大強國帝政ロシヤが東洋支配の最後の一線に於いて、渺たる東海の一島國とのみ見られていた日本のために、圖らずも手強い反撃に遭い、歐米勢力の世界支配の體制はここに一轉するの兆しを示すに至つた。而して我が國の勝利は、全世界の耳目を慫動し、ひいては歐米の勢力下に慴伏を餘儀なくせられていた亞細亞諸國の覺醒を促し、獨立運動の氣運を喚起することとなつた。かくて印度をはじめ、トルコ・アラビヤ・泰・安南その他の諸國は歐米の羈絆を脱せんとの希望に燃え、支那の新しい民族運動にも強い刺戟となつた。かかる澎湃たる亞細亞の覺醒の氣運の中に我が國民は東亞の安定を確保することが日本の使命であり、東亞諸地方を解放することは、懸かつて日本の努力にあることを痛切に自覺したのである。| | 我が國は明治維新以來、開國進取の國是の下に鋭意西洋文物の摂取に努めその間多少の波瀾があつたとはいへ、よくこれ等の長を採つて國運進展の根基に培い、營々として國力充實に邁進して來たのである。殊に明治二十七八年竝びに三十七八年戰役に於いて國威を海外に宣揚し、更に世界大戰を經て世界の強大國に躍進した。諸般の文物制度は顯著なる發達を遂げ、敎育の普及、學術の進歩、産業の發達、國防の充實等、あらゆる方面に於いてその面目を一新し、ここに我が國は名實共に東亞の安定勢力たるの地位を確立するに至つた。| | かかる我が國運の隆々たる發展伸張は、東亞の天地を併呑せんとする歐米諸國をして深く嫉視せしめ、その對策として彼等は、我が國に對して或ひは經濟的壓迫を加へ、或ひは思想的攪亂を企て、或ひは外交的孤立を策し、以つて我が國力の伸張を挫かんとした。このことは同時に東亞をしてその自主性を喪失せしめ、永遠に彼等の傀儡たらしめんとするものに外ならない。| | 世界大戰の歸結たる所謂ベルサイユ體制は、戰敗國ドイツに徹底的重壓を加へると共に、英佛米による世界支配を強化せんとするものであつたといふことが出來る。而してベルサイユ條約成立後、國際聯盟を中心とする彼等の對日攻勢は愈々執拗となり、大正十年より翌十一年に亙るワシントン會議に於いては、國運の進展に必須の推進力たる軍備の削減を意圖して、主力艦の噸數に於ける比率を定めることによつて、我が海軍力に對する彼等の優位を確保せんとした。それのみならず、四國條約によつて太平洋上の島嶼の安全保障に名を藉りて我が國防を脅かし、また九國條約によつて支那に對する彼等の權益を擁護し、かつ我が大陸への發展を妨げんと企てた。彼らはこれに飽くことなく、更に昭和五年のロンドン會議に於いては補助艦艇の比率をも制限し、我が海軍力を英米に對して絶對的劣位に釘付けせんとした。これ我が國が東亞勃興の推進力としての地位に躍進するを阻まんとせるものに外ならない。またこれに前後してアメリカは、我が海外移民の入國を制限または禁止する等の處置に出でた。かく諸方面に於いて、我が國の發展を阻止せんとする策謀が續けられたのである。| | かかる太平洋を周る諸情勢の逼迫につれて、東亞に於ける我が國の立場も急迫せる事態に直面することとなつた。即ち支那は歐米諸國の對日壓迫の勢いを利用してその經濟的支援を得、またソ聯との接近を圖り、かつ我が國力を過小に評価して日本與し易しとなし、同胞の血と肉とによつて確立せられた滿洲に於ける地位を蹂躙して、我が生命線を脅かすに至つた。かくて昭和六年九月、滿洲事變の勃發をみたのである。| | 世界史は滿洲事變を以つて新しき頁を書き始められた。世界の視聴は東洋の一角に集まり、英米勢力を中心とする國際聯盟はあらゆる手段を弄して妨害に乘り出した。併しながら我が國の堅き決意は、滿蒙三千萬民衆の運命を擔つて事變の完遂に邁進し、昭和七年には滿洲國の輝かしい誕生となつたのである。而して滿洲國は王道樂土・民族協和を理想として逐年迅速かつ健全に生長を續け、日滿一體の實愈々鞏固なるものがある。| | 多民族の搾取と犧牲とによつてその繁榮を續けんとする歐米諸國は、滿洲建國によつて大な脅威を感じ、國際聯盟を利用して飽くまで我が國に不當の制裁を加へんと狂奔した。所謂リットン報告書は専らそのための準備であり、聯盟は道義的世界を顯現せんとする我が意圖を蹂躙せんとした。ここに於いて我が國は遂に意を決し、昭和八年三月、國際聯盟を脱退するに至つたのである。國際聯盟脱退に關する詔書には、| |  今次滿洲國ノ新興ニ當リ帝國ハ其ノ獨立ヲ尊重シ健全ナル發達ヲ促スヲ以テ東亞ノ禍根ヲ除キ世界ノ平和ヲ保ツノ基ナリト為ス然ルニ不幸ニシテ聯盟ノ所見之ト背馳スルモノアリ朕乃チ政府ヲシテ慎重審議遂ニ聯盟ヲ離脱スルノ措置ヲ採ラシムルニ至レリ | |と仰せられてある。國際聯盟は畢竟名を世界の公論に藉りて、英佛等の世界大戰によつて獲得せる利權を護り、その現状を維持せんとする機關に堕し了はつたのである。我が國はかかる桎梏を敢然として摧破した。而も我が國の決意と武威とは、彼等をして何らの制裁にも出づること能はざらしめた。我が國が脱退するや、聯盟の正體は世界に暴露せられ、ドイツも同年秋に我が跡を追うて脱退し、後れてイタリヤもまたエチオピヤ問題に機を捉らへて脱退の通告を發し、國際聯盟は全く虚名のものとなつた。かくして我が國は昭和六年の秋以來、世界維新の陣頭に巨歩を進め來つてゐる。| | 我が國は滿洲國と協力して日滿一體の實を擧げてゐるが、東亞全般の新秩序を建設するには、支那との心からなる提携協力を必要とする。蓋し日滿支が一體となつてこの理想の實現に邁往してこそ、東洋の平和は確立せられ、ひいては世界の平和にも寄與し得るのである。北清事變以來擡頭し來つた支那の民族運動は、明治三十七八年戰役以來の我が國の目覺しき躍進に刺戟せられて急激に高まつたが、それは歐米の搾取と暴壓との桎梏を打破し、半植民地的地位を脱出して、大東亞共榮圏の一翼としての新しき支那の建設に向かふべきであつた。然るにその運動は、日支提携による東亞の自主的確立を欲せざる歐米諸國竝びにコミンテルンの畫策に乘ぜられ、却つてこれ等勢力に依存することとなり了はつた。かくして不幸にも根本方針を誤つた一部指導者は、抗日救國の名の下に一般民衆に對して多年に亙り執拗に抗日敎育を施し、ここに排日侮日の風潮は全支に瀰漫し、滿洲事變を經て日支の國交は愈々危機に瀕するに至つた。| | 昭和十二年七月、蘆溝橋に發した日支衝突事件に際しては、我が國は東亞の安寧のため、現地解決、不擴大方針を以つて臨み、隠忍自重して彼の反省を待つたのである。然るに支那は飽くまで我が實力を過小に評価し、背後の勢力を恃みとして、遂に全面的衝突にまで導いた。かくて硝煙は大陸の野を蔽い、亞細亞にとつて悲しむべき事態が展開せられるに至つたのであるが、事ここに及んでは我が國は事變の徹底的解決を期し、新東亞建設の上に課せられた嚴肅なる皇國の使命の達成に一路邁進しなければならぬ。天皇陛下には、ここに深く御軫念あらせられ、支那事變一周年に當たり下賜せられたる勅語に、| |  惟フニ今ニシテ積年ノ禍根ヲ斷ツニ非ズムバ東亞ノ安定永久ニ得テ望ムベカラザル日支ノ提攜ヲ堅クシ以テ共榮ノ實ヲ擧グルハ是レ洵ニ世界平和ノ確立ニ寄與スル所以ナリ| |と昭示し給ひ、國民の向かふべきところを諭し給ふた。まことに支那事變の目的は支那の蒙を啓き、日支の提携を堅くし、共存共榮の實を擧げ、以つて東亞の新秩序を建設し、世界平和の確立に寄與せんとするにある。| | 事變始まつて既に五星霜、御稜威の下この大なる使命を負うて、忠勇なる皇軍將兵は、嚴寒を冒し、酷熱を凌ぎ、陸に海に空に奮戰力鬪して赫々たる武勲を輝かし、また銃後の國民は擧國一體よく奉公のまことを致してゐるのである。而して支那には既に新政權確立し、新しき支那の建設は漸くその緒に就いた。即ち昭和十五年十一月、南京の國民政府との間に日華基本條約竝びに附屬議定書の正式調印を見た。これによれば兩國政府は、「兩國相互ニ其ノ本然ノ特質ヲ尊重シ東亞ニ於テ道義ニ基ク新秩序ヲ建設スルノ共同ノ理想ノ下ニ善隣トシテ緊密ニ相提携シ以テ東亞ニ於ケル恆久的平和ヲ確立シ之ヲ核心トシテ世界全般ノ平和ニ貢獻センコトヲ希望」するものであり、これがために兩國は政治・外交・敎育・宣傳・交易等諸般に亙り相互に兩國間の好誼を破壞するが如き措置及び原因を撤廢し、かつ將來もこれを禁絶すると共に、政治・經濟・文化等各般於いて互助敦睦の手段を講ずべき旨を協定したのである。同時にまた日滿華三國共同宣言が發表せられ、相互の主權及び領土の尊重、互惠を基調とする三國間の一般提携、特に善隣友好・共同防共・經濟提携の實を擧げること、及びそのために必要なる一切の手段を講ずること等が宣言せられた。| | これより前、昭和十五年九月、日獨伊三國の間に條約が締結せられるに當り、天皇陛下には詔書を渙發あらせられ、| |  大義ヲ八紘ニ宣揚シ坤輿ヲ一宇タラシムルハ實ニ皇祖皇宗ノ大訓ニシテ朕ガ夙夜眷々措カザル所ナリ而シテ今ヤ世局ハ其ノ騒亂底止スル所ヲ知ラズ人類ノ蒙ルベキ禍患亦將ニ測ルベカラザルモノアラントス朕ハ禍亂の戡定平和ノ克復ノ一日モ速カナランコトニ軫念極メテ切ナリ乃チ政府ニ命ジテ帝國ト其ノ意圖ヲ同ジクスル獨伊兩國トノ提攜協力ヲ議セシメ茲ニ三國間ニ於ケル條約ノ成立ヲ見タルハ朕ノ深く懌ブ所ナリ惟フニ萬邦ヲシテ各々其ノ所ヲ得シメ兆民ヲシテ悉ク其ノ堵ニ安ンゼシムルハ曠古ノ大業ニシテ前途甚ダ遼遠ナリ爾臣民益々國體ノ觀念ヲ明徴ニシ深ク謀リ遠ク慮リ協心戮力非常ノ時局ヲ克服シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼セヨ| |と宣はせられた。日本の世界史的使命は實にこの聖旨に拜して昭らかである。而してこの條約の根本精神は、その前文の冒頭に見る如く、萬邦をして各々その所を得しむるを以つて恆久平和の先決條件とするところにある。ここに我が國の東亞に於ける指導的地位は愈々不拔のものとなり、八紘を掩いて宇となす我が肇國の精神こそ、世界新秩序建設の基本理念たるべきことが愈々明確になつたのである。| | 支那事變は、これを世界史的に見れば、我が國による道義的世界建設の途上に於ける一段階である。世界永遠の平和を確保すべき新秩序の建設は、支那事變の處理を一階梯として達成せられる。從つて、支那事變は、蒋介石政權の打倒を以つて終はるべきものではない。我が國としては、支那を誤らしめた東亞に於ける歐米勢力の禍根を芟除し、大東亞共榮圏の一環としての新しき支那の建設に協力し、東亞竝びに世界が道義的に一つに結ばれるまでは、堅忍不拔の努力を必要とする。日獨伊三國條約の締結も、世界平和の克服を目的とするものに外ならない。この意味に於いて、我が國は二重三重の責務を世界に對して負うてゐるのである。即ち政治的には歐米の東洋侵略によつて植民地化せられた大東亞共榮圏内の諸地方を助けて、彼等の支配より脱却せしめ、經濟的には歐米の搾取を根絶して、共存共榮の圓滑なる自給自足經濟體制を確立し、文化的には歐米文化への追隨を改めて東洋文化を興隆し、正しき世界文化の創造に貢獻しなければならぬ。東洋は既に數百年に亙つて破壞せられて來た。その復興が既に容易の業ではない。更に新秩序を確立し新文化を創造するには、非常の困難が伴ふことは必然である。この困難を克服してこそ、眞に萬邦協和し、萬民各々その所を得るに至るべき道義的世界の確立に寄與し得る。まことに國史を一貫して具現せられ來つた肇國の精神は、さきに滿洲事變、更にまた支那事變を契機として世界史轉換の上に大なる展開を示すに至つたのである。| #endregion ****▲3.国防国家体制の確立 &size(12){&color(green){↓本文はここをクリックして表示}} #region | 世界新秩序の建設は、漸くその第一歩を踏み出したのみである。現状維持の自由主義的民主主義國家の一群は、これに對して相結んで必死の妨害を試みてをり、またその諸植民地は、彼等の術策により未だ歐米依存の迷夢から醒めきれぬ。まことに大業の前途はなお遼遠であつて、その行路は決して坦々たるものではない。あまねく世界人類をその堵に安んぜしめんとする我が國の責務は、尋常一様の覺悟を以つてしては到底果たすことが出來ぬ。この難局を突破するためには、國内の諸組織や機構も速やかに更新強化せられねばならない。これ國内新體制の確立が要望せられる所以である。| | 我が國は、近くは明治維新に際し擧國一致の體制を整へて外敵の侵攻を斥け、爾來國力を充實して富國強兵の實を擧げ、明治二十七八年竝びに三十七八年戰役の國難をも克服することが出來た。併しながら明治以來歐米文物の輸入に急なる餘り、ややもすれば本を忘れて末に趨り、我が古來の國風に悖るが如き餘弊を胎すに至つた。かくて明治三十七八年戰役は一般民心の弛緩を來たし、殊に世界大戰は未曾有の好景氣を齎して軽佻奢侈の風が瀰漫し、個人主義・自由主義・功利主義等の病弊が顯著となり、この間隙に乘じて赤化思想の流入もあり、時に我が國體の本義、肇國の精神を没却するものも出づるに至つた。綱紀の弛緩、思想の動搖、國防の輕視等、各方面に憂ふべき状態を呈したのである。偶々大正十二年九月、關東大地震が起こつたが、この災害も國民の反省と戒愼とを促すには足らなかつた。この時、國民精神作興に關する勅語を下賜あらせられた聖慮の程、ただただ恐懼に堪へぬ次第である。日本精神に還れとの痛烈なる叫びが國民の間から起こり來つたのは恰もこの頃からである。| | やがて滿洲事變が勃發し、一般國民も緊迫せる四圍の情勢に目覺めて來た。更に支那事變の發生を見るに及び、國内體制も時局の推移に伴つて漸次革新せられ來つたのである。併しながら國民各層に深く浸潤せる弊習は俄かに拂拭すべからざるものがあり、事變初期に於いては國民の多くはかくまで大規模の戰ひなるとは考へず、まして世界史的意義に就いては認識を欠くものが少なくなかつた。然れども時局の進展は、我が國の使命の重大なるを明瞭ならしむると共に、國民を擧げて一國の偸安をも許さざる未曾有の難局に直面せるを覺らしむるに至つたのである。今後如何なる事態が發生するにしても、これに對し擧國一體となつて敢然その難に當るべき十分の覺悟と萬全の準備とを整へ、いかなる試煉にも堪へて飽くまで不動の國是の貫徹に邁進しなければならぬ。即ち政治・經濟・分化・敎育等國民生活のあらゆる領域に亙り、眞に擧國一致の體制を確立するすることこそ國家の焦眉の急務である。| | 凡そ國防は國家の存立上必須の要件である。國防なき國家の如きは空想の世界のことに屬する。國防の完全なると否とは實に國家存亡の岐かれるところであり、これを忘れて國家の生成發展は到底望むべくもない。されば新體制確立の具體的目標は、高度國防國家體制の整備にあり、國家總力戰體制の強化にある。| | もと國防は武力戰に對する軍備を意味してゐた。少なくとも世界大戰に至るまでは、各國共にこの古い國防觀念に立脚して、軍備の充實を以つて直ちに國防の強化と考へ、戰爭は武力戰に終始したのである。然るに世界大戰が進行するに從つて兵器・弾藥・軍需資材等の甚だしき消耗は國内生産力の擴充を促して、戰線と銃後とが緊密に結合すると共に、外交戰・經濟戰・思想戰・科學戰等が武力戰と一體となり、あらゆる國家活動が直接戰爭に參加することとなつた。かくて戰爭は國家總力戰であり、戰線と銃後との別なく、國民全部が戰爭に從事してゐることを如實に感ぜしめたのである。總力戰體制に立脚するにあらざれば眞の勝利を獲ることは出來ない。たとひ武力戰に勝を制するとも經濟戰・思想戰等に敗北するならば、結局戰敗の苦汁を嘗めなければならぬ。その好例はこれを世界大戰に於けるドイツに見るのである。| | 戰爭の本質が武力戰から總力戰へと變化し來たるに伴ない、戰時と平時との境も明らかでなくなつた。世界が平和を謳歌してゐる時にも、その背後には各國の間に經濟戰・思想戰等熾烈なる鬪爭が續けられてゐる。平常より國家國民の總力が國家目的に集結統合せられ、最高度の機能を發揮し得るが如くに組織運營せられてゐるのでなければ、弋を執らずして既に敗退してゐるのである。若し國家の諸機構が支離滅裂となり、政治的には黨派が互ひに相剋對立し、經濟的にはその運營が個人の恣意と自由競爭とに放任せられて國家目的から遠ざかり、文化的にも學術・芸能・諸施設等がほとんど國家に貢獻するところなく更に國體に背き國民の志氣を頽廢せしめるが如き思想の横行するままに委ねられてゐるならば、國家とは名のみである。今次のドイツの目覺しき活躍は、決して高度性能の機械化軍備の威力のみよるものではない。平時にあつてそれを支へ、それを動かしてゐる旺盛なる國民精神と國民の熱烈なる國防への協力との賜なのである。換言すれば、よく擧國一致して國内諸般の體制を統一的に組織運營し、平時戰時を一貫して總力戰體制を充實し來つたによるものである。| | 今次歐洲大戰以來列強は競つて總力戰體制を採り、その強化に努めてゐる。英米等の民主主義國家も高度國防國家體制の整備を急いでいる。我が國は大東亞共榮圏の指導者として、また根本的には世界を道義的に再建すべき使命に鑑み、速やかに總力戰體制を完備し、以つて我が國是の遂行に邁進しなければならぬ。紀元二千六百年の紀元の佳節に當たり發せられた詔書には、| |  爾臣民宜シク思ヲ神武天皇ノ創業ニ聘セ皇國の宏遠ニシテ皇謨ノ雄深ナルヲ念ヒ和衷戮力益々國體ノ精華ヲ發揮シ以テ時難ノ克服ヲ致シ以テ國威ノ昂揚ニ勗メ祖宗ノ神靈ニ對ヘンコトヲ期スベシ| |と諭し給ふてゐる。而して我が國の總力戰體制強化の目的は、偏に皇運を扶翼し奉るところにあり、それは全國民がその分に応じ各々臣民の道を實踐することによつて達せられる。ソ聯は共産主義による世界制覇を目的とし、階級的獨裁による強權の行使を手段としてゐる。ドイツは血と土との民族主義原理に立つて、アングロ-サクソンの世界支配、ドイツ壓迫の現状を打破し、民族生存權の主張に重點をおき、そのためにナチス黨の獨裁に對する國民の信頼と服從とを徹底せしめ、全體主義を採用してゐるのである。イタリヤは大ローマ帝國の再現を理想とし、方法に於いてはドイツと異なるところなく、ファッショ黨の獨裁的全體主義に立脚してゐる。これ等に對し我が國は肇國以來、萬世一系の天皇の御統治の下に、皇恩は萬民に洽く、眞に一國一家の大和の中に生成發展を遂げて來たのであり、政治・經濟・文化・軍事その他百般の機構は如何に分化しても、すべては天皇に歸一し、御稜威によつて生かされ來つたのである。我が國家の理想は八紘を掩いて宇となす肇國の精神の世界的顯現にある。我が國の如く崇高なる世界史的使命を擔つてゐる國はない。されば新體制を樹立し國防國家體制を確立するといふも、一に我が國體の本義に基づき、固有の國家體制を生かして萬民輔翼の我が國本然の姿に還り、以つて我が國力の運用を萬全ならしめ、その總力の發揮に遺憾なきを期することに外ならぬ。もとより制度や組織・方法・技術等は虚心坦懷に他の長を採るとしても、核心は飽くまで本來の面目に反省し、その發揚に努るにある。| #endregion ***◇4.第二章 国体と臣民の道 ****▲1.国体 ※省略 ****▲2.臣民の道 ※省略 ****▲3.祖先の遺風 ※省略 ***◇5.第三章 臣民の道の実践 ****▲1.皇国臣民としての修練 ※省略 ****▲2.国民生活 ※省略 ***◇6.結語 &size(12){&color(green){↓本文はここをクリックして表示}} #region | 世界の歴史は變轉して止むことなく、諸國家の隆替興亡は常なき有様である。ひとり我が國のみ、肇國以來萬世一系の天皇の御稜威の下、臣民はよく忠によく孝に奉公のまことを致し、ひたすら發展を續け隆昌を重ねて今日に及んだ。而して今や我が國は、世界史上空前の深刻激烈なる動亂の間に處して未曾有の大業を完遂すべき秋に際會してゐる。まこと支那事變こそは、我が肇國の理想を東亞に布き、進んでこれを四海に普くせんとする聖業であり、一億國民の責務は實に尋常一様のものではない。即ちよく皇國の使命を達成し、新秩序を確立するは前途なほ遼遠といふべく、今後更に幾多の障碍に遭遇することあるべきは、もとより覺悟せねばならぬ。| | 今こそ我等皇國臣民は、よろしく國體の本義に徹し、自我功利の思想を排し、國家奉仕を第一義とする國民道德を振起し、よく世界の情勢を洞察し、不撓不屈、堅忍持久の確固たる決意を持して臣民の道を實踐し、以つて光輝ある皇國日本の赫奕たる大義を世界に光被せしめなければならぬ。| #endregion

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