経済自由化


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経済自由化_小倉明浩

 1990年に就任したコロル大統領は、経済低迷からの脱却を、ブラジル・モデルからの転換によって達成しようとした。同年の新工業・通商政策において、対外開放経済への転換(貿易・投資の自由化)と政府の役割の縮小(規制緩和、民営化など)を通じて、経済構造改造を図る方向を明確にした。政府が資産配分を主導するのではなく、市場の昨日を信頼し経済の介入を排するという新自由主義的(市場志向的)開発戦略への転換である。
 コロル政権は、輸入自由化や大規模な民営化計画を実現する。しかし、政府の経済への関与や外資への規制を定める1988年憲法の制約、またコロルの汚職疑惑によって、十分な成果をあげることができなかった。とりわけ国際通貨基金(IMF)との債務返済をめぐる合意が遅れたことは、構造改革への外資の支援を求める上で大きなマイナスであった。この結果インフレを悪化させ、改革は成果を挙げられなかった。
 コロルの残任期間を引き継いだイタマル・フランコ(Itamar Franco)政権下で財務相となったのがカルドーゾ(Cardoso)である。その下でレアル・プラン(Plano Real)が開始された。インフレが克服さた。レアル・プランは為替レートの固定を特徴とし、為替アンカー型政策と呼ばれる。その成功は、IMFとの合意・支援の下に豊富な外貨準備を蓄積し、為替相場の維持可能性への信頼を得たことによる。
 カルドーゾは、1995年に大統領い就任して以降も、それが経済成長と社会開発の基礎であるという認識の下、経済安定化を第一の目標としていた。その上で、経済自由化を政策の基本としながらも漸進的に進め、市場機能を補完する社会開発も組み合わせるという、他のラテンアメリカ諸国とは異なるブラジル型の経済自由化の試みを進めた。経済構造改革の面では、憲法上の制約を段階的に克服することで民営化をコロル政権以上に促進し、巨大国営企業の民営化を実現した。国際競争力の面でも、鉄鋼など一部素材産業での競争力は高く、さらには小型旅客機メーカーのエンブラエル(EMBRAER:Empresa Brasileira de Aeronautica)のように、世界的競争力を有する有力企業に成長している。また、新しい農業輸出も拡大している。
 以上のようにカルドーゾ政権下では、経済構造改革の一定の成果が現れた。しかし、経済の外資依存体質は維持されている。第1期カルドーゾ政権の比較的良好な経済成長は、インフレの抑制と為替の固定により、外資流入が拡大したことを背景としている。1998年末からのブラジル通貨危機前後から、外資流入は不安定化し、第2期カルドーゾ政権では経済安定化優先で緊縮基調の政策をとらねばならなかった。1990年代後半は外資流入拡大いもかかわらず経済成長率は低迷傾向にあり、外資依存型の経済構造はより深刻化しているといわざるを得ない。
 新自由主義的(市場指向型)開発戦略への転換は、ブラジルの外資依存体質を変えていない。しかし、資産配分を、政府主導から民間投融資中心に転換させた。問題は、その転換がブラジルにおける経済開発上の課題の克服につながるかどうかである。理念的にあh、これによって自由な投資者の判断に基づき効率的な資金利用が実現されるはずである。また、市場によって実現される資源賦存に適合した投資が最も開発を進めるはずである。しかし、通貨危機の発生は、投資に必ずしもそのような合理性が貫かれていない可能性を示唆する。また、ブラジルの貧困層が供給しうる労働力(生産要素)の質と現代のグローバルな寡占的企業が要求する労働力の質との間には大きな格差が存在している。単に市場による資源の最適配分に依存していては、貧困問題が解決されない可能性が危惧される。