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*第二話 *[[目次へ>緋背]] *[[前へ(第一話)>緋背 第一話]]    //[[次へ(第三話)>緋背 第三話]] ---- *2   「ここは事務所です、さすがにここでは……」  自分を犯すのか殺すのかはわからなかった男が、正気に戻って言った言葉に、ああ、やっぱりリンだなぁ…と綾子は安堵した。しかし、それもつかの間の安らぎでしかなかった。  リンのマンションに向かうのは初めてだ。ぼんやりと見知らぬ住宅街が視界に流れ込むのを、夢のように眺めていると、ぞっとする現状に気づき始めた。  制限速度が四十キロ程度の、信号の多い住宅街の道を走るのに、アクセルをべったりと踏んでいたリンの顔は、 何かに憑かれているか、はたまた自分の魂すらないといった調子で、案の定五十メートル先の信号が黄から赤に変わっても、 なんら動くこともなく、アクセルをべったりと踏み続けていた。  すんでの所で綾子が運転を代わった。納車から半年未満で廃車にされそうになった車は、妙に自分に馴染む。 そういえば、いつだったかフーガを転がしてみたいと誰かに話したような気がする。だからといって、 こんな極限状態の最中で叶ったところ、喜ぶような余裕は綾子に残されていなかった。 「綺麗ね、ちゃんと掃除してるんだ。男やもめに蛆が湧くとか言うけれど、あんたには無縁ね」  マンションの部屋は、意外でも何でもなく、リンの性格をそのまま反映したような、折り目正しい部屋だった。無駄な物は何もない。キッチンでやたら蛍光灯を反射する包丁3本には息を呑んだが、リンは台所には全く目を向けなかった。 「松崎さん」  艶っぽい声に振り向くと、不意に抱き寄せられた。  はしたないと思いつつ、綾子は背広とネクタイの間のシャツに頬をこすりつけた。薄布越しに伝わるリンのなめらかな肌は、先程までの不安を一掃させ、泣きたいほどに綾子の総身を切なくさせる。 「松崎さん……」 「リン……」  この感情をどうして恋と断定できないのだろうか。触れられるだけで、呼ばれるだけで、苦しくなる、溶けるこの想いは何なのだろうか…。今までになかった感情の萌芽に、綾子は戸惑うことしかできなかった。 「もう、名前では呼んでくれないの……」  哀願するように囁く、リンを見上げる双眸は涙がこぼれる寸前だった。  リンはごくりと息を呑み、肩を震わせた。 「…呼んでも…いいのですか……」   許しを請うようにかすれた男の声は、戸惑いが色濃く出ている。 「さっき、私が何をしていたか……忘れてはいないでしょう? あなたのハンカチを……」 「私だって…この間、見られたんだもの……だから、おあいこよ」  あられもない姿をリンに見られた時を思い出し、綾子は羞恥に耳まで紅く染めた。 「リンだけが呼んだ、リンだけの私の名前…これからも呼んでくれるなら……」  途端、骨が軋むほど抱きしめられた。リンから吹き出る熱を、綾子は全身で受け止めた。 「……あ―――――――――」  ――無粋な電子音が綾子のカバンから鳴り響く、音に振り向く綾子に、リンは眉をひそめた。 「ごめん……電話が……」 「大事な用だったら、またかかってくるでしょう」  リンの腕の中でとろけていた身体が、急速に硬くなっていく、強引に綾子は唇をふさがれた。 「ふっ……ん」  口の中をなめくじみたいに這う舌は、かえって綾子の焦燥を助長させた。三十秒は経過したのか、未だ鳴りやまない電話、綾子の胸はざわついた。 「ごめんね」  リンの胸を強引に押しのけ、携帯を開いた。 「……麻衣?」  涙声の麻衣に、心臓を止められそうになる、イヤな予感がする。 『バカ綾子! 出るの遅い! あのね、あのね、ぼーさんが…』  血の気が引くというのはこういうことなのだろうか、頭が痺れてくる、目の前が暗くなってきた。 「わかった、すぐ行くわ」  通話が切れた途端、綾子の精神も切れて飛びそうになる、貧血に似た症状を堪え、リンに叫んだ。 「ぼーずが事故ったらしいの、行くわよ!」  興奮状態の綾子に対し、リンは醒めた目で一部始終を見つめていた。いや、今現在入ってきた同僚の事故の一報に対しても、眉一つ動かすことさえ手間だと言うような冷酷な眼差しで、フローリングにへたり込んでいる綾子を見下ろしていた。 「……どうしたの…」 「行くって、どこへ?」  相変わらず冷え切った視線を送るリンを綾子は不気味に感じた。しかし、恐らくリンも滝川の事故に混乱ているからだと思い直し、綾子は麻衣から聞いたことを懸命に伝えた。 「病院には少年がいるわ、麻衣も向かってる、だから私たちも急いで」 「二人いれば充分でしょう」  綾子の言葉をさえぎって、リンが言い放った。 「私たちは医者でもない、何もできない人間が雁首揃えて周りにいたって、それが滝川さんになにかいい影響でも?」  苛立ちのこもった冷酷な口調で切り捨てられると、怒りがこみ上げてくる。しかし、一刻を争う事態、ここでリンと口論をしている暇はない。 「外でタクシー捕まえるわ」  リビングから駆け出すと、玄関手前、容赦ない男の力が綾子の右腕をぎりぎりと掴んだ。 「……リン」  今更ながら、今日のリンの精神状態はおかしいことを思い出した。台所ではきらきらと包丁三本が蛍光灯の光を反射させている。 「麻衣にはもう行くって伝えたの……」  自然と声が弱々しくなった。リンは少し考え込むと、ため息を鼻からこぼし、綾子の手を離した。 「……私も行きます」  綾子の長い夜が始まった。 「麻衣の両親は交通事故で亡くなったのよね」  助手席で綾子がうなだれながらつぶやいた。小雨降りしきる夜空は、綾子を更に不安に追いつめる。 「急に…大事な人がいなくなるって、どんな感じなの、ねえ……」  ワイパーの駆動音だけが、綾子に返事をした。闇を映すフロントガラスは、心労でげっそりとした女の顔を浮かび上がらせた。  滝川がいなくなるということはどういうことなのだろうか、想像するだけで全身が絞られる様な痛みに襲われる。明日からいない…昨日までの事が全て思い出に変わる……。 「ああ」  綾子の嗚咽に反応する様に、信号が青になった。 「原付にちょっと引っかけられただけだってのに、大げさだなぁ麻衣は」  だって…とむくれる麻衣を、額に絆創膏、右足に包帯を巻いた滝川が笑った。 「少年、お前か~、俺の娘に縁起でもない事吹き込んだの」  ねめつける様に見上げてきた滝川に、安原は「心外な」と咳払いをした。 「頭打ったんですよ、当事者としては慌てて当然でしょう。MRI異常なしと出るまでどんだけヒヤヒヤしたと思ってるんですか、ねえ?」  処置室にて3人のやりとりを棒立ちで伺っていたリンと綾子に、安原は話を振った。 「ぼーず……」 「来てくれたのか……ごめんな、こんな夜中に」  馬鹿と罵りたい、心配かけさせて、人がどんなに不安だったか、文句の一つでも言わなければ気が治まらない――――― 「……綾子」  へらへらしていた滝川が、目を細めた。 「ごめんな」 「…無事…で…よかった……」  ソファーにへたり込み、ぽろぽろと子供の様に涙をこぼす綾子の肩を、滝川はそっと抱いた。 「ごめんな」  背中をさすられると、安心感に涙が止まらなくなった。 「…よかったの…よかったの…ぼーず…」  ただひたすら、滝川の無事に、安堵した。 「はは、綾子もしおらしくなると可愛いな」 「馬鹿……」 「いやぁ、おれっち愛されてるなぁ」  そうよ。と綾子は心中でつぶやくと、頭を滝川にこすりつけた。  安心感に包まれて、全身が温くなる。時折ポンポンと肩を叩く手が心地よい。  ――にもかかわらず背中の冷えるこの感覚は何だろう――  そんなことは些末な問題だと、今はこうして滝川の無事を実感していたい。綾子はそのまま滝川の胸で眠ってしまいそうだった。  ――それにしても背中が冷える――  その分、背中を撫でる滝川の手の温かさが際だって、とろけそうになった。  ――ますます冷えてくる――  手では追いつかないほど冷えてくると、不快でたまらない。冷え性の様に骨が軋む。いっそ抱きしめてくれたら……  ――綾子の心を読んだかの様に、背中は一層冷えた。ここまでくると灼けつくようだ。  背中……背後……、後ろになにかそういう機器があっただろうか…… 「滝川さんが無事でよかった、では松崎さん、そろそろ戻りましょう」  明るさを装った声が背後から被さると同時、肩に鋼鉄の様な手が食い込んだ。 「……リン」    恐怖で目を見ることができない、穏やかな口調とは裏腹に、手には怒りがこもっている。 「ごめんな、リンにまで来てもらっちゃって」 「いいえ、無事が確認できて何よりです」  見てるこっちがハラハラするような棒読み口調でリンが語る。 「そういえば、リンさんは松崎さんから連絡を受けてここへ?」  安原の問いに、リンは変わらず穏やかな口調だった。 「松崎さんが谷山さんの連絡を受けた時、一緒にいたんですよ」  綾子は絶句した。 「へっ? ……ああ、ごめん」  間の抜けた謝罪と共に、滝川が綾子を手放すと、それだけで綾子は打ちのめされた、何が「ごめん」なのか。 「ちっ、違うのよ……これは……」  なんとか滝川の肩を掴もうとしたが、リンに引き寄せられ、両手は虚しく空を切った。 「松崎さんはまだ落ち着かないようだ、こちらでなだめておきます。では、失礼します」  肩を抱かれた綾子は、離れようとするが、リンが「ここで全部話したっていいんですよ?」と耳打ちすると、身動き一つとれなかった。リンの歩みに合わせ、ひたひたと歩く自分に綾子は情けなさを感じた。  背後に刺さる視線が痛い、肩に食い込む手よりも気がかりだった―― ---- *[[目次へ>緋背]] *[[前へ(第一話)>緋背 第一話]]    //[[次へ(第三話)>緋背 第三話]]
*第二話 *[[目次へ>緋背]] *[[前へ(第一話)>緋背 第一話]]   [[次へ(第三話)>緋背 第三話]] ---- *2   「ここは事務所です、さすがにここでは……」  自分を犯すのか殺すのかはわからなかった男が、正気に戻って言った言葉に、ああ、やっぱりリンだなぁ…と綾子は安堵した。しかし、それもつかの間の安らぎでしかなかった。  リンのマンションに向かうのは初めてだ。ぼんやりと見知らぬ住宅街が視界に流れ込むのを、夢のように眺めていると、ぞっとする現状に気づき始めた。  制限速度が四十キロ程度の、信号の多い住宅街の道を走るのに、アクセルをべったりと踏んでいたリンの顔は、 何かに憑かれているか、はたまた自分の魂すらないといった調子で、案の定五十メートル先の信号が黄から赤に変わっても、 なんら動くこともなく、アクセルをべったりと踏み続けていた。  すんでの所で綾子が運転を代わった。納車から半年未満で廃車にされそうになった車は、妙に自分に馴染む。 そういえば、いつだったかフーガを転がしてみたいと誰かに話したような気がする。だからといって、 こんな極限状態の最中で叶ったところ、喜ぶような余裕は綾子に残されていなかった。 「綺麗ね、ちゃんと掃除してるんだ。男やもめに蛆が湧くとか言うけれど、あんたには無縁ね」  マンションの部屋は、意外でも何でもなく、リンの性格をそのまま反映したような、折り目正しい部屋だった。無駄な物は何もない。キッチンでやたら蛍光灯を反射する包丁3本には息を呑んだが、リンは台所には全く目を向けなかった。 「松崎さん」  艶っぽい声に振り向くと、不意に抱き寄せられた。  はしたないと思いつつ、綾子は背広とネクタイの間のシャツに頬をこすりつけた。薄布越しに伝わるリンのなめらかな肌は、先程までの不安を一掃させ、泣きたいほどに綾子の総身を切なくさせる。 「松崎さん……」 「リン……」  この感情をどうして恋と断定できないのだろうか。触れられるだけで、呼ばれるだけで、苦しくなる、溶けるこの想いは何なのだろうか…。今までになかった感情の萌芽に、綾子は戸惑うことしかできなかった。 「もう、名前では呼んでくれないの……」  哀願するように囁く、リンを見上げる双眸は涙がこぼれる寸前だった。  リンはごくりと息を呑み、肩を震わせた。 「…呼んでも…いいのですか……」   許しを請うようにかすれた男の声は、戸惑いが色濃く出ている。 「さっき、私が何をしていたか……忘れてはいないでしょう? あなたのハンカチを……」 「私だって…この間、見られたんだもの……だから、おあいこよ」  あられもない姿をリンに見られた時を思い出し、綾子は羞恥に耳まで紅く染めた。 「リンだけが呼んだ、リンだけの私の名前…これからも呼んでくれるなら……」  途端、骨が軋むほど抱きしめられた。リンから吹き出る熱を、綾子は全身で受け止めた。 「……あ―――――――――」  ――無粋な電子音が綾子のカバンから鳴り響く、音に振り向く綾子に、リンは眉をひそめた。 「ごめん……電話が……」 「大事な用だったら、またかかってくるでしょう」  リンの腕の中でとろけていた身体が、急速に硬くなっていく、強引に綾子は唇をふさがれた。 「ふっ……ん」  口の中をなめくじみたいに這う舌は、かえって綾子の焦燥を助長させた。三十秒は経過したのか、未だ鳴りやまない電話、綾子の胸はざわついた。 「ごめんね」  リンの胸を強引に押しのけ、携帯を開いた。 「……麻衣?」  涙声の麻衣に、心臓を止められそうになる、イヤな予感がする。 『バカ綾子! 出るの遅い! あのね、あのね、ぼーさんが…』  血の気が引くというのはこういうことなのだろうか、頭が痺れてくる、目の前が暗くなってきた。 「わかった、すぐ行くわ」  通話が切れた途端、綾子の精神も切れて飛びそうになる、貧血に似た症状を堪え、リンに叫んだ。 「ぼーずが事故ったらしいの、行くわよ!」  興奮状態の綾子に対し、リンは醒めた目で一部始終を見つめていた。いや、今現在入ってきた同僚の事故の一報に対しても、眉一つ動かすことさえ手間だと言うような冷酷な眼差しで、フローリングにへたり込んでいる綾子を見下ろしていた。 「……どうしたの…」 「行くって、どこへ?」  相変わらず冷え切った視線を送るリンを綾子は不気味に感じた。しかし、恐らくリンも滝川の事故に混乱ているからだと思い直し、綾子は麻衣から聞いたことを懸命に伝えた。 「病院には少年がいるわ、麻衣も向かってる、だから私たちも急いで」 「二人いれば充分でしょう」  綾子の言葉をさえぎって、リンが言い放った。 「私たちは医者でもない、何もできない人間が雁首揃えて周りにいたって、それが滝川さんになにかいい影響でも?」  苛立ちのこもった冷酷な口調で切り捨てられると、怒りがこみ上げてくる。しかし、一刻を争う事態、ここでリンと口論をしている暇はない。 「外でタクシー捕まえるわ」  リビングから駆け出すと、玄関手前、容赦ない男の力が綾子の右腕をぎりぎりと掴んだ。 「……リン」  今更ながら、今日のリンの精神状態はおかしいことを思い出した。台所ではきらきらと包丁三本が蛍光灯の光を反射させている。 「麻衣にはもう行くって伝えたの……」  自然と声が弱々しくなった。リンは少し考え込むと、ため息を鼻からこぼし、綾子の手を離した。 「……私も行きます」  綾子の長い夜が始まった。 「麻衣の両親は交通事故で亡くなったのよね」  助手席で綾子がうなだれながらつぶやいた。小雨降りしきる夜空は、綾子を更に不安に追いつめる。 「急に…大事な人がいなくなるって、どんな感じなの、ねえ……」  ワイパーの駆動音だけが、綾子に返事をした。闇を映すフロントガラスは、心労でげっそりとした女の顔を浮かび上がらせた。  滝川がいなくなるということはどういうことなのだろうか、想像するだけで全身が絞られる様な痛みに襲われる。明日からいない…昨日までの事が全て思い出に変わる……。 「ああ」  綾子の嗚咽に反応する様に、信号が青になった。 「原付にちょっと引っかけられただけだってのに、大げさだなぁ麻衣は」  だって…とむくれる麻衣を、額に絆創膏、右足に包帯を巻いた滝川が笑った。 「少年、お前か~、俺の娘に縁起でもない事吹き込んだの」  ねめつける様に見上げてきた滝川に、安原は「心外な」と咳払いをした。 「頭打ったんですよ、当事者としては慌てて当然でしょう。MRI異常なしと出るまでどんだけヒヤヒヤしたと思ってるんですか、ねえ?」  処置室にて3人のやりとりを棒立ちで伺っていたリンと綾子に、安原は話を振った。 「ぼーず……」 「来てくれたのか……ごめんな、こんな夜中に」  馬鹿と罵りたい、心配かけさせて、人がどんなに不安だったか、文句の一つでも言わなければ気が治まらない――――― 「……綾子」  へらへらしていた滝川が、目を細めた。 「ごめんな」 「…無事…で…よかった……」  ソファーにへたり込み、ぽろぽろと子供の様に涙をこぼす綾子の肩を、滝川はそっと抱いた。 「ごめんな」  背中をさすられると、安心感に涙が止まらなくなった。 「…よかったの…よかったの…ぼーず…」  ただひたすら、滝川の無事に、安堵した。 「はは、綾子もしおらしくなると可愛いな」 「馬鹿……」 「いやぁ、おれっち愛されてるなぁ」  そうよ。と綾子は心中でつぶやくと、頭を滝川にこすりつけた。  安心感に包まれて、全身が温くなる。時折ポンポンと肩を叩く手が心地よい。  ――にもかかわらず背中の冷えるこの感覚は何だろう――  そんなことは些末な問題だと、今はこうして滝川の無事を実感していたい。綾子はそのまま滝川の胸で眠ってしまいそうだった。  ――それにしても背中が冷える――  その分、背中を撫でる滝川の手の温かさが際だって、とろけそうになった。  ――ますます冷えてくる――  手では追いつかないほど冷えてくると、不快でたまらない。冷え性の様に骨が軋む。いっそ抱きしめてくれたら……  ――綾子の心を読んだかの様に、背中は一層冷えた。ここまでくると灼けつくようだ。  背中……背後……、後ろになにかそういう機器があっただろうか…… 「滝川さんが無事でよかった、では松崎さん、そろそろ戻りましょう」  明るさを装った声が背後から被さると同時、肩に鋼鉄の様な手が食い込んだ。 「……リン」    恐怖で目を見ることができない、穏やかな口調とは裏腹に、手には怒りがこもっている。 「ごめんな、リンにまで来てもらっちゃって」 「いいえ、無事が確認できて何よりです」  見てるこっちがハラハラするような棒読み口調でリンが語る。 「そういえば、リンさんは松崎さんから連絡を受けてここへ?」  安原の問いに、リンは変わらず穏やかな口調だった。 「松崎さんが谷山さんの連絡を受けた時、一緒にいたんですよ」  綾子は絶句した。 「へっ? ……ああ、ごめん」  間の抜けた謝罪と共に、滝川が綾子を手放すと、それだけで綾子は打ちのめされた、何が「ごめん」なのか。 「ちっ、違うのよ……これは……」  なんとか滝川の肩を掴もうとしたが、リンに引き寄せられ、両手は虚しく空を切った。 「松崎さんはまだ落ち着かないようだ、こちらでなだめておきます。では、失礼します」  肩を抱かれた綾子は、離れようとするが、リンが「ここで全部話したっていいんですよ?」と耳打ちすると、身動き一つとれなかった。リンの歩みに合わせ、ひたひたと歩く自分に綾子は情けなさを感じた。  背後に刺さる視線が痛い、肩に食い込む手よりも気がかりだった―― ---- *[[目次へ>緋背]] *[[前へ(第一話)>緋背 第一話]]   [[次へ(第三話)>緋背 第三話]]

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