■ルーシー・ヴァイパー■


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748 :■:2011/03/17(木) 07:24:57.87 ID:/eM7+ZjB

このSSは設定ほか 全ての事柄を、小説版の片山作品に準拠して書かれていますが
■環の告白■」の続編でもある為、一部原作にない設定が
含まれています。
ご容赦上、ご承知おき頂けると幸いです。





 ■ルーシー・ヴァイパー■ No.1-1


 「悪宇商会のルーシー・メイでございます。柔沢さんをお連れに参りました。」


 繁華街に向かう途中、突然呼び止められたジュウが振り返ると、奇妙な集団が立っていた。

 ジュウは、その連中に全く心当りが無い。だが彼らの物騒な雰囲気からすると、どうも人
ごみを避けて裏通りを選んだ事が裏目に出たらしい。

 ジュウを連れに来たと言ったのは、手前の地味なコートを着込んだ眼鏡の女性だろう。その
後ろには10人以上の男達が控えるように立っている。彼等はいずれも上背があり、引き締ま
った無駄のない体つきをしているが、目つきの方は鋭さよりもむしろどろっとした虚無的な気配
を感じさせる。荒事慣れしている事は間違いない。それにジュウの都合などお構いなく、力ずく
で連れ去る意図を隠す積りもないらしい。

 「生憎と予定があるんでね。出直してくれ。」

 事情は分らないがジュウは危険な気配を察して、取敢えず時間稼ぎの言葉を並べた。

 男達の周囲に漂う剣呑さ。この連中はまともじゃない。もしかすると無駄な抵抗になるかも知
れないが―――しかし、今日は雨との約束がある。今朝は、その事で光に電話で叩き起こされたのだ。

 「お姉ちゃん、物凄く楽しみにしてんだからねっ!あんた、絶対すっぽかすんじゃないわよ!!」

 元々すっぽかす積りなどなかったが、その上光にああまで言われている以上、こんな連中に邪魔
される訳にはいかない。しかし案の定、眼鏡の女はジュウの反応を意に介する風もなく返事をよこす。

 「済みませんが、その予定はナシで。どうしても今、柔沢さんに来て頂かないと困ってしまうんですよ」



 暴力を背景にして、明るく笑う女。ジュウは相手から隠れる様、服のポケットの中で腕時計の留め
金を外した。後は右手に持ち替えるだけだ。

 「あんたらの都合なんて知らないね」

 女は苦笑して一歩下がる。入れ替わりに、それまで黙って並んでいた男達が前に出た。

 「こういうの、悪役みたいで嫌なんですが」

 ジュウは覚悟を決めて左ポケットから手を出し、素早く腕時計を右拳に巻いた。そこで怪訝な表情
になる。相手の女が、急に含み笑いを漏らしたのだ。

 「何がおかしい」

 「いえ、懐かしいと思いましてね。その時計を見て確信しました。やはり、あなたは柔沢紅香の息子です」

 ジュウは驚く。何故こんな連中の口から、紅香の名前を聞くことになっているのか。だが、ジュウ
の受ける動揺など相手はどうでもいいらしく、にやついた表情も変わらない。

 「・・・何でババアの名が出てくるんだ?」

 「お知りになりたいのなら、我々と一緒に来られては?」

 「お断りだと言っただろう」

 ジュウは内心の動揺を押さえ込み、戦闘態勢に入った。今はとにかく、この連中の包囲を突破しな
くてはならない。色々考えるのはその後だ。身構えるジュウと、男達の間で高まる緊張。その糸が切
れそうになった刹那―――


 「柔沢」


 振り向くと何時から居たのか見覚えのある男子学生が一人、怪訝な表情を浮かべて立っていた。これ
から部活に行く為かボストンバッグを肩にかけ、光雲高校の制服を着ている。

 「トラブルか?」



■ルーシー・ヴァイパー■ No.1-2


 「ぃ・・・」

 伊吹、と言いかけてジュウは押し黙る。今ジュウと向かい合っている人間達は、間違いなく裏社会
に巣食う手合いだ。そんな連中に自分との関わりを知られ、学校の制服を見られただけでも既に問題
―――まして伊吹は昨年の全国空手選手権大会で優勝を収め、今年も各メディアから取材を受ける程
の有名人だ。ここで名を呼ぶのは、無駄に彼の危険を増すばかりだった。ジュウは取敢えず状況を流
す事を選択する。

 「この人達が俺に用があるらしくてな。まあ、お前には関係ない話だ」

 当の相手は――さっさと去れば良いものを――周囲に軽く目を走らせた後、呆れた様に言う。

 「とてもじゃないが、話し合う空気じゃないな」

 肩のバッグを下ろして手に提げ、伊吹は改めて剣呑な連中に向き直った。特に力の入らない、自然な、
しかし毅然とした態度で言い放つ。

 「俺は幸雲高校、空手部の伊吹秀平だ。この金髪に先約がある。悪いがこちらを優先させてもらいたい」


 ジュウは呆気に取られた。こちらの気遣いが無駄になったばかりか、伊吹は訊かれもしないのに、わざ
わざ言う必要のない事まで明かしてしまったのだ。こいつは真性の馬鹿だろうか。

 伊吹はそんなジュウの気持ちを読んだか、不服そうな目を向け

 「・・・そんな馬鹿を見る様な目は止めろ。こういう状況じゃ、俺はお前に加担しない訳にいかないんだからな」

 視線を戻すついでに覚悟も口にする。

 「そうなればこの格好だ。素性を隠したって同じだろ」


 危険な状況下で荒事が避けられないなら、ジュウが拒もうと加担する。だから無難に避ける為の気遣い
も拒絶する。伊吹にとって先の名乗りは、そういう意思表示を含んでいたらしい。何たる四角四面。いっそ
馬鹿だと思いたくなる程に、彼は真面目な男なのだった。



 ただジュウには何故、伊吹がここまで頑なな立場を取るのかが分らない。勿論、彼の厚意が嬉しくない
訳ではないが、それも状況によりけりだ。大体、本物の危険に伊吹を巻き込んでしまっては光に合わせる
顔がない。ジュウはあの明るい顔が曇る様はもう見たくなかった。まして、再び自分がその原因になるなど
真っ平御免だ。

 そういう意味でも今回の相手は最悪。事を構えれば確実に後の災厄に発展する―――そんな類の人種だ。
下手をすれば、いや下手を打たなくとも、学校や伊吹の家庭にまで類が及びかねない。こんな連中を相手
にしてまで、彼が自分を庇う理由などありはしないのだ。

 「大きなお世話だ。変に首を突っ込んで来るな」

 「そうはいくか。こっちにはこっちの都合がある」


 二人が言い合う間にも男達は動きだしていた。彼らは無言で二人の逃走を塞ぐ形に展開。今更、どちら
も逃がす積もりはないらしい。ジュウと伊吹は自然と互いを背にする形になる。

 こうなると、もう仕方がない。ジュウは軽く溜息をついて覚悟を決め、伊吹に囁きかけた。

 「互いにフォロー抜き。逃げられればいいが、多分出たとこ勝負だ。後は個々の展開次第ってことでいく」

 伊吹が参入した時点でジュウの負担は大幅に減っているから、それ以上の手助けは不要。そもそも余裕の
ある状態ではないし、状況がどう転ぶかも予想が付かない以上、展開は流れに拠るしかない。両方、或いは
どちらかが逃げられれば良しとする。

 語彙の足りないジュウの説明だが、しかし意図は伝わったらしい。伊吹が短く応じる。

 「元々その積りだ」





■ルーシー・ヴァイパー■ No.1-3


 ジュウは何時も以上の集中力で破壊衝動の構築に臨む。筋肉が熱を帯び、急激に視界が狭まる様な感覚。
皮膚がざわめき頭髪の先端まで意識が染み渡り、精神の内側を不可思議な静寂が満たす状態を錬り上げて
いく。今回は、殺意に迫る域まで意識を持っていく必要があるのだ。

 ジュウは苦心して“上手くやる”思考を捨て去った。今日、もしかしたら自分は人を殺してしまうかも
知れない―――そういう想いが一瞬脳裏を掠めたが、敢えて無視する。

 恐らく自分一人なら、ここまでの踏ん切りはつかなかっただろう。だが背後には、こういう事に巻き込
まれるべきでない人間が居る。自分のような何処にでも居るガキに出来る事などたかが知れているが、それ
で責任を放棄して良い筈もない。

 それに先程「フォロー抜き」と言いはしたが、本来は無関係である筈の伊吹を置き去りに、ジュウ一人が
逃げ出す展開などありえない。だが、その逆なら話は別だ。伊吹の参入からジュウの置かれた状況は充分
マシになっている。あとは隙が生じさえすれば伊吹は逃げていい。否、逃がさなければならない。ジュウ
の言葉は暫定的な相方の行動に、枷を嵌めない為のものだった。

 勿論、伊吹の武道家としての腕前は尋常なレベルではない。或いはこの種の配慮は余計な事かも知れな
いが・・・ただ彼の気質のクリーンさが気にかかる。それだけにジュウ自身は、どうあっても踏ん張らな
ければならなかった。その為なら目潰し、噛み付き、武器使用ほか何だってアリとするしかない。


 慎重にリミッターを解く。後はもう、始まるだけだ。



 一方、当の伊吹は背後に立つジュウの変容を正しく感じ取っていた。

 まるで体温を帯びた厚い壁を背にしている様な感覚。伊吹は大柄な米兵を相手取った過去の経験を思い
出す。あの時は相手が酔っていたこともあり、何とか事なきを得たが、人体の壊し方を体得した人間は極
めて危険な大型獣に他ならない。頑丈でウェイトに勝る、殺気立った米兵を捌くのは、著しく勝った技量
を以て尚至難の業だった。

 そして、この柔沢は180センチを超える並外れた肉体と鋭い感性の持ち主だ。かつて道場で向かい合った
時には分らなかったが、伊吹はこの状況に立って初めて、他校の道場というロケーションがジュウに大き
なハンデを強いていた事を理解した。大体、あの時とは背後の気配が違い過ぎる。

 今、自分が背を預けているのは無様に酔ってなどいない―――大柄な獣。


 「あの」

 男達の向こうから顔が覗く様、背伸びしながら眼鏡の女が声を発した。面倒事でも押し付けられた様な
表情。

 「私達は荒事が仕事ですんで、普通に武器とか薬品とか使いますし・・・目を潰したり、骨を砕く程度の事
には抵抗感ゼロですよ? え~っと、そのぉ」

 気遣わしげな態度はあからさまな演技、ばかりでもあるまい。男共のやり過ぎを懸念しているのだ。手向
かわず、大人しく従ってくれればお互い楽なのに。そう言わんばかりの態度で女は続けた。

 「大丈夫です?」

 その刹那。伊吹の前に立っていた男が隠し持っていた拳銃型の催涙スプレーを取り出し、トリガーを引
き絞った。

 このタイミング!女の言葉を聞く隙を突いての攻撃だ。どうやら、あの台詞は一種の囮だったらしい。
何が「大丈夫です?」だ!

 しかし、その液状スプレーは二人の動きに何ら影響を与えることはなかった。伸びたガスの軌道は空振り。
霧状に残留した液体が占める空間を縫う様に伊吹の長身がしなったと思うと、何時の間にか解き放たれていた
拳が蛇の様に伸び上がり、撃った男の鼻骨を砕く。拳が最適な打撃位置に伸びきる瞬間に生じる、最大の運動
エネルギーを用いた突きだ。

 公式ルールの枷が無ければ、伊吹はダメージコントロールなど自由自在。若くして十二分に怪物の器と称さ
れる、超高校級の空手家だった。





■ルーシー・ヴァイパー■ No.1-4


 乱闘の開始を告げる、明確な合図はなかった。

 伊吹は最初の一人を突きで仕留め、その相手が地面に崩れる頃には二人目に弾丸の様な下段回し蹴りを放っ
ていた。膝関節を横薙ぎに打ち抜かれた男は苦悶の表情で倒れ込みながらも、腰から電極を飛ばす型のスタン
ガンを引き抜き、伊吹に狙いを付ける。三人目を射程範囲に捉えながら瞬時に状況を読んだ伊吹は、難なくそ
れを避けようとして―――最初の男に捕まった。

 彼らの目的が掴みにある事くらい、争う前から想定していた筈だった。多勢で動きを封じられては膂力も技術
もない。蟻の群れに襲われた昆虫の様に分解されるのを待つだけだ。それを避けるための運足と体捌きだった
が・・・相手にしている人間達のポテンシャルを見誤った。自分も柔沢も危険な動物には違いないが、この男
達もそうなのだ。

 無限に引き延ばされる一瞬、放たれた電極針―――伊吹は、後の状況を想定して強張りかける。

 しかし結局、高電圧が彼の肉体を貫く事はなかった。

 いましも伊吹に突き刺さろうとしていた電極針を防いだのは、突然に現れたスナックの看板。背後から側を
掠めて飛来したそれは、スタンガン本体と電極針を繋ぐ電線を巻き込みつつ、二人目の男の顔を直撃した。金属
製のシャッターをハンマーで殴った様な、ガンッ!という物凄い音を立てて、男は沈黙する。

 振り返った伊吹の目線の先では、男が二人ほど“飛び散っていた”。中央には、一匹の鬼。


 盛り上がる角ばった筋肉。限界まで吊り上った太い眉の下、狂気じみた殺気を放つ双眸。剥き出しの犬歯は
比喩ではなく、血にまみれた牙そのものだ。足元では男が一人、食いちぎられた鼻を押えて転げまわっている。

 「な―――」

 先の動揺を上回る戦慄が伊吹の背骨を駆け上がり、半ば本能的に危機回避の攻撃を発しかけて―――危うく
思いとどまる。


 これは、柔沢だ。



 自ら助太刀を申し出た筈の相手を呆けた様に見つめ、動揺のままに言葉を漏らしてしまう。その瞬間、雷鳴
の様な咆哮が背筋を貫いた。

 「ボサッとしてんじゃねえぞ伊吹ッ!!」

 殴られた様な衝撃を受け、伊吹は極短い空白から意識を引き戻された。だが強烈なイメージとは裏腹に、放
たれた言葉は充分に理性的なもの。柔沢は必死に流れを引き寄せようとしているのだ―――自分達二人の流れを。

 直後に死角から迫った鋭い蹴りを何とか流し、一連の動作でカウンター気味の抜き手を返す。相手は仰け反
りながら吹っ飛び、地面を転げまわった。背に走る冷気にも似た感覚はそのままに、伊吹は再び目前の闘争に
集中する。冴え冴えとした視線で周囲を見渡す姿には、既に強固な安定感が戻っていた。軽い動作で最初の男
に止めを刺す。

 実は見た目が細身の伊吹には、意外にも思える身体特徴があった。それは太く変形した指。それがどんな理由
で生じた特徴かは―――抜き手を食らった男の胸と、そこから流れる血の量を見れば一目瞭然。鍛え抜かれた
伊吹の両手は、殆ど二本の槍なのだ。

 破壊と怒号と血肉が飛び交う裏通りは、今や鉄火場の様相を呈していた。しかも闘争は未だ序盤。



 後方で状況を眺める悪宇商会の女は、僅かに目を剥いた。熱気をはらんで荒れ狂うジュウの暴力と、切れ味
鋭い伊吹の技。用いる力の在り様が異なる両者だが、それが合わさった破壊力たるや凄まじく、かなり有利な
状態から事態に臨んだ筈の男達が、逆に勢いに押されている有様だ。しかも相手は、未だ大人と言うより子供
に近い未成年者二人。

 ルーシーは軽く溜息をつく。計画内容から考えて必要あるまいと、今回動員した人員を良質な者だけで構成
しなかったのは確かだが―――裏十三家縁の者ならともかく、まさか一般の高校生如きにここまでの手向かいを
受けようとは思わなかった。それに、後から現れた学生が想定外に良過ぎる。いわば彼女は「ジュウ一人なら」
と初手から網で捕獲を図った積りが、想定以上の反撃を受けて、その一部を破かれた様な形だった。

 尤も最初に足止めに掛ったのは中でも下の役割を押し付けられる程度の連中であり、それ以外の部下の力量
からすれば、以降の展開がこれまでの様に推移しない事も分っている。

 ただ、今回の仕事には時間的な制約があった。各街路の入り口に人員を配して辺りを封鎖してはいるものの、
警察にまでは手を回していないのだ。おまけにその封鎖もどう掻い潜られたものか、相手の助っ人が混ざり
込んでくる始末。

 この騒ぎは確実に人を引き付ける。事態の綻ぶ速さが気懸りだった。

 不本意だが、既にこれだけの損害を出してしまった以上、当初予定の低コストで素早くコトを済ませるプラン
は破綻したと見るべきだろう。

 「あ~~最初から大袋被せて車内に放り込んで搬送、ってルーティンでいくんだった・・・」

 この状況の責任は自分にある。正直に言えば、外注仕事で偶然突き当たった“あの”柔沢紅香の息子に興味
を持ってしまったのだ。眠らせて本部に持ち帰るやり方だと、後は納品が待つばかりで観察する余地などない。
だが、そこで余計な色気を出した挙句がこの様だ。


 それにしても、なんとまあ―――流石は柔沢紅香の直系、収まりの悪い事この上ない。不本意だが、これは
ハンマーで叩いて角を取り、大人しくさせてから網に入れ直すしかあるまい。そう判断した彼女は、傍らの巨漢
に声をかける。

 「ダニエル」

 呼ばれた男が、サングラスの下で片眉を上げた。もたれていた壁から身を起こす。

 黒地に極細縞のダブル。その服装は黒髪のドレッドヘアや濃褐色の肌とも相まって、色彩的にはまとまって
いた。しかし、盛り上がる筋肉のせいでスーツ本来のドレープの方は台無し。何よりも服自体が安物なのだろう。
生地が部分的に引っ張られたり、弛んだりしている。

 これまでのところ、この男は乱闘に加わるでもなく「我関せず」とばかりにガムを噛んでいたのだが。

 「的を押さえなさい。殺さない様に気をつけて。後から来た方は潰しちゃっていいです。」

 巨漢はチョイと肩をすくませてから、ゆっくりした足取りで闘争の場に向かって行った。





 ■ルーシー・ヴァイパー■ No.2-1


 状況がやや膠着状態に陥っている事は、自覚していた。それも当初と変わらず、自分達が不利な態勢のままでだ。

 ジュウは、自分の足元で鼻を押えて呻く男の顔面を蹴り抜いて沈黙させると、状況を測るべく周囲を見渡した。
倒れた相手に酷な様だが、後難の要因は努めて排除せねばならない。何せ状況は最悪。頭数だけとっても、どう
しようもない程の開きがある。それに相手が自分達を子供と侮って僅かに残していたであろう油断に付け入る、
猫騙しの一撃はもはや通用しない。ここからはよほど上手く立ち回らないと―――或いは上手く立ち回っても
―――泥沼の様な消耗戦になってしまうだろう。無論向こうが沼、こちらが獲物だ。

 それに今対峙している男達は最初の連中のお陰で無傷な上、あまり考えたくない事に、先の相手よりずっと
上手の実力者揃いの様だ。どうやらジュウが淡く期待していた、最初の一撃で相手に生じた隙を突いて逃走する
プランは暗礁に乗り上げてしまったらしい。


 さて、どうするか―――


 ふと側頭部に近付く気配を感じて首を伏せたのは、今日何度目かの奇跡だった。

 髪を掠めた黒い塊が、傍の壁をぶち抜く。とてつもなく大きな運動エネルギーが生み出す破壊音。その震動が
ジュウの下腹に響くのと、ほぼ同時に下方から太い足が迫る。咄嗟にガードした両腕に鋭い痺れが走ったかと
思うと、ジュウの体は斜め後ろに弾き飛ばされていた。その隙に背後から組み付こうとした相手を後頭の頭突き
で振り払うと、ジュウは改めて目を前に向けた。

 視界を圧して迫る、黒く大きな影。継いで凄まじいラッシュがジュウを襲った。轟音に振り向いた伊吹が叫ぶ。

 「無事か柔沢!!」

 「ッ余所見すんじゃねえ!!」

 マズい。事前に確認したにも関らず、伊吹は単独で脱出する気が全くない―――

 選択肢が手元から滑り落ちていく。元々手に余る連中を相手にしていたジュウ達だったが、この素早く動く
黒人の巨漢は最悪な状況の上に、更なる悪化を齎した。事態が定まる流れは殆ど秒で決するところに達して
いるのに、打開の手段がまるで見出せない。



 しかし、ジュウはしぶとく抗った。必ず、何とかする。強い高揚がジュウの感性を状況分析から、目前の
闘争への集中に切り換えさせていた。

 巨漢の激しいラッシュと、時折不意打ちの様に混ぜられる掴み。それらをギリギリの危うさで避け続ける
ジュウ。周囲の男達はジュウ達の退路を断ちつつ、隙を突いて攻撃を仕掛けてくる。それを防ごうと奮闘する伊吹。

 この極短い瞬間の中に凝縮された様々な出来事。それは誘拐や殺人といった醜悪極まる物事の中で、奇妙な
輝きを放っていたかもしれない。合理的で破壊的で根源的な闘争。充満する、相手を叩き崩そうとする意思。
少なくともそこにだけは嘘がない。

 雨と出会う以前のジュウは常にそういう空気の中に独り、身を委ねていた。だが今回は少し事情が違う。
背後に味方がいるのだ。それで自分の能力がどう変わるという訳でもないのだが―――ただジュウは過去の争いで、
ここまで敵に容赦のない己を自覚した事はなかった。言い換えれば“必死さ”だろうか。かつて賀来羅清に対した時
より、鋭敏な自分を感じる。

 その勘が、ジュウに微かな違和感を告げた。自分がこの巨漢の攻撃に対し、回避に重点を置いてガードを避け
続けた理由。それが何時まで続けられるかは、ともかくとして―――この相手の動きはどこか不自然だ。

 洗練されてはいるが、素手にも関らず全身が何か重い物の慣性に引っ張られている様な挙動。逆に言えばその
違和感の原因さえなければ、ジュウはとうに叩き伏せられて居たかも知れない。その不自然な気配、巨漢の拳が
空を切る音と量感が、相手の攻撃をまともに受けては危険だと教えてくれる。

 次の瞬間、ジュウが抱いた疑念への答が視界の隅に映った。

 それは、先程打ち砕かれたブロック塀。派手に崩れ落ち、無残な様相を呈する残骸群は、およそ人間の齎した
破壊の結果とは思えない。まるで建築破壊用の鉄球でも、ぶつけたかの様な有様だ。

 やはり、こいつの腕には何かある。分ったところで対処に困る事実ではあったが、しかし―――


 「ちょっと、ダニエル!商品を潰す気ですかっ!?」


 背後で上がった女の声で、黒人の巨漢が動きを止めた。分厚い唇の端が持ち上がり、何とも嫌な笑みを形作る。
伊吹の方に目線を振ると、軽くおどけたような口振りで呟いた。

 「Oops. 潰していいのは、あっちのガキだっけか」


 ダメだ!伊吹にこいつの相手をさせる訳には―――



 矛先を変えた黒人に対し、一瞬集中力を欠いたジュウは無防備な一歩を踏み込み―――気付くと、斜め下から
飛んできたバックハンドを浴びてしまっていた。

 辛うじて両腕でガード。バックステップで威力を軽減させはしたが、まるで中身の詰まった鋼材で殴られた
様な一撃だ。肉が潰れる嫌な感触がし、骨にも鈍い衝撃が伝わる。

 「柔沢っ!!」

 動揺する伊吹の隙を突く様に、黒い巨漢は返す上体で再びバックハンド。破壊されたブロック塀を見ていた
筈の伊吹は、しかし焦りで判断を誤ったか、肘周りを使ってのガードを図り―――鋼鉄の洗礼をモロに受けて
しまった。

 「がっ・・・」

 猛烈な痛みから生まれた隙が、状況を決した。巨漢は前傾した伊吹の腹に雑な蹴りを叩き込んで上体を浮かせ、
ハエでも叩く様な仕草で握り拳を打ち下ろす。アスファルトに人体が叩きつけられる、嫌な音が響いた。

 場に静けさが降りた。





 ■ルーシー・ヴァイパー■ No.2-2


 状況は決した。この状態を見ればジュウが伊吹を担いで逃げ出す事など不可能だし、これまで伊吹に割かれて
いた人員は全て残った一人に集中出来る。取り押さえたその後は、生意気なガキに2・3発くれて大人しくさせ、
袋に詰め込んでしまえば、それで終わりだった。

 ダニエルは一応、更に状況を安定させる為、作業的に倒れ付した伊吹を踏みつけようとして―――

 左頬骨上部に電撃的な一撃を喰らった。サングラスが砕けて弾け飛び、眼球の隅に鋭く細かな砂利が入り込んだ
感触。

 振り向いた先には、視界一杯の文字盤。時計を巻いた右ストレートが“鉄腕”ダニエル・ブランチャードの左目
を打ち抜いた。緩みかけた男達が一瞬にして緊迫し、目を剥いたルーシーの視線の先には蒼白な顔を怒りに歪める
“商品”。


 他の多くの事柄と同様に、暴力沙汰にも技量がある。激した勢いを相手にぶつけ、勝つ事だけを追求する一方で
冷静な対処も怠らない。そうした心身の特殊な状態を利用しつつ、全体の流れを制御下に置いて展開される争いは、
単に正気を失って暴れる事とは似て非なるものだ。無作為に頭を真白にして良い事など無い。しかし――――――


 それを知悉して尚、今のジュウには状況などどうでもよかった。結果がどうなるかも知らない。だが、こいつは
―――このクソ野郎だけは!!


 ジュウの視界が真っ赤に染まる。右手には鋼鉄の腕時計。左手には拳大のコンクリートの破片。直後、鋼鉄と
コンクリートが乱れ飛ぶ暴風の様な攻撃が始まった。

 ふいを突かれて左目を損傷した“鉄腕”の頭部に、雨あられと叩き込まれる鉱物の拳。闇い怒りに我を忘れ、暴れ
狂うジュウの動きは、その滅茶苦茶さとは裏腹に軽快とさえ言えるものだった。

 一瞬で、デカブツの額に鋼板が埋め込まれている事が分った。鼻と唇の間、鼻の横、頬骨と耳の間への打撃が有効
な事は確かめた。顎の先端は太い首の筋力に支えられて今ひとつ。眼球には、やはり痛みとダメージが及ぶらしい。

 繰り出す一撃一撃が、巨漢の仕様を暴いていく。

 左手のコンクリートブロックが、繰り返される打撃で角砂糖の様に削れだし、ジュウの掌の皮膚が破れて血が迸る。
だがその動きに勢いを削がれる気配はなく、ジュウはヤスリで削り取る様な攻撃で更に“鉄腕”を攻め立てた。堪り
かね、頭部を鋼の両腕でガードする巨漢。だが、これはジュウの直感を実証する為の罠だ。



 上体程には洗練されていない下肢の動き。その関節は恐らく生身。遠慮の無い振る舞いからすると、要所毎にプロ
テクタを付けているかも知れないが、膝関節の斜め横を上から踏みつける様に蹴れば―――

 膝関節に可動範囲とは異なる角度から強烈な踵蹴りを叩き付けられ、思わず“鉄腕”は片膝を落としかける。その
頭頂目掛けて振り下ろされる、ハンマーの様なコンクリートの拳。激しい震動が直接脳を襲った。

 傲慢なまでに暴れまわるジュウを掴もうと試みた、幾度目かの失敗で“鉄腕”は右目にもコンクリートの一撃を
浴びる。堪らず背けた頭部、その急所に強烈な4発。継いで反り返った顔、その鼻を下から削り取る鋼鉄のアッパー。


 「・・・・・・ッ!!」


 よろめき、数歩下がる“鉄腕”。これだけのダメージを受けて尚、苦痛の声を上げない辺りは流石に暴力世界の
本職だが、同時にそれは信じ難い光景を呈してもいた。何しろ幾多の荒事を請け負い、数多の命を蹂躙・殺害して
きたプロの戦闘屋が、一介の高校生に“殴り殺されそうになっている”のだ。こうする間にも、情け容赦の無い
攻撃が“鉄腕”をメッタ打ちにしている。



 最早ダメージが隠せなくなった“鉄腕”に、ジュウは更なる追撃を繰り出そうとし――――――女の金切り声で
僅かに我に返った。


 「抵抗をやめなさいッ!!さもないと彼を殺します!!」

 振り返った視線の先では下唇を噛み締めた悪宇商会の女が、青褪めた顔でジュウを睨みつけていた。傍らには男達
に羽交い絞めにされた伊吹。気を失っているのか、膝を突いた姿勢で俯いている―――が、息はある様だ。

 女は怒りに震える声で、搾り出す様に言う。

 「・・・よくもまあ、好き放題に暴れてくれたものですね。正直言って驚きましたよ。」

 ジュウは虚ろに濁った怒りの視線を女に向けた。見ず知らず―――という訳でもないらしいが、他人に大勢のゴロ
ツキをけしかける様な奴は男だろうが、女だろうが碌な人間ではあるまい。しかも、こいつは最初から安全圏で高み
の見物と来ている。気に食わない―――ジュウは酸欠気味のコンディションを悟られない様、荒い息を押えながら
言い放った。


 「他人事じゃねえぞ、眼鏡」

 一瞬鼻白んだルーシーは、しかし、ニタっと笑うと毒の様な言葉を吐き出した。

 「言っておきますが、こちらも脅しではありませんよ?」

 男の一人に髪を掴まれ、強引に顔を引き上げられる伊吹。その喉元にナイフが突きつけられる。

 「本当に殺します。彼も、彼の家族もね」

 じりじりとジュウを取り囲む男達の包囲が狭まり始める。先のジュウの反撃を警戒してか、極めてゆっくりとした
動きではあったが。

 「でも、そちらが大人しく従うなら考えないでもありません。最初から目的はあなたの身柄ですし」

 勿論、これは嘘だ。だが彼女にとって、嘘は単なる交渉技術の一部。それ自体は呼吸と同じく、日常的な行為に
過ぎない。重要なのは相手に齎す効果の程度だ。その意味で「直ぐバレて状況を悪化させる様な安い嘘」は悪に違
いない。しかし口先一つで場の優位を得られる状況にあって、それができないのは善良な指向などではなく、単なる
低能の醜い限界だ。流動的な状況下にあって、事実と虚構は含有量と編集と効能で考えられるべきテーマであり、
それが調理出来ない馬鹿は正直者にでもなるしかない。

 ルーシーはジュウを拘束した後、伊吹の処置は部下に任せる積りだった。自分はともかく、ガキにやられ通しと
あっては連中の気が収まるまい。腹いせに嬲り殺すなり、内臓を売って小遣いの足しにするなり、好きにすればいい。


 対するジュウは、傍目にも危険な状況に置かれていた。判断を先送りにする漫然とした時間は、より不利な方向に
事態を傾けるだけ。しかも、その猶予期間は秒単位で大きく損なわれていく。直ちに最適な解を見出し、対応しなく
てはならないが―――肝心の選択肢は、まだあると言えるのか。





 ■ルーシー・ヴァイパー■ No.2-3


 非常に困難な思考と選択を迫られる、険と困惑の渦中。突然、ジュウの気配から凶暴な鋭気が消えた。未だ、警戒
の姿勢は解かれないままだったが・・・それでも先程まで湛えられていた殺気からすれば、それこそ嘘の様な気配の
変化。唐突で奇妙な成り行きに、間を外したような静寂が生じる。

 しかも、よく見るとジュウは実に複雑な表情を浮かべているのだ。何かに戸惑う様な、困った様な―――あまりに
状況にそぐわない標的の態度に、ルーシーが気を取られた一瞬後。彼は軽い溜息と共に告げた。


 「そいつはどうだろうな」

 ジュウの言葉が終わるや否や、伊吹が取り押さえられている方向から悲鳴が上がった。

 ルーシーが振り返ると、先程まで人質を羽交い絞めにしていた数名の男達全員の両手首から血が噴出している。
悲鳴は腱を切られた彼らの叫びだ。継いで、すらりとした長い足が稲妻の様に瞬き、居並ぶ男達を次々と昏倒させた。

 咄嗟の出来事に飛び退いたルーシーの眼前を高速で擦り抜けた物体が、はぜる様な音をたてて地面に突き刺さる。
それは直径1センチ弱の鉛玉。


 「他人のものにちょっかい出すのは、止めてもらいたいな」

 倒れた男を跨ぎ、ふらりと立つ少女が言う。年の頃は16、7歳だろうか。どこかで見た様なあどけない顔とは
裏腹に、鋭く光る剣呑な瞳。醒めた様なニヒルな笑み。結い上げた長髪に白いリボンをあしらい、小さめのTシャツ
の上から丈の短いボアジャケットを羽織っている。大胆なカットジーンズと膝丈のソックス。被った濃紺のキャップ帽
には、銀糸で「Born to Kill」の文字。右手に握られた小さなナイフが、目を引いた。

 この奇妙な気配の少女は、遊びを邪魔された苛立ちを苦笑に置き換えた様な声で続けた。

 「今日はこの脚線美で迫る予定だったのに、邪魔が入って台無しだ」


 崩れかける伊吹を支えたもう一人も、やはり同年代の少女だった。さっぱりとした短髪、感情の窺えない怜悧な顔。
グレーのスキニーパンツを穿き、黒いシルクのシャツにタイトなマルーンカラーのメンズジャケット。右肩には装い
にそぐわない、大きなスポーツバッグを背負っている。

 彼女は冷えた瞳で観察する様に周囲を検めた後、チラリとジュウに視線を遣り、溜息混じりに呟いた。

 「・・・よくもまあ、こう次から次へとトラブルに巻き込まれるわね。呆れたものだわ」



 ルーシーは続け様に生じた想定外の出来事に焦り、苛立ちもしたが―――何より困惑していた。この地区は悪宇
商会の配下が封鎖している筈の場所。そこに現れている以上、彼女等は“既に”商会に所属する手練の包囲を掻い
潜った事になる。だがコンビニでもあるまいに、何故こうもイレギュラーな連中がぽんぽんと入って来られるのか。

 この状況を額面通り受け入れるなら、外の連中に相応の問題が生じている事を想定する他ない。しかし、それなら
それで、既に何らかの情報なり連絡なりがあって然るべきだった。いくら何でも、ここまでの不意打ちを許すとは―――

 訝しさを覚えつつも、詳細を見極めるべく目を凝らしたルーシーの足元に再び鉛球がはぜた。飛び退く彼女を追い
立てる様に3発、4発、5発。見上げた弾道の先は、4階建てマンションの外付け階段。その中央から澄んだ声が響く。


 「警告はここまで。次は額に当てます」


 その声は何の衒いもなく、迷いもなく、ただ一つの明確な事実を告げていた。即ち、

 柔沢ジュウの敵は排除する。


 手すりに身を乗り出した、小柄な人影。風になびく黒髪が陽光に照らされ、青く輝いている。その手にあるものが、
鉛玉の装填を済ませたスリングショットなどでなければ・・・その光景は一服の絵と言えたかも知れない。

 しかし彼女にとって、そんな事はどうでもいい事だった。ましてや、柔沢ジュウが危険に晒されている場面に於い
ては尚更に。

 少女の顔の上半分は長い前髪に隠され、表情を窺うことはできないが―――周囲に漂う冷たい殺気は紛れもない
本物。その鋭さは、かつてジュウの母・紅香すらも鼻白ませたお墨付きだ。眼下の様子を静かに見つめる瞳は、周囲
を警戒すると同時にルーシー・メイの首元を確実に照準している。この射で相手の動きを封じ、次弾で額を打ち抜く。
高速で放たれる重く柔らかい鉛球は、軽くて硬い鋼球に比べ、跳ね返されて損なわれる運動エネルギーのロスが少
ない。標的に接した玉自体が僅かに変形する事で、より強い衝撃を対象に齎すのだ。彼女はそこまで冷静に、確実な
結果を想定していた。手中の獲物は、その意思を完遂すべく用意された、照準器付きの“実用性”に富む代物。

 スタンガン、ピッキングツール、ロープ、ライター、ビニールテープほか各種工具。この少女は状況に応じて様々な
道具を駆使し、驚くべき能力を発揮する。そして、それら全ては只ひたすらに主を守り、その意思に副う為のもの
なのだ。

 堕花雨。そんな事ができてしまう彼女は――――――自らを柔沢ジュウの“従者”と呼ぶ。





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