死刑存廃論の是非

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死刑存廃論の是非 - (2015/08/10 (月) 21:14:15) のソース

*はじめに
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我が国の刑罰には死刑がある。この死刑を廃止すべきか否かが取りざたされている。
本稿では死刑存廃論におけるありとあらゆる角度で議論をする。

//*死刑廃止論者=反日?
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//当サイトにおいて、死刑廃止論者であるという理由で反日・売国実績扱いされていましたが、
//死刑廃止論者が必ずしも反日主義者であるという証左はありません。
//従いまして反日であるという理由に「死刑廃止論者」という文言を削除いたしました。
//ちなみに「[[左翼キャスター・コメンテーターリスト]]」で指定されている大谷昭宏氏は、かなり強硬な死刑存続派です。
//当サイトで非難の対象になっている死刑廃止論者が問題になっているのは、彼らが「犯罪者を必要以上に擁護する・犯罪者に同化する」ところです。
//なお死刑廃止論を唱える団体・国際アムネスティも死刑廃止論を唱えているが、決して凶悪犯罪を容認・看過しておりません。 
//(もし凶悪犯罪を容認するようなことがあるならば、とうの昔に「反日組織」として糾弾されているはずです。)
//↑このロジックは反原発にも適用できてしまう(死刑問題で名の挙がる亀井静香・河村たかし両氏の他西尾幹二・竹田恒泰両氏らも反原発であることを根拠にして)
*死刑存廃論を語る上で忘れてはならない「柱」
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-[[ふらっと -死刑制度を考える-原田正治さん>http://www.jinken.ne.jp/other/harada/harada2.html]]
原田正治氏は、殺人事件の被害者遺族でありながら、死刑廃止を唱えています。これはものすごく珍しいケースです。
しかしそんな原田氏は、日本で繰り広げられている死刑廃止運動に疑義を唱えています。2009年11月22日の「サンデープロジェクト」の「シリーズ民主政権への提言VI 「死刑制度を問う」」において、「日本の死刑廃止運動は、加害者の人権を重きにおいている。被害者の人権を考慮して初めて議論が出来る。」旨の発言をしました。
日本は確かに戦前、被疑者・加害者の人権をないがしろにしました。それに怒って脱獄を図った被疑者までいたほどです。しかし戦後は被疑者・加害者に対する人権を配慮するようになりましたが、あまりにも被疑者・加害者の人権を重きに置きすぎたため、[[光市母子殺害事件>光市母子殺害事件の正体]]の被害者遺族の本村洋氏らによって、被害者遺族の人権を置き去りにされているとの旨の主張がなされるようになりました。しかし「盆の上の豆」よろしく両極端にブレる動きに対して、ビートたけし氏によって「SAPIO」において疑義を唱える投稿がなされました。
もし仮に死刑存廃論を唱えるならば、最低限被害者の人権を考慮しないで行うことは、とても危険です。また死刑執行の実態を知らずに、手放して「なんとなく」賛成するのも非常に危険です。それは「バスに乗り遅れるな!」といって[[大東亜戦争>大東亜戦争への経緯]]に突き進んだのとまったく同じ構造です。
現に死刑廃止派であった弁護士が、家族や同僚を失うや否や一転して死刑賛成派に転ずるケース、また冤罪ゆえ私的感情論で死刑廃止を唱えた元死刑囚の例が見られますので、もう少し冷静な視点を持ったうえで語るべきです。

*死刑存続論者と廃止論者の主張
**「冤罪があるかもしれないから、死刑を廃止すべきだ」
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***死刑廃止論者主張は以下の通りである。
> 理性は不完全である。ゆえに、裁判官の判断には誤りが伴う。そして、人は死ぬと二度と生き返らない。
> 以上のことを鑑みると、もしも冤罪に基づいて死刑判決が下り執行されたら取り返しがつかない。
> 取り返しがつかないことが起こりうるものは廃止すべきである。ゆえに、死刑は廃止すべきである。
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***それに対し死刑存続論者の主張は
確かに理性は不完全であり、冤罪の可能性はあり得る。しかし、理性の不完全性を根拠にするならば、死刑のみならずあらゆる文明の営みを廃止せねばならなくなる。
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例えば、航空機などをいくら点検しても故障する可能性は決して無くならない。なぜなら、理性が不完全であるために杜撰な点検をしてしまうかもしれないからだ。もしも航空機が墜落すれば、たいてい乗員・乗客のうちの誰かが死ぬだろう。ゆえに、「冤罪なのに死刑に処される」ことと「航空事故に会って死ぬ」ことはどちらも「死ぬ」という点が共通している。そして「取り返しがつかない」という点も共通している。
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「取り返しがつかないことが起こりうるものは廃止すべきだ」というならば、死刑のみならず航空機も廃止せねばならなくなる。それどころか、政治・経済・医療・建築などのあらゆる文明の営みを廃止せねばならなくなる。もっと言うと、そもそも「人が死ぬ」ためには生きていなくてはならない。死んでいる状態からさらに死ぬことはできないし、生まれてもいない状態から死ぬこともできない。だから、「生きている」だけで取り返しがつかないこと(死ぬこと)が起こり得るわけだ。では、「『生きること』を廃止せよ」とでもいうのだろうか。
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これまでのことを鑑みると、「取り返しがつかないことが起こりうるもの」は「直ちに廃止する」のではなく、「取り返しがつかないことがなるべく起こらないようにする」ことを先にすべきだといえる。つまり、「取り返しがつかないことが起こる」確率を限りなくゼロに近づけるということが先なのである。もしも、その確率がどんなことをやっても高いまま維持されてしまうならば死刑を廃止してもよいだろう。しかし、現在の司法では冤罪死刑を防ぐために三審制や再審請求などの制度が採用されているではないか。
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以上のことから、冤罪の可能性を根拠にした死刑廃止論は、成り立たない。

**「死刑執行人の苦悩を抱えるから死刑を廃止すべきだ」
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***死刑廃止論者の主張主張は以下の通りである。
> たいていの死刑執行の場合、執行する刑務官は死刑囚に対し何の恨みも持っていない。
> それにもかかわらず、刑務官は死刑を執行せねばならないのが現状である。ゆえに、刑務官は、苦悩を抱えてしまう。
> 人が苦悩を抱えるような制度は廃止すべきである。ゆえに、死刑は廃止すべきである。
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***それに対し死刑存続論者の主張は
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確かに死刑執行人は苦悩を抱えるだろう。しかし、「死刑執行人が苦悩を抱える」という結果を作った原因は「死刑制度が存在すること」だけではない。なぜなら、一つの結果には複数の原因があるからだ。例えば、「誰かが死刑に値するような罪を犯すこと」も原因の一つではないか。
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さらに、「誰かが苦悩を抱えること」の原因を「制度の存在」に求めた上で「廃止せよ」というならば、民主制も廃止せねばならなくなる。民主制は、多数決が原則である。多数決の欠点として、「少数派の意見が通らない」という点が挙げられる。誰でも、自分の意見が通らなければ苦悩を抱えるだろう。だからといって、「民主制を廃止せよ」と言えるだろうか。
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|少なくとも、我が国では少数派の苦悩をやわらげるために法律を天皇が公布している。天皇という権威ある人物が法律を公布することによって、少数派にとっては、「天皇がお認めになるならば仕方が無い」と考え、あきらめがつくのだ。つまり、「誰かが苦悩を抱える」ならば苦悩を抱えなくて済むような方法を考えればよいのであって、「直ちに廃止する」というのはあわただしすぎるだろう。死刑執行に関しても、苦悩を抱えない方法は考えられる。
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例えば、「被害者の遺族が執行する」「電話がかかると自動的に死刑が執行される装置を設置し、その電話番号を国民に公開する」「死刑囚が縄を首にかけると、センサーがそれを感知し、数秒後に自動的に執行される」など。
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以上のことから、死刑執行人が苦悩を抱えることを根拠とする死刑廃止論は成り立たない。

**「全ての人には生存権がある。ゆえに、死刑は廃止すべきである」
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***死刑廃止論者の主張は、以下の通りである。
> 全ての人には人権がある。そして、人権の一つとして生存権がある。いかなる人の生存権でも侵してはならない。
> 死刑は、生存権を侵すものだ。ゆえに、死刑は廃止すべきである。
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***それに対し死刑存続論者の主張は
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刑法に定められている罪の中で、犯すと死刑になるかもしれない罪は、全て生存権を奪うような罪である。例えば、殺人罪はその典型であろう。刑罰の本質は同害報復である。同害報復とは、「被害者が受けた不利益と同じ不利益を加害者にも与える」ということだ。ゆえに、誰かが他人の生存権を奪ったならば、その者の生存権も同様に奪われるべきである。
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ちなみに生存権を主張するなら、懲役・禁錮は自由権の侵害であり、罰金・科料・没収は財産権の侵害である。
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ゆえに、生存権を根拠とする死刑廃止論は成り立たない。

**「国は殺人を禁止している以上死刑制度は矛盾している。ゆえに、死刑は廃止すべきである」
***死刑存続論者の主張は以下の通りである。
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法律とは、様々な規範のうち、「統治権力が民衆に対して守ることを強制している規範」のことを指すものである。つまり、法律とは、民衆を拘束するものであって、統治権力を拘束するものではないのだ。だから、統治権力は、刑法第199条の殺人罪を守らなくてもよい。戦争・死刑などが許されているのは、そのためである。
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ちなみに、統治権力を拘束する規範は、法律ではなく、「憲法」である。

**「多くの国が死刑廃止をしているから日本も合わせるべき。ゆえに、死刑は廃止すべきである」
***死刑存続論者の主張は以下の通りである。
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ある政策が多数の国で採られているからといって、その政策が望ましいとはいえない。したがって、この論証は、詭弁である。ちなみに、こういった類の論証は、論理学で、多数論証と呼ばれている。

**「加害者の死刑を望まない被害者もいる。ゆえに、死刑は廃止すべきである」
***死刑存続論者の主張は以下の通りである。
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死刑を免れた加害者が、もし再犯したら、その被害者は、どう責任をとるつもりだろうか。

**「死刑には犯罪抑止力がない。ゆえに、死刑は廃止すべきである」
***死刑存続論者の主張は以下の通りである。
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犯罪者が死ねば、再犯できないので、そういった意味での犯罪抑止力は、ある。しかし、民衆に対する見せしめとしての抑止力は、あるかどうかわからない。しかし、刑罰の中で最も重い死刑に犯罪抑止力が無いならば、懲役・禁固・罰金・科料のような軽い刑罰は、なおさら抑止力が無いことになるだろう。だとしたら、全ての刑罰を廃止せねばならなくなる。
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そもそも、刑罰の本質を、「犯罪の抑止」や「犯罪人の社会復帰」と見なす考えを目的刑論といい、「犯罪に対する応報」と見なす考えを応報刑論という。目的刑論から見て死刑が無意味だとしても、応報刑論から見れば有意味である。

**「死刑は人間の改善・改良の余地を奪う。ゆえに、死刑は廃止すべきである」
***死刑存続論者の主張は以下の通りである。
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他人の改善・改良の余地を奪った者は、自分の改善・改良の余地を奪われても仕方がない。
 
**「国であっても人を殺すことは許されない。ゆえに、死刑は廃止すべきである」
***死刑存続論者の主張は以下の通りである。
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それを言うなら、懲役だって「国であっても強制労働することは許されない」といえるし、罰金だって「国であっても財産を奪うことは許されない」といえる。

**「死刑は残虐な刑で憲法36条に違反である。ゆえに、死刑は廃止すべきである」
***死刑存続論者の主張は以下の通りである。
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最高裁は、「死刑の執行の仕方によっては残虐な刑罰になるが、死刑そのものが一般に直ちに違憲とはいえないとしている」という判例を出している(引用:伊藤正己『憲法』344頁)。

*死刑廃止を主張する主な政治家
|CENTER:名前|CENTER:所属政党|CENTER:議院・自治体(元職は最終所属院)|
|亀井静香|無所属|衆議院|
|福島瑞穂|社民党|参議院|
|仙谷由人|民主党|衆議院|
|ツルネン・マルテイ|民主党|参議院|
|斉藤鉄夫|公明党|衆議院|
|照屋寛徳|社民党|衆議院|
|辻元清美|民主党|衆議院|
|小池晃|日本共産党|前参議院|
|井上哲士|日本共産党|参議院|
|仁比聡平|日本共産党|参議院|
|河村たかし|減税日本|名古屋市長|
|鈴木宗男|新党大地|衆議院|
|加藤紘一|自民党|衆議院|
|中川秀直|自民党|衆議院|
|前田武志|民主党|参議院|
|保坂展人|元社民党|世田谷区長|
|吉田幸弘|元自民党|衆議院|
|御法川信英|自民党|衆議院|
|本多平直|民主党|衆議院|
|大野元裕|民主党|参議院|
|林久美子|民主党|参議院|
|村越祐民|民主党|衆議院|
|谷合正明|公明党|参議院|
|石川博崇|公明党|参議院|

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