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アフガニスタン

2001年、アルカイダの引き渡しに応じなかったタリバン政府に対しアメリカ等が攻撃、崩壊させた(アフガニスタン紛争)。その後復興と治安維持がうまくいっていない。

2011.4.2
南部の都市カンダハルでデモ
原因:米国キリスト教牧師がイスラム教の聖典コーランを燃やしたため
結果:治安当局が威嚇射撃→5人が死亡、40人以上が負傷
   米牧師「責任感じない。」
備考:カンダハルはイスラム原理主義勢力 タリバンの牙城。タリバンが関与?

2011.4.1
北部の都市マザリシャリフでデモ。
原因:米国キリスト教牧師がイスラム教の聖典コーランを燃やしたため
結果:国連施設を襲撃、ノルウェー人の外国人職員を含む10人以上が死亡


イエメン

30年以上も大統領を続けるサレハ氏に対し、反体制派のデモ隊は即時退陣を要求。2011年末の大統領選には出ないとしたが反体制派はそれを不服としてデモを続けている。
アメリカはイエメンで活動するアルカイダ系武装勢力に対抗するためデモ発生時にサレハ氏を支持。

2011.4.4
南部タイズで数万人規模の反政府デモ
→治安部隊の発砲で12人が死亡
西部ホデイダでも数千人のデモ隊が大統領官邸に向けて行進
→治安部隊と衝突、デモ参加者400人以上が負傷

2011.4.1
数万人が首都サヌアで集会
結果:改めて即時辞任を拒否。
   →相次ぐ死者にアメリカも擁護姿勢を転換。(2011.4.3)


エジプト

29年間にわたり独裁政権を維持したムバラク大統領に対する反発が表面化し退陣を要求するデモが繰り返された。

2011.4.13
エジプト検察当局が、汚職やデモ隊への暴力行使などの疑いでムバラク氏と息子2人を拘束。ムバラク氏は入院中。

2011.3.24
ゲーツ米国防長官が実権を握る軍最高評議会のタンタウィ議長(国防相)らと会談。エジプトの民主化支援について協議した。

2011.2.11
ムバラク大統領辞任


コートジボワール

2010年11月の大統領選で現職のバボ大統領とワタラ元首相の決選投票がおこなわれ、ワタラ候補が投票総数54%を得て、45%のバグボ大統領を破った。
→バグボ陣営はワタラ陣営による不正があったと主張、憲法評議会はワタラ陣営による投票行為の妨害・不正があったとして一部地域での投票結果を取り消しバグボを当選者とすると発表。
→バグボとワタラはそれぞれ就任宣誓を行った。
→欧米諸国や国連は、ワタラ当選の選管発表を支持。これによりコートジボワールは二重政府状態に陥り混乱が続いている。1千人以上が死亡、10万人が国外に逃れている。

2011.4.11
ワタラ氏側がバグボ氏を拘束。バグボ氏は「敵対するのは止めよう」と自らの部隊に武器を置くよう呼びかけた。

2011.4.1
両陣営が武力衝突。ダグボ氏は「安全な場所」にいるらしい。

2011.3.29
ワタラ氏側部隊が制圧した西部の要衝ドゥエクエで800人以上が殺害される。同部隊の関与は不明。
→ワタラ氏「支持勢力の関与はない。国際社会からの調査を受け入れる」


シリア

2000年に大統領職についたアサド大統領は「腐敗との戦い」を訴え民主化も含む政治改革を進めようとした。しかし、2003年にフセイン政権が1ヶ月たらずでアメリカに敗れたことを受け体制の引き締め(デモの禁止、元をん統制の強化)を行うなど当初の方針から逆行。2011年3月中旬からデモが本格化、デモ隊と治安当局の衝突で160人以上が死亡している。

2011.4.1
各地で集会&デモ
内容:クルド人(少数派)の権利拡大を要求等
結果:治安当局が発砲→4人以上死亡


チュニジア

2010年~11年 ジャスミン革命
一青年の焼身自殺事件に端を発する反政府デモ(職の権利、発言の自由化、大統領周辺の腐敗の罰則など)が国内全土に拡大し、軍部の離反によりザイン・アル=アービディーン・ベン=アリー大統領がサウジアラビアに亡命し、23年間続いた政権が崩壊した。
この民主化運動が近隣アラブ諸国に広がり、長期独裁政権国家の革命や内乱が続いている。


リビア

40年以上政権を維持するカダフィに対する退陣要求の反政府運動が起こっている。
(公的役職には付いていないが実質的に支配を続けている)
米英仏伊がカダフィ政権側に空爆を実行中。

2011.4.11
仲介に乗り出したアフリカ連合(AU)がリビア停戦へのロードマップを示す。
結果:カダフィ政権側「OK」反体制派「No,カダフィ即退陣が盛り込まれていない。」

2011.4.1
多国籍軍誤爆?
内容:東部の石油拠点ブレガ近郊で多国籍軍が空爆。反体制派メンバー13人が死亡、7が負傷。
結果:反体制派「戦争中にミスは起こりうる。誤爆かもね。とにかくカダフィ政権側への空爆を続けて。」
   事実上不問。

2011.4.1
反体制派が停戦条件を主張
内容:言論の自由、西部の諸都市とその周辺から撤退する
結果:カダフィ政権側が拒否

2011.3.21
米英仏に続いてイタリアが空爆参加。イタリアはリビアの旧宗主国。