「彼と彼女の非日常」 2

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「彼と彼女の非日常」 -作者 伊南屋 ◆WsILX6i4pM -投下スレ 2スレ -レス番 864-867 -備考 電波 続きもの 864 伊南屋 ◆WsILX6i4pM sage 2008/03/29(土) 12:08:30 ID:/SChxdSF 『彼と彼女の非日常・Ⅵ』  「お姉ちゃん、いるでしょ?」  そう言って切り出したのが光だと分かって、ジュウは確かに自分が安堵するのを感じた。  紫とは関係のない来客だと――そう思った。 「居るんでしょ? お姉ちゃん出して」 「どうしたんだ一体?」 「良いから早くっ!」  鬼気迫る、と言うよりは単純に切羽詰まって狼狽えた様子の光に押され、仕方無く中に居る雨を呼ぼうと振り返る。  だが、そうするより先に雨はジュウの意志に応えたように、玄関へと現れた。 「雨……こいつ」  ジュウが光を指すと、雨は分かっている。と言うように頷いて見せた。 「聞いた声がすると思えば……どうしたの? 光ちゃん」  雨の姿を確認して、光の張り詰めた雰囲気が若干和らいだ。 「……お姉ちゃんに、助けて欲しくて」 「……何があったの?」  縋る瞳の光に、雨が問い返すと光は背後から人を呼び寄せた。  ――現れた女性の、胡乱な表情の中にジュウは既視感を感じた。その表情にではなく、それが醸し出す危うさに。 「どうも……」  ぼそりと零すように挨拶して、彼女は小さくお辞儀をした。 「人を探してるの。昨日からずっと探してて、だけど見つからなくて……」 865 伊南屋 ◆WsILX6i4pM sage 2008/03/29(土) 12:09:45 ID:/SChxdSF 「人を探しているというのは、こちらの方が?」  雨が光が連れた女性を指すと、光は頷いて答えた。 「探しているという人はどういった方なのかしら?」 「えと……それが」  次いだ雨の問いに、光は説明を始めた。  まず、彼女とは昨日、街で会ったばかりであるという事。そこで人捜しに手を貸す約束をした事。それが行き詰まった事。 「最初は名前聞いても分からないと思って特徴だけ聞いて捜してたんだけど、行き詰まったから他に手掛かりは無いのって聞いたら――」  そこで光は不意に表情を曇らせ、困惑を浮かべた。  言うか、言うまいか散々悩んだ挙げ句、あくまで連れてきた彼女が言ったことだと前置きをした。  そうして一度深呼吸をしてから、躊躇いがちに口を開いた。 「――九鳳院財閥のお嬢様だって……」 「……っ!」  唐突に、紫へと繋がった。  女性が――光の連れて来た彼女が舞台の外ではなく内側の人物であった。  そして、彼女が自分達にとって敵になり得るのか、味方になり得るのか。  それこそが今この場においてジュウの思考を占める事柄だった。 「そう。それで、どうして探しているのですか?」  雨があくまで平静に尋ねる。 「私も、頼まれただけですから」 「あなたに頼んだ人はどうして?」 「……決着を付けるんだと、そう言ってました」 「決着?」  ジュウが漏らした言葉に、女性は答える。 「いえす。大切な――とても大切な事だと言ってました」 「大切な事……」  それが何であるかをジュウが問おうとして、しかしそれを妨げるように声があった。 「柔沢、どけ!」  常にはない、切迫した声。焦ったような、追い詰められたような余裕のない声――。 「そいつ――殺せないっ!」  ――斬島雪姫が叫んだ。  † † †  飛来するそれは真っ直ぐに、唯真っ直ぐに“彼女”を目掛け虚空を駈ける。  主の意志を――殺意を成す為に。  迅雷の如きそれが目指すのは、眼球。抉り、光を奪うその軌道は冷徹なる一撃。  最短を高速で抜ける刃。それを“彼女”は受け止めた。事も無げに、その指で。  刃は語り掛ける。  ――刺せ。  ――貫け。  ――斬れ。  ――刻め。  自然と浮かぶ陶然とした笑み。躰の芯を熱くする衝動。  彼女は酔う。彼女の深くに響く声に。彼女の深くに流れる血に――。 866 伊南屋 ◆WsILX6i4pM sage 2008/03/29(土) 12:11:44 ID:/SChxdSF 。  事態が呑み込めず、故にジュウは動けない。 「雪姫、これはお前が思っている事とは違う」  紫が前に進み出て、雪姫から包丁を奪う。 「お前っ……危ないだろ」  無造作と言える程に乱雑に包丁の刃の側をつまんだ紫を見て、ジュウは冷や汗を流す。 「……本当に優しいのだなジュウは」  場違いな台詞と笑顔で紫が言う。 「とりあえず中に入ろう。少々騒いでしまったから人が来るかも知れん」  早々に紫が部屋に戻る。  ジュウ達は一度、互いの顔を眺め合いながら、何故か有無を言わせぬ紫の言葉に従い中へと入っていった。  † † † 「私を探しに来たのだな?」 「いえす。その通りです」  ふう、と紫は溜め息を漏らす。 「誰から頼まれたかは、まぁ察しがつく」 「……お前を追っているって奴か?」 「まぁそうだろうな。こいつに――切彦に“不殺(ころさず)”を強いる事が出来るのはアイツくらいのものだ」  不殺――逆に言えば、それを強いらなければ殺すというのだろうか、この切彦と言う女性は。  眉根を寄せるジュウが何を考えているのかに気付いたのか、紫は言った。 「ジュウは知らなくても良い――いや、知ってはならない事だ」 「……それは良い。納得は出来ないがな。でも、それよりも雪姫だ。なんであんなに……」  雪姫はもういない。切彦とは一緒には居れないと言って帰ってしまった。  居ないから、だからこそ気になる。あの雪姫があそこまで狼狽える理由を。 「それも含めての話だ。仮にそれを知るとして、私から聞くべきではないしな」 「雪姫に聞けってことか」 「まあ、そうなる」  これ以上話す事はないと言うように紫は言葉を切った。  ジュウはそれ以上聞けない。紫の意志の現れと、雪姫への誠意――無用な干渉をして彼女を傷付ける事を考えれば、そうするより他なかった。 「――さて、切彦」  紫が再び、切彦に視線を向ける。 「お前は私をどうする?」 「……正直どうしようとも」 「ほう?」 「私が見つけなくともあの人はあなたを見つけ出します。というよりはもう見つけ出してるでしょう。だから私はこれ以上なにもしません」 「……なぜ?」 「見つけ出してくれとしか言われてませんし」  契約は完了です――少し不機嫌そうに言って切彦は口を閉じた。  † † † 「なんだったんだ?」  立ち去った切彦を見送り、ジュウは呟いた。 「あいつも……一人の人間と言うことさ」 867 伊南屋 ◆WsILX6i4pM sage 2008/03/29(土) 12:12:35 ID:/SChxdSF  紫の言葉の意味を計りかね、ジュウは首を傾げる。 「人と仲良くもなるし、恋だってする。勿論、失恋だって」  ――それを認めたくないとも思うだろうさ。  紫はそう言って、目を伏せた。 「これだからアイツはダメなんだ。鈍感で無神経。何年経っても変わらない」 「――なぁ」 「なんだ?」 「そろそろ教えてくれないか。お前を追っているって奴を」  ジュウの問い掛けに紫は躊躇う。 「……別に構わないが。あらかじめ言っておこう。お前が思う程、事態は深刻ではないぞ?」  それに雨が答える。 「それは、今までの違和感から薄々感じてはいました。貴方は追手とまるで旧知のような言葉を零していましたし」  紫は鼻の頭を掻いて照れくさそうにする。 「――ならば洗いざらい吐こうじゃないか。正直、本当の事を言わないでいるのはこちらも気分が悪い」  そこでちらとジュウを見て、紫は溜め息混じりに続ける。 「特に、命でも賭けるんじゃないかってくらい悲壮な表情の奴がいるからな」  ジュウの頭を真っ直ぐ見て、紫は話しだした。 「少し……痴話喧嘩の愚痴に付き合ってくれないか?」  続く .
「彼と彼女の非日常」 -作者 伊南屋 ◆WsILX6i4pM -投下スレ 2スレ-3スレ -レス番 864-867 13-17 -備考 電波 続きもの 864 伊南屋 ◆WsILX6i4pM sage 2008/03/29(土) 12:08:30 ID:/SChxdSF 『彼と彼女の非日常・Ⅵ』  「お姉ちゃん、いるでしょ?」  そう言って切り出したのが光だと分かって、ジュウは確かに自分が安堵するのを感じた。  紫とは関係のない来客だと――そう思った。 「居るんでしょ? お姉ちゃん出して」 「どうしたんだ一体?」 「良いから早くっ!」  鬼気迫る、と言うよりは単純に切羽詰まって狼狽えた様子の光に押され、仕方無く中に居る雨を呼ぼうと振り返る。  だが、そうするより先に雨はジュウの意志に応えたように、玄関へと現れた。 「雨……こいつ」  ジュウが光を指すと、雨は分かっている。と言うように頷いて見せた。 「聞いた声がすると思えば……どうしたの? 光ちゃん」  雨の姿を確認して、光の張り詰めた雰囲気が若干和らいだ。 「……お姉ちゃんに、助けて欲しくて」 「……何があったの?」  縋る瞳の光に、雨が問い返すと光は背後から人を呼び寄せた。  ――現れた女性の、胡乱な表情の中にジュウは既視感を感じた。その表情にではなく、それが醸し出す危うさに。 「どうも……」  ぼそりと零すように挨拶して、彼女は小さくお辞儀をした。 「人を探してるの。昨日からずっと探してて、だけど見つからなくて……」 865 伊南屋 ◆WsILX6i4pM sage 2008/03/29(土) 12:09:45 ID:/SChxdSF 「人を探しているというのは、こちらの方が?」  雨が光が連れた女性を指すと、光は頷いて答えた。 「探しているという人はどういった方なのかしら?」 「えと……それが」  次いだ雨の問いに、光は説明を始めた。  まず、彼女とは昨日、街で会ったばかりであるという事。そこで人捜しに手を貸す約束をした事。それが行き詰まった事。 「最初は名前聞いても分からないと思って特徴だけ聞いて捜してたんだけど、行き詰まったから他に手掛かりは無いのって聞いたら――」  そこで光は不意に表情を曇らせ、困惑を浮かべた。  言うか、言うまいか散々悩んだ挙げ句、あくまで連れてきた彼女が言ったことだと前置きをした。  そうして一度深呼吸をしてから、躊躇いがちに口を開いた。 「――九鳳院財閥のお嬢様だって……」 「……っ!」  唐突に、紫へと繋がった。  女性が――光の連れて来た彼女が舞台の外ではなく内側の人物であった。  そして、彼女が自分達にとって敵になり得るのか、味方になり得るのか。  それこそが今この場においてジュウの思考を占める事柄だった。 「そう。それで、どうして探しているのですか?」  雨があくまで平静に尋ねる。 「私も、頼まれただけですから」 「あなたに頼んだ人はどうして?」 「……決着を付けるんだと、そう言ってました」 「決着?」  ジュウが漏らした言葉に、女性は答える。 「いえす。大切な――とても大切な事だと言ってました」 「大切な事……」  それが何であるかをジュウが問おうとして、しかしそれを妨げるように声があった。 「柔沢、どけ!」  常にはない、切迫した声。焦ったような、追い詰められたような余裕のない声――。 「そいつ――殺せないっ!」  ――斬島雪姫が叫んだ。  † † †  飛来するそれは真っ直ぐに、唯真っ直ぐに“彼女”を目掛け虚空を駈ける。  主の意志を――殺意を成す為に。  迅雷の如きそれが目指すのは、眼球。抉り、光を奪うその軌道は冷徹なる一撃。  最短を高速で抜ける刃。それを“彼女”は受け止めた。事も無げに、その指で。  刃は語り掛ける。  ――刺せ。  ――貫け。  ――斬れ。  ――刻め。  自然と浮かぶ陶然とした笑み。躰の芯を熱くする衝動。  彼女は酔う。彼女の深くに響く声に。彼女の深くに流れる血に――。 866 伊南屋 ◆WsILX6i4pM sage 2008/03/29(土) 12:11:44 ID:/SChxdSF 。  事態が呑み込めず、故にジュウは動けない。 「雪姫、これはお前が思っている事とは違う」  紫が前に進み出て、雪姫から包丁を奪う。 「お前っ……危ないだろ」  無造作と言える程に乱雑に包丁の刃の側をつまんだ紫を見て、ジュウは冷や汗を流す。 「……本当に優しいのだなジュウは」  場違いな台詞と笑顔で紫が言う。 「とりあえず中に入ろう。少々騒いでしまったから人が来るかも知れん」  早々に紫が部屋に戻る。  ジュウ達は一度、互いの顔を眺め合いながら、何故か有無を言わせぬ紫の言葉に従い中へと入っていった。  † † † 「私を探しに来たのだな?」 「いえす。その通りです」  ふう、と紫は溜め息を漏らす。 「誰から頼まれたかは、まぁ察しがつく」 「……お前を追っているって奴か?」 「まぁそうだろうな。こいつに――切彦に“不殺(ころさず)”を強いる事が出来るのはアイツくらいのものだ」  不殺――逆に言えば、それを強いらなければ殺すというのだろうか、この切彦と言う女性は。  眉根を寄せるジュウが何を考えているのかに気付いたのか、紫は言った。 「ジュウは知らなくても良い――いや、知ってはならない事だ」 「……それは良い。納得は出来ないがな。でも、それよりも雪姫だ。なんであんなに……」  雪姫はもういない。切彦とは一緒には居れないと言って帰ってしまった。  居ないから、だからこそ気になる。あの雪姫があそこまで狼狽える理由を。 「それも含めての話だ。仮にそれを知るとして、私から聞くべきではないしな」 「雪姫に聞けってことか」 「まあ、そうなる」  これ以上話す事はないと言うように紫は言葉を切った。  ジュウはそれ以上聞けない。紫の意志の現れと、雪姫への誠意――無用な干渉をして彼女を傷付ける事を考えれば、そうするより他なかった。 「――さて、切彦」  紫が再び、切彦に視線を向ける。 「お前は私をどうする?」 「……正直どうしようとも」 「ほう?」 「私が見つけなくともあの人はあなたを見つけ出します。というよりはもう見つけ出してるでしょう。だから私はこれ以上なにもしません」 「……なぜ?」 「見つけ出してくれとしか言われてませんし」  契約は完了です――少し不機嫌そうに言って切彦は口を閉じた。  † † † 「なんだったんだ?」  立ち去った切彦を見送り、ジュウは呟いた。 「あいつも……一人の人間と言うことさ」 867 伊南屋 ◆WsILX6i4pM sage 2008/03/29(土) 12:12:35 ID:/SChxdSF  紫の言葉の意味を計りかね、ジュウは首を傾げる。 「人と仲良くもなるし、恋だってする。勿論、失恋だって」  ――それを認めたくないとも思うだろうさ。  紫はそう言って、目を伏せた。 「これだからアイツはダメなんだ。鈍感で無神経。何年経っても変わらない」 「――なぁ」 「なんだ?」 「そろそろ教えてくれないか。お前を追っているって奴を」  ジュウの問い掛けに紫は躊躇う。 「……別に構わないが。あらかじめ言っておこう。お前が思う程、事態は深刻ではないぞ?」  それに雨が答える。 「それは、今までの違和感から薄々感じてはいました。貴方は追手とまるで旧知のような言葉を零していましたし」  紫は鼻の頭を掻いて照れくさそうにする。 「――ならば洗いざらい吐こうじゃないか。正直、本当の事を言わないでいるのはこちらも気分が悪い」  そこでちらとジュウを見て、紫は溜め息混じりに続ける。 「特に、命でも賭けるんじゃないかってくらい悲壮な表情の奴がいるからな」  ジュウの頭を真っ直ぐ見て、紫は話しだした。 「少し……痴話喧嘩の愚痴に付き合ってくれないか?」  続く 13 伊南屋 ◆WsILX6i4pM sage 2008/04/12(土) 18:15:50 ID:GEMnWOlU 『彼と彼女の非日常』 Ⅶ. 「……ここか」  はぁ、と溜め息を吐く。  ここが、あの揉め事処理屋・柔沢紅香の家だとは俄かには信じがたかった。  普通――全くの普通だ。  強固なセキュリティも、頑強なガードマンもない。  暫く観察した限り、特異な住人が居るわけでもない。  不戦の協定は流石に分からないが――本当に普通のアパートだった。 「しかしまぁ……だからこそって事なのかな?」  本人の印象が派手だからこそ、印象が結び付かないからこそ、誰にも気付かれない。  そういった意味では、この上ない意表の突き方だった。事実、こうして見ている自分ですら、まだ疑いは消えていない。  情報源の信頼度を疑う訳ではないが、やはり俄かには信じがたいと、どうしても思ってしまう。  ――まぁ、疑っていても、悩んでいてもしょうがない。  一歩を踏み出す。  皮切りに歩みを進める。  階段を上り、端から順に表札を確かめていく。 「本当にあった……」  立ち止まり、見つけた表札を確かめるように撫でる。  柔沢――間違いなくそう書いてあった。  耳を済まし、意識を集中する。  扉の向こうに人の気配。  複数あるその気配の中に、紅香は居るのだろうか。また、彼女の子供が。  そして――紫が。  深呼吸をする。チャイムを押す。  そうして、呼び掛ける。中にいる人間に。己が到来を告げる。 「ごめん下さい。紅真九朗というものですが」  † † †  軽い音を立てて扉が開いた。 「あぁ、すみませ――」 「紫なら、あんたには会いたくないって言ってる」  バタン。 「…………」  完全な拒否だった。存在を否定されたかのような、関係を断絶されたかのような、そんなショックを真九朗は受けていた。 「え~と」  額に手を当てて考える。  一応、紫はいるらしい。発言から察するにそうだ。  発言――そう、発言だ。  いや、確かに何も言わずに飛び出して行ったし、分からなくもないけど……俺、拒否られたんだよな?  会いたくないって、言われた。  ――思ってた以上にショックだった。  人づてとは言え、紫に会いたくないと言われた事が。 「……いや待て」  人づて、なのだ。  思い出す。対応に出た人間を。  金髪、真九朗より高い身長、鋭い目つき、不機嫌そうに寄せた眉毛。  不良――そんな言葉がしっくりくる少年だった。  紅香の息子なのだろうか。 「いやでも……」 14 伊南屋 ◆WsILX6i4pM sage 2008/04/12(土) 18:16:54 ID:GEMnWOlU  子供について決して多くは語らない紅香。そんな彼女が何度か自分の子供を評した言葉。 『弱い奴だよ。いつまでも泣き虫で、餓鬼のままだ』  ――弱い、弱い人間であると紅香は言っていた。  そのイメージからは、かけ離れていた。と言うことは紅香の子供ではないのだろうか?  或いは紅香の子供の友人というラインも考えられるが――。 「――考えても仕方ない……か」  兎に角、紫本人から聞かなくては。真意を――本心を。 「ごめん下さい!」  再びチャイムを鳴らす。いくらか待って、扉が開いた。  再び金髪の少年が現れ、真九朗を睨み付ける。それに怯む事なく、真九朗は言った。 「紫に……会わせてくれ」 「……多分後悔すると思うけどな」 「構わない」 「……良いだろう。上がれ」  誘うように少年が体をどけ、道を開く。 「一つ聞いて良いかな?」 「なんだ?」 「名前は?」 「……柔沢ジュウ」  ――話が違うよ紅香さん。  真九朗の弱いという言葉から描いていたイメージはもっと華奢で繊細そうな少年だった。  ――まぁ、紅香さんからしたら大抵の人間は弱いのかも知れないけどさ。  別段追及する事はせず、部屋に上がる。通されたリビングは、日中なのに何故かカーテンが閉められ薄暗い。  そんな薄闇の中、浮かび上がるように少女の後ろ姿が見えた。  小柄な背に、艶やかな長い黒髪。活動的な、ボーイッシュな服装。  身に纏うのは凛とした気高さ。 「紫……」  少女は――応えない。 「……何か言ってくれよ。そうじゃなきゃ、分からない」 「分からないのか?」  背後からの声は、追い付いた少年――ジュウのもの。  ジュウの問い掛けに、真九朗は考え込み応える。 「……分からない」  やれやれと言った風情で溜め息をついて、ジュウは真九朗の肩を叩く。 「こういう事だ」  言って、ジュウは真九朗を抜いて歩き、少女の傍らへと進む。  そうして、真九朗を正面に――少女と対面になる位置に立った。  そっと肩に腕が回され、少女を抱き寄せる。 「よく見とけ」  ジュウは少女の顔を覗きこんで、それから一度、真九朗に挑発的な視線を寄越すと、そっと少女の唇に自らの唇を――寄せた。 「――っ!?」  言葉もない。ただ途方もない衝撃が、真九朗の心を殴りつけた。 15 伊南屋 ◆WsILX6i4pM sage 2008/04/12(土) 18:18:30 ID:GEMnWOlU 「なっ……おま……何してっ!?」  混乱する。今、目の前で何が起きた?  後頭からでは表情は窺えない。はたして、どんな表情で――どんな想いで少年の行いを受け入れているのか。  ――後悔。  後悔、後悔、後悔。  少年の言う通りだった。胸に渦巻くのは激しい後悔。  こんなもの――見たくなかった!  頭に血が昇り何も考えられなくなる。  ただ、真九朗の心を内から染める感情は――怒り。  何故自分が怒っているのかも分からないままに、真九朗は激情のみを糧にジュウに殴りかかろうと――。 「少しは私の気持ちが分かったか?」  呼び掛ける声は再び背後から。但し、今度は少年の声ではなく少女の――とてもよく聞き慣れた声だった。 「あ……え?」  拳を振りかぶったまま振り返る。  そこには、憮然とした、小柄な背の、長い艶やかな黒髪の、ボーイッシュな服装をした、凛とした気高さを纏う少女が――紫がいた。 「いつもの仕返しだ」  ぴんっ、と鼻っ柱をデコピンされた。 「え? え? 紫が二人……?」  二人の少女に向け頭を振りながら真九朗は狼狽える。 「違ぇよ」  少年の声に振り返れば、先まで背を向けていた少女が、面を向けていた。 「――紫じゃ……ない」 「雨と申します。紅さん」  紫とは違う。紫を陽とするなら、陰。それでも美しい事は疑いようもない少女だった。  雨と名乗ったその少女は、紫を見ながら言った。 「ちょっとした仕返しだ。そこの二人を怨むなよ。怨むなら――自分自身だ」  ――日頃の行いが悪いからだ。  そう、紫は言った。 「な……なんで?」 「ここに来れたのは何故だ?」 「……銀子に情報を頼んだ」 「一人で捜したか?」 「切彦さんに頼んだけど……」 「他には?」 「……夕乃さんにも。でも、断られた」 「それが答えだ」  強く言って、紫は真九朗を睨み付ける。 「私がこんなにも想っているのに、真九朗の周りには別な女が居て、その好意に甘えている。私は……それが我慢ならない」  それまで蚊帳の外だったジュウが見た、その言葉を発した紫の顔は、真っ赤に染まっていて、ジュウはその時、初めて紫の年相応の、少女としての表情を見た様な気がした。  その一方、真九朗は呆気に取られていた。  呆気に取られて、顔を赤くしていた。 「その……それは」 「たまには……私を頼ってくれても良いじゃないか」  ――守られるだけは嫌なのだ。紫はそう言って俯いた。 16 伊南屋 ◆WsILX6i4pM sage 2008/04/12(土) 18:20:17 ID:GEMnWOlU 「紫……」  真九朗の胸に渦巻くのは、やはり後悔だった。紫との長い関係の中で与え続けてきた不安。  守れば良いと、そう思っていた。しかしそれは違うのだと気付かされた。  紫は望んでいるのだ。対等な関係を。守られてばかりではない、互いの関係を。  それと、不安。  想ってくれているのは知っていた。そして、それに甘えていた。  紫が嫉妬して、居なくなるなんて思いもせずに、周りの好意に甘えていた。 「ごめん……」  自然と漏れた謝罪の言葉だったが、紫が表情を和らげる事はなかった。 「……言葉よりも態度で、態度よりも行動で示せ」  真九朗を見上げる紫の瞳はどこまでも真っ直ぐで、真九朗もそれを見つめ返す。少しだけ躊躇って、真九朗は唇を――。  † † † 「全く、見てらんねえ」  玄関の外、部屋の中から抜け出したジュウは苦笑混じりに呟いた。 「ああいうこそばゆいのは見てて辛くなるな」  傍らの従者に、お前はどうかと問う。 「私は素敵だと思います」 「そうか」  ――悪戯の発案は雨だった。  話を聞いて、少し仕返しをしてやろうという事になり、雨が仕組んだ。  部屋を暗くして、服を変えれば後ろ姿からは雨と紫の見分けは難しい。  そこで雨を紫と思い込ませ、目の前で奪う。そういう悪戯を。 「しかし本当、最後の最後まで蚊帳の外だな」 「そうですね。何をするでもなく巻き込まれただけでした」  巻き込まれて、掻き回された。それだけの事だった。そうジュウは思う。 「ですが、そうとも限りません」  雨は言う。 「ジュウ様が居たから、舞台は整いました。最後の一計もジュウ様が居たから成立しました」  最後の最後まで脇役。しかし脇役が居なくては成り立たない物語もある。  雨はそう締めくくった。 「それに――」  ジュウに聞こえぬ声。少し頬を赤らめて、雨は付け足した。 「フリとは言え、役得もありましたから」 「なんか言ったか?」 「いえ、お気になさらないで下さい」  追求するでもなく、ジュウはそうかと頷いた。  余計な事は話さず、心も全てを晒しているわけではない関係。それが今の二人の距離感。  中の二人とは対照的な、不思議な関係。  それでも中の二人を関係を羨む事も、互いの関係を疎む事もない。  なぜなら、心を晒さなくとも分かり合える事もあると、そう思えるからだ。  もちろん、中の二人のようにぶつかり合う事だって、時には必要だろう。 17 伊南屋 ◆WsILX6i4pM sage 2008/04/12(土) 18:21:20 ID:GEMnWOlU  その時はその時だ。思う存分ぶつかってやろう。 「ちゃんと、あの二人は仲直りできたんだよな?」 「はい」 「なら、良かった」  心からそう思える。  ぶつかり合う事で分かり合えるその証があの二人だ。だから、ちゃんと笑い合えるようになって貰わなくては困るのだ。  それから――部屋の中から笑い声が聞こえるまでは、そう長くなかった。 終 .

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