銀色の髪と銀色の空

「いつも、その手すりに腰かけているのね」
「……また、あなた? ……本当、好奇心満載」


時折、いるのだ。
私のような死神を、肉眼で直視可能な人間が。
そういえばちょっと前にも、普通に目視されて大変だった、と私の後輩が語っていたような気がする。彼女といつも一緒にいる幽霊も驚いていた。

何の気はなしに飛んでいった、どこにでもありそうな学校の屋上。
グラウンドから聞こえるサッカー部の喚声と、少年少女らの喧騒の声。それらをBGMにしながらのんびりするつもりだった。
屋上の手すりに腰かけて、後ろに倒れれば飛び降り自殺出来る状態。そんな体勢でゆったりとしていた私だったんだけれども。



とある日、私は変な女の子と出会ってしまったのだ。



風の強い日だった。
あの、べたべたと私の愛する後輩にひっつく幽霊を蹴り飛ばした帰り道、私は夜の学校の屋上にて休止していた。

と、そこでやにわに音が聞こえた。
ぴちゃり、ぴちゃり、と水滴の垂れるような音。雪の降った翌日、屋根から垂れる小さなしずくが落下するような音。
鬱陶しく思ったわけじゃないけど、さすがに気になりはする。私はその音の発生源へと向かって、足を進めていった。

「ひとおつ、ふたつ、みっ、みっつ。三本、ね?」

意味を成しているのか成していないのか分からない声。それは、水滴の音に混じって、屋上の端が源。
そこに足を進め、私が目をこらしてみれば、長身痩躯の少女がひとり。


少女は、手首を切っていた。


あの水滴の音は、生命の証左である紅の液体が流れたことによるものか。
どこかうつろな、胡乱な、そんな表情で、少女は右手に握った彫刻刀を左手首に突き刺している。
血管を裂きやすいように、縦に向かって切っている辺りに、慣れというものを感じさせる挙措。

交通事故や色々な事件に遭遇した私は、別に恐ろしいとも気持ち悪いとも感じられない光景だったけれども。
気付けば、何故か言葉を放ってしまっていた。

「……意味、あるの?」


「あるよ」

瞠目、のちに驚愕。少女は、私の声が聞こえていた。
死神の私がたじろげば、少女は左腕から血を流しながら、うっそりと立ち上がり、私ににじり寄ってくる。
月光を反射してきらめく髪の下、刹那の隙に見えた少女のかんばせは、どこか機械的ながらも整っていた。

「……わあ」
「な、何?」

少女は私のもとまで寄ると、私の顔を見るなり破顔する。
私としては、左腕からどくどくと血を流して、髪をだらりと下げるような人間に笑われたくはなかったのだけれども。
少女は、そんな私の考えを吹き飛ばすかのように、いきなり私に抱きついてきた。

「!?」
「嬉しい! 私の祈りが通じたの!? ねえ、ねえ、ねえ、あなた死神さんでしょう!?」
「……どうして、それを?」
「あ、本当にそうなんだ? かまをかけてみたんだけれど、大当たりしちゃったんだぁ!」

人の話を聞けよ、と言いそうになったが、それは我慢。
柔らかな乳房が私の頬に押し付けられ、甘い匂いが鼻腔をくすぐり、少女の肌が私の髪を撫ぜる。
死神の声を聞くだけではなく、触れることも出来る少女。無論のこと、稀有なる存在だった。


本来ならば、ここで色々と当惑したり質問をしたりするのだろうが、私は何故かそうする気持ちなどなかった。
ただ、私に抱きついてくる少女が、どこか細く細くもろく悲しく、黒い存在に見えたので。
気付けば、私は少女の背に手を回していた。

「……ん、ごめん」
「どうしたの? 死神さん? なんで謝るの?」
「……その呼び方はやめて。その呼び方は……この世界で、ひとりだけ許されるの。……これは、私のわがままだけれど」
「うん、分かった。でさ、なんで、さっき謝ったの?」

私は、話した。
死神を求めている人間なんて、大抵が死んでしまいたい欲求を抱えている者だ。自殺する勇気もない、他力本願人間ばかり。
死神は、ただ魂を送るだけ。人殺しをするわけじゃない。
けれど、私の話を聞いた少女は、笑っていた。けらけらと、からからと、おかしそうに。

「違う違う。私、死にたいから死神に会いたいんじゃないんだ」
「……じゃあ、どうして?」

私がたずねてみると、彼女はいきなり表情を氷のそれに変えて、言ったのだ。



「……死を、感じたいから」



死にたいわけではない。ただ、身近にある死の証左が欲しいだけ、と彼女は語った。
血、恐怖、それらの要素が彼女に恍惚感をもたらし、生きていることを実感させるのだという。
リストカットもその一環らしい。
パラノイアと言うには弱いだろうが、間違いなく特殊性癖の人間だといえた。

彼女の話を聞きながら、私は屋上の手すりに腰かけた。彼女も、ならうように腰かけた。

「すべると……死ぬけど……」
「いーのいーの、そしたらこっちの落ち度だってば。あ、やべ、ここ高いなあ。こえぇ。失禁しそう」

そう言う彼女の背は震えていて、恐怖を『味わって』いた。
私は彼女の考えがよく分からないが、死に近しき思いと死が快楽へと直結するんだろう。

「最初はさあ、あなたの姿を見た時さあ、天使みたいだって思ったんだよ」
「……そう」
「だけどねえ、黒衣まとった天使なんていねぇっつーの。鎌なんて持つわけねーじゃん、あはは」
「……想像力、貧困」

そのまま私は彼女と言葉を交わし、別れた。
変な人間だったから印象に残ったし、話し方もなめらかだから印象に残った。
そう、印象に残った。



翌日の昼、私は彼女に再び出会い、また会話をした。
内容自体は、そう大したものじゃないかもしれない。それでもそれなりに暇つぶしにはなった。

いつから、だろうか。そんなことをくり返してきているうちに、彼女と会話するのが当たり前になってきたのは。
気の置けない友人のようにも思えてきたし、わけの分からない変人のままでいたような気もする。
私の心の中で、彼女のスタンスはそんな雰囲気だった。


だが、ある日の昼下がり、ことは起こった。


「空ってさあ。輝いているよね? あなたの銀髪みたいに」
「……シルバーとアクアブルー、どこが似ているの?」

私の髪をくいくいといじりながら、彼女はけらけら笑ってそう言った。
彼女の視線は私へと、さりとて意識は、私の髪と青い空。

「考え方がかったいなあ。きらきらしているんだっつーの。つまりは、綺麗なんだよ、可愛いんだよ」
「……ごいりょ」
「語彙力が貧困だって言うんでしょ? でも、仕方ないじゃない。綺麗なものは綺麗なんだしさあ」
「……」

私は複雑な気分だった。
この銀色の髪は、綺麗というよりかは悪魔的な意味合いをもっているような気がしてならない。
そう、例えるならば、鋭利な刃物を映し出す、あの銀のきらめきのように。振るわれる凶刃、あの銀閃のように。

銀は、引き立て役なのだ。あの、赤い赤い血を引き立てる役。
私の後輩の黒とは違う、悪魔的でいて、どこまでもきらめく、妖艶ながらも欠落した気色(けしき)の見える色彩。

「幸せってさあ、私の幸せはさあ、綺麗で可愛いものを感じるために存在するんだよ」
「……レゾンテートル?」
「そうそう、存在意義。そりゃ、リスカするのは気持ちいいけれどさ、綺麗なものを見るのは別格。
 恋愛とか出世とか結婚とか昇進とか、そんなものに興味はないんだ。社会概念に媚びる系統のものは全部駄目。生きる意味がつかめない」

そう語って、彼女は私の髪を撫でて、屋上の端へと。
手すりを越えて、一歩踏み出せば死んでしまうような位置へと。


彼女は、屋上の手すりを後ろ手でつかみ、飛ぶ体勢に入っていた。


「……飛ぶの?」
「へへ、どうしよう。どっちでもいいかな。ああ、怖いなあ。怖い怖い怖い」

少女は、失禁していた。
まとったスカートは、股から漏れ出る液体によって濡れており、染みをつくっている。
肩と足を震わせ、歯と歯をかちかちと鳴らし、少女は下の世界を見ていた。

「あの日、あなたと、出会った日。殺されてもいいって思ってた」
「……そうなの?」
「どうしようもないんだ。私は、駄目なんだよ。この屋上の世界にいて、空に、きらきらとしたものに憧れる限り……私は駄目なんだ。
 人間は、地に足をついて生きる動物なんだ。私は、鳥さんに、イカロスに憧れた、愚かな存在なんだよ。
 あはは……。言ってること、妄想癖をもった中学生男子みたいだね」

けらけら笑いながら、彼女は左手を手すりから放し、その口で、ためらい傷を覆う包帯を器用にはがした。
ピンク色の傷跡がいくつも残る左腕が、白日のもとにさらされる。

「飛ぶね、十中八九。けれども、これは自決じゃない」
「だとすると、何?」
「私は、旅行するんだ。片道切符なんだ。あの、きらきらとした世界に、羽ばたくんだよ。そう、あなたの……その綺麗な髪が、欲しかった。
 その可愛い髪が、顔が、そんなあなたのような、きらきらとしたものが欲しかった。だから私は、そこに行くの。それがある場所に」
「……死体処理班、ならびに、親御さん……ご愁傷様」

私があきらめたように溜息をついて言えば、少女はにっこりと笑った。
失禁しながら、怯えながら、それでもなんとか見せたその笑みは、私の髪よりも輝いて見えた。
私の、銀の光よりもなおのこと輝き、それでも泥臭く、されど美しい、太陽のような輝き。純なる思いと狂気に彩られた証左。


「宗教とかそんなん知らないけれど、ハレルヤ! 私が求めるのは、理想郷!
 そこで私は旅立つの! あの、明るい、綺麗な、可愛い、素敵な、あの世界へ! あの地……否、空へ!」

まるで演説するかのように叫び、少女は、私の方を見て、微笑んだ。
私は止めることもせずに、彼女の目を見た。彼女は、目でものを語っていた。


――あなたは、とっても、綺麗で、可愛いから。

「行くよ! 世界へ、あの空へ! 銀の光へ!」

――可愛いから。だから、色々な人の、みんなの、空になって。




そうして、少女は、飛んだ。
たった一瞬のことだったけれども、日の光を浴びて跳んだ彼女の背に、銀色の羽が生えたように見えた。


数秒後、ぐちゃり、と。
ひとつの生命が、その終焉を迎え――私は、屋上を去った。



後日。
私は、後輩と幽霊とで昼寝をしていた。

後輩はすぐに眠ってしまったけれども、幽霊はこちらを警戒しているのか、私をねめつけたままだ。
せっかく、人がほとんど来ないような花畑に案内してあげたというのに、なんと情趣のない。
色とりどりの花々が敷き詰められた地に誘っても、幽霊は後輩ばかりを気にしていた。

「むー、襲っちゃ駄目ですからね?」
「ふふ……それは、どう、かな?」

私が挑発的な目を向けてやれば、幽霊は目をつり上げる。
しかし、後輩の姿を見れば、すぐさま眉は垂れ下がり、でれでれとはしたない顔になる。

私は、視線を幽霊から空へと移した。
とりどりの雲をその身に含ませ、ただただ透き通るような水色を見せる空。あの少女の希望と羨望が一心に向けられた、空。

私は、自分の髪をつまみ、空へと向けた。銀色の光が、水色の中に入り、ちいさなきらめきと違和感を残す。

「うーん……先輩、幽霊、ずっと……いて……」
「キョエェェェェェ!? 何故に私の方が先じゃないのですかああぁぁぁ!? ま、負けたああぁぁぁっ!」

ぎゃーぎゃーと騒ぐ幽霊、寝言を漏らす後輩、そんなふたりを見ながら、私は微笑する。
季節は、夏。とても空が青い季節。綺麗な色を見せる季節。柔らかな色彩で、皆を包んでくれる季節。
私は髪をもてあそびながら、空へと視線を向けて、小さく吐息。

「――綺麗、って言ってくれたのは嬉しいけれど。……まだまだ、およばないよ」

でも、それでいいんだ。
私は、空になれるのかもしれないけれど。誰にでも平等に広がる、この、広い広い空には絶対になれないから。

だから、それで、いいんだ。


(おわり)

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最終更新:2007年10月14日 03:21