闇絵さんとお手紙

闇絵さんとお手紙
  • 作者 2スレ550
  • 投下スレ 2スレ
  • レス番 731-735
  • 備考 紅 小ネタ





731 闇絵さんとお手紙 1/5 sage 2008/01/30(水) 20:20:53 ID:ZfYWqZdF

『五月雨荘 闇絵殿』
 表にそれだけしか書いていない封筒を手に、真九郎は五月雨荘の門前でしばし佇んでいた。当然のように、裏に差出人を書いてもいない。
 どこから発信されたものかは知らないが、そこからここに至るまでに経由してきた郵便システムのことごとくをこの表書きで突破して、何の支障もなかったらしい。自分が住んでいる五月雨荘というのが、今更ながらにとんでもない場所に思えてくる。
 配達しに来た郵便屋にこれでいいのか尋ねても、「さあ昔からここはそういうことになっとるからねえ。消印? 切手? …なあ兄ちゃん。女房子供がいると余計なことは気にしちゃいかんし気にならなくなるもんさ」とばかり。
 まあ、それはなんとなく分からなくはないが、
「これって、普通の郵便物じゃないってことか…?」
 おそるおそる、親指と人差し指だけでつまみ上げてしまう。確かに、闇絵宛てというだけで十分に普通ではないのかもしれない。
「少年」
 宛先人の顔を思い浮かべたと全く同時に、当の本人から声をかけられて、真九郎は思わず背筋を正した。もしかすると、こちらの心を読んでいるということは…さすがにないだろうが、この完璧なタイミングからいって完全には否定しきれないというあたりが、一番怖い。
「…はい?」
「いつまで、人宛の手紙をひねくり回しているのかね」
「あ、ええと…すみません」
 郵便屋も自分も、闇絵の名前など口に出さなかったはずなのに、あの距離からどうやって自分宛ての封筒だと判別したのか。謎は尽きせなかったが、確かに、多少隣人の礼儀に悖る行為だという自覚はあったので、素直に謝りながら、闇絵の腰掛ける大木に歩み寄る。
「ちょっと、珍しいというか意外で」
「ほう」
 真九郎は、木の下で手紙を受け取ってくわえたダビデが、器用に闇絵のところまでよじ登っていくのを見上げた。闇絵は細い指で封筒を取り上げながら、
「意外というのは、ここに手紙が届くことかね。それとも、わたしに手紙をよこすような知り合いがいたことかね」
「…両方ですかね」
 これくらいのやり取りには既に慣れたから、難なくこなすことができる。変に言葉の裏を勘ぐったりせず、淡々と受け流すのがコツだと、ようやく最近悟ったのだった。
「ふむ」
 闇絵の声音には、気のせいかもしれないが、ややつまらなさそうな響きがないでもない。真九郎は、なんとはなしに小さな勝利感を覚えた。


732 闇絵さんとお手紙 2/5 sage 2008/01/30(水) 20:21:57 ID:ZfYWqZdF

 そんな風に気をよくしたおかげだったか、闇絵との会話を続けてみる。
「それにしても、最近、手紙ってのがそもそも珍しいですよね。携帯とかメールで事足りますし。最近、俺も手紙って出したことも貰ったこともないですよ」
「奇遇だな。わたしもだ」
 闇絵は封筒を切り開く。ペーパーナイフなど持っているはずもないのに、真九郎の遠目にも、すっぱりときれいな切り口が開いたのが見えた。
「そりゃまあ、闇絵さんの場合そもそも人と連絡を取ることが滅多に…」
「何か言ったかね」
「い…いいえ」
 気を抜くな、と自分に言い聞かせる。相手が闇絵であることに変わりないのだから。
「そういえば、いつぞや俺の携帯からアフリカに電話したことがありましたよね。今度も、そんな感じですか」
 これくらいはぎりぎり訊いてもいいだろう、というあたりを測りながら尋ねてみる。闇絵も、そんな手管などお見通しだよ少年、とでも言いたげに、ちらりと視線を投げてよこしはしたが、お咎めを口に出すことはなかった。
 真九郎としても、まともな答えなど、はなから期待していない。いくら、五月雨荘では珍しく近所づきあいのある仲とはいえ、自ずと踏み越えてはならない一線があることは承知している。だいたい自分自身からして、話したくないことだらけなのだから。
 だから、闇絵が開いた封筒を逆さに振ってみせたときには、かなり驚いた。
「そうだな。こんな感じだよ。少年」
「はあ…えっと」
 とっさに闇絵の示したかったことが分からず、闇絵の手中の封筒にしばらく目をこらしてから、ふいに悟る。
「それ…中身が。空って、ことですか」
「ふむ。空とは、どういうことかな」
 闇絵が含み笑いをしながら訊き返すものだから、真九郎はなおさら混乱せざるをえない。
「いや、だって…中に何も」
「だからといって、何も伝えていないとは限らないよ。少年」
「はあ…」
 それは、そういうこともあるのかもしれない。何か事前に取り決めた符丁でもあるのか、真九郎には察知できない何かが仕込まれていたのか。いろいろな可能性が真九郎の脳裏を駆けめぐったが、どれが正解なのか皆目見当もつかなかった。闇絵も、教えてはくれまい。


733 闇絵さんとお手紙 3/5 sage 2008/01/30(水) 20:23:03 ID:ZfYWqZdF

 呆然と立ち尽くす真九郎を見下ろしながら、闇絵は軽いため息のような笑いを漏らした。
「少年。人が人に意を伝えるには、じつに様々なやり方があるものだ。動物の鳴き真似。歌声。太鼓の音。狼煙。旗。腕木。電気信号や光に無線。むろん、文字や書簡というのもその一つだ」
「…」
「それぞれに、信号の取り決めも暗号の作り方も解読の方法も、千差万別でね。ある意味、そこには人類の叡智が尽くされているといってもいいだろうな。実に興味深い分野だよ。そうは思わないかね」
「それは…まあ」
 いつもの衒学で煙に巻こうというのか、それとも闇絵なりに何かを伝えようというのか、真九郎には判断がつかない。
「もっとも、全てが全てうまくいくとは限らない。人間というのは、どうしようもなくお互いを誤解するようにできているらしい。…中には、周囲が言葉と態度でこれ以上はないくらいにあからさまに伝えようとしていることを、全く理解できない鈍い愚か者もいる」
「あの…そこでなんで俺をじろじろ見るんでしょうか…?」
「と、いうことだよ。少年」
「いや、それじゃ何のことだかさっぱり…」
 闇絵は、そんな真九郎にそれ以上構おうとせず、空の向こうに視線を向けた。独り言のように、続ける
「そうだな。いまだかつて、人と人の間で完全な意志疎通が成り立ったことなど、ないのかもしれないな。己を表現し、何かで媒介させ、受け取って理解する…全てにおいて、あまりに力不足だよ。人類の叡智などと言ってみたところで、たかが知れている」
「それは…そうかもしれませんけど」
 闇絵の言うことは、真九郎の実感とも合致する。いつだって、自分は他人のことなど理解できないし、他人は自分のことなど理解できない。お互いに、言えないことや見せられない顔が多すぎて、それを慎重に隠しながら臆病な探り合いをするので精一杯だ。
 そう、真九郎も思っていた。つい最近までは。九鳳院紫に出会うまでは。
「でも…それでも、たまにでも、ちょっとでも分かり合えるところもある。それって、大したことなんじゃないかって、思いますけど」
 闇絵が再び真九郎に目を戻した。もしかしたら、少し微笑っていたかもしれない。
「むろんだ。少年。そんなことでもなければ、到底やっていられないよ。君とこうして話してもいないだろうな」
「はあ。それはどういう…」
 首をかしげる真九郎の目の前に、ひらひらと封筒が舞い降りてきた。
「少年。済まないが、捨てておいてくれないか」
「えっ…」
 木の根元から拾い上げる。やはり、中身も何もない、薄っぺらな封筒だけだった。
「いや、でも…」
「もう用は済んだ。必要にして十分なことは伝わったからな。わたしほどの素養があれば、そういうこともある。君も見習うといい」
「はあ…」
 それきり闇絵は口を閉じてしまったので、真九郎も不得要領なまま、部屋に引き上げざるを得なかった。


734 闇絵さんとお手紙 4/5 sage 2008/01/30(水) 20:24:16 ID:ZfYWqZdF

 真九郎は、テレパシーだの幽霊だの虫の知らせだのといった、超自然的なものを信じたことはない。自分の体に崩月の角などという代物を仕込んでおいて言うセリフではないかもしれないが、人間には己の五感を超えることなどできないと思っているからだ。
 だからその晩、なんとなく眠れないままに五月雨荘の庭に出てみたのも、特に何かを感じたとか、これといった理由があった訳ではなかった。
 それなのに、おそろしいくらいに皓々とした満月の明かりの下、いつもの大木の枝にいつもの一人と一匹を見いだした時に、ああやっぱり、と思えたのは、どういうわけだったか。
 何も言わず、そちらに静かに歩み寄ると、木の幹に背をもたれさせて、同じように月を見上げてみる。闇絵の邪魔をしたくないとは思ったが、かといって、何も見なかったことにして背を向けることもしたくなかった。だから、黙って側にいることにした。
 闇絵が話しかけてくるなどとは、期待もしていなかった、のだが。
「少年」
「…はい」
「知っているかな。月は人間に狂気をもたらすと言われている」
「聞いたことはあります。どれだけほんとかは知りませんけど」
「わたしもだ。だが、仮になにがしか正しいとしても、結局のところ、狂うのは人間自身だよ。月のせいではない」
「…」
「人間というのは度し難いものだな、少年。善も悪も、全ては自分の外にあると信じたがる。そうして、神だの悪魔だのを作り上げる」
「それは…そうしないと、怖いからじゃないですか。自分以外のどこにも逃げ込む場所がなくて、何もかも自分の中からしか出てこないなんて、ぞっとしますよ」
「少年もかな」
「俺も…そうですね。どうみても自分のせいじゃないって思うことは結構ありますから。そんなのは、空の上の誰かさんのせいだって思ってます。…だからって、自分のしたこととかしなかったことまで、そんなヤツに預けるつもりはありませんけど」
「なるほど」
「闇絵さんは、どうですか」
 闇絵は、答えない。いつものことながら大人は狡いなあ、と真九郎が呆れていると、
「少年。しばらく留守にするよ」
「…はい」
 本当はもっと驚くべきだったのだろうが、真九郎はいたって穏やかに闇絵の宣言を受け止めた。あまりに美しい月夜だったからかもしれない。その肩に軽い衝撃を感じて目をやると、ダビデが腰を下ろしていた。
「闇絵さん…俺、猫って飼ったことないんですよ。ほんとにしばらくならいいですけど」
「話ができてよかったよ。少年」
 最後まではぐらかす風の受け答えに、苦笑せざるを得ない。ダビデを肩に乗せたまま、五月雨荘に戻り、玄関のところで振り返ってみると、月明かりは誰もいない大木と庭だけを深閑と照らしていた。


735 闇絵さんとお手紙 5/5 sage 2008/01/30(水) 20:25:17 ID:ZfYWqZdF

「あたしには挨拶なしかー」
 背後からした声に、真九郎は振り向かない。
「…環さんは、何か知ってるんですか」
「うんにゃー。ここって、そーゆーとこじゃないじゃん」
「まあ…そうですね」
「戻ってきたけりゃ戻ってくるっしょ。そうじゃなきゃー、ま、そうじゃないってことで。あたしとしちゃ、不戦勝は本意じゃないけどねー」
「はあ…何のことです」
「いーのいーの。さーこれで、心おきなく二人で愛の巣を始められるなっ、と。心ゆくまで爛れた日々を送ろうねー。えーと、とりあえずお腹空いたな何か作ってね、ア・ナ・タっ」
「はいはい」
 腹ぺこ大学生には適当にレトルトでもあてがうとして、明日はどこかでキャットフードを買ってこないとな、と思いながら、真九郎は玄関のかまちに上がった。
 今晩くらいは、環の相手でもしながら、もう暫く月を眺めていてもいいだろう。こんなに印象的な満月夜は、ぜひ記憶に留めておく価値がある。

 そう。あとで、梢に腰掛けていたあの姿ごと全てが幻だったのではないか、などと思ってしまわないように。







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最終更新:2008年02月05日 00:02
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