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禁忌惹厄アフター・ラジオ(前編)  ◆GOn9rNo1ts




欣喜雀躍
意味……雀が飛び跳ねるように非常に喜ぶこと。



◇ ◇ ◇



『魔法少女が殺し合いに巻き込まれた場合、どうなるのか。その一例』



高町なのはは、超一級の魔道士である。
杖から放たれる魔法は時に真っ直ぐに的を貫き、時に逃げる敵を的確に追尾する彼女の矛である。
圧倒的魔力から発せられる障壁は何人たりとも寄せ付けず、身に纏う白き衣装は魔力で構築された彼女の盾だ。
自由自在に編まれる魔術の縄は相手の動きを封じ、風を切り空を飛び、彼女自身が獲物を決して逃さぬ鷲の如き機動を成す。
一般人から見て余りある強さを持つ彼女はその実、同じ魔道士から見てもエース(憧れ)なのである。
今までに扱った事件は少ないものの、ジュエルシードや闇の書と言った管理局でも手に余る代物を相手取った戦績は素晴らしいの一言に尽きる。

さて、ここまで読んで常識的に考えて欲しい。
この『高町なのは』が『偶然魔法を手にした若干10歳の少女』であると、誰が信じられるだろうか。
常人が十何年も、もしかすると何十年も経験を積み、努力を重ね、漸く至る境地に、僅か一年足らずで辿り着いたと、誰が信じるだろうか。
専門的な訓練も碌に受けずAAAクラスの魔道士と互角に戦い、勝利さえ収めてしまう。
彼女の世界において魔法は資質の要素が大きいとはいえ、これは異常だ。異常に過ぎる。

その活躍を目の当たりにした人は、幼き彼女を羨望の対象として『天才』と呼ぶだろう。
為す術無く追い詰められた敵は、小さな彼女を恐怖の対象として『悪魔』と呼ぶかもしれない。

いずれにせよ、高町なのはは魔法絡みの事態に出張る時、『10歳の弱き少女』ではいられない。
『頼れる強者』として仲間を守り、問題を排除し、事態を解決するべき人間となるのだ。

ならなければ、いけないのだ。

さて、ここで焦点を当てていきたいのは彼女の魔法杖、デバイスに搭載されている『非殺傷設定』である。
魔術で相手の力だけを奪い文字の如く『殺傷』を引き起こさない、何とも便利で夢のあるシステム。
10歳の元一般人の少女が数々の強敵と戦えてきたのは、この装置によるものが大きいと考えられる。
いくら力があっても、どれだけ多くの魔法が使えても、それを使う『意志』がなければ意味がない。
そして意志は、戦いという名の奪い合いにおいては『覚悟』に上書きされる。
相手から何かを奪う覚悟、何かを奪われる覚悟。
人類有史以来、その思いなしで戦いに臨む者はただの愚か者か狂人と相場が決まっている。
高町なのはにも覚悟がある。並みの大人よりもよほど物事を考えている少女が、おちゃらけて戦いを行う筈はない。



しかし、その覚悟は『何かを奪われる覚悟』だけである。
もっと言えば、『己が傷つく事に対する覚悟』のみである。

『何かを奪う覚悟』に関しては、彼女は路地裏で喧嘩を行う不良少年よりも疎い可能性すら有る。
原因は言うまでもない、件の『非殺傷設定』である。
彼女はどれだけ危険な状態に有ろうと、決して非殺傷設定を解除しない。
意地を張るように、必ず非殺傷設定で強敵に立ち向かう。
その甲斐あって、なのはがいくら強い攻撃を行おうと相手の手足は吹っ飛ばない。目や耳を失う危険性もない。

命を奪うことなど、あり得ない。

これが、十歳の少女が戦いに全力をぶつけられるタネである。
なのはは大事なものを失う悲しみを理解できる。大切なものが壊れてしまう苦しみも想像できる。
だから、強い。悲しみを知る人間は強くなれる。優しくなれる。
しかし彼女は、相手のとり返しのつかないものを奪ってしまうことを肯定し、戦っているわけではない。
頑なに襲ってきた相手の戦闘力だけを奪い、拘束しようとする。道徳の見本となるような人間だ。

殺し合いという名の生き地獄に身を投じるには、彼女はあまりにも優しすぎた。
『命を奪う覚悟』を持つには、齢十歳ほどの彼女は、あまりにも幼すぎた。

そして彼女は、大切な誰かを奪われることを、命の脆さを、あまりにも知らなかった。
瞬き後に隣の誰かが吹き飛んでいるような、地獄の戦場を体験した傭兵ではなく。
捨て駒のように扱われ消費として明記される、軍隊の部品となる兵士でもなく。
達観しきった少女はそれでも、平和な国の学校に通う、どこにでもいる少女のままで。
戦いを知る若きエースであっても、殺し合いを知るアウトローでは、なかった。


だから。

「…………あ?」

誰かが死んだとき。

「あ……あ、あ、あ、あ、ああああぁぁ?」

……もしくは。

自分が、殺してしまったとき。






「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
あああああああああああああああああああ
あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」




高町なのはの中で、決定的な何かが、ぷつんと切れた。



◇ ◇ ◇



『人間は、自分以外が何を考えているのか分かるのだろうか。その一例』



昇り始めた真っ赤な太陽が、地上を光で隅々まで包み込む。
彼女の不在時に我が物顔で世界を乗っ取っていた暗き闇は、今や建物の影でこっそりと身を潜めていた。
身を切るような風がひゅうと、一際強く吹き付ける。
それに釣られて、歩道と車道の間に置かれていた花壇の中で、動きがあった。
咲き誇る濃紫のヒヤシンスの群れだ。彼女たちは小さな肢体を精一杯振り、踊る、踊る。
右に左に、揺れる、揺れる。時に立ち止まり、次の瞬間にはスキップを刻む。
全ては、風の気まぐれ通りに。花たちに抵抗することなど、出来ようもない。
そして、あまりに強く吹き付けられたため、一茎の乙女がへなりと、折れた。
折れたまま、彼女は二度と踊れはしなかった。風は残念そうに溜息をつく。
我関せずという風に、他のヒヤシンスは黙々と踊り続ける。
脱落した軟弱者には興味がないとでも言うように、踊り続けていた。


清々しい朝だった。


「彼女たちは、どうですか」
「ぐっすり眠っていますよ。よほど堪えたんでしょう」

日本国民なら大多数が知っているであろう、とあるファーストフード店に、二つの声が響く。
いかにも模範学生、と見える高校生ほどの少年一人。
落ち着きを持った、どこにでもいそうな優男一人。
夜神月(ライト)、高遠遙一。二人のSetは、テーブルを挟み対面に座っている。
そうして少しの沈黙の後、高遠の方が問いかけを切り出した。



「12人。月君、あなたはどう思いますか?」
「どう、とは」

薄い笑みを貼り付けて質問を投げつける高遠に、月はそっけなくその質問を返す。

「分かっているはずです。これは予想以上に……多い数だと」
「そう、ですか」

高遠は「良いですか」と前置きをしながら話を続ける。
月は、それを何処か遠くを見るように聞いていた。

「そもそものルール……三つのグループによる殺し合い。
私はこれを聞いた当初、事態はもっと膠着するものだと思っていました」
「何故です?人間なんてものは、一般的に考えられているよりも、遙かに弱い。
殺さなければ生き残れないと分かれば、あのワカメのような愚か者も現れるでしょう」
「ええ、そうです。しかし、それは『殺すべき者』がはっきりしている場合です」

まるでその言葉を待っていたかのように――実際、そう来るように予期していたのだろうが――高遠は淀みなく会話を続けていく。
身の入っていない月を置き去りにしながら。

「この実験が最後の一人になるまで殺し合え、という内容であれば12人という参加者の五分の一を占める死亡者の数にも納得できます。
しかし、これはチーム戦です。それも、誰がどのチームかは知らされていない。
むやみやたらに他人を襲っていけば、自分の首を絞めることになりかねません」
「だから、まずは様子見にまわる人間が多い、と?」
「ええ。ワカメ……間桐慎二のような人間ばかりだと、そもそもチーム戦にして『実験』する意味がありませんから」

参加者が間桐慎二のような人間ばかりだとすると、そもそもチームなんてものは必要ないだろう。
最後の一人まで殺し合え。それだけで良かったはずだ。
だが、実際は月や高遠のような頭の回る人間。
それに、イカ娘や高町なのはのような、人を傷つけることを良しとしない人間も参加している。
高遠や月はお互いに話していないが……知り合いであるLや金田一、それ以外の人間も、簡単に殺し合いに乗るとは考えづらい。
あくまでもこれは頭脳戦……理知的に殺し、論理的に生き残るゲームだと、高遠は考えていた。

「しかし、実際は12人。5分の1ほどの参加者がわずか6時間で死亡した。
単純に逆算すればですが、12人は『短絡的に殺しに走る人間』がいるということになります」

残り人数は48人。その中の4分の1は人殺し。
頭脳戦と言うからには、今は潜み機会を窺っている者もいると考えられる。

「幸運なのは、大体その人殺しの正体が……というには曖昧模糊ですが、分かっているということです」
「Setグループの人間、ですね」
「その通り。それは殺された人間の割合からも推測できます」

退場者のグループ分けはHor2名、Set1名、Isi9名。
圧倒的にIsiが多い。それに比べ、HorとSetは明らかに少ない。



「ただ生き残ればよいIsiが大勢死に、ただ殺せばよいSetの死者はわずか一名。
そしてSetは自分たちのグループ以外の人間を全員殺さなければ生き残れない。
私達の考え通り、Setに危険な人物が多く存在する、と考えるのが、一番筋が通ります」
「逆にIsiには、そのSetの攻撃から身を守ることが出来ない人間……弱者が多いと言うことにも、なる?」
「さすがは月君です。話が早くて助かります」

稼働していたドリンクバーの機械から二杯の透明なグラスに、紅茶が注がれる。
それを両手に持ち、席にゆっくり戻りながら、高遠は口を休めることはない。

「Horも時間内にIsiと共に生き残れば良いわけですが、彼らは二人が減っただけです。
これは、HorはIsiよりも強い人間が多いと言うことでしょう。
これならば、死んだ一人のSetは、Horの人間を襲い返り討ちに遭ってしまった、という推論も出来ます」
「主催者が僕たちのスタート地点を任意に操作した、ということも大凡はっきりしましたね
恐らく、速攻で殺しに走るようなSetの危険人物達が『共食い』しないように、ある程度配慮して配置しているはずです。
ついでに、殺しやすいIsiの近くにSetを配置して、ということにもなるかもしれません。
これなら、こんな広大なフィールドにおいてのIsiの大量死亡にもある程度納得がいきます」
「ならば私達の出会いも必然に近いものだった、という発想にも結びつきますよね。
全てが主催者の掌の上、という暗い考えも頭に浮かんでしまいますよ。フフフ」

冗談めかして笑う高遠が差し出したカップを、月は受け取りながらも口をつけようとはしない。
代わりに、ペンを持ちメモ帳に新たな一文。
  • 主催者は任意に参加者を瞬間移動させることが出来る。精度は不明だが、ある程度確かなものらしい。
受け取ったコップをテーブルにカタリと置きながら、対面に座る高遠に視線を向ける。

「だけど、それなら何故主催はわざわざ殺すためにIsiを参加者にしたのか、と言う点が気になります。
Horの勝利条件にはIsiの生存も含まれている……つまりHorの人間の危機感を煽るため……?それとも……」

考え込むような表情の月の顔が、何かに気付いたように一点に注がれる。
そこには、相も変わらず目を細め微笑んでいる、高遠の姿があった。
月は彼を見つめ、小さく目礼。感謝の言葉を紡ぎ出す。



「ありがとうございます、高遠さん」
「いえいえ、礼には及びません。どうぞお好きなときにお飲みください」
「……いえ、飲み物の件ではなく」

月は完璧な微笑を、完璧すぎる微笑を、高遠に見せた。

「貴方の気遣いに、ですよ」
「何のことでしょう」

白を切る高遠に、月は少し照れくさそうに高遠の「気遣い」を示す。
学校の先生に答えを発表する生徒のように。

「貴方は気付いていたはずです。呼ばれた死亡者の中に……僕の身内がいたことを」

暗いトーンが、混ざる。

「夜神粧裕。僕の……妹です」

月は目を伏せ、愛すべき妹のことを想った。
活発で、裏表のない性格。その明るさは多くの人を笑顔にしただろう。
その一方で勉強が苦手で、良く月に教わっていた。手がかかったがそれ故に可愛かった。
そんな彼女が、死んだ。たった六時間で、彼女の魂はこの世から消滅してしまった。

「予想は、していました。あいつがこの場で生き残れる可能性は、非常に少ない。
戦う力もないし頭も回らない。間桐慎二のような超人的力を持っていなくとも、容易にねじふせられる。
正にIsiに相応しい、生け贄でしょう」

それでも、と。
月は声を絞り出す。顔に浮かぶのは、彼がこの場で始めてみせる表情――悲しみ。
涙を流さずとも、身を削るような感情の奔流が月を支配していると見て取ることは高遠には容易だった。

「生きていて、欲しかった……!」
「月君」

そこで重く一息ついた月は、高遠の言葉を待たず、更に己の推理を口にする。
そうすることで、安寧が得られるとでも言うように。
己の苦しみを、紛らわせようとするように。



「でも、僕は何事もなかったようにイカ娘やなのはちゃんのメンタルケアに、貴方と一緒に当たった。
戦闘力のある彼女たちが機能しなければ、僕たちがこれから生き残れるかは分かりませんでしたから。
…………いえ、そんな論理的な理由ではなかった。
僕は彼女たちにも貴方にも、見せたくなかったのかもしれません。
大声で泣き怨嗟の声をあげる、僕の愚かで、醜い姿を」

彼女たちを助けることでちっぽけなプライド、自尊心を保とうとする。
自分よりも弱い者の救済に専念することで、傷だらけの自分を一時でも忘れる。
本当にメンタルケアをされていたのは、僕の方かもしれない。
滑稽でしょう、と月は自嘲気味に笑う。

「しかし、彼女たちが寝付いた今、僕が縋れるものはなくなってしまった。
僕は妹を失った悲しみと、加害者や主催者への怒りとに苛まれ、それを外に出さないように心を砕いていた。
貴方へのリアクションもさぞかし間抜けなものだったでしょう?」
「……それで?」
「そのことを気にかけた貴方は、わざわざ海の家で行った共通認識の確認を、再度行った。
放送という新しいファクターから得られた情報、それを利用した推論の補強も。
だめ押しに、Isiの存在意義に疑問が向くように会話を誘導した。
全ては……僕の心を妹の死からそらすため。違いますか?」

心の傷は、目に見えない。
一晩で消えてしまうものもあれば、死ぬまで残るものだってある。
はっきりと完治させる治療法など存在しないし、個々人によって症状も千差万別。
だけど、そんな難しい傷も、痛みを緩和する方法ならばだいたいの人は知っている。
すなわち、意識を別の所に向けること。簡単に言えば、気晴らしだ。

「貴方はイカ娘となのはちゃんのメンタルケアを終えた後、次は僕の番だと考えた。
だけど、僕は彼女たちのように慰められても効果が薄いと感じ、僕の得意な『考察』をメンタルケアの代用法とした。
こんなところでしょう。お恥ずかしながら、ほとんど全てがただの想像ですけどね」

月は、挑戦するように、解答を突きつける。
そう言われた高遠は、笑みを濃くしながら。

「ご想像に、お任せします」

と、柔らかく答えたのだった。




その後、月と高遠は今後の方針について話し合った。

「彼女たちは私達の生命線。無理だけはさせたくないものです」
「そうですね。もう少しだけでも、休ませてあげるべきでしょう」

なのはとイカ娘は、感情の整理のために二時間ほど寝かせておくべきだということ。
その間は動けないため、出来る限りは体力の回復に努めるべきだということ。

そして、一番の問題。
放送が行われたここから程近いテレビ局に対し、どうアプローチを取るべきか。
行ってみるか。それとも行かないのか。
そこで出会うだろう人物に対し、いかなる反応を取るべきか。または取らないべきか。
二時間という、少なくない間を空けて行く際のメリット、デメリットetc……。

「考えるべき懸案は山のようにあります。月君、貴方の知恵も、是非ともお借りしたいところですね」

「僕のような若輩者でよければ、いくらでも」

二人はニコニコと笑みを被せ、言を重ね、議論を続けていく。
端から見れば、優等生が放課後に先生と話し合っているようにも見えたかもしれない。
しかし、彼らの本性とお互いの目的を知れば、知るほど。
彼らの談笑は、不格好なものに感じる、かもしれない。
夜神月はそのような意図を持って、己の妹のことを明かしたのか。
高遠遙一はどのように考えて、月との対話を望んだのか。

全ては全て、現段階では真っ暗な闇の中。
私達は誰かの心情を推し量ることは出来ても……理解することなど、出来ないのだから。
だけど、これだけは言っておこう。
彼らが、互いの害意に気付いている彼らが、額面通りのやりとりを行っていたはずがないと。

キラと地獄の傀儡師の化かし合い。騙し合い。
それはずっとずっと続くのかもしれないし……次の瞬間には、決着しているかもしれない。
ここまでの会話全て、彼らの計画(シナリオ)どおり。
ここから先、どちらの思惑が上回るかは……神のみぞ知る。

さて。ご静聴ご静聴。

敵意を隠し本音を呑み込み、見えない凶器で互いの背中を刺し合いっこするアソビ。
十手先を読み百手先を予測し、意味と無意味をドロドロに混ぜ合う、悪人同士の静かな頭脳戦。

はじまり、はじまり。





◇ ◇ ◇



『人間に近しい知性を持ったイカは夢を見るのか。その一例』



相沢栄子が、死んだらしい。

『月、今の声はなんだったのでゲソ?』

イカ娘が全く与り知らぬところで。
イカ娘が呑気にエビカレーを食べている最中に。
イカ娘が心強い仲間に囲まれている時に。
イカ娘がワカメと戦っている間に。
イカ娘は生きている、のに。

あの相沢栄子が、死んでしまったらしい。

『月……そういう冗談は笑えないでゲソよ?』

死。人間界に疎いイカ娘でも、その概念は理解している。
いや、のほほんと生活している大多数の人間達に比べて、彼女は海の中で弱肉強食という世界を生き抜いてきたのだ。
死、などは常にありふれたものであり、サメなどの外敵に襲われ死を覚悟したことも一度や二度では済まないだろう。
だが、しかし。

『おかしいでゲソ!そんな、のは……おか、しい……ゲソ』

相沢栄子は、そんな悲しいモノとは遠いところに存在するはずだった。
海中でサメに襲われることもなく、地上で平和を享受して生きるただの人間であるはずだった。
海の家で給仕をして、掃除をして、会計をして。
一緒にテレビを見て、ご飯を食べて、同じ部屋で眠って。
馬鹿にされて、馬鹿にして、共に笑って、共に生きて。


そんな相沢栄子が、もう……いない?


こちらを見て無邪気に笑う彼女の顔が。
こちらを見てげんなりする彼女の顔が。
こちらを見て驚きを露わにする彼女の顔が。
こちらを見て「おはよう」と言う彼女の顔が。
こちらを見て「おやすみ」と言う彼女の顔が。
頭の中で、全て真っ赤に染まった。
全身が黒く包まれ、散り散りと霧散。
残ったのは、空白。



痛い。何処かが痛かった。
ズキズキと痛いのは頭?
チクチクと刺されているのは顔?
ポッカリと穴が開いているのは身体?
ギシギシと軋みを挙げるのは手足?
それとも……それともそれら全部の苦痛は、胸の内に隠されている小さな心(ハート)からやって来ているの?
痛い。苦しい。どこもかしこも張り裂けそうだ。
目尻から溢れ出す大量の液体と、鼻から漏れる粘着質のイカスミが、止まらない。
身体中が熱くて寒い。たけるから教えて貰った癇癪玉と、海の家にあるかき氷が同時に襲いかかってきたようだ。
前後不覚。左右不安定。内と外の区別も付かない。
ぐるりぐるりと、世界が回る。
イカ娘は堪らず悲鳴を上げる。


「助けてでゲソ!」


どうしたことだろう。
さっきまで一緒にいた夜神月も、高遠遙一も、高町なのはも、ここにはいない。
誰かいないか。誰かいないか。見渡せど見渡せど、誰もいない。何もない。
ただ、何もないという空間だけがあるだけだった。
色を説明すれば透明と言うほか無く、カタチを説明すれば永遠、と言う言葉しか浮かばない。
そんな場所に、一人ぼっち。

怖い。

当然のように湧き出てくる感情。恐怖。
気付いた時には、イカ娘の足は動き出していた。
夢中になって得体の知れない霧中を駆け回る。
誰かいないか、と声を張り上げ。
返事をしてくれと、懇願し。
辿り着いた、何もないところに。


ソイツはいた。


仮面。特徴はそれだけで事足りる。
テレビでしか見たことのない、踊るようなステップを刻み。
テレビでも見たくはない、怪奇極まりない容貌を見せつけ。
その怪人――先程会ったVとやらは現れた。
かつり、かつりと不気味に足音を鳴らしながら、彼(?)はこちらに向かってくる。

(逃げなきゃ)

全身が、コイツが危険だと叫んでいる。
第六感。獣の勘とでもいうような非科学的産物が、コイツの全てを否定している。
サメに睨まれたときの百倍は怖気が走る。
千鶴の怖い笑顔に匹敵するほど、心臓が縮み上がる。



(逃げなきゃ)

冷や汗が止まらない。
足が震え、立っているのもままならない。
このままだと崩れ落ちそうなので、そうなる前に……足を動かした。
逆走だ。来た道を息を切らし更には切れ切れさせ、外敵から逃げ惑う。
はあ、はあ、と必死になって足を動かし、世界の果てまで逃走する。
今の彼女は、地上を侵略するために現れた海からの使者などという大仰なものではなかった。
ただの、臆病風に吹かれた子供だった。

「助けてでゲソ!」

二度目の叫び。
今度は、中の痛みではなく、外からの攻撃のため。
首をギリギリ言わせて振り返ると、Vはつかず離れずの距離を滑るように追走している。
早苗に追われる時とは比べものにならない恐れが、心を支配した。
追いつかれたら、どうなってしまうんだろう。
手に持ったナイフで切り刻まれるのだろうか。
その後は大きな大きな鍋に放り込まれ、焼かれるのだろうか。
更にその後は、仮面を外し狂気の顔を見せる男の口の中で……クチャクチャと、咀嚼されてしまうのだろうか。

悪夢の発想は連鎖し、連結し、無限大に大きくなっていく。
捕まってたまるか。こんなところで死んでたまるか。絶対に逃げ切ってみせる。
そんな決意を嘲笑するかのように、膝がガクガクと笑う。呼吸がままならない。
終わりの見えないデッドレースはイカ娘の体力を容赦なく奪い、精神を徐々に摩耗させていく。
もう、駄目だ。絶望が身体と心の隅々までを巣くって行く。それでも、走りは止まらず。
最早歩みとなっていることにも気付かぬまま、鉛のように重い手足を必死に動かして。
そうして。
ぜいぜいと荒い息を吐きながら何百回目の小さな一歩を踏み出そうとして、彼女は転けた。

「あっ」

ずてーん、という擬音がお似合いな、見事なこけっぷりだった。
顔を地面にびたーんと張り付けて、そのまま動かない。
いや、動けない。とうの昔に限界は超えている。
大きく息を吸い、吐き、呼吸を整え、恐る恐る顔を上げると。
すぐ目の前に、仮面が有った。
色々なものが、瞬時に麻痺した。

怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い怖い怖い怖い怖い!

壊れた機械のように何度も何度も堂々巡りを繰り返す思考の渦の中で、イカ娘は再三叫ぶ。

「助けてでゲソ!」

喉がかすれて、一回目に比べると全然小さな声しか出ない。
絶望に犯されて、二回目と比べると全然希望を抱けやしない。
そして、やっぱりいつも通り、叫びは無の空間に消えていった。
何事もなかったかのように仮面の男、Vはナイフを振り上げて。
イカ娘は抵抗する力も意志もなく、ぎゅっと目を瞑る。

(せめてもう一度、エビをお腹いっぱい食べたかったでゲソ……)

昔の偉い人はこう言った。
二度あることは三度ある、と。




だけど。




「うちのイカ娘に――――――」




昔の偉い人は、こうも言った。




「何しとんじゃボケナス―――――!!!」




三度目の正直、と。


「えっ……」

目を開くと、そこにいたのは。

小さな相沢たけるでもなく。
大きな相沢千鶴でもなく。
海を守る同士、嵐山悟郎でもなく。
勿論、長月早苗でも、シンディーでも、斉藤渚でもなく。
3バカトリオ……はあり得ないとして。


「え、え、えええええ」


「よっ、大丈夫か、イカ娘」


「栄子――!」



相沢栄子が、そこにいた。



仮面の男を蹴り飛ばしたそのままの姿勢で、不敵に笑い。
彼女はヒーローのように自信満々に、こちらに歩み寄る。


「まったく……お前の触手があればあんなのくらいちょちょいのちょいだろうが」

「そ、そんなことより、本当に栄子なのでゲソか!?」

「お前の目は節穴か?どうみたって私は私だろ?」

「ほ、本当に、本当に本当に本当に、栄子なのでゲソか?」

「しつこい!」

突っ込みが心地よい。怒った顔を見ると、どこからか元気が沸いてくる。
その元気を推進力に変え……イカ娘は相沢栄子に突撃した。タックルだ。
ぽすりと、些か控えめな胸の中に飛び込む。そのまま身体を腕でロック。
驚いて固くなった栄子の身体を、これでもかというようにきつく抱きしめる。

「わ、わ、わ、わ、どうしたよいきなり」

「だって、栄子は、栄子は、栄子は……死んだって……!」

かすれた涙声で、認めたくなかった事実をはじめて口にした。
怖かった。次の瞬間に栄子が消え失せてしまうのではないかと。
怖かった。今ここにいる栄子が、お化けの類であると知らされるかもしれなくて。
怖かった。全ては自分の妄想であり、栄子はイカ娘の生み出した幻想なのではないかと。
でも。

「はあ?何言ってんだ気色悪い。栄子様の華麗なキックを見てなかったのかよ。
それとも足がある欧米タイプの幽霊かあたしは。こちとら混じりっけ無しの日本人だっての」

「本当に本物のなま栄子でゲソー!」

先程までとは違う種類の涙が溢れてくる。止まらない。
黒いイカスミの鼻水が栄子の服に付着するが、無視する。
栄子に言われるまでもない。彼女の身体は温かくて、柔らかくて、それがどうしようもなく気分を高揚させて。
あまりに興奮しすぎて、イカ娘の十本の触手が彼女の身体を巻き取ってしまった。
栄子の身体のどこかしこも、ぎゅっと締め上げる。もう離さないと、力を込めた。
ギャアという男前な悲鳴も、今は生を示す貴重な証拠に他ならない。

「く、苦しいって!」

「約束して欲しいでゲソ!」

「な、何をだよ……」

「もう、もうどこにも行かないって!」

「はあ?」

「ずっと一緒にいるって、約束して欲しいでゲソ!」

「意味が良く分からんが……」


あたしはどこにも行かないよ。
約束する。




その言葉が、エビをたらふく食べた時よりも、嬉しくて。
イカ娘は満面の笑みでもう一度、相沢栄子を強く二本の腕で抱きしめた。
薄い胸から、心臓の音が伝わってくる。ドクンドクン、ドクンドクン。
生きているって、素晴らしい。


「ほら、いい加減離れろ。さっさと帰るぞ」

「何処にでゲソ?」

「『海の家 れもん』に決まってんだろうが。みんな待ってる」

「…………たけるも?」

「当たり前だろうが。ほら、とっとと歩く歩く」


何か大事なことを、とてもとても大事なことを忘れているような気がしたが。


イカ娘は、頭のもやもやを振り切りながら、相沢栄子の隣に並んだ。
そんなことよりも、彼女の顔を見ながらスキップをすることの方がよっぽど楽しかったからだ。

「何時まで笑ってるんだよ、頭でも打ったのか?」

「私は今、笑っているのでゲソか?」

「ああ、何が面白いのかは知らんが、笑ってるよ」

「それは良いことでゲソ!ほら、栄子も一緒に笑わなイカ!」

「理由もないのに笑えるか!」

そう言いながらも。
相沢栄子も、気付いているのかいないのか、笑っていて。
イカ娘はそれを見て、更に笑う。


ほら、海が見えてきた。
空は青く、波は白く、砂浜はギラギラに輝いていて。
毎度おなじみの、大きいとは言えない、でもとっても素敵な海の家、れもんが彼女たちを出迎えてくれた。
水着の人間共の群れを足早に駆け抜けて、彼女達は家族、友人の許へと向かう。


「おかえりなさい、イカ娘ちゃん」

「イカ姉ちゃん、おかえり!」

「おお、イカ。どこ行ってたんだ?」

「イカちゃーん!今日私の家に来ない?イカちゃんがやりたがってた新作のゲームを偶然手に入れたの!」

「そんなところよりも、早く私の研究所に行きましょう。貴方のような宇宙人を連れて帰ることこそが私の……」


突っ込んでくる早苗を触手で張り飛ばし。
拉致しようとするシンディの顔にイカスミをぶっかけて。
悟郎に絡み、渚を驚かして、栄子に怒られて。
千鶴の作った料理を運びながら、たけるに声をかけ。
侵略へとは到底結びつかない。
だけども、輝かしい日々が。
イカ娘はとっても、とっても楽しかった。


「栄子」

「どうした、腹が空いてもエビはやれんぞ」

「ずっと、ずーーーーっと一緒でゲソからね!」

「はいはい分かった分かった……仕事中なんだから離れろ!早苗に見られたら何いわれ」

「あー!栄子がまたイカちゃんとベタベタしてる!イカちゃん、私というものがありながら……」

「私はお前のものではないでゲソ!」

「分かったから早く仕事に戻れ!って早苗はこっちに走って来るなー!」

「栄子!逃げるでゲソ!」

早苗に追われ、栄子と共に砂浜を行く。
真夏のビーチが肌を焼き、潮の香りがふんわりと薫る。
ちらりと横を見ると、死にもの狂いで走る栄子の横顔が、眩しかった。
イカ娘は思う。以前よりも少しだけ、栄子に優しくしようと。
イカ娘は思う。以前よりも少しだけ、栄子とくっついていたいと。



「今日も、地上を侵略するのでゲソー!」



高らかに、高らかに。
威風堂々と、彼女は性懲りもなく己が目的を世界に晒す。


イカ娘の新しい侵略生活は、幕を開けたばかりだ。







そこでようやく、目が覚めた。






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