自然農法 わら一本の革命


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知己有的規模での砂漠化、緑の喪失が深刻化している中で、かつて風光明媚を謳われた日本列島の緑も、今、急速に枯渇しようとしている。
しかし、それを憂うる者はあっても緑の喪失を惹起した根本原因を追究し撃破する者はいない。
ただ結果のみを憂い、環境保護の視点から緑の保護対策をとなえる程度では、とうてい地上の緑を復活することはできない。
飛躍しすぎた言葉ともとれようが、地球の砂漠化は、人間が神なる自然から離脱して、独りで生き発展しうると考えた驕りに出発するものであり、その業火が今、地球上のあらゆる生命を焼き亡ぼしつつある証(現象)だと言えるのである。
生命とは、宇宙森羅万象、大自然そのものの合作である。その意味(過去)と意思(未来)を知らないまま、自然の対立者となった人間は自らの手で自然を利用して、生命の糧、食物を作り、生きようとした。このときから人間は、自ら母なる大地に反逆し、これを破壊する悪魔への道を進んだのである。焼畑に始まる農業の発達、人欲に奉仕する農法の変遷、文明の歴史が、そのまま自然破壊の歴史となっているのも当然であろう。
自然に流転という変化はあっても、発達はない。始めもなく、終わりもない自然が、しぜんに亡びることはないが。自然は愚かな人智によって、いとも簡単に亡びてしまう。
自然破壊は、自然の生命と一体化した人間の生命の自殺行為であり、人間による神々の破壊、死をも意味する。
神が人間を見捨てることはないが、人間が神を捨てて、滅亡することはたやすいのである。
無明の悪魔の智をふりかざして、緑を失った大都市の上に築いた虚構の人間文明が、文字通り砂漠の空に描かれた蜃気楼として消え失せる日は近い。今、人間は帰るに所なき宇宙の孤児に転落するか、反転して神の園に還るか、その岐路に立つ。
人間の破局を救う道は他にない。
先頭に立って自然を破壊してきた驕慢な人や耕人たちが、今反転して、森の守護人となり、緑を復活できるか否かにかかる。神も自然も人間を超越した実在である。
神は愚かな人間の地球を守ってはくれないのである。
自然農法とは、自然の意志をくみ、永遠の生命が保証されるエデンの花園の復活を夢見る農法である。
しかし、私の自然農法への四十五年の道は、そのまま人間の復活をかける神への参道であったというよりは、自然から転落してゆく愚かな男の彷徨の過程でしかなかった。この書は、自然に還れるものなら還りたいと苦悩してきた一人の百姓のボヤキ記でしかない。
百事お語るも、一事を語りえず、何一つ残すことのできなかった男の懺悔録である。