済州海軍基地建設反対・パク・ムンジェ医学博士

平和の島に海軍基地?―考え直そうー

          パク・ムンジェ博士

1950625日(日)に韓半島で戦争が簿発したとき、10代の中学生だった私は、学校がすべて休校というラジオ報道を音楽を聴くような心地よさで聞いた。宿題はなく、近所の子と漢江で釣りをしたり泳いだりでき、サッカーも毎日できる、と。

 

 勿論、その後ソウルで10代の子として過した3ヵ月はそうは行かなかった。厳しい軍事占領、若者の強制徴兵が公然と行なわれ、何もかもが不足していた―食料も、水も、電気も。特に、姉が北朝鮮人民軍音楽隊に引っぱられると、家族に別離が生じた。やがて、一家が生き延びるためには南へ逃げなければならないと確信するようになった。冬になり、中国の介入で前線が再びソウルに移っていた。

 

母は、当時我々4人の子供を一家の主として支えていたが、南端の済州島まで移動した方がよいと判断した。済州は我々の先祖の地であり、当時、祖父母が住んでいた。 また、水で隔てられた島は本土の紛擾から遠い、「平和の島」だろうとも考えた。

 

3日間、ソウルからプサンまで、避難する人で満員の列車の屋根に乗っかり、数知れないトンネルをくぐり、石炭の煙にまみれてつらい旅をした。だが、その後も、もう3日間プサンから済州島まで、「銀の波」という全く不似合いな名の、ガタの来た危なっかしいフェリーに乗って行かなければならなかった。船は、避難する家族で満杯だった。そしてようやく島に到着し、文字通り祖父母の胸に泣きながら飛び込んだのだった。

 

済州島は、到着して数日後に分ったことだが、「平和の島」とはほど遠い所だった。10人に1人の割で島民が政治イデオロギー上の理由で殺戮された悲劇、43事件の記憶がつきまとっていた。韓国政府に徴集された栄養失調の若者数万人が、饑餓の行軍と船旅で島に送られ、モサルポという海沿いの村の駐屯地に入れられた。ハンナム港から撤退した何百という北朝鮮避難民が、毎日韓国と米海軍の輸送船で連れてこられ、ありとあらゆる公共施設―校舎や市役所、工場などに収容された。しかしそこには適切な補給や支援もなかった。私は夜、ハルラ山近くの山で信号灯が瞬き、野火が上がるのを見たが、それは政府に反逆する者たちの粘り強い存在を示していた。

 

私の済州での生活は、徴兵年齢より下の10代だったため、不規則なものだった。学校が開校してれば(オー・ヒョン中学へ)登校したが、軍用手榴弾を製造する工場でしばらく働いたこともあった。手榴弾を箱詰めしたり、無作為に選んだものを投げて爆発テストをしたりしたが、母親が怖がって無理に止めさせた。街で新聞売りをしたこともあった。

 

ある日、数百人の米軍憲兵が護衛する数千人の中国人・北朝鮮人捕虜を乗せた米輸送艦隊が島に近づくのを目撃した。この捕虜は、後になって分ったことだが、反乱を起こしたケジャ島の収容所に元々いた者だった。最も反抗的で、いつか出身地である共産主義国、中国か北朝鮮へ脱出したいと明言している者らは、済州の新しく建てられた空軍基地(当時のコード・ネームK-40)の捕虜収容所に入れられることになっていた。K-40は,今の済州国際空港がある場所だ。

 

数週間後、済州港近くの青空市場(サンジ・ハン)で、米軍ジープと高位らしい年配米軍将校に気がついた。彼は大勢の韓国人見物人に取り囲まれ、やかん購入の交渉をしているところだったが、意志の疎通ができないでいた。私はここ3年間にソウルの中学で英語の授業を受けていたので、流ちょうからはほど遠かったが、日常会話はなんとかできたので、将校に、「お力になりましょうか」と声をかけた。これに彼はとびついて、やかん購入ができたあとは、私をジープに押し込むように乗せ、捕虜収容所に連れて行った。彼はシェーファー大佐で、捕虜収容所司令官だった。彼はすぐさまわたしを通訳として傭い、補佐官!の役職もくれて収容所内に居場所をあてがってくれた。

 

キャンプで雇用された約1年半という短い期間の後、私達は済州島からプサンへ戻った。母が、ソウルに昔あった学校の多くがプサンで臨時開校していることを知り、私もこうした避難民の学校に戻るべきだと決めたからだが、私はシェーファー大佐からの厚遇を楽しんでいた。しかし、同時に、私の若い心は、疑問や理解不能の思い、恥ずかしさ、苛立ちで一杯だった。特に米軍と地元の韓国人―ただの島民であれ、本土からの避難民であれ、地方政府の役人であれ―との関係を見るときそう感じた。

 

アメリカは我々の同盟国であり、我々を助けに来てくれた歓迎すべきお客であるという私の当時の単純な理解とは裏腹に、彼らは主人顔に振舞い、治外法権的地位を占めていた。済州島に出入りするときも韓国主権による規制を受けることなく思いのままだった。我々の自然資源―土地、水、樹木なども勝手に利用した。人糞は海に投棄し、好き勝手にゴミ捨て場を作った。雉子や鹿狩りは許可なしに遊びでやっていた。何回も私はシェーファー大佐の公式訪問に同行して済州知事室に行ったが、大佐は横柄に振舞って知事をぞんざいに扱い、私には粗暴な英語も和らげたりせず文字通り訳すよう強要した。

 

多くの島民、特に極貧の避難民にとって、基地と米哨兵は金儲けの種を意味した。労務者としての仕事、ごみ処理要員、クリーニング要員、調理場の監視役の仕事などである。基地ができると、みすぼらしいスナック店、みやげ物屋、裁縫サービス店などが、門前に次々登場した。 

 

しかし、若い韓国避難民女性が売春婦として米兵の袖を引く、基地周辺の掘っ立て小屋ガ出来るのを見るのは、私の若い心に一番恥と痛みを感じさせた。彼女らは、軽蔑され、ひどい扱いをされ、批難され、多の強制的処遇を受けなければならなかった。健康診断とか、近寄るなの看板が彼女らのぼろ屋の近くに立てられたりなど。しかし、兵士たちはずっと通い続けていた。大佐のジープでその側を通るとき、女の子達は叫び、寄っていけと手招きした。大佐は顔をしかめ、韓国女性一般への軽蔑の言葉をつぶやいたが、私は彼女らが恥ずかしく憎らしかった。しかし心の底では、私は彼女らがただ金のため、生き延びるため、飢えを免れ、おそらく子供を食べさせるためにやっているのだと知っていた。そして彼女らは心で泣きながらそれをしているに違いないと思った。

 

ある日、夜中に、基地内で騒動があった。女の人が基地内で客引きをしてつかまったのだ。彼女が基地に自分の意志でもぐりこんだのか、兵士に無理に連れてこられたのかは分らなかったが、彼女は米軍憲兵に逮捕され、基地を外から護っていた韓国空軍警察に引き渡された。翌朝、わたしは韓国の基地従業員がくすくす笑いをしながら、警察に捕まえられた女は完全に裸にされ、拷問として身体の毛を一本づつ抜かれ、裸で泣いている姿のまま基地周辺を見せしめのため引き回された、と話すのを聞いた。

 

その日の昼食後、私は大佐と基地周辺の定時見回りに出ていたが、遠くに白い着物を着た女が一人、人気無い海岸の黒い火山岩の上に座り、海を見ているのを目にした。この光景はあまりに物寂しく、彼女があまりに見捨てられたように思われた。同じ場所を帰りに通り過ぎたとき、あの姿はもう何処にもなかった。たが、わたしは白い韓国女性のスカートが遠い静かな海上に浮いているのを目にした。その日遅く、あの女性が海に身を投げたことを知り、私の予感が当たっていたことを確認した。

 

韓国海軍基地が済州セギポ近くのカンジュンという漁村に作られるという計画について多くのことが書かれている。済州島は、私の心の故郷であり、祖先の眠る土地である。どれほど説得されても、私は基地が韓国防衛のために必要だと信じることはできない。最も明白な事は、米海軍が中国に対する軍事覇権を維持し、同盟国日本を守るために、将来それを利用するだろうということだ。

 

最も明らかで紛れもない事実は、カンジュン基地が、戦時、否すべての地域戦争において、済州島を最も傷つきやすい軍事目標にしてしまうということだ。そのとき済州は、「平和の島」という呼称を永遠に失うだろう。

 

計画は中止すべきだ、ピリオドだ!韓国人は南であれ北であれ、あるいは海外居住であれ、立ち上がってこの愚劣なプロジェクトをやめさせるべきだ。これは将来の島民、あるいは韓国人全体を危険に陥れる。韓国の人々は立ち上がって、海外の強国によってこの考えに同調させられ計画を立てた政治家を、地方政治家であれ何であれ、辞めさせ、有罪にすべきだ。

 

最近ニューヨークタイムズ(2011819日金曜日、A-10頁)にチェ・サンフンという記者が書いた記事が載った。題名は「島の海軍基地が韓国に反対運動を巻き起こしている」というものだ。記事はこの問題を雄弁に公平に語っている。記事の最後で記者は、47才の済州島アワビ漁師の言葉を引用している。「皆心配し過ぎだよ。どれだけ地域経済が潤うか考えてごらんよ、アメリカの航空機が数千人の兵士と現金を持って来るとき、いつでもそうなのさ」

 

戦時中、済州島で悲しい時代だと嘆いていた10代の少年は、今や、人生の黄昏を迎えた在米韓国人医師となっている。しかし、目を閉じれば、10代の少年のときと同様、今でも、白い韓国女性のスカート(チマ)が静かな大洋の波に浮かび、明るい午後の陽を浴びて光るのをはっきりと見ることができる。記事に出ていたあの若い漁師もまた、当時まだ生まれてはいなかったが、あの悲劇の情景を(心の中で)見てくれたらと強く願う。

                   (訳:古野恭代)

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