秋の壁画


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秋の壁画


秋の神話

そのむかし。
とある深い森の中に澄み切った水が鏡のように静かに空を映す泉と、枝がねじれ絡み合って大きな影を落とす年経た楡の巨木がありました。

泉と楡のそばには生まれてからずっと機を織って暮らしている少女が住んでいて、長い間少女が機を織る音と小鳥のさえずりだけがそこに響く音の全てでした。
そんないつもと変わらない穏やかなある朝のこと。

朝日と共に少女が目を覚ますと、節くれだった楡の根本に一人の少年が倒れていました。
初めて目にする自分以外の人間。
粗末な皮衣に身を包み、薄汚れ瘠せ衰えたその少年は狩りの途中で怪我を負い、飢えと傷の痛みに耐えてこの泉にたどり着き、力尽きたのでしょう。

少女はためらわず少年を抱え起こすと泉の水で丹念に傷を清め、自分の織った布で被い、楡の幹にもたれかけさせました。

その日から少年の傷が癒えるまでの間に二人は恋に落ち、やがて少女と少年は共に手を携え旅に出ました。
変わらず静かに空を映し続ける泉と、泉に枝を差し伸べる楡の木を残して。
 *
朝日が昇り、夕日が沈んで、星が瞬き、月が昇り、月が沈み。
少女と少年が去ってからいくつかの季節が巡ったころ。
泉と楡に何人かの若者がやってきました。

麻の衣と弓矢を身に着けた彼等は少女と少年の子孫です。
彼等は少女が繰り返し語っていた泉と楡を忘れてはいませんでした。

ここならば森に巣くう危険な獣や毒虫に脅かされることもなく。
新鮮で清らかな水を飲むことができるし。
咲き誇る花や舞い踊る蝶をいつでも楡の木陰から愛でる事が出来るのです。

彼等は暗く危険な森を抜け出して、ついに安住の地を見付けたのでした。
ここを私達の新たな故郷にしよう。
若者達は高らかに宣言すると笑顔で頷き合いました。

こうして少女の代わりに新たな住人を迎えた泉は変わらず澄んだ水をたたえ、楡は風に葉を揺らして心地よい日陰を作るのでした。
 *
朝日が昇り、夕日が沈んで、星が瞬き、月が昇り、月が沈み。
産み、育て、年老いた者には安らぎを、若者には恋を。

そうして繁栄を続ける人々は動物を狩ることを止め、代わりに森を拓いて木を焼き、楡の枝で作った鋤で大地を耕し始めました。
こんこんと溢れ出る泉の水は水路を伝って畑を潤し、秋には麦穂が金色の絨毯を作ります。

刈り取りに励んでは収穫の喜びを歌い、感謝を捧げる祭では踊る人々。
大地に落ちる麦の一粒は人の一粒。
祭の季節が巡る度に新しい顔が加わります。

この喜びを恵みをくださる英知の泉に。
この実りを抱いてくださる安らぎの楡に。

楡を囲んで歌い踊り語る人々の色とりどりの服と、暖かに灯る暮らしの火を泉がきらきらと照り返していました。
 *
朝日が昇り、夕日が沈んで、星が瞬き、月が昇り、月が沈み。
季節は巡り巡って。

あの少女と少年が泉と楡の傍らで出会ってからどのくらいの時が流れたのでしょう。
かつては泉に集い狩りをし、その水で麦を育て、楡の木陰で歌い踊ったあの人々は何処へ。
今はその面影もなく、泉と楡は音もなくひっそりとたたずんでいます。

もし貴方に鳥の翼があれば。
高みから見下ろす大地、その中心に、深い森に抱かれた澄んだ泉と、その傍らに寄り添う大きな楡の木、そしてそれを取り囲むようにそびえるたくさんの尖塔が見えることでしょう。

そう。
泉の少女と楡の少年の子孫は、遠い祖先の語った物語を片時も忘れたことはありません。
深い感謝と共に、今も泉と楡を守り続けているのです。
限りなく授けられた慈愛に、誇りをそえて。

秋の園壁画の歴史的考察

 人間のあらゆる歴史は権勢の永続を願う派閥と革命を願う派閥との闘争であると言えます。歴史上、権勢を持つ者がそれを維持しようと努める例は大挙に暇がありません。それはわんわん帝国宰相府においても同様です。 
宰相府におけるその取り組みのひとつとして挙げられるものが、この四季の園に描かれた巨大な壁画です。
 近代において、壁画は、文字の読めない人々にも考えや行動の指針、意見などを視覚的に伝える手法として重視されました。
宰相府における壁画では、帝国領土内に数多く伝わるいくつかの神話をモチーフとして、帝国の威光の根幹となる基本原理、「英知と慈愛の心をもって、正義を為す」転じて、『我らは悲しみのこと如くを滅ぼすために正義最後の砦をここに建造する』について言及しています。

 秋の園の壁画は帝国の世の人々に慈愛の心が永久に続くことを示しています。
これは聖人や君主ではないただ人が、その営みにおいて互いをいつくしむ事を是とすることを表しています。これは、壁画に描かれた少女と少年、建国にあたる若者たちに特定のモデルがないことでも示されています。
 この壁画の元となった神話に登場する「麻服と弓矢を持った若者」についてはとある異説が存在します。この異説では、若者が泉と楡の木の力を借りて開拓を進める中で、借りている力をほしいままに支配、利用しようと転用をはかり、結果としてすべてを失っています。
開拓を進める若者のその後に関しては、通説において描写のぼかされている箇所で、あえてはっきり書かれてはいません。ここから、この異説は通説より故意に削られた部分だと見るのが適当ではないでしょうか。

 通説となっている神話では、この神話における英知の暗喩である泉を守護する存在が、若者の子孫として示唆されています。
この事および人物に特定のモデルがないことから、誰もが異説の警告する若者となりえる事、誰もが英知のありようを守る事で物語の結末、すなわち祝福に近づけることを示している、と解釈することが妥当でしょう。
慈愛の心を示す神話に未来への警鐘が含まれていることは神話として興味深いものがあります。
 山頂から壁画をのぞむ際はぜひ、しばしの間少女と少年や若者たちに思いをはせてみてください。

登場人物についての考察

こちらの項目では、神話に登場する人物の考察をお話します。

この物語は泉のほとりに暮らす乙女と、異邦人である青年の二人が出会うところから始まります。

物語の大筋は
傷ついた青年を泉の乙女が介抱し、二人は恋に落ち、やがて子が生まれ、子供達は幸福な未来を築いて行く
というものです。

ここから言えることは、乙女が青年に救いの手をさしのべなければ、この結末はなかっただろうということです。

もし乙女が得体の知れない青年を怖がって見殺しにしていたとしたら?
ほんの少しだけ躊躇している間に青年が死んでしまったとしたら?

運命は変わっていたのかもしれません。

乙女は、ただの人です。
戦う力などありませんし、神と対話することもできません。
しかし帝國の理念からいえば、彼女は間違いなく英雄の一人だと言えるでしょう。
彼女に特別なところがあるとすれば、それは見知らぬ誰かが困っているその時に、ためらうことなく手をさしのべられることです。
本来、正義を為すために力など必要ないのです。

人に手をさしのべるのはなにも特別なことではありません。
誰にでもできるはずの簡単なことです。

ですが時として、それがなによりも難しくなることを我々は知っています。

嫉妬、怒り、ねたみ、悲しみ。
あらゆる悪意が人の心にはびこる時、人は手をさしのべることをやめてしまいます。

しかし我々は知っているはずです。

すべての人の心には、浅ましさとも暗さとも違う、もう一つの心が宿っていることを。
そしてその心を忘れない限り、すべてのものは互いに手をとりあって生きていけることを。

この神話が語るのは人に手をさしのべる心、すなわち「優しさ」です。

帝國の民として、善き心を持って慈愛をしめすこと。
それこそがこの壁画に刻まれた想念なのです。

泉の乙女は優しさの象徴であり、救いです。
乙女の心は失われることなく子孫達へと伝えられて、こんにちの帝國を支える礎となっています。

願わくば、あなたの心にも慈愛の心が宿りますよう。

異説

朝日が昇り、夕日が沈んで、星が瞬き、月が昇り、月が沈み。
人々が喜びの中自然と共に生きていた頃。
ある日、誰かが言いました。
もっと、何もかもを便利にしよう。
我々の想起できるところまで我々はいけるはずだ。
七里を往く靴、全ての戟を止める楯、全ての楯を貫く戟。
人々が夢に描くものを、実現しようと。
人々はそれを求め、苦悩し、長い長い年月をかけました。
きらきらと輝く泉は、変わらず空を映していました。
しかし、移る空は次第に変わっていきました。
青から白へ、白から灰へ。
泉は変わってはいませんでした。変わったのは人。
自然を愛し、自然と共に生きた彼らはどこへ。
自らを育んだ泉を汚し、自らを守っていた楡を傷つけ、
ただ上へ上へと、己の持ちうる全てを使ってただ上へ。
汚されながらも残った泉は、その姿をずっと見つめていました。
そんな長い年月の末、ある一人の男が遂にたどり着きました。

たどり着いてはいけないところへと。

喜びと共に踏み出した足は、七里を駆ける靴に、
更なる喜びと共に出した左手は、全ての戟を受け止める楯に、
それを止めようとした右手は、全ての楯を貫く矛に、
引きずり込まれた身体は決して朽ちぬ鉄に浸食され、
その目は、耳は、万里をかけて全てを識ることが出来るように、
そして心は、ただ破壊を求める。
万能の者になろうとしたものは、万能の破壊の使徒に姿を変えたのです。

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変貌したのはたったの一人。
しかし、それを止めることは誰にも出来ませんでした。
なぜなら万能の道具はすべて彼の手の中にあったからです。
彼は七里を越えて破壊をもたらし、
あらゆる戟をその楯で受け止め、
あらゆる楯をその戟で貫き、
破壊の限りをもって大地を灼き尽くす。
誰もそれを止めることはできず、ただただ世界は蹂躙されてゆく。
そして、この世に残るものは何一つなくなってしまいました。

人々は全てを求め、全てを捨てて、そして全てを失ったのです。

ただ一つ、残されたものがありました。
黒々とした空を映す水晶のような泉だけが、変わらずにそこにあったのです。
寄り添っていた楡も燃え、人は消え、大地は枯れても、
何かを待つように、ただひっそりと。

無名世界観的考察

 物語として分類するならば、秋の園の壁画に描かれている神話は慈愛による再生の物語と見ることができます。
 皮服の少年は機織の少女の助けを受けることで怪我と飢えから救われ、
麻服に弓矢を携えた青年は祖先の言い伝えに従うことで、加護を得られる新たな故郷を得ることができました。
神話にあるように、泉は英知を、ほとりの楡の木は運命、そして運命に添うことで得られる安らぎを意味しています。乙女の助力によりこれらによる加護を得ることで、少年と青年は傷ついた身体を癒し再生される、というのがこの神話の大まかなあらすじです。
 対して、異説にある恐ろしい描写でいろどられた若者の描写については、通説やそれを基にした壁画からは読み取ることができません。
 これは、恐ろしいものを語ることでそれを呼び寄せることを危険視した語り部たちが、あえて描写を異説としてしりぞけた事を汲んで、壁画家が外したのだろうと考えられています。この異説の存在について、この壁画を担当した画家たちは皆沈黙を守っています。

 さて、壁画の元となった神話、および異説には、そびえる楡の木、泉、星々や月が少女や青年達を照らし、加護を与えている描写がなされています。
これらには寓意がこめられており、泉は英知を、人々を照らす星や月は時の巡りを、人々の身の上にそびえる楡の木は運命を示していると考えられてます。
 神話では、これら泉、楡の木そして星々はともに,姿を変えることなく人に接していつくしみを与える存在として描かれています。
言い換えれば、英知と安らぎそして時こそは、常に人に優しいことが示されているわけですね。
なかでも英知は、異説にある恐ろしげな描写の中ですら若者のそばにあることが分かります。これをして慈愛の心のありようについて示している、というのは説をうがちすぎでしょうか?

 秋の壁画を眺める際は、ぜひ慈愛の心とはどうあるべきかについて、皆で考えてみるといいかもしれませんね。
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