闇絵さんとタバコ


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闇絵さんと晩ご飯
  • 作者 2スレ550
  • 投下スレ 2スレ
  • レス番 563-566
  • 備考 紅 小ネタ

563 闇絵さんとタバコ 1/4 sage 2007/12/24(月) 00:18:09 ID:zmmTfZ2U

 それは、ほんの出来心だった。
「…タバコって、どんな味がするんですか?」
 いつものように、真九郎が買ってきたタバコを、午後の陽が差し込む五月雨荘の庭先で、とても美味そうに吸う闇絵を見て、ちょっと好奇心にかられて訊いてみただけだったのだ。単にそれだけだったのに、
「試してみるかね? 少年」
「は?」
 気付いたら、闇絵がたった今までくわえていたタバコが、目の前に差し出されていた。
「ええと…」
 あまりの突発事態に、頭の中が真っ白になる。それに対して闇絵は当たり前のように、
「少年。人間の五感というものは、口で説明されても到底理解など及ばないものだ。知りたければ、実際に試してみるしかない。そう思わないか?」
「はあ、そりゃあ…」
 そう言われてみれば、そのとおりのような気もする。
「しかし、これは…」
「吸い差しで悪いがね。済まないが、わたしの貴重なタバコを君の好奇心のためだけに新しく一本丸ごと進呈する気にはならないな」
「はあ…」
 タバコをこよなく愛する闇絵のセリフだから、説得力だけはあった。
「試してみるなら、早くしたまえ。タバコがもったいない」
「それじゃ…お言葉に甘えまして」
 闇絵からタバコを受け取り、くわえてみる。吸い口に軽く残る温もりと湿り気が、妙に生々しかった。これって間接キスだよなあ、とぼんやりと考える。とはいえ、まさか闇絵がそんなことを気に掛けるとも思えなかったので、真九郎も気にしないことにする。
 不用意に吸い込むとむせる、というくらいの知識はあったから、おそるおそる慎重に息を吸ってみた。どうにも、気の抜けるような味わいしかしない。真九郎の微妙な表情を見て取ったか、闇絵が助言してくれた。
「火が弱くなっているようだな。ゆっくりでいいから、もっと深く吸い込みたまえ」
 なるほど、と、言われたとおりにやってみる。その途端、強烈な刺激が喉と肺を襲った。
「ご…げ、げふっ…おっ…かふっ…」
 体をくの字に折って、せき込む。
「少年。大丈夫かね」
 涙目で見上げると、いつの間にやら真九郎の手からタバコを取り戻した闇絵が、いかにも面白そうな目つきで見下ろしていた。


564 闇絵さんとタバコ 2/4 sage 2007/12/24(月) 00:19:19 ID:zmmTfZ2U

「な…何なんです、それ…」
「ただのタバコだよ。両切りだがね」
 闇絵は平然と言いながら、ふかぶかとタバコを飲み、ながながと煙を吐き出した。
「やはり、タバコはいいな。ああ、君もだ。少年。期待を裏切らないというのは、何であれ素晴らしい」
「言っててくださいよ…」
 ようやく息が整い、真九郎は上体を起こした。まだ、喉のあたりがいがらっぽい。
「それで、どうかね」
「え…」
「試してみた感想だよ。そのために吸ってみたのだろう」
「はあ…」
 正直なところ、細かい感覚など全てぶっとんでしまっていて、何をどう語りようもない。二度とごめんです、と正直に言うのも(まあ、見透かされているだろうが)悔しい気がして、ふと思いついたことを口にしてみた。
「なんだか…闇絵さんみたいな匂いがしましたよ」
 闇絵が吸っているタバコの匂いなのだから、言わずもがなのことではあったが、言外に闇絵の仕打ちに対する抗議をこめてみたつもりだった。
「ほう」
 闇絵が、うっすらと笑う。真九郎はさっきのセリフを心から後悔したが、もう遅い。
「わたしの匂いかね。ふむ。おもしろいな」
「え、ええと…そのですね、深い意味はなく…」
「少年。知っていると思うが、人間、自分の匂いというものは案外に分からないものだ。わたしも自分の匂いがどういうものなのか、よく知らないのだよ。非常に興味深い」
「はあ…」
「自分の匂いを確かめられるというのは、なかなか滅多にない機会だな。ぜひ嗅いでみたいのだが、いいかね?」
「はあっ?」
 一瞬、何を言われたのか理解できずにいる間に、気付くと、闇絵の顔がすぐ間近にあった。まぶたを軽く閉じ、形のよい鼻を真九郎の口のすぐ側に近づけている。真九郎の視界には、白い額となめらかな頬、優美な眉と長い睫が、いっぱいに広がっていた。
「……」
 自分のおかれた状況に現実感がなさすぎて、指一本動かすことすらできない。闇絵の顔に息を吹きかけるのが恐ろしくて、一言を発することも憚られた。体温すら感じられそうな距離にある闇絵の造作の逐一が、ガラス細工のように脆く思えたのは、どうしたことか。
 そうするうちに、何とも言えぬ香りが真九郎の鼻腔をくすぐり始める。それもそのはずで、闇絵のつば広の帽子がちょうど、闇絵の体から立ち上るものを真九郎の顔のあたりに留める役目を果たしているのだった。
 むろん、タバコの匂いはある。しかしながらそれ以外に、何とも形容しようのない香りが幾筋も絡み合って、真九郎の脳髄を痺れさせてゆく。それは、単に芳香というのとは全く異なり、いわば全身の力を奪うような、魔術めいてすらいる機作を有していた。


565 闇絵さんとタバコ 3/4 sage 2007/12/24(月) 00:20:21 ID:zmmTfZ2U

「ふむ」
 唐突に闇絵が身を引き、真九郎もようやく呪縛から解放されて我に返る。新鮮な空気を吸い込んで安堵したような、やや惜しいような、なんとも自分自身でも扱いかねる気分だった。
「あー…その…闇絵さん?」
「なるほど。こういうものか。よく分かった。それに、少年ともずいぶん違うものだな」
「はあ…そ、それはどうも…」
「なかなかに得難い経験だったよ。協力に感謝する」
 そう言うと、闇絵は呆然とする真九郎を置いて、五月雨荘の中へ入っていった。たった今起こったことがうつつとも思えずに佇む真九郎の肩に、いきなり手が置かれる。何となく、肩の骨の軋む音が聞こえたような気がした。
「真九郎くーん。ナニしてたのかなー?」
 振り向くと、環が満面の笑みを浮かべて真九郎を覗き込んでいた。
「えっ…何って…」
「なんかさー。今、闇絵さんとけしからん振る舞いに及んでなかったかなー?」
「いや別に…あれはそんなんじゃあ…」
 言いつつも、闇絵の帽子に半ば隠されていたせいで、角度によってはキスでもしているかのように見えたかもしれない、と思い至る。案の定、環は、いまさらとぼけなさんな青少年っ、と真九郎の背中を叩き、
「しっかし、真九郎くんもほんっとに守備範囲広いよねー。年上もいけるなら、いつでもあたしに声かけてねって、いつも言ってるのにい。ううん環、悲しいっ」
「いやだから、なんかぜったい誤解してますからそれ。それから、人の胸の上で指をこねくりながら上目遣いはやめてもらえませんか。絶望的に似合ってません」
「うわ、ひどっ。でも誤解なんかしてないよー。あたら若い男の子の精気が吸われるのは見過ごせないっちゅーかそれはかなりもったいないっちゅーかだったら先にお姉さんが出涸らしにしちゃってもかまわないよねっちゅーか、そういうことでいいんだよね?」
「いいわけないでしょうっ。どさくさに紛れて何を言っとるんですかあんたはっ」
「むふふー。闇絵さんだけえこひいきはいけないなー。あたしにも愛をおくれよう」
「ちょ、どこ撫でてんです、わあっ」
 環の手から逃れようともがく真九郎は、ふと視線を感じて顔を上げた。そこで、4号室の窓からこちらを見下ろしている闇絵と、まともに目が合ってしまう。
「や、どーも。闇絵さん。ご機嫌いかがです?」
 環も闇絵に気付いたのか、真九郎を羽交い締めにしたままで、悪びれもせずに声をかけた。闇絵の表情は少し遠くて分からないが、いらえは淡々と真九郎と環の耳に届いた。
「そうだな。悪くはないよ」
「そうでしょうねえ。もちろん」
 環も晴れ晴れとした笑顔で返す。同じアパートの住人どうしの平凡なやりとりのはずだった。それなのに何故背中を冷たい汗が伝うのか、真九郎には皆目分からない。どうやら、いつもどおり、深く考えない方がよさそうだった。


566 闇絵さんとタバコ 4/4 sage 2007/12/24(月) 00:21:47 ID:zmmTfZ2U

 まあ特段、深く考えなくても日々は過ぎてゆくのだ。ふだんどおりにささやかな夕食を摂り、銭湯で一日の疲れやその他もろもろを洗い流し、幼なじみが貸してくれたノートに手を合わせながら少し勉強をし、明日に備えて早めに床につく。
 そろそろ一人用のちゃぶ台で三人が食事をし続けるのは限界かもしれないとか、独り暮らしとは思えぬ食費のせいで今月はどうみても赤字になりそうだとか、若干の問題もなくはないが、それだって、いつもどおりに先送りしてしまえば、なんということもない。
 なんということもない、はずなのだが。
 いったいなぜ、翌朝、登校時に車で送ってくれた九鳳院家の息女は、真九郎が車に乗り込んで暫くすると、「なんだか面妖な瘴気をまとっているな。魔女にでも憑かれたか」と、どこで憶えたのかえらく難しい言葉遣いで呟き、それからずっとご機嫌ななめだったのか。
 いったいなぜ、昼休みに新聞部の部室へ弁当を食べに行ったら、そこにいた同級生の幼なじみが少し鼻をうごめかせたかと思うと半目になり、「…やらしい」との一言のもとに真九郎を叩き出したのか。
 いったいなぜ、下校間近にたまたま行き会った師匠の娘が、強引にハンカチを貸してよこしたのか。「十六種の香を焚きしめてあります魔除けにもなるんです寝るときに必ず枕元に置くように因みにわたしのお布団も同じ香りですからうふふ」とは、どういう意味なのか。
 真九郎には、何がなんだか分からない。
 たぶん、一生かかっても分かることはなさそうだった。







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