本名、ネロ・クラウディウス・カエサル・アウグストゥス・ゲルマニクス。
帝政ローマの第5代皇帝。
生涯を謀略と毒とに彩られた悪名高き暴君。
父は第4代皇帝クラウディウスのいとこである、淫蕩なグエナウス・ドミティウス・アヘノバルブス。
母は暴帝カリギュラの妹であるユリア・アウグスタ・アグリッピナ。
出自を考えると皇帝になるのは非常に難しいが、母アグリッピナが第4代皇帝クラウディウスと再婚。
母の奸計によって、54年のクラウディウスの死後、ネロは義父からの相続として皇帝となった。
もっとも、皇帝になる前からその才能を発揮し、非常に有能な裁判官として慕われていた。
その公正さ、有能さから、重要な訴訟をいくつも持ち込まれていたという。
(まだ若いため、重要な訴訟の持ち込みを義父クラウディウスが禁じていたにもかかわらず、である。)
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ネロは17歳にして皇帝に即位し、その気前の良い政策で市民からは絶大な人気を誇った。
外交にも気を使い、イギリス(ブリタニア)における後年のローマに対する人気は彼女の政策に起因する。
ある意味では、アーサー王伝説を誕生させたきっかけを作った人物ですらある。
加えてペルシャはネロを絶賛することおびただしく、ペルシャはネロの死後も
「ネロの国だったので」
とローマに大きく配慮したという。
59年(60年説も)には、ギリシャのオリンピックにあやかって5年に一度開かれる競技会「ネロ祭」を設立。音楽、体育、騎馬と三つの部門を開き、そのいくつかには自分も出場している。
69年に起きた反乱で皇帝の座を追われ、ローマから逃亡。
その最中で逃げ切れないと悟り、自決を決意した。
……が、その最期は潔いものではなかったらしい。
「この世から何と素晴らしい芸術家が消えることか」
と何度も泣きこぼしては手を止めたものの、最後には短剣で自らの喉を突いたという。
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