京宮急行電鉄株式会社

京宮電鉄株式会社(けいきゅううでんてつ、英語: Keikyu Electric Railway Co., Ltd.、KER)は交通・流通・不動産・レジャーなどの関連会社からなる京宮グループの中核企業である。東京都・埼玉県・神奈川県・千葉県・茨城県・栃木県・群馬県の1都6県に、総営業キロ数323.14kmに及ぶ鉄道路線を有する大手私鉄である。JRを除く鉄道事業者の中では愛知県の名古屋鉄道に次いで全国4位、関東では東武鉄道に次いで関東2位である。

1. 概要

路線は1都6県にまたがるだけあり、多岐にわたるが本線扱いとされているのは大宮-赤羽間の大宮戦で、それを軸にした熊谷線・宇都宮線の北関東方面線と赤羽-八王子間の八王子線と八王子線府中駅から分岐して平塚へ向かう、平塚線からなる西関東方面線、赤羽-土浦間を結ぶ東関東方面線の3つの路線群に分けられる。列車種別は、特別料金の不要な特急、急行、快速急行、各駅停車である。

2. 歴史

埼玉県大宮町の大宮氷川神社と東京の間の旅客輸送のために設立された。

・1913年(大正2年)4月1日:京宮急行電気鉄道株式会社創立。

・1916年(大正5年)12月1日:赤羽-大宮間に大宮線開業。

・1921年(大正10年)4月1日:赤羽-土浦間に開業していた京霞鉄道株式会社を吸収合併。

・1922年(大正11年)6月1日:川越電気鉄道を吸収合併した帝国電灯より大宮-川越間を結ぶ川越東線を譲り受ける。

・1940年(昭和15年)12月20日:国鉄川越線の開通によって利用者が激減していた川越東線の運転休止。

・1942年(昭和17年)5月1日:陸上交通事業調整法に基づいて東武鉄道に吸収合併される。

・1947年(昭和22年)6月1日:東武鉄道から大宮-宇都宮間に宇都宮線を運営していた下野観光鉄道株式会社とともに分離し、京宮急行電鉄株式会社として再発足。

・1949年(昭和24年)5月:東京証券取引所市場第一部に上場。

・1950年(昭和25年)4月1日:赤羽-八王子間に八王子線開業。

・1955年(昭和30年)4月1日:大宮-東松山間に東松山線が開業。

・1958年(昭和33年)8月1日:新宿から八王子線吉祥寺駅を結ぶ、八王子線新宿支線開業。

・1970年(昭和45年)4月1日:大宮-熊谷間に熊谷線全線開業。

・1975年(昭和50年)9月:京宮も協力した「埼玉中枢都市圏構想・基本構想」が策定される。

・1976年(昭和51年)1月31日:八王子線府中駅から延伸により、京宮多摩センター駅までの間に多摩線が開業。

・1978年(昭和53年)7月1日:多摩線をさらに延伸し平塚まで平塚線開業。

・1980年(昭和56年)4月:大宮市、与野市、浦和市が合併し宮野浦市発足。

・1981年(昭和56年)3月31日:平塚線沿線に湘南藤沢遊園開業。

・1984年(昭和60年)12月1日:大宮線の複々線工事が完了。

              同時に大宮駅付近を中心に地下化し東武野田線と直通運転を開始。

・2000年(平成12年)4月1日:社名を京宮急行電鉄から京宮電鉄に変更。

 

 

 

 

3. 路線

3.1 北関東方面線

3.11 大宮線

大宮線は埼玉県大宮市の大宮駅から東京都北区の赤羽駅までを結ぶ路線である。ほぼ一体的に運用されている都心直通線については後述。

緩行線、急行線が設定され、緩行線については都営三田線、東武野田線と直通するため北は大宮駅から南は高島平駅までが緩行線となり、急行線は開通当時と同じく赤羽駅までとなっている。なお急行線は後述の宇都宮線、高崎線が乗り入れて赤羽まで運行している。復活後はJR独占状態で逼迫しつつある大宮-東京間の通勤路線としての性格を強く出している。

戦前は複線、極一部が単線(氷川神社へ向かう支線があった)であったが、大変な混雑を極める都心方面への混雑解消を国家的に取り組むべき課題として設定され、国鉄私鉄問わずで複々線化が計画され、輸送力が増強された。その一環で大宮線においても1974年から1984年にかけて複々線化工事が行われた。東武野田線柏駅から大宮線を経由して都営三田線へ直通し、各駅停車は大宮駅にて東武野田線と直通し、高島平駅からは都営三田線と直通している。大宮線における急行、快速急行はそれぞれ宇都宮線・熊谷線において快速、各駅停車となる。また特急、急行、快速急行と各駅停車は西台駅で分離し、前者はターミナルである赤羽へ、後者は都営三田線へと向かう。

 

3.11-1 都心直通線

都心直通線はターミナルの赤羽駅から山手線の飯田橋駅付近までを結ぶ路線である。1959年開業。

甲武鉄道が国有化された際に飯田町ターミナルを京宮が譲り受けて将来的な延伸の足掛かりとしようとしたが、国有化に横やりを入れたような形となり、なかなか線路敷設の許可が下りず、戦時中の混乱もあり延伸工事が完了したのは戦後14年後となった。

 

3.12 宇都宮線

元々は下野観光鉄道株式会社が1912年(明治45年)6月15日に大宮-宇都宮間に全線開業させた宇都宮線であったが陸上交通事業調整法に基づいて北関東の私鉄は東武鉄道を中心に再編されたために1942年(昭和17年)5月1日に東武鉄道に吸収されてしまった後に戦後分離した際に京宮急行電鉄が吸収したものである。戦前から大宮駅から大宮線へ乗り入れをしていたことから分離時に統合されることが決定した。路線名は別であるが、大宮線の急行線に直接乗り入れているため運用上の区別は存在しない。

その後長い間大宮までの旅客輸送をJRと競ってきたが、1984年に復活した大宮線との直通運転を開始することでさらに競争を激化させることになり、JRの湘南新宿ラインの投入、運賃値下げなどの施策がなされ、対抗した京宮の都営三田線、東急目黒線直通特急の開始などにつながっていくことになる。
 

3.13 熊谷線

1955年に東松山まで開業していた東松山線を熊谷まで延長することで熊谷線となった。東松山まで開業後に、むさし緑園都市の先駆けとして熊谷市南方にある比企丘陵を中心に大規模な森林公園とニュータウン、むさしニュータウンを造成することが1965年に都市計画決定され、都市計画決定から5年後の1970円には熊谷まで延伸した熊谷線が開業した。むさしニュータウン自体は東京への遠さから計画人口に届いておらず当初の計画通りの成功とは言いがたい状況ではあるが、熊谷線自体の経営は緩やかながらもニュータウンの人口増加もあり、輸送人員も増加傾向である。

3.2 西関東方面線

3.21 八王子線

3.22 平塚戦

3.3 東関東方面線

3.3 土浦線

3.4 計画路線

3.41 秩父線

3.42 宇都宮新線

3.43 大宮線都心乗り入れ

3.44 土浦線延伸

茨城空港(仮称)の開業に合わせて延伸計画が存在する

4. 優等列車

 5. その他

最終更新:2019年10月22日 02:05
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