「文化と社会」より


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イヴ・レオナール 編
文化と社会
〜現代フランスの文化政策と文化経済〜

文化について考えるとき、その中心に必ず国家があるというフランスの特異性

1959年にアンドレ・マルローのもとで文化問題省が創立

「それぞれの時代が次の時代に伝えられるのは、その時代のそれとは別の何かだけである」アルヴァロ・デ・カンポス(未来派の詩人、フェルナンド・ペソアの異名者の1人)

国家の文化に対するかかわり方として、こうした保存・継承(?)、擁護・支援という役割に、文化的財産がすべてのフランス人の間で社会的、空間的に再配分されるように支援するという役割が加わった。国家は、そのよりどころとする民主主義の理想に基づき、国民の連帯の名において、文化が公平に分かち合われることを助け、また文化から隔てられた者、疎外された者の参加を得ながら、この国の文化活動全体を豊かにし、新しくすることに力を貸したいと願った。恵まれない階層との出会いから出発したこの政策は、人民戦線政府が輝いていたときに始められた。以来中断されることも、見直されることもなく、また各省の様々な部局間の多少なりとも密接な連携がはかられたり、地方行政からの大きな助けを借りて、様ざまな形で引き継がれてきた。

「保護(Protection)、創造(Creation)、普及(Diffusion)」は、国家が掲げるにふさわしいものと第4次計画の専門家たちが認めた3本柱である。公的な「文化政策」という言葉は、ある程度幅のある言葉であるが、この3本柱は、「文化政策」という語で言わんとしているところをなかなかよく表している。

p41
第四共和政
 文化活動における第四共和政の果たした役割は、第一に社会性の強いものである。その目的は、とくに労働者や大衆という新たな対象を獲得することにあった。
 1958年憲法で再び採択された1946年憲法の前文によれば、「国家は、子どもから大人にいたるまで、教育、職業訓練、文化の機会均等を保証する。無償で、非宗教的な、あらゆる階級の公教育を組織することは国家の義務である」。
 芸術・文芸庁の中に、演劇の分野における行政と文化の新しい関係が生まれる。それまでブルジョワ階級のみのものであった演劇という財産に、恵まれない階層の人々が接近することを後押しすることによって、文化の大衆化を押し進めようという発想によるものであった。
 1946年、国立映画センターが設立される。このことは、重要な文化活動を支援することを、国がいかに大切なことだと考えているかという証しである。たとえば興行収益前貸金制度などによって、質の高い新しい作品づくりを支持、奨励していかねばならなかったのである。
 国立民衆劇場(TNP)は、ジュミエの扇動によって創設されたものであり、1920年以来たしかに存在はしていた。だが、「民衆の」という形容詞は公の呼称からは消えてしまっていた。1951年から1963年までTNPを指揮したJ.ヴィラールの仕事は、演劇から多くの人々を遠ざけていた演劇の技巧や約束事をはぎ取って、フランス内外の優れた演劇作品を近づきやすいものにすることであった。
 そして、今日から見たとき、A.マルローの文化の家とJ.ヴィラールの仕事との間に連続性を求めるとすれば、さまざまな公演、かつては別々にあるのが普通であった表現形態を一同に集めようとしたことのほかにはないであろう。
 1955年の『共和国と美術』と題するJ.ローランの著作は、ついには芸術創造と文化普及への国家の精力的な関与をもたらすことになる。
 つまり、第五共和政の初めにA.マルローによって行われた文化という領域の確立は、過去との真の断絶というよりも、むしろ過去からの一つの到達点を表しているのである。


研究者という者はつねに、
1940年にマルク・ブロックが描いた視点に自らを置かねばならないと思われる。
「各人が言わねばならないことを率直に言えますように。真実はこの誠実さが集まったところから生まれるものだから」